みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#632 神の法第六戒

2021年01月31日 | 神の法
第6戒
生かすために

249~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

落穂ひろいに関して重要なことは、古い形態において、それは農業の問題であった。

しかし、現代において、それはより都市的問題となっている。

都市的落穂ひろいにおける重要な試みは、数年前グッドウイル工業において始まった。

廃品などを収集し、それらを雇用された失業者や身体障がい者によって修理した後に売って、多くの人たちに収入を提供した。

福祉国家政策の興隆は、都市的落穂ひろいの成長を制限した。

しかし、その可能性は現実となり、より大きな発展の契機となっている。

4.在留異国人、他国民に対して

出エジプト記22:21
在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである。 

出エジプト記23:9
あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである。 

レビ記19:33~34
もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。 
あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。 

申命記10:17~19
あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、 
みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。 
あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである。 

申命記24:14~15
貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。 
彼は貧しく、それに期待をかけているから、彼の賃金は、その日のうちに、日没前に、支払わなければならない。彼があなた

申命記24:17
在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。 

申命記27:19
「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。 

前述した内容のみならずこれらの聖句から、重要な事実が念頭に浮かぶ。

聖書律法は(箴言の記述と同様)犯罪と怠慢の非難において容赦ないが、弱い人たちや異国人を圧迫する者たちすべての非難においても容赦がない。

参考:

アメリカの大株主、ディープステートの世界民営化計画

近現代史観が要領よくまとめられている。聞きごたえのある動画だ。

39分頃より、わが国の天皇制に関する議論がなされている。

馬淵氏曰く、「国連はグローバリストの集合体。彼らはわが国の皇室(愛国主義)を潰そうとしている。狡猾かつ陰険な方法によって、伝統をひとつひとつ破壊していくという手段が用いられている」と。

グローバリズムとは、言い換えるなら現代版共産主義思想。

つまり、天皇制反対論者とは、共産主義者、または、その思想を擁護する思想家ということになる。

共産主義とは、既存の統治形態を、暴力革命によって転覆させる極めて危険なイデオロギーだ。 

以前に論述した通り、共産主義思想は、サタニストであるマルクスによって進化論から導き出された政治理論。

天皇制反対論者の根底にある考え方は、進化論や共産主義思想に由来しており、聖書とは真っ向から対立する。

これも以前に議論したが、進化論思想から誘導された(ニセ)神学がディスペンセーション主義だ(神学というより悪魔学)。

つまり、反天皇論、進化論、共産主義思想、プレミレ教は、すべて同じ土台骨を有しているということ。

知らない間に騙され、洗脳されていることを是非知っておいて欲しい。

偽預言者に気を付けよ。





#631 神の法第六戒

2021年01月29日 | 神の法
第6戒
生かすために

248~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

第2次大戦前のアメリカでは、特定の家族を永続する落穂拾いの人々と考えていた農夫がいた。

彼ら農夫は、貧困者に安全の指標を与えた。

落穂は食事のために使われたり、副収入のために使われた。

落穂拾いは、実や殻が豊作の時には通常の収穫よりも労力が必要であり、重労働だった。

先を考えずに、逆境によって八方ふさがりとなるイスラエル人がいた。

また、負債を強いられ、保証人として自分自身を売り渡すイスラエル人もいた。

同じ契約の民として、彼らは依然として兄弟。

兄弟が落ちぶれて(自分を売り渡す)保証人となる前に、「彼を楽にしてあげなさい」「彼を捕まえておきなさい」、そして、見知らぬ人や在留異国人が受けるはずの配慮や扶養を与えなさい。

レビ記25:35
もし、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、あなたは彼を在住異国人として扶養し、あなたのもとで彼が生活できるようにしなさい。 

資金が必要なら、利息や増額などせずに貸してあげなさい。

第2神殿時代の間、権威は、高利貸し(neshech)と増額(tarbith, marbith)を次のように定義した。ある人に4デナリと同価の1シェケルを貸して、返礼として5デナリを受け取る場合、また、人に小麦2袋を貸して、3袋を返してもらう、これを高利貸しと定義した。ある人が小麦を市場価格で単価当り25デナリ購入し、それを30デナリに値を上げ、「その小麦をくれないか。そして、それを売ってワインを買いたいのだ」と言って物売りに売る。ワインはないにもかかわらず、物売りはこう答える。「私はその小麦を30デナリで買い取り、その代わりにワインをあげよう」。これが増額(increase)だ。増額(increase)とは、その時点で物売りにワインはなく、ワインによる価格上昇分のために、再度損をする可能性があるという事実にある。つまり、前者は、お金に一定のチャージを付与し、後者は物品に一定のチャージを付与する。

