悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

場面設定

2021-02-22 20:42:34 | 手話

娘が小さかった頃、一言だけの手話を教えておいた。
「留守」という手話で、私が不在の時にろうの知人が来たら、この手話を使えと。
家族がいて私を呼ばなければ留守とわかるが、「留守」と伝えれば、応答になる。
玄関を開け、ろう者が物問いたげな顔をしていれば、「お父さんはいますか?」で、
「留守」と手話をすれば、完全に伝わる。ろう者はいつもメモ用紙を持っているので、
用件を伝えてほしければ、メモにして渡してくれる。
「待って」も教えておいても良かった。近所に行って不在だが直ぐに帰って来る場合、
「待って」とやって、部屋にあげれば良い。

   


便りあり

2020-07-06 15:05:30 | 手話

県内の歩く仲間からラインで便りをいただいた。
今月に入り、コロナウイルスの影響で待たれていた手話講習会が始まったという。
年上の彼は意欲旺盛で、いつも新たな事柄に関心を示し取り組む姿勢を見せてくれる。
私の所属するクラブにも手話経験者が複数いて、理解者が少しずつだが現れてうれしい。
手話は、手話通訳資格取得、自由に会話できる程度となると習得に時間がかかるが、
片言あるいは、何とかやり取りする程度なら、度胸さえあればそれほど困難ではない。
圧倒的多数の聞こえる参加者の中で、ろう者が安心して参加できるよう配慮するのは、
主催者の責任であることを当然と受け止めることが常識となる風土となってほしい。
最近、障害者への対応、援助は合理的配慮と受け止める視点が、受け入れられつつある。
各地の歩く会は、健康、スポーツ、レクリエーションを主活動とする団体であるが、
組織の広がり、謳われている目的から考えても社会的役割を持つ団体の側面を持つ。
各地の手話を学ぶサークルは、活動範囲に社会的視点を加え、地域クラブの諸活動にも
積極的に参加してほしい。


記者会見と手話

2020-04-17 21:00:36 | 手話

夕方、首相が記者会見をした。最初にNHKを見る。手話通訳の位置づけが気になった。
各社どのように通訳の位置を画面上に配置しているかスマホで撮った。
最初がNHK~画面が小さめだが、現状では標準か

日本テレビもほぼ同じ

テレビ朝日は話者と通訳が同じ大きさなのが好ましいと感じた

TBSは話者の口元の近くで良いかもしれないが、やはり小さい

テレビ東京は漫画をやっていた

フジテレビは画面が最も小さかった

東京MXは左下

一画面だけでは判定ができないと思う。
ろう者が通して見てどう受け止めるか、検証してみるのが良い。

今日の歩きから
歩くことに抵抗がなくなった。足元は相変わらず不安定だが、痛みなどはないので、
用事や、雨などの歩行取りやめ要因さえなければ、歩行日数を稼げるようになった。
4万キロは難しいかもしれないが、歩行記録の報告を定期的にできるかもしれない。
だが、不安要素として、歩きを止めると歩行困難にすぐにでもなりそうなことだ。
歩けば足腰がしっかりするということがなく、歩き続けるしかない状態なのである。
ただ歩き続けることが脅迫的な要件になってきたらしいのが、なんとも不安である。
昨日は歩かなかったが、母の病院に支払いのため自転車で向かった。
途中にある、ろうの知人の家に寄り、サギソウの生育状態を確認した。
ろう者とは、離れていても十分話ができるので、飛沫感染の危険は少ないだろう。
不謹慎な話だが、ろう者には電話を使ったオレオレ詐欺は行なえない。
だが、こんな事例は聞いたことがある。手話のできるサークル崩れの聞こえる人が、
手話を使ってろう者を安心させ、詐欺まがいの商品販売をするという話である。
今はどうなのだろうか。

  


手話通訳とマスクその2

2020-04-13 21:46:06 | 手話

手話通訳者がマスクをしない(できない)理由は、次第に理解されつつあると思う。
今日気が付いたのは、話者がマスクをしているため、ろう者には情報不足である点。
手話通訳者が話者の近くに位置する理由は、話者の口元を同時に見るためなので、
マスクをして口元を隠されると、読み取りのための情報を得ることができない。
ろう者は話者の口元と手話を同時に見ている。手話通訳はそのため近くに位置する。
透明マスクの開発が緊急に必要だと感じた。
それでなくとも、私はマスクで顔を見ることができない不自然さがかなり気になる。
マスクで顔を隠すということは、社会文化的にもかなり異常な状況だ、とも思う。

けっこう市販されているようだが高価であり、飛沫の飛散に対応できないか。


言語としての手話が議題になりそう!

