たびたび記録

心に残る風景

稚内観光

2018-08-18 | 旅行
礼文島から稚内へフェリーで2時間乗船。港近くになるとテンポのゆっくりした3拍子の歌「宗谷岬」が流れる。稚内で宿泊し,夕食はホテルから歩いて行ける稚内駅近くの店で、宗谷牛のすき焼き、ホタテのバタ‐焼、毛ガニを食べた。一匹の毛ガニの食べ方を店の人に鋏で手伝ってもらい、さばいた。美味しいけれど時間がかかり、みんな無言で食べていた。翌日はノシャップ岬、宗谷丘陵、宗谷岬を観光。宗谷岬へ行くまでにバスから見ただけだが、エゾシカがバス道の草むらに角だけ出していたり、一匹エゾシカが道路そばにいた。宗谷丘陵は宗谷牛の牧場地帯である。バスからは牛は遠方にいて黒い点であった。宗谷岬では日本最北端の記念碑がある。北を示すNのデザインが中心に置かれている。間宮林蔵の像があり目線はサハリンの方に向いている。流氷が保存されている部屋を訪れたがマイナス17度とかで部屋には足を少し踏み入れただけで写真は部屋の外から写した。

ホテルから見た北防波堤 戦前日本の領土だった南樺太と稚内を繋ぐ稚泊連絡船の港であった。終戦時は南樺太からの引揚者で混雑していた。やっと着いた稚内よりまた船で、日本海へ出て行った船が魚雷で沈没したとガイドさんが言っていた。

北防波堤ドーム

礼文島の花

2018-08-17 | 旅行
利尻島の沓形港から礼文島(人口2500人)の香深港へフェリー乗船40分ほどで着き、船泊港で海鮮の昼食する。新鮮ないくら、ウニ、ホタテ、ボタンエビたっぷりでとても美味しかった。このあたりからスコトン岬とトド島が水平線上に見えた。
午後はスカイ(澄海)岬を観光。海の色が美しいブルーで、南国の海のようであった。、向かう途中には花々が咲いていた。礼文の西側は切り立った崖で道路がないのでバスで同じ道を南下し桃岩展望台へのハイキングへ向かった。ここでは花ガイドと共にゆっくりと歩き礼文の花々を見て歩いた。6月7月の花は見られないが8月でも多くの花が見られた。

利尻島へ

2018-08-16 | 旅行
8月上旬羽田から稚内への直通飛行機で利尻島へ行った。利尻山は火山の噴火で生まれた。利尻富士と呼ばれることもあり、、富士山に似た美しい姿をしている。飛行機からでも、稚内からフェリーで利尻島のオスットマリ港に行くときも出迎えてくれるかのようであった。港に着き上陸すると早速利尻山を背にして写真を撮った。アジサイが見事なホテルに宿泊し姫沼 オタトマリ沼 火山噴火の溶岩がある仙法志御崎公園の観光した。昆布漁が盛んで天気の良い日は昆布を干していて昆布の匂いがしていた。
人口4600人で昔より減少しているとバスガイドは話していた。

イタリアの小さな街々を訪ねて 世界遺産の街

2018-06-14 | モブログ
イタリアには世界遺産が53あり、その数は世界一の国である。歴史のある世界遺産の街を旅した。訪れた街はラ・スペツィア・チンクエッテレ・ジェノバ・パルマ・モデナ・ボローニャ・ラヴェンナ・サンマリノ共和国・サンジミニアーノ・シエナ・ピエンツア・オルチャ渓谷。世界遺産ではないが「美しい村協会認定の村」のチヴィタ・デ・バーニョレッジョ。日本では4世紀の建物はなかなか見ることはできないがラヴェンナの教会は美しく保存されていて驚いた。
上の写真は、サンジミニアーノ ポポロ宮のダンテの間の壁面に描かれている美しいフレスコ画(14世紀)