もしもローンが焦げ付けば、貧困者は奴隷となる。

かなり技術的ではあるが、特赦の年に保証人となる可能性もある。

彼は自由へと運命づけられている兄弟。

故に、未信者のように、奴隷として取り扱われるべきではない。

ある意味で、彼はいまだ自由人である雇われ奴隷として扱われるべき。

この理由は、神によって平易に語られている。

レビ記25:42
彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。 

主人とそのしもべは、いずれも神のしもべ。

神は、両者の命と関係を絶対的に支配している。

このことから、パウロは次のように宣言した。

第1コリント6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、神のものである、あなたの体と霊をもって、神の栄光を現わしなさい。
(原典)

この法において、弱い契約の民を不敬に取り扱う誘惑に注意すべきであるということが示されている。

つまり、ひとりの兄弟としてだけではなく、旅人であり寄留者と同様に、敬意と礼儀をもって対応されるべきだということ。

真の信仰者は主にあって自由人。

かくして、負債の中にあっても、奴隷的身分の中にあっても、真の信仰者は、生まれながらに奴隷である他の人人には与えられてはいない自由が与えられている。

参考:

御国に集中する力

神は我々とともにおられる

神の奥義の管理者は人の歓心を買おうとしない



#630 神の法第六戒

2021年01月20日 | 神の法
第6戒
生かすために

245~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

2.隣人、すなわち契約の民に対して

申命記22:4
あなたの同族の者のろば、または牛が道で倒れているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。必ず、その者を助けて、それを起こさなければならない。 

レビ記19:13
あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。

レビ記19:18
復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。 

動物がこの法の部分であるが、一義的関心時は隣人愛。

これは、出エジプト記23:4~5において明らか。

あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。 
あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。

敵意や無関心によって、われわれは、神が要求する、隣人(あるいは敵)のトラブルに対する正義の気配りを拒絶することはできない。

他者との関係の勇逸の基本は神の法であり、われわれの感情ではない。

3.貧しい者たちに対して

出エジプト記23:6~7
あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。 
偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。 

レビ記19:9~10
あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。 
またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 

レビ記25:35~43
もし、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、あなたは彼を在住異国人として扶養し、あなたのもとで彼が生活できるようにしなさい。彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。そうすればあなたの兄弟があなたのもとで生活できるようになる。あなたは彼に金を貸して利息を取ってはならない。また食物を与えて利得を得てはならない。わたしはあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたにカナンの地を与え、あなたがたの神となるためにあなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。 
もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。あなたのもとで住み込みの雇い人としておらせ、ヨベルの年まであなたのもとで仕えるようにしなさい。そして、彼とその子どもたちがあなたのもとから出て行き、自分の一族のところに帰るようにしなさい。そうすれば彼は自分の先祖の所有地に帰ることができる。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。あなたは彼をしいたげてはならない。あなたの神を恐れなさい。 

法廷において、貧しいからと言って、目をかけるべきではない(出エジプト記23:3)。

或は、嫌われるべきでもない(出エジプト記23:6~7)。

罪のない者が傷つけられたり、殺されることがないように、事実誤認や間違った告発は避けなければならない。

神は絶対に悪者を正当化することはない。

日々の生活において、貧乏人は、イスラエル人であれ外国人であれ、当然の権利として、落ち穂を拾う法的権利があった。

農夫は畑の収穫を100%刈り取ることはできなかった。

フェンスや土手にある落穂や、いくつかの麦の束をあちこちに、落穂ひろいのために残す必要があった。

農夫は、ある貧困者に対して、落穂を拾う権利を認める必要があった。

そして、ボアズがルツに行なったように、特に権利を有する人に好意を示す必要があった。

参考:

聖書法を広め世界を破壊から救おう

トランプ当選は単なる政治現象ではない

教育からヒューマニズムを徹底して排除せよ

共産主義思想は言うまでもない。

新たなたたかいへ 「歴史をとりもどす」





#630 神の法第六戒

2021年01月17日 | 神の法
第6戒
生かすために

245~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

学校もまた。家庭のように、神のことばが要求される裁きにおいて、殺すこと、生かすこと、傷つけるための義務を持っている。

教育や訓練によって命を促進するために、学校はその義務を持っている。

生かすための義務の重要な側面は、聖書にあるように、芸術、とりわけ音楽。

賛美の本、すなわち詩篇全体は、神の賛美が謳われ、楽器が演奏されるように、鼓舞されたことばや繰り返される命令の部分。

生かすための法の別の重要な領域は、個人の義務に関する事項。

1.やもめと孤児たちに対して

出エジプト記22:22~24
すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。 
もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。 
わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣をもってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。 