2020-04-10 20:16:39 | 手話

今日は予定の整形外科通院。調子は良いので、ヒアルロン酸注射をいつ止めるか思案中。
テレビはコロナ関連の情報が流され、緊急事態宣言がらみで手話通訳者の姿が目立つ。
シビアな場面での聴覚障害者の情報保障問題が伝わるので、怪我の功名と言えるかも。
これまで、ボランティア、思いやりの文脈での取り上げ方が多く、手話ブームと言われ、
無意味ではなかったと思うが、深みもなく、幾次かのブームも一過性のものであった。
手話通訳者の職業病として、頚肩腕症候群が取りざたされたが、身内だけの話であった。
今回、どうしてマスクをしないのという、「無マスク者」への毒視線?に背中を押され、
話題として取り上げられ、医療、行政関係者が、手話通訳の切実性に気が付き始めた。
聴覚障害者の情報保障問題については、たぶん、良い方向に流れていくと期待している。
今日の歩き~歩いて通院し、すぐにいつもの歩きを始めた。


コロナウイルスと手話通訳

2020-04-08 21:05:00 | 手話

手話通訳者はマスクをしない、ということが少し話題になっているようだ。
どうしてマスクをしないのか。できないのである。これは手話言語の弱点といえるかも。
手話は、口の形を添えることで、単語のつながりや意味に豊かな表情を付け加えている。
例えば、「5」と「あ」の手話表現は同じである。「ご」「あ」という口形で区別する。
また、唇を引き結んだり、突き出したり、口で「ぱっ」という形を示したりする。
これが、手話単語の意味を補強したり、別の意味を付け加えたりする。
マスクをすると、口周囲の表現が表わせなかったり、逆に読み取れなくなってしまう。
通常であれば、その程度ですぐに感染するわけではないが、切迫した状況もありえる。
どんな手話通訳場面であるかによって、感染リスクを考慮すべき場合もあるだろう。
手話通訳事情について、理解が深まることを願う。

最近こんな場面を見ることが増えた。

「ぷちめい」さんの漫画~茨城県の人だそうです!?奥さんが関西出身?

「手の動きはあくまで口話を補助するためにある・・」というのは誤解を招く。

ろう者は、口の形で、ある程度意味をつかんでいることを知ってほしい。

こんな工夫があったんですね~知らなかった(-_-;)

今日の歩き


  


実証実験~遠隔医療通訳

2020-03-04 21:36:29 | 手話

新潟県内14医療機関で、本年1月14日~3月13日まで、実験的に実施されている。
若手職員による政策提言に基づくものだそうだ。
新潟県では、冬季、外国人客が増え、医療機関で通訳の必要性が増す。
時期的な需要増ということもあって、継続的な予算化が課題のようだ。
テレビ電話を使ったもので、大阪府大阪市の医療通訳事業者との契約で実施。
普及しない理由の一つが、事業者とは年間契約を結ぶ必要があるとのこと。

遠隔通訳そのものは、目新しいものではなく、手話通訳の分野でも行なわれている。
手話に限らず、コミュニケーション保障が権利として当然視されれば、解決は容易だ。
多くの機関で通訳の必要性が認識されれば予算化もされ、通訳事業も成り立つ。
少数派であるうちは、理解者の善意に頼るという心もとない出来事に終わってしまう。

この実験結果がどうなるか、経過を追ってみたい。

母の病院からの帰り、ろうの友人宅に寄った。サギソウの植え替えについて話すため。
植え替え時期を誤って、すでに芽が出てしまった。ミズゴケの準備も終わったので、
作業が終わってから、明日届けることにした。

帰り道、つらつら考えた。今日は奥さんもいたようだが、出てこなかった。
手話で話すということは、対面での作業なので、玄関口で声がしたからといって、
奥さんが出てくることはない。話したい場合は、呼んでもらわねばならない。
ろう者宅には回転呼び出し灯があるので、この表記は正確ではない。
もちろん回転灯が見えない場所にいれば、その限りではないが。<翌朝記載>

手話での会話は、顔を合わせることが絶対条件である。よそ見をしている人に、
手話で語りかけることはできない。通訳を要する状況で、話者が勝手に話し始めると、
通訳できない状況になる。講演会などでは聞くつもりでその場にいるから良いが、
聞こえる人の中にろう者が少数いた場合、勝手に話を始められると、通訳者がいても
困ることがある。
目で見なければ了解できないので、聞いてもらおうという姿勢がないと、通じない。
これが案外に理解されず、手話通訳者が慌てることになる。
ろうの会員が在籍して10年たってもそのことが理解されないというのは理解の外だが、
そのことを理解させ得なかったのは、自らの力不足と思うしかなく、今も悔やみの種だ。


情報保障の近未来(手話編)

