ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸にあるアナハイムのゆかり

2018-09-30 19:14:25 | 水戸

 水戸市はアナハイムと国際親善姉妹都市の関係にあるそうです。
 アナハイムに住んだ実業家・福島正義が、昭和49年に中学時代の恩師を招待したことがきっかけになったのだそうです。せっかく行くならと、幡谷祐一を会長として茨城県国際文化交流協会(当時)が設立されて、教育視察団を派遣するという話が進んだそうです。すると、福島の尽力もあって、アナハイムからの招待状が届き、その中には将来水戸市と姉妹都市になることを期待することが書かれていたそうです。そうした流れのなかで、当時の和田祐之助市長のとき、昭和51年に国際親善姉妹都市協定が、アナハイムとの間で調印されたそうです。
 ディズニーランドや、最近では大谷翔平によって、アナハイムはかなり日本人にとって親近感のある地になっているようです。

 

アナハイム通り(水戸市総合運動公園東北側の道路)
 ドン・ロス、アナハイム市長ら117名が5回目の使節として水戸を訪れて植樹をした記念として、昭和58年、和田祐之助市長のときに命名された通りだそうです。

 

アナハイム市交流碑とアナハイム橋(千波公園 千波湖南側)
 交流30周年記念として、平成18年に、加藤浩一市長と幡谷祐一水戸市国際交流協会理事長の名前で建てられたようです。

 

であい彫刻(水戸市総合運動公園 見川町2256)
 姉妹都市交流15周年を記念して平成3年、佐川一信市長のときに建てられたようです。作者は六崎敏光です。

 

アナハイム広場(水戸市植物公園 小吹町504)
  水戸市植物公園にもアナハイムの名前がありました。

 

アナハイムI(堀町)
  集合住宅にもアナハイムの名前がついていました。アナハイム「I」とありますが、たぶん「愛」を意識しているのでしょう。

 

アナハイムへの道
 昭和53年に出版された、姉妹都市の流れや交流のさまなどをえがいた、和田祐之助市長編著の本です。

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水戸の薬王院の履歴

2018-09-29 19:20:32 | 水戸

開基
  寺伝では、大同2年(807)に吉田神社に付属した神宮寺として、桓武天皇の勅願、最澄の開基で建立されたそうです。そうしたことから類推すると、平安初期に桓武天皇の勅願所として創立され、中期には神宮寺としての形が整備されていったということのようです。

 

鎌倉時代
 鎌倉時代になると、幕府に近い関係があったこともあり、次第に吉田神社の勢力下から離れて行ったそうです。

 

江戸氏時代
 江戸氏の時代になり、庇護を受けるとともに、その菩提寺になったそうです。大永7年(1527)の本堂焼失(仁王門、本尊、両脇立、十二神将は残る)のときには、江戸氏の力で復興したそうです。写真は焼け残った十二神将です。

 

佐竹氏時代
 佐竹氏は薬王院を、天台宗から真言宗へと改宗させて、一乗院としたそうですが、徳川家康による佐竹氏の秋田移封に伴って、一乗院も秋田へ移ったそうです。水戸に一部残った一乗院は、その後、光圀によって、今の那珂市に移され、それが法満山一乗院だそうです。写真は5年前の法満山一乗院です。

 

徳川氏時代
 徳川頼房の代の、慶長19年(1614)に宗旨を天台宗に戻したそうです。また、頼房は光圀の兄である早世した亀千代を薬王院に葬ったそうです。

 光圀はその墓を今の常陸太田に移したそうで、入口にある巨大な五輪塔はその墓碑だったものだそうです。貞享五年(1688)年に本堂を改修したそうですが、このとき正面を東に向け、床を石畳に変更したりしたそうです。そして、元禄10年(1697)には、薬王院を水戸藩の天台宗檀林所にしたそうです。

 斉昭は、天保の改革で、それに抵抗した薬王院に対して、鐘等を没収して、不心得ということで永無住という処分をしたそうです。その後、次の慶篤(よしあつ)の代になって、須弥壇などが藩によって再建されているので、元に戻ったということのようです。

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水戸の「薬」(2)

2018-09-28 21:15:32 | 水戸

 

鍼灸
 自身のためと藩政のために健康に気を使った徳川光圀は、鍼医(はりい)を身近において治療を受け、隠居して西山荘に住むようになってからは、灸を月に3回すえたそうです。また、病気をして薬を飲む前にも灸をすえたそうです。写真は徳川ミュージアムにある光圀像です。

 

 