申命記24:17~18
在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。 
思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。

申命記27:19
「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。 

神の目から見て、特に憎むべき罪として、抑圧がくり返し引用されている。

支配者と審判者は、それに反しないように警告され、それを防ぐように警戒するように命ぜられている。

抑圧という特殊な例に対する法的な刑罰とは別に、もう一つの刑罰がある、すなわち神の裁きだ。

無力な者が主に対して叫ぶとき、主は彼らの防御者となる。

「私に向かって大いに叫べ」というフレーズは、「私に向かって熱心に叫べ」と言い換えることができる。

同害報復(lex talionis)原則、命には命、歯には歯とは、神によって引用されている。

もしやもめや孤児たちを抑圧するなら、その者の妻や子らが神の裁きにより、やもめとされ、孤児にされる。

参考:

富井師のサイトにも興味深い事実が書かれているが、以下のサイトも実に興味深い。

アメリカ大統領選挙を側で操る・・

単純に「善と悪の戦い」ではないと思われる。

次の記事も参考までに。
共産主義思想は反聖書的イデオロギー。
これまでも繰り返し見てきた通り。

米国「文化大革命」が進行中 背後に共産主義の幽霊




#629 神の法第六戒

2021年01月08日 | 神の法
第6戒
生かすために

245~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

明らかに、この要素はルターには存在していた。

しかし、それは全体像ではなかった。

クリスチャン王子、クリスチャン学者、クリスチャン国家、クリスチャン聖職者は、みことばの研究を強調するという広い意味において、ドイツ宗教改革において、ルターにとって2つの中心的機関であった。

しかし、ルターをはるかに超えて、われわれは国家の責務を神の支配下(教会の支配下ではない)にある行政機関であることを強調する必要がある。

そして、悪や不正を処罰するというネガティブな仕事は、ポジティブに言えば、法秩序を確立するという意味であり、これにより敬虔な人々は栄え繁栄する。

以前に見たように、市民的あるいは他の権威は、神の召しと祝福によって、神の権威ある統治の業をシェアするという点で、神々(gods、エロヒム)と呼ばれている。

神は、モーセを通して宣言した。

申命記32:39
今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。 

これと同じ宣言が第1サムエル2:6とイザヤ43:13にも見られる。

モーセの歌の中にあって、これが神の法と関係しているのは明らか。

主は偉大な法提供者であり裁判官、だからこそ殺し、生かし、傷つけ、いやす力がある。

この力は、神の法言において使用されるように人の権威に委任されている。

したがって、すべての権威は、程度の差はあれ、 一方で、制限を加える、殺す、傷つける力を有しており、他方において、神の法秩序とことばを促進させることにより、癒し、生かす力も有している。

明らかに、この機能は国家と教会に属している。

罪を赦し、神のみことばによって罪を縛るために教会に与えられた鍵のパワーは、殺し、そして生かすために任された権威の一面。

マタイ18:18
まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。 

マタイ16:19
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」 

ヨハネ20:23
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」 

神のことばが赦しを宣言するなら、教会は罪を赦すことができる。

そして教会は、その赦しが天の前にあることを知る。

神の法の状態が満たされていないなら、その赦しが天において否定されていると確信し、教会は赦しを拒絶することができる。

みことばの働きと聖餐式によって、教会は生かす。

命を伝搬する力が教会にはあるからではない。

みことばが真に宣べ伝えられているところでは、神はご自身のことばに忠実であるから。

参考:

信条の重要性

法治主義

体制と宗教

神の国について




#17 信仰の防衛

2021年01月05日 | 信仰の防衛
初めに

4.両者の譲歩

p18~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

ヴァンティル教授が多くの力点を置いているのは、クリスチャンは、自身の信仰を弁明する時に「理性に依らない事実」(brute facts)に訴える必要はないということ。

