平成もあと少し。今日は庭仕事で腰を使って疲れました。
dマガジンで東京散歩。神田界隈の特集で、神田は結構歩いたつもりですが、まだまだ穴場の店があるようで、また歩かねばなりません。
連休初日です。朝から雨が降っていたのでゆっくりと床中読書です。ろくろ首の首はなぜ伸びるのか、半身半馬のケンタウルスとか人魚とかはたまたろくろ首をまじめに生物学的に解析するとという面白い本です。
平城京の時代を読了。平城京の時代=奈良時代ですが、万葉集や日本書紀、古事記が編纂されて日本語が形作られます。朝鮮版図や唐、渤海国との交流を通して独立国としての形もできていきます。律令制は隋、唐を規範として作られましたが、その後1000年以上に渡って日本の政治の底辺に存在し続けました。最近は京都よりも奈良のほうが興味がわくのですが、観光的には奈良は滞在時間も落とされる金も京都と段違いに少ないのだそうです。奈良は点在する寺や遺跡をつなぐ交通が使いにくく、ホテルもほとんど無いに等しく、大阪や京都からちょっと足を延ばすというレベルにとどまてしまっていますね。ちなみに平均的奈良の滞在時間は4時間だそうです。
「平城京の時代」坂上康俊 岩波新書
平城京の時代、およそ半分まで読みました。奈良時代というと聖武天皇です。しかし、聖武天皇はそれまでの天皇に比べてコンプレックスがあったらしい。それは自分の母親が皇統ではない藤原不比等の娘だったことです。時の右大臣だった長屋王の方がよっぽど(血統としては)天皇に近かった。平安の摂関政治の時代に成れば天皇のキサキは藤原の娘というのは普通になりますが、この時はまだ天皇家のミウチで皇統が続いていたのです(もっとも飛鳥時代は蘇我氏との姻戚関係がありました)。聖武天皇としてはキサキを皇統に入れたい、ということで皇后と名乗れるように公卿に図り認められます。そこから長屋王の乱とかの布石になります。
平城京の時代を引き続き。岩波新書では日本史を時代で区切ってテーマを作って発刊しています。平城京の時代はシリーズ日本古代史4ということです。先日読んだばかりの古代国家と軍隊と時代はかぶります。内容もかぶっているところがありますが、書かれていることは同じでした。
そして読みかけていた古代国家と軍隊も読み終わりました。江戸時代の武士の名前には帯刀とか左近とか右近とか、左衛門とか右衛門とか左兵衛、右兵衛なんてのがよく出てきます。これらはもともと平安時代の(政府に対して)衛府という軍事警察機構が近衛、衛門、兵衛(それぞれに左右がある)とあったのに由来しているのだということがわかりました。武士には縁起のいい名前なのですな。