今年も4分の3が終わりました。早いものです。歳だけを取っていく感じがします。神は妄想である、半分までこぎつけました。神の存在を信じる人たちは、不可知なことは神の仕業ということになるのですが、特に生物(というシステム)は設計(デザイン)されたものでその設計者は神であるということになります。しかし、ドーキンスは生物は自然淘汰によって進化してきたと論じます。全ては自然淘汰によって解決できるという立場です。今読んでいる章ではそもそも宗教が何故存在するかという話なのですが、宗教を生み出した人類も自然淘汰の結果であるという考えなのですね。確かに宗教を奉じるのは類人猿でもホモサピエンスだけです。
神は妄想であるは200ページまで進みました。全部で550ページ余り。半分までもう少しです。けっこう字が小さいので、老眼の目にはけっこうきついものがあります。
神は妄想であるを引き続き。この場合の神とは一神教の神であり、キリスト教系の神であります。神は実在しないということを簡単に言うのではなく、存在する言う人たちの言説から始まっています。妄想であるとは随所に述べられていますが、論証だって述べてはいません。これはこれから読む所に書いてあるのだと思って読んでいます。
早朝ランで早起きしたものの雨で、ベッドに戻ってしばらく鉄道ピクトリアル10月号を読んでました。もう11月号が発売になっているんですけどね。午後はドーキンスの神は妄想であるを30ページ読みました。昨日は仲秋の名月でしたが雲でみられません。今日は満月で今年のスーパームーンだそうです。夜は晴れて月が明るく綺麗でした。
NEWTON9月号の残った所をピラピラと読んでいました。電子版なので紙版と特集が違うのですが、水星の話、MARS/SARS事情などが面白くためになりました。
久しぶりにどっしりとした単行本を読んでいます。ちょっと前のものですが、ドーキンスの神は妄想であるです。無神論者のドーキスは神の存在を認めません。但しここでいう神は一神教のもので、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教への抵抗です。仏教などの多神教は倫理や道徳であるという見立てでこれは否定していません。新興宗教は往々にして過激な行動を取りがちで、伝統宗教といわれる歴史のある宗教はそうではないものですが、現実社会ではイスラム教の過激組織によるテロが止まりません。キリスト教もちょっと前まではカトリックとプロテスタントが血みどろのテロ合戦をしていました。そもそも、キリスト教もイスラム教も旧約聖書、ユダヤ教から出発しています。そのユダヤ教は神による選民意識の宗教であり、ドーキンスが嫌うのもそういう点にあるようです。
タモリと戦後ニッポンを読了。いいともが終了してからタモリ本がけっこう店頭に並びましたが、最も後発なものとなりそうです。ただ、タモリの芸能生活を紐解くのではなく、タモリの周囲にいた人たちにも光をあてて戦後史を作っています。タモリに影響を与えた人には植草甚一、森繁久弥、トニー谷らもいて、森繁久弥などは戦前のタモリとも言えたのかもしれないそうです。新書ながら読み応えのある本でした。
「タモリと戦後ニッポン」近藤正高 講談社現代新書
iPadに残っていたNEWTON8月号と9月号を読んでいました。DNAからどうやってタンパク質が出来るのかという話が連続で載っていました。mRNA(メッセンジャーRNA)というのが大きな役割をしているのだということがわかりました。RNAってウィルスがそうですが、DNAの影に隠れていますが、重要な働きをしているのだなぁと。
連休中一日も何処にも行かないというのも寂しいので、高速道路が開通して近くなった成田ゆめ牧場に行ってドッグランで犬を遊ばせてきました。祝日なので近郊からたくさんの人人人。これも高速道路効果でしょう。だもんで、今日は活字無しでした。
連休中日。敬老の日でありますね。連休などは何処に行っても混んでいるだろうとどこにも行く予定はありません。玄関先の掃除などした後、先日買ったiPadでの写真雑誌のバックナンバー格安版の残りを読んでいました。