ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

遅ればせの「ごめんね」を。

2017-04-28 06:24:19 | 日記
早朝、電話がありました。
一瞬 「訃報」か、と思って、深呼吸を一つ。
それから、「もし もし」と。
『もしもし おばちゃん いい連絡だよ』
甥の声でした。

96歳の姉が、肺炎に罹り、救急車で病院へ入院してから、ほぼ一か月近く経ちました。
お見舞いに行った後、
〈快方へ向かっているよ〉
との連絡がはいりましたので、ひとまずはホッとしていたところです。
しかし、何せ高齢です、いつ訃報が入っても不思議ではありません。

甥からの電話連絡では、肺炎が治癒したので退院し、居住地から5分ほどの
距離にある特老施設への入居が決まったとのこと。
覚悟を決めていただけに嬉しい知らせでした。

持病のある甥は74歳。
姉が退院出来たとしても、その後、甥夫婦が介護に当たらなければならないことを考えますと、
私は、複雑な思いで日々を過ごしていたのです。
ですから、姉の回復をストレートに祈ることにも ためらいがあって、
〈甥たちの家族に必要なものを お与えください〉
と、少し悲しい気持ちで祈っていたのです。
そんなわけで、良かった、の一言に尽きる連絡でした。

甥とは言っても、私とは6歳しか違いません。
東京在住でしたので、学校が夏休みに入ると、夏休みの宿題などを持って、
我が家へ何日かの宿泊にやって来るのです。

齢が近く、まだ私も学生だったせいもあって、甥の宿題を看るのは私の役目。
甥は、遊びほうけてばかりで、あれこれヘリクツをこねて勉強しません。
叱られるのは、私で、何とも割の悪い役目でした。
時折、そうした甥にカミナリも落としましたし、意地悪もしました。
心の中では「もう帰れ!」と。

姉は甥を、早世した父親の後を継いで医者にしたかったのですが、そちらへの道へは
進みませんでした。
学生時代から、全国をバイクで経めぐって、時には、滝つぼに落っこちたりも。

山小屋を経営するのが夢だったのですが、それもかなわず、一応は安定した企業に
勤めましたが、50歳半ばで早期退職。
住んでいたマンションを購入した時のローンも返済完了。
娘たちも、それぞれに、成人、というところで、自分が住むための山小屋を、
ほとんど自力で作り上げました。

そんな、生き方を少々危なっかしく思っていた私でしたが、甥夫婦は共に母親を大切にして
くれています。
掌を合わせる事も しばしば なのです。

そして、今回の連絡の電話、
『もしもし おばちゃん いい連絡だよ』
は、上出来そのもの。
まずは、私を驚かせまいという配慮から、『いい連絡だよ』と、
開口一番に告げてくれたのです。

あぁ、私よりも、成長していたかも と、うれし涙が。
受け取る側の立場に立った電話のかけ方が出来たことは、
身内ながら、褒めて上げたいと思います。
                         〈ゴマメのばーば〉
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ば~はさん、こんにちは。 (Taka ちゃん)
2017-04-29 06:06:11
記事読んで思いました。
歳を重ねると言うことは、良いこともあれば
儘ならないことも。。。甥ごさんの気遣い、
人としてこれに優るものは、無いような気がします。
それにしても御姉様ご高齢でしんぱいされた、肺炎を克服されて本当に良かったです。
私もホッとしました。
ありがとうございました。 (ゴマメのばーば)
2017-04-29 13:22:15
 (Taka ちゃん)さま。
コメントありがたく頂戴いたしました。
お陰様で、姉が退院することができました。
退院しても、甥夫婦の介護疲れなどを考えますと、共倒れになるのではとの心配もあったのですが、施設に入ることが出来、本当に嬉しく感謝しております。

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