これは全く正しい。

しかし、このことが、信仰のための弁明において、事実や現実に訴えることはできないということを示唆するということではない。

できないとすれば、他の何に訴えればよいのか。

難しい点は、未信者の事実に関する知識とその知識を説明していく理論とを区別することができないことに端を発している。

後者においては、「理性に依らない事実」に屈することは不適切ではないのかと考えられている。

しかし、幸いにも、人が行なっていることは言っていることよりも良い場合が多い。

われわれはこの矛盾を利用する必要がある。

e.Van Halsema

以前に言及したように、Van Halsemaは、私ヴァンティルが、クリスチャンとノンクリスチャンは論理に関する哲学が異なっているだけでなく、異なる思考法則に従って思考するという観念に拘っているのではないかと想定している。そして、私ヴァンティルが信仰者と非信仰者の間の「事実性の共有」を否定していると、彼は言っている。彼の批判全体は以下のように要約される。

明らかに、ヴァンティル教授の見解は、クリスチャンとノンクリスチャンの「論理法則」は全く異なり、それぞれクリスチャン用とノンクリスチャン用が存在するとしている。この「事象的」一撃により、ヴァンティルは共通のロジック(すなわち、考え方の共通法則)を否定する。事実性を共有することにより、ある意味で、否定された、弁証論的議論が明らかに不可能となる。

にもかからわず、Van Halsemaも、以下のように譲歩している。

彼ヴァンティルが首尾一貫しているかどうかに関してと同じように、彼の見解が正しい、あるいは彼の記述様式が正解であると確信しているかどうかは、さほど問題ではない。議論の中で欠落している部分や過剰な部分は、ヴァンティルの業績の中で目立つ部分ではあるけれども、それらの中から反対意見を支持する優れた文献を集める必要がある。しかし、このような異論を唱える評価が問題を解決されるために公表されなければ、一方のみに有利な証拠はヴァンティルの著作集において不幸な反論となる証拠にすぎない。その反論とは、最初から最後まで同じ驚きの声だ。

つまり、Van Halsemaによれば、彼がわたしヴァンティルに下した評価のための恐るべき資料が存在する可能性を示唆している。

もちろん、そのような証拠が存在しているとしても、また、私の観念論的嗜好癖に関して、「事実は事実」という私の思考傾向に関して彼が生み出した評価がいままで通りであれば、私自身の見解において自己矛盾があうということが証明されるのだろう。

しかし、少なくともその場合において、私は観念論的あるいは現象論的考えの持ち主ではないと言えよう。

コメント:

ここも非常に難解。

「理性に依らない事実」というのは、文脈からすると(神による)啓示のことのようだ。

クリスチャンとノンクリスチャンの物の考え方やロジックの立て方は根本的に異なるというのがヴァンティルの見解と思われる。

参考:

正義や真理のために苦しむこと

聖書契約の3つの特質

自分を知恵のある者と思うな

宗教右派のクリスチャンは政治に関わる前にまず学ぶべきだ

世界の歴史は、神の霊と悪魔の霊の地上における戦いのそれである




#628 神の法第六戒

2021年01月04日 | 神の法
第6戒
生きるために

244~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

これまで見てきたように、国家とは、神の絞首刑執行人以上の存在。

正義を促進することによって、敬虔な生き方を保護するための神の道具であるのが国家。

ルターが書いた書物には多くの注目すべき点、すなわち絞首刑執行人であるべき国家の任務を弱める意味合いを持つ大意となっているように思える点があるけれども、ルターの実際の効果は違った意味で長く続いた。

Rosenstock-Huessyは次のように述べた。

市民的下僕は、王子が彼らの特殊な改革を実行するといった普遍的改革に関するルター預言の相互浸透の結果から生まれた。

この市民的下僕とは、普遍的真理の預言的声をまず最初に聞き、後に改革において一役を担うために世俗権威の公共サービスに参加する者。

ドイツ改革派における2つの重要な機関は大学と国家。

この2つは、キリスト教国に深く根差している原則に従って前進している。

「王子は、個人的友人として、ルターを保護しようとはしなかった。彼は、自分のテリトリー内にある権威ある大学をかくまうために、高位行政長官の権利のために戦った。」

しかし、神の御名によって、ルターは、神の下僕として自身の保護をFrederick(王子)に申し出た。

「最も信じている者が、最も保護するたろう。閣下がいまだに信仰において弱いと思いますので、閣下が私を保護したり助けたりする人と考えることはどうしてもできないのです。」

