みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #199

2018年05月30日 | コーヒーブレイク
伝道者の書3章11節
神のなさることは
すべて時にかなって美しい
神はまた
人の心に永遠への思いを与えられた
しかし
人は
神が行なわれるみわざを
初めから終わりまで見きわめることができない


He hath made every thing beautiful in his time
also he hath set the world in their heart
so that no man can find out the work
that God maketh from the beginning to the end
(KJV)

気が付いたところから順に解決していきたい。

まずは、上の英語訳で、עֹלָם  עוֹלָם(the world)と訳された単語について。

Commentaryを調べてみる。

http://biblehub.com/commentaries/ecclesiastes/3-11.htm

また、さらにstrong辞