ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「まぁ いいか」 「ボチボチ やろうよ」

2017-02-16 06:35:06 | 日記
朝6時、ケイタイのアラームが鳴ります。
ルルーン ルルーン
起床時刻です。
アラームは 連日 天候にも場所にも関係なく正確に時を告げてくれます。
なんて律義な、おりこうさん なんでしょう。

床の中で、まずは手足を伸ばします
両足の指先を クリクリと動かし 足首を グルグルと右回し 左回し
両手を握ったり 開いたり 指先を一本ずつ つまんだり のばしたり 
握ったり 開いたり
(どういうわけか、♪ 「むすんで ひらいて」の歌が出てきます)
そして、仰向けのまま 背伸びを3度ほど。
深呼吸を3回。

痛いところが無ければ今日もOKサイン。
まずは、家族のため、それから○○さん ☆☆さん のためにも祈ります。
『今日も 主の御手のうちに お守りください』と。
そして 今日の始まりです。

昨年は 足の具合が悪くて、この毎朝の慣行がスムースに行きませんでした。
指も 膝も 頑なになっているみたいで 滑らかに動かないどころか、
痛くて、とてもとても。
痛いのは自分の足なのに、まるで他人の足みたいで。

そんなわけで、当然と思っていたことが出来なくなってみると、
その大切さを身に沁みて感じた数か月ではありました。

    『病まなければ 』
                      河野 進 
     病まなければ ささげ得ない祈りがある
     病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
     病まなければ 聴き得ない御言葉がある
     病まなければ 近づき得ない聖所がある
     病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
     おお 病まなければ
     私は人間でさえもあり得なかった
               (河野進 「祈りの塔」より)

『病まなければ 』の詩の、ほんのちょっぴりが、分かったような気がして、
今在ることへの感謝の念が少し出て来たかもと、思い込んでいました。

でも、快くなってみたら、〈モトノモクアミ〉でした。
またまた、あーでもない、こーでもない の連続の日々なのです。

ところで、昨年 12月10日頃の日没時間(福島)は16時19分。
本日 2月16日の日の入りは 17時18分。
何と、1時間近く日が伸びているのです。
そのことと、何ら因果関係はないのですが、私の悟りから程遠い「いい加減さ」に、
「まぁ いいか」
「ボチボチ やろうよ」
などと言っている〈ばーば〉です。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も(^^)v (雀(から))
2017-02-16 09:43:24
本当にそう思います。
病まなければ、人間でさえなかった!…と。
ぞれすらも、喉元過ぎれば忘れている罰当たりです(._.)
ば~ばさん、こんにちは~ (takaちゃん)
2017-02-16 13:17:13
たしかにこの詩のように、「病まなければ」知り得ないことは沢山ありました。
大病にみまわれた人が、先日、しみじみと言っていました。
「人生何が待ち受けているのか、全く先は見えていない。 いろいろと考えさせられました。」と。。。私も思います。
病を得て、初めて得るものも多かった様な気がします。
それは兎も角、102歳の天寿を全うした母が、
床の中で、ば~ばさんと同じような体操していました。
まだまだお元気で、足元を照らしてくださいよ。
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2017-02-16 14:25:59
(雀(から))さま。
喉元過ぎれば………忘れてしまうから、また生きていくことが出来るのかもしれません。
私は、いつも そのように都合よく考えてしまいます。
今日は、いい天気、いやなことなど忘れてしまいます。
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2017-02-16 14:30:44
 (takaちゃん)さま。
コメント ありがとうございました。
お母様は102歳の天寿でしたか。
私も、床の中での足や手の体操を続けてみることに。
今日は、全国的に いい天気のようです。
「お天気や」の私ですので、心も背伸びしております。

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