【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ボビー」:白金小学校前バス停付近の会話

2007-03-07 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

ここは?
八芳園。昔は誰か偉い人の庭園だったらしいけど、いまでは有名な結婚式場よ。
ひとくちに結婚ていってもいろいろな形があるんだなあ、と思い知ったのがアメリカ映画の「ボビー」。
ロバート・ケネディが暗殺された日に現場となったアンバサダーホテルにいた22人の人々の人間模様を描いた映画ね。
そのなかの一組のカップルがアンバサダーホテルで結婚式を挙げるんだけど、これがベトナム戦争に行かされるのを嫌がっての偽装結婚。
独身ならベトナムに行かされるけど、結婚すればドイツ行きで済むっていうんで、好きでもないのに結婚しちゃうのよね。
当時はそんなことが実際にあったらしくて、脚本・監督のエミリオ・エステベスはこのエピソードにインスピレーションを得て脚本を書きあげたらしい。
でもこのカップルが主役なわけじゃなく、24人の一人ひとりが主役なのよね。
22人がすべて主役なんていうと、どんないいかげんな映画なんだ、と思うかもしれないけれど、一人ひとりのエピソードがみんな心に染みて感動するという奇跡のような映画なんだ。
そうそう。人種も境遇も違う22人のそれぞれの人生や思いが混乱することなく、すべてきちんと伝わってくるんだから凄いわよね。
メキシコからの移民も、引退したドアボーイも、落ち目の歌手も、電話交換手も、ドラッグに手を出す若者も、みんなどこか寂しげな部分を持っていて、しかも、人種問題とか徴兵問題とか、あの1968年という時代の断片をみんなが抱えている。上流社会の人々も中流の人々も下流社会の人々もだ。彼らを眺めていると、まさしく、あの時代のアメリカを形作っていたすべての要素がひとつのホテルに集まっているようで、めまいがするくらいだ。
その中心にいるのが、ロバート・ケネディなのよね。彼自体にドラマがあるわけではないけれど、ケネディの演説に聞き入る22人の瞳は確実に同じ方向を向いて輝いていた。そして一転、ケネディが銃弾に倒れた後の阿鼻叫喚。アメリカという国の希望が一瞬にして挫折に変わるシーンの目撃者になってしまったような恐るべき体験。
当時のニュースリールとこの映画のために撮影したシーンを上手に編集した映像はこのうえない臨場感に満ち、その中で聞く本物のロバート・ケネディの演説。フィクションとリアルが垣根を越えてこの世界の成り立ちを観客にくっきりと差し出す。こんな経験初めてだ。
しかも、その背後に流れるのが、あの当時、あのホテルで撮影された有名な青春映画の挿入歌。
おっと、曲名を言うなよ。
どうして?
あれは知らないで観たほうがいい。知らないで観て、いきなりあの名曲を耳にしたときには、頭をなぐられた思いがした。あれで1968年のアメリカという世界が完璧にできあがった。
昔を再現、というのではなく、あの頃のアメリカの魂を再現したというほうが正しいわよね。
ああ。そしてあの日失った光がいまのアメリカのイラクへの対応にまで続いているという、はっきりした主張。
最後にロバート・ケネディの暴力反対の肉声が延々と流れるんだけど、これがまた、感動的なのよ。どうして、こういう人から先にいなくなってしまうんだろうって、ほんとに世の中の皮肉を思うわ。
不都合な真実」のゴアの演説なんて、この演説の前には色あせて見えることこのうえない。
22人だから、挙げていったらきりがないけど、そうそうたる俳優たちのアンサンブルにまた舌を巻くのよね、これが。
シャロン・ストーンがデミ・ムーアの美容師役なんて考えられるか。
アメリカ映画の最良の部分が現れたような映画よね。
名作だ。そして、泣ける。とにかく泣ける。ドジャースファンのメキシコ人が人種差別もからんで野球を見に行けなくなるエピソードなんて涙がちょちょ切れる。
しかも、それがロバート・ケネディのほんとの演説にからんでくるうまさ。
きら星のようにいるスターの中で彼だけあまり有名な俳優じゃないっていうのがまた泣かせるじゃないか。
泣かせようとする物語じゃないんだけど、なにか人々の営みに泣けるのよね。
八芳園の結婚式で父親が流す涙のようなもんだな。
うーん、それは違うと思うけど。


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ふたりが乗ったのは、都バス<品93系統>
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