斉昭の調剤
 桜田門外の変をおこした首謀者の一人だった高橋多一郎が、嘉永2年(1849)に「舌疳」を病んで50日近く寝込んだとき、徳川斉昭は自分で薬を調合して、その使用法とともに多一郎に与えたそうです。この時期、斉昭は幕府から受けた謹慎が解かれてすぐ後ですが、多一郎はまだ幽閉の身で、これは異例のことだったそうです。写真は偕楽園公園にある、斉昭・七郎麻呂(慶喜)父子像の斉昭の部分です。

 

 

医学館製造の薬
 馬口労町の大高家は、7代織衛門のとき、呉服太物を扱う豪商だったそうですが、藩校・弘道館の医学館でつくられた紫雪、救命丸などの薬を一手販売したそうです。7代は初代の水戸商業会議所会頭になった人だそうです。常陸山との交流もあったようで、その寄進による鳥居がある神力宇賀大妙神は、元は自宅の庭にあったものだそうです。写真は神力宇賀大妙神(末広町2)です。

 

 

三光丸と刻まれた石仏
 神崎寺旧本堂脇に、三光丸と刻まれた石仏がありました。基壇には日月星の商標マークもありました。三光丸は、その前進が鎌倉時代につくられて、後醍醐天皇によって名づけられた胃腸薬で、現在の奈良県御所市にある三光丸で現在も作られているそうです。同じ奈良県の特約店によってこの石仏は作られたようです。今も年に1回、花が供えられているそうです。

 

 

薬膳料理
 中国人・朱舜水らが光圀の師となり、中国料理を伝え、光圀の命で編纂された、薬草などを紹介した「救民妙薬」がある水戸ですから、薬膳料理の店があって当然でしょう。東会芳(住吉町10-17 本当は「会」の字の上にくさかんむりがあるようです。)は素材や調味料にたいへん気をつかった和風薬膳の中国料理店だそうです。

水戸の「薬」(1)

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水戸植物公園秋の薬草園(2)

2018-09-27 20:49:49 | 水戸

 薬草は、薬効と、花や実の美しさの2度楽しめるお得な植物です。水戸ではもっと薬草園の面積を広げてもよいような気がします。どれも9月の撮影です。

 

アカザ アカザ科 生薬名:藜(れい)  使用部位:葉  用途:歯痛、虫さされ等
 徳川光圀はアカザの杖を使ったそうです。写真は実です。

 

オオナルコユリ キジカクシ科  生薬名:黄精  使用部位:根  用途:滋養、強壮、痛風等
 オオナルコユリは、50cmより大きく、花が1か所に1-3個、葉の幅が幅広、一方、ナルコユリは80cmより小さく、花が3-5個つき、葉が細いことで、アマドコロは茎が角張っていることで区別できるそうです。

 

サンザシ バラ科 生薬名:山査子(さんざし)  使用部位:実  用途:消化不良、食欲不振等
 中国原産で、享保年間に日本にきたそうです。写真は未熟な実です。

 

チョウマメ マメ科  生薬名:蝶豆(ちょうとう) 使用部位:根   用途:強い作用のある下剤
 そうとう特徴のある花で1度見れば覚えられそうです。マメはサヤエンドウそっくりです。

 

ハトムギ イネ科  生薬名:薏苡仁(よくいにん)  使用部位:種皮を除いた種子  用途:滋養強壮、消炎・鎮痛等
  ジュズダマに似ていますが、ジュズダマは実が固いそうです。

水戸植物公園秋の薬草園(1)

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水戸の天満宮(3)

2018-09-26 20:33:08 | 水戸

 天神は本来、天の神様という、天から下ってきた神への信仰で、何々天神という数多くの地域的な神格があったようです。また、天神には雷神としての性格もあったそうです。それがその後、菅原道真の怨霊信仰と混同していって、結果的には母屋を取られたといった感じになったようです。ですから、どこかに、かつての神の痕跡が残っているのかも知れません。

 

天満天神宮(鯉淵町 鯉淵市民運動場近く)
 今回、天満宮の単独社は、ここだけです。

 

素鵞神社・天満宮(千波町 千波公民館近く)
 ここは、素鵞神社と天満宮が一緒に祀られたいわゆる二所神社です。

 

天満宮(日吉(ひよし)神社 ヒーロー水戸双葉台店(中丸町543)近く)
 日吉神社の境内社です。日吉神社は、寛永18年(1641)に金砂神社を分祀して建てられたそうです。

 

天満宮(三所神社 加倉井町農村集落センター(加倉井町565)近く)
 ここは石祠です。三所神社では、寛保元年(1741)のまるい手水鉢が印象的で、境内に三角点がありました。

 

天満宮(熊野権現 谷田町450)
 山王、八坂、金刀比羅、天満宮、疱瘡の5神社が合祀されています。境内にキザクラがあります。

水戸の天満宮(2)

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