下の写真(左上)はボローニャ宿泊ホテルの庭にあった樹木。「コロンブスがアメリカを発見した1492年以前より生きている」とプレートがかけられていた。
右上の写真はチンクエテッレの段々畑の小石を写真に撮る。断崖絶壁の土地にブドウ、レモン、オレンジを育てる為段々畑の石垣を作る。そのとき出来る不要な小石を砕いて土として利用した。土などないのだ。
下の写真はモデナのドウモ(12世紀)と入り口のライオン像(左右に置かれている)


イタリアの小さな街々を訪ねて チヴィタ・デ・バーニョレッジョ

2018-06-13 | モブログ
天空に浮かぶような街へ行く。2500年以上前にエトルリア人にっよって作られた街。この街は台地周辺部の崩落によって建物が崩れる危険に常にさらされて「死にゆく街」と言われている。
住人は20人ほど。街へ行くには長さ約300mの狭い道を歩いていく。遮るものがなく谷から吹くのか、風が強く帽子を押さえながら歩いた。入口のアーチ門をくぐると教会の広場につく。
1954年フェリーニ監督の映画「道」の撮影が行われたと知った。その主題歌 ジェルソミーナのメロディは記憶にある。


街の入り口近くに「ひなげし」が咲いていた。バス移動で見た野原にも咲いていた。イタリアでは「papavero」と呼ぶ。「コクリコ」はフランス語、「アマポーラ」はスペイン語、「カシュカーシュ」はアラビア語と知る。


イタリアの小さな街々を訪ねて ピエンツア

2018-06-11 | モブログ
シエナのホテルを朝早く出発し,バスで1時間20分ほどでピエンツアへ着く。ピエンツアはトスカーナ州の南の丘にある美しい小都市である。人口2000人
15世紀ローマ法王ピウス2世が、衰退した故郷のコルシャーノに新しく建設したルネサンス期の代表的な街である。コルシャーノをピエンツアと改めた。世界自然遺産のオルチャ渓谷が一望できる街である。都市計画に基づいて建築されており街並みが美しい。


昼食はオルチャ渓谷をバスで移動し農園レストランでアグリツーリズモの昼食を味わった。デザートはお酒に、固い木の実入り菓子を浸して食べた。(左下写真)

イタリアの小さな街々を訪ねて シエナ

2018-06-10 | モブログ
サンジミニアーノから午後シエナへ移動。街全体が一望できるポイントで写真を写し、世界遺産のシエナの街をガイド(シエナに住む日本女性)の説明を聞きながら歩く。

「商人のロッジア」」は街を守る聖人で飾られたアーケード。聖人の目は敵のフィレンツェの方角をにらんでいる。シエナの伝統菓子は写真左の「Panforte」小麦粉・アーモンド・レモン・オレンジの砂糖漬け・スパイスの入った固い菓子  写真右「Riccharelli」白い砂糖がかかったアーモンド菓子で崩れやすい。

カンポ広場は緩やかな斜面を9つに分けて(12世紀 9者の統治体制を示す〉デザインされた扇型の広場になっている。
高い塔はマンジャの塔。毎年夏この広場で競馬のパリオの祭りが行われる。その様子の写真をガイドが見せてくれた。

その写真の上は「サリンベニ広場」この広場は窓の装飾などがそれぞれ異なる3つの宮殿に囲まれている。

マンジャの塔のあるプブリコ宮殿と反対側の広場には美しい彫刻のある公共の泉「ガイアの泉」15世紀がある。現在はコピー。

13世紀の聖ドメニコ教会へはシエナの街へ入る前に行く。教会にはシエナ出身の聖カタリーナの遺物(親指、いつも使用した鞭)があり、ガイドは聖カタリーナの話を詳しく説明した。