2020-02-16 19:46:48 | 手話

台所で作業をしながらテレビに目を移すと、「こども手話ウイークリー」をやっていた。
画面には3人がいて、手話をする人もいれば、1人はノートパソコンを操作していた。
途中から見たので確認できていないが、もしかしたら字幕担当かもしれないと思った。
以前、要約筆記の教習を受けたが、最近はパソコンで書くことが広がっているようだ。
つまり、番組に字幕を入れる場合、リアルタイムで字幕を入れることも可能ではないか。
聞こえる人と聞こえない人が同時に番組を見る場合、現時点では、手話通訳や字幕挿入
の費用と、たぶん技術的な課題がネックとなり、普及が進んでいない。
要約筆記は即時性が命だ。
手話通訳にしても要約筆記にしても、たいてい三人交代で行なっている。
その際の疲労(労災)と費用の問題は、その普及を妨げている。
いずれ、科学と人権(情報保障)意識の発達は、これらの課題を解決してくれるだろう。
字幕放送が可能であれば、手話放送も可能と確信する。


インフルエンザと手話

2019-12-20 10:13:49 | 手話

母の入院している病院では、マスクをしないと病室に入れない。このような状況は、
ここ何年か続いている。趣旨は理解できるが、マスク嫌いな自分には窮屈な成り行きだ。

好き嫌いや趣味の問題でなく、言語としての手話を考えた場合、気になる点がでてきた。
手話は、手指のみによる表現ではなく、眉の上げ下げ、口の形なども言語の一部である。
また、個人差はあるが発声を伴う人がいて、手話の読み取りの手助けとなる場合がある。
ある言葉の手話表現が、複数の意味を持つことがあり、口の形で区別する場合もある。
例えば、「決まり」、「規則」、「法律」という言葉は、同じ手話表現を使うが、
口の形で区別するということがある。口の形を伴わなくても手話単語の並び、
その場の状況で、どう読んだらいいか、わかる場合もある。

生粋の茨城人である私にはできないことだが、雨と飴の区別は、イントネーションです
ることと似ている状況であろう。

手話表現の上で必要な、口の形、表情などの手段が、マスクによって隠されてしまう。
そんなことを考えたのであるが、昨日手話通訳をした相手は、まったく発声をしない。
マスクをしていたが、特に邪魔だとは思わなかった。
そんな場合もあるが、私には、発声の助けを借りないと読み取りにくいろう者もいる。

いずれにしても、手話通訳者がマスクをつけて業務を行なうという状況は、考えにくい。
風邪を理由に断れない場合もあるだろうが、依頼があった場合は断るべきだろう。
くしゃみをしたり、鼻をかむこともできないのだから、体調万全でなければできない。

これはちょっと違うが、私は、以前タバコを吸っていた。
3人で担当したときに、次の交代まで30分くらい間が空く。
その時にタバコを吸いたくなって困ったことがある。

この時には、手話通訳者は喫煙習慣があってはいけないと思ったものだ。


選択の自由

2019-12-05 20:08:38 | 手話

先に”どうでも良いこと”を通訳すべきか、ということを書いた。どうでもよいとはいえ、
必ずしも、いい加減な内容というわけではない。
病院の待合室で聞こえる音声の場合、通常は本人が呼ばれたことだけを知らせるだろう。
救急車のサイレンが聞こえた場合、普通のおしゃべりとして、だれか運ばれてきたねと、
伝えことになるだろう。

極端な話だが、銃を持った人が現れた場合、まず何が起こったか、驚きながらも伝える。
その人に「何をしている」と言われると、事の成り行きが現実味を帯びてくる。
そこでどう対応するかの話になると、別の一編を用意しなければならないだろう。

駅などでは、列車の遅延、その理由などは即伝えることになる。
集団で行動している時、たまたま聞こえてきたお喋りの内容はどうだろうか。
聞こえる人は、必要に応じて参考になる情報として、記憶にとどめるだろう。
話題に加わろうと思えば、タイミングを計って声をかければよい。

この辺りで、聞こえない人の情報への接近(選択)の不自由さが見えてくると思う。
通訳の存在に頼る状況に置かれていることが鮮明化する。

こんな大げさな物言いをしないでも済む時代が来るのか。
考えられるのは、手話通訳がいなくても、何らかの方法で状況を把握できる装置の発明だ。
そんな状況は、活動弁士が仕事を失った時代のようだ。
科学の発達で、手話通訳者が不要な時代の到来。彼らは反対運動を起こすのだろうか。

だが、それでもグダグダと、別の状況を考えてみる。
機械では対応しきれない場面や、人間が介在しない機械化の恐怖などが想像できるではないか。
水割りウイスキーを飲みながら、グダグダと思いを巡らしてみた。