ドイツにおいては、「大学は司教や司教座cathedraの相続人となってしまった。教授のイスはKathederと呼ばれた。」

Rosenstock-Huessyによると

あの王子は大学を掌握していなかった。ただの不器用な職人にすぎなかった。大学はドイツ国民における聖霊の命を象徴していた。信仰の説教者や教師がいなければ、王子と彼の国家は、宗教に関する事柄においては盲目であり死んでいる存在だった。国家と政府はルターによって名誉を与えられることはなかった。「王子とは神の絞首刑執行人であり看守」と、ルターは言った。

コメント:

>市民的下僕は、王子が彼らの特殊な改革を実行するといった普遍的改革に関するルター預言の相互浸透の結果から生まれた。
この文章の意味について:
ルターが預言した宗教改革の中身が国家(地上)の王子に託され、国家(地上)において実践されていく。つまり、主の祈り「御心の天にあるごとく、地にもなせたまえ」の実行。王子は、ルターによって語られた神のことば(預言)を実行しなかった。

参考:

われわれは戦場のただ中にいる

霊的な知識の重要性

プレ・ミレは、クリスチャンのあらゆる営為を無益にする

悪魔がばらまいた騙しであるプレミレ教の上にあるのは悪魔の国、神の国ではない。








#627 神の法第六戒

2021年01月02日 | 神の法
第6戒
国家の起源:預言的オフィス

243~
Origins of the State: Its Prophetic Offices
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

十字架付き宝珠が女王に与えられると、大司教は次のように宣言する。

十字架の下に置かれたこの宝珠をお受け下さい。そして、全世界が、われわれの救い主であるキリストの権威と王国に服していることを心にお留め置きください。

この奉仕は、古来の戴冠式のくり返しであり、聖書信仰の再現。

しかしながら、市民秩序は、神の支配下にあり、かつ御国の一部として神の秩序によって確立されているということが、戴冠式という儀式によって悪用されている。

神を領主や国王に取って替えることによって、市民的ペンテコステはバベルやことばの混乱へと道を譲る。

学者らによって、民数記11:16~17の70人の男たちを教会人に当てようとする試みがなされてきた。

しかし、このことやサウルの油注ぎの平行する市民的ペンテコステに関する根拠は存在しない。

民数記11:24~30と共鳴して、市民的秩序が視野にあるということは明白。

預言の賜物は両者に関係していた。

彼らは訓戒者として預言者となったのではなく、市民的行政長官のオフィス(執務室)、国家の執務室が預言的執務室であるからだ。

市民的執務室長は神に代わって語らなければならない。

預言者の本来の意味は、神に代わって語る者という意味。

したがって、国家は神に代わって語ることができる。

そして、国家の執務室長は吟味し、従い、研究し、そして神の法を行使するが故に、預言者だ。

国家が独立した預言的オフィス(執務室)を追い求めるということは、国家の執務室を放棄し、偽預言者となってしまうことを意味する。

按手にせよ、油注ぎにせよ、執務室と祈りによる誓いにせよ、教会執務室長と国家の執務室長は、預言者の執務室へと就任せられ、それぞれの領域において神の代わりに語る者たちとなる。

これは見過ごされているが、聖書に書かれている事実そのもの。

教会側の考え方は、大変粗雑ではあるが、英国国教会R. Winterbotham司祭によって、民数記11:24~30に関する注釈書の中で語られた。

「御霊の賜物は、教会秩序に依存している。」

「最も重要なのは神の御心であり、儀式ではない。権威あるもの。」

「あるチャネルを介して行なうよう選ぶ時でさえ、神の霊は自由の霊。」
(使徒1:26、8:2、第1コリント7:11、第2コリント3:17)

にもかかわらず、彼は御霊を教会に限定した。

全く間違った考え方。

御霊の賜物は神の秩序から独立してはいない。

教会と国家はこの秩序の一部分。

一方で、それらは神の秩序に敵対するものであり、相いれないもの。

参考:

神の国について中立は存在しない

グローバリストによって破壊された文明の再構築をしなければならない

信仰の自立を得るには

神の法と自然法

聖書によって洗脳を解かねばならない

*当サイトをご覧のクリスチャンであれば、すでにご存じと思うが、ザッ◯ー✕ーグは悪魔側の手先。当方のPCアドバイザーもF?は相当やばいSNSだと断言している。情報がダダ漏れだけではなく、ハッカーが極めて簡単に侵入できる脆弱な構造だそうだ。以上から、しばらくほったらかしていたF?アカウントを完全に削除した。このサイトを提供している◯✕もそうなのだろう。アイコンを見れば分かる。