指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

コンビニ・ライフ

2020年04月09日 | 都市
昨日は、用があったので、吉野町から戸塚までバスで行くと、多くの店が休んでいた。
中には喫茶店もあり、ほんとうに自粛は進んでいるなと思う。



しかし、やっているのはコンビニで、ほとんど休業はしていない。
昔々、インディーズのレコードで『スーパーマーケット・ライフ』というのがあった。
すべての生活が、スーパーで成り立っていることを歌ったもので、若手バンドの「チェンジ2000スぺシアル」というイベントで見たことがある。
こうなると、東京など緊急事態宣言下の都市は、今後は「コンビニエンス・ストア・ライフ」になってしまうと思えた。
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横浜の2館も休館

2020年04月08日 | 映画
昨日の緊急事態宣言を受けて、横浜の2館の名画座も休館となった。



横浜シネマリンとシネマジャック&ベティである。
本当は、今日の午後にも行くつもりだったので、非常に残念。
いずれ再開したら見に行くつもり。
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緊急事態宣言は仕方ないにしても・・・

2020年04月08日 | 事件
コロナウイルス蔓延で、ついに政府は緊急事態宣言を出した。
現状からみれば仕方ないにしても、その宣言の出し方については、少々違和感を感じる。
どこか、この宣言を出し、国民に命令を下すことに喜びを感じているように思えるのだ。
他人に命令を下すことは、権力好きの人間には快感なのだろう。
私は、まったく感じないが。



特に、小池百合子は、変な外国語をまじえて命令口調で記者発表することに快感を感じているように見えるのは、私だけだろうか。
それにしても、ウィルスは恐ろしいものだ。
20世紀以降、世界を被いつくした「グローバリズム」の害がこのように明かされるとは思ってもみないことだった。
今後、グローバリズムの間違いが全世界的に認識されるだろう。
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黒澤明はなぜ三船敏郎を重用したのだろうか。

2020年04月07日 | 映画
CSで、『MIFUNE The LAST SAMURAI』を見る。
監督は日系人のステイーブン・岡崎なので、比較的客観的に三船敏郎の姿を描いている。さらに、黒澤明についても、異常な崇拝はなく、公平な描き方である。
これを見て、あらためて思うのは、黒澤明の三船敏郎の重用の大きさ、ある種の「偏愛」である。
黒澤明は、かなり自己愛の強い人間で、役者に対しても非常に公平な付き合い方で、志村喬を非常に信頼していたようだが、特に偏愛した俳優はいない。
だが、三船に対しては、異常なほどの親愛性を示している。

三船の演技に過酷な要求をするのは、その現れである。
映画『蜘蛛の巣城』での三船が演じる鷲頭の最後のシーン、弓矢の攻撃のすさまじさは、むしろ三船敏郎への黒澤明の愛情の強さのように私には見えるのだ。
まるで、緊縛ものやサド・マゾ映画での、攻めるものと受けるものの「愛の戦い」にすら見える。
それほどまでに三船敏郎を黒澤明が愛していたのには理由がある。

それは三船の演技が素晴らしかったことは勿論だが、彼は、黒澤明の兄・黒澤丙午、映画説明者の須田貞明によく似ていたからだと私は思うのだ。
彼のきれいな顔写真は、権利関係でここには出せないが、三船敏郎によく似ている。黒澤プロが作った黒澤のムック本には黒澤丙午の写真が出ているので、見たい方はどうぞ。
この黒澤丙午は、非常に優秀で、映画好きの「キネマ旬報」の投稿少年の一人であり、山野一郎の紹介で映画説明者となり、すぐに人気説明者になる。
そして、映画のトーキー化に際しての、「トーキー・ストライキ」の代表になるが、組合員と会社の板挟み、さらに愛人との確執等で、自殺してしまう。

                         

この時期、黒澤明は、兄丙午の神楽坂の家の居候だったので、兄を失うことは自分が働くことになり、PCLの助監督試験を受け合格する。この下宿の貧民街のことは、後の『どですかでん』や『赤ひげ』の下層の人間の姿として出てくる。
この、「キネマ旬報」の投稿少年仲間だった森岩雄氏が、「黒澤丙午の弟だから」と縁故入社させたのは、人情として理解できることである。
黒澤明は、この面接試験の時「総務課長にいろいろと聞かれて不愉快だった」と書いている。だが、課長側からみれば、森の手による黒澤明の縁故入社への不愉快と抵抗を現したものだといえるだろう。

戦後、黒澤明は、三船敏郎の中に亡き兄・丙午の面影を見出して、彼と共同作業することで傑作を生みだしたのではないかと思うのである。
この映画には出てこないが、1960年代に、黒澤と三船は決裂してしまうが、その裏には、東宝の合理化政策があった。
黒澤には黒澤プロを作らせ、三船にも三船プロダクションを作らせる。
この三船プロ作りは、ひどいもので東宝の高齢スタッフの切り捨てを三船側が受け入れさせられたのである。
三船は、長年一緒にやって来たスタッフを切り捨てられず、自社で雇用し、彼らと共に映画を作る道を選ぶが、これは人情家のすることではあっても、経営者のすることではないことは明白だ。
その点、黒澤明は非情で、晩年のスタッフには、東宝以外の技術者が多数いるが、これは彼の本質の冷酷さである。
黒澤曰く「映画作りに妥協はない」からで、そこが彼が完全主義といわれる由縁である。
日本映画専門チャンネル
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自己責任からバラマキへ

2020年04月06日 | 政治
コロナウイルス騒ぎは、いよいよひどい状況になって来た。
世帯に30万円を配布する他、マスクも配られるとのこと。



本当に本気なの、といいたくなる。
これが、かつてはすべてを「自己責任」で済ましてきた自民党政権なのかと思うのは、私だけだろうか。
要は、事情次第でどうにでもなるのが政治だと言うことだろうか。
いよいよ日本の政権も行政もひどくなってきたと思う。
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禁煙法の制定を

2020年04月03日 | 政治
志村けんが亡くなって追悼の言葉ばかりである。
だが、なぜ彼が急に若死にしたか、よく考えるべきだろう。
それはやはりタバコの害である。
志村さんが亡くなったのは、直接は言うまでもなくコロナウイルスである。
だが、その前に、彼は大変なヘビースモーカーで、一日3箱のタバコを吸っていたことを忘れてはならない。
長年の喫煙で、十分に肺は傷んでいて、そこにコロナが襲っての死である。



志村けんばかりではなく、植木等、青島幸男、さらにつかこうへいと井上ひさし、みな肺がんである。
文科省と芸団協は、禁煙令、そして国は禁煙法を早急に制定すべきだと私は思うのだ。
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『迷走地図』

2020年04月03日 | 映画
1983年の松竹映画で、製作は松竹と霧プロになっている。
公開されたとき、私は『ミュージック・マガジン』の映画評で古臭いと書いたが、40年近くたって見ると、古臭さが消えて娯楽性のみが光っている。
一口に言えば、役者たちの「演技やりすぎ合戦」というべきだろうか。

                    

主人公は、日本憲政党のナンバー2の勝新太郎で、モデルとしては田中角栄だろうが、河野一郎も入っている。
その妻は岩下志麻、銀座のクラブのママが松坂慶子、そのパトロンで財閥の首領は内田朝雄、現在の首相は芦田伸介、中間派のボスは伊丹十三で、これは田中角栄の声色で笑わせる。意外にも、伊丹は結構器用な俳優だったのだ。
内閣官房長官が大滝秀治、勝新太郎に資金を提供する京都の金融業者は、森脇正光と思われ、戦後の自民党政権の政争を集約した内容になっている。この森脇役は、宇野重吉で、彼は山本薩夫監督の『金環食』でも森脇を演じていた。

内田の会社から勝新のところへ秘書として送り込まれていたのが渡瀬恒彦で、彼への岩下のラブレターの暴露で、勝新は総裁選への出馬を断念させられる。これは、佐藤栄作夫人の佐藤寛子の「恋文事件」のことだろう。
今回見て、監督の野村芳太郎は、この佐藤寛子の行動を肯定していることに気付いた。
政治ばかりで、自分も家庭もかえりみない勝新のような日本の政治家に代表される男たちに対し、その女性が別の男に引かれるのも当然と言っている。
その他、面白いのが二世議員津川雅彦の古参秘書で、津川から首にされ、タレント議員の朝丘雪路にバカにされる田舎者が加藤武で、これも最高。
松坂慶子は、本当はレズで、その相手はクラブの女早乙女愛で、この時その巨乳に驚いたが、彼女もとっくにいない。
上記の俳優の内、まだご健在なのは、岩下志麻と松坂慶子くらいだと思うと、ぞっとする。
衛星劇場
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『新撰組鬼隊長』

2020年04月02日 | 映画
期待していた大友柳太郎の『柳生旅ごよみ・女難一刀流』がつまらなくて、ほとんど寝ていたので、次の『新撰組鬼隊長』を見る。
私は、新撰組にも坂本竜馬にも興味がないが、これは結構面白かった。
1954年の東映京都作品で、子母澤寛原作の新撰組ものとしては、最初の映画化らしい。監督河野寿一、脚本は高岩肇と結束信二。音楽は深井史郎で、非常に重厚な響きである。

                  

鬼隊長こと近藤勇は、片岡千恵蔵で、本当は少し年取りすぎているようだが、さすがに様になっている。
彼らは、池田屋事件で名を上げ、京都で徳川慶喜にお褒めの言葉を貰う。
徳川慶喜は、東千代之助で、中村錦之助は沖田総司で出ていて、この二人はやはり片岡千恵蔵らに比べて若々しい。
この二人の「新諸国物語」の大ヒットは、やはり戦後の若い世代に受けたことが分かる。

展開は時代どおりで、次第に幕府軍の中で新撰組の地位は上がり、近藤は若年寄、土方歳三(加賀邦男)は与力待遇になるが、薩長軍に負け続け、ついには関東でも敗北してしまう。
そして、多摩の故郷に戻ってくると、幼馴染の水戸光子が近藤に会いにくる。
さらに、水戸と近藤の友人との間にできた少年も、「隊にに入れてくれ」と言ってくるが、近藤はもちろん断る。
最後、流山で決戦になり、薩長軍の火力に到底敵わず、ほんの数十人になってしまう。
そこに多摩の少年たちがやって来るが、近藤は言う、
「良くも悪くも、この世が変わっていくとき、それを担うのは君たち若者で、ここで死ぬのは犬死だ!」
昭和29年というこの時代には、まだ戦争で多くの若者が死んだことへの思いが強くあったことが分かる。
新撰組を使った反戦映画だったのには、非常に驚く。
阿佐ヶ谷ラピュタ
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