広場から少し高台に歩いてドゥオモへ。ドゥオモの側面全体が縞模様になっている。白石とブラート産の暗緑色の大理石で作られている。ファサードは白、ピンク、暗緑色の大理石で華麗であった。右下写真にある像はオオカミに育てられた双子の兄弟。ローマの名前は双子のロームルスより、シエナは双子のレムスの息子セニウスよりつけられた。

イタリアの小さな街々を訪ねて サン・ジミニャーノ

2018-06-09 | モブログ
トスカーノの丘に佇む尖塔の街サンジミニャーノへボローニャからバスで2時間30分で行く。この街は古くエトルリア時代に人の住むところとなり、9世紀~12世紀に重要な2つの街道が出会うあたりに誕生した街。フランスやオランダに輸出されていたサフランの生産やワインによって13世紀半繁栄した。15世紀以降は新建築が行われなかったため今でも中世の姿を保っている。尖塔は自分の力を誇示するため自邸の塔を高くした結果72の塔が乱立していたが今では14の塔が残っている。
城壁のサンジョバンニ門から街へ入る。道幅は狭く、名物の「イノシシ・サラミ」の為かイノシシの頭(多分剥製)が置かれているお土産物屋を眺めながら進み10世紀の最初の門(ベッチ門)を潜るとチステルナ広場へ着く。井戸(チステルナ)は重要な水源であった。


市庁舎(ポポロ宮)に市立美術館があり入館した。

2階のダンテの間(1300年5月8日フィレンツエの特使ダンテが教皇派会議への代表者派遣を支持する演説した)の壁面はフレスコ画(14世紀)で飾られている。3階にはフィリピーノ・リッピ作「受胎告知」が厳重に飾られていた。

この街で昼食を自由時間に食べることになり添乗員と共に行った。部屋からトスカーナの風景が見え、特産の黄金色の辛口白ワインとポルチーニ茸やそのスパゲティを食べたがとても美味しかった。

イタリアの小さな街々を訪ねて ボローニャ

2018-06-08 | モブログ
ボローニャに連泊。サン・ペトロニオ聖堂は13世紀に建設が始まっても上部はむき出しのままである。ファサードは豪華な彫刻や大理石で美しい。「聖母とキリスト」を中央に「聖ペトロニオ」と「聖アンブロージョ」が左右で守っている。初期ルネッサンス15世紀中頃シエナのヤコボ・デッラ・クエルチャは12年の歳月をかけて彫刻した。
聖堂はマッジョーレ広場に面している。この日広場ではイベントが行われて賑やかであった。ポルタ・ラヴェニャーナ広場にボローニャの斜塔といわれる2本の塔(12世紀)がある。写真は低いガリセンダの塔(48m)で傾いている。


ネットウーノの噴水(巨人ジガンテの愛称)は市庁舎(13~15世紀)の前にある。ここが私たちの集合場所といわれ自由行動となった。リッツォーリ通りを歩くと高い塔が見える。このアシネッリ塔(97m)は傾いていない。

サンーペトロニオ聖堂のすぐ東にありながら、世界初の人体解剖室のある旧ボローニャ大学(アルキジンナージオ宮)へ行くことができなかったのは残念だった。


イタリアの小さな街々を訪ねて サン・マリノ共和国

2018-06-07 | モブログ
サンマリノ共和国は世界で5番目に小さい。歴史はキリスト教徒が迫害を受け、クロアチアのダルマチアから逃げ人々の信頼を得ていた石工マリノの名前からサン・マリノと呼ばれる。西暦301年にできた世界最古の共和国である。共和国(人口32,000人)は丘陵地帯が広がる国土の中央にティターノ山(750m)がそびえ、ロープウェイ数分ほどであった。国旗にも描かれている3つの要塞は遠くからでも見える。リベルタ広場に自由の女神像とプブリコ宮がある。聖マリノ教会には、画家ラファエロの師匠が描いたと説明された「聖母子」の絵が飾られていた。なんとなくラファエロ描く聖母子と似ていると感じた。