ヨハネ17章22節
またわたしは
あなたがわたしに下さった栄光を
彼らに与えました
それは
わたしたちが一つであるように
彼らも一つであるためです
主は、17章10節において、神によって栄光化された(→Coffee Break, #235)。
あるいは、神から栄光を与えられた。
神によって与えられた栄光を、主イエスは弟子たちに与えたと書いてある。
では、「栄光」の授受にはどんな意味があるのか。
2節にこうある。
ヨハネ17:2
As thou hast given him authority over all flesh
that he should give eternal life
to as many as thou hast given him
*power→authorityに変更(原語はἐξουσία〉
つまり、
主イエス(弟子たちではない)が、あらゆる肉(人ではない)を支配する権威を得るために、栄光を受ける(栄光化される)必要があった。
主があらゆる肉を支配する権威を得たら、何が起きるのか。
弟子たちに永遠の命を与えることができるようになる
と書いてある。
何故肉を支配する権威があれば、永遠の命を与えることができるのか。
分からない。
しかし、そう書いてあるからそうなのだろう。
栄光とはこのように授受できる。
恐らく「霊(のような何か)」なのではないか。
そして
主イエスは弟子たちに栄光を与えた。
神から受けた神の栄光だ。
主から神の栄光が与えられると(弟子たちは)一つになる
と書いてある。
もちろん、霊において一つになるということだろう。
つまり
霊的領域において、一つのエンティティ―(実在、恐らくエクレシア)になるのだ。
以前にも書いたことがあるが、エクレシアとは霊的領域において新しく創造された霊的生命体。
その新生命体(のメンバー)になるということだ。
ヨハネ17:23
I in them
and thou in me
that they may be made perfect in one
and that the world may know that thou hast sent me
and hast loved them
as thou hast loved me
主イエス(私)は、弟子たちの中にいる
と書いてある。
10節に戻るが
主イエス(私)は弟子たち(彼ら)の中で栄光化された
のだから、主イエスと弟子たちはこの時点でエクレシアを形成していた(一つになった)ということになる。
だから、主は言う。
私は彼らの中にいる
と。
そして、続けて
彼らは私の中にいる
と、主は言う。
神の栄光を共有するということは、霊的新生命体であるエクレシアのメンバーに加わるということだ。
もう少しつらつら瞑想していたいが、この辺で止めてアップしておこう。
ヨハネ17章、実に面白い。
またわたしは
あなたがわたしに下さった栄光を
彼らに与えました
それは
わたしたちが一つであるように
彼らも一つであるためです
主は、17章10節において、神によって栄光化された(→Coffee Break, #235)。
あるいは、神から栄光を与えられた。
神によって与えられた栄光を、主イエスは弟子たちに与えたと書いてある。
では、「栄光」の授受にはどんな意味があるのか。
2節にこうある。
ヨハネ17:2
As thou hast given him authority over all flesh
that he should give eternal life
to as many as thou hast given him
*power→authorityに変更(原語はἐξουσία〉
つまり、
主イエス(弟子たちではない)が、あらゆる肉(人ではない)を支配する権威を得るために、栄光を受ける(栄光化される)必要があった。
主があらゆる肉を支配する権威を得たら、何が起きるのか。
弟子たちに永遠の命を与えることができるようになる
と書いてある。
何故肉を支配する権威があれば、永遠の命を与えることができるのか。
分からない。
しかし、そう書いてあるからそうなのだろう。
栄光とはこのように授受できる。
恐らく「霊(のような何か)」なのではないか。
そして
主イエスは弟子たちに栄光を与えた。
神から受けた神の栄光だ。
主から神の栄光が与えられると(弟子たちは)一つになる
と書いてある。
もちろん、霊において一つになるということだろう。
つまり
霊的領域において、一つのエンティティ―(実在、恐らくエクレシア)になるのだ。
以前にも書いたことがあるが、エクレシアとは霊的領域において新しく創造された霊的生命体。
その新生命体(のメンバー)になるということだ。
ヨハネ17:23
I in them
and thou in me
that they may be made perfect in one
and that the world may know that thou hast sent me
and hast loved them
as thou hast loved me
主イエス(私)は、弟子たちの中にいる
と書いてある。
10節に戻るが
主イエス(私)は弟子たち(彼ら)の中で栄光化された
のだから、主イエスと弟子たちはこの時点でエクレシアを形成していた(一つになった)ということになる。
だから、主は言う。
私は彼らの中にいる
と。
そして、続けて
彼らは私の中にいる
と、主は言う。
神の栄光を共有するということは、霊的新生命体であるエクレシアのメンバーに加わるということだ。
もう少しつらつら瞑想していたいが、この辺で止めてアップしておこう。
ヨハネ17章、実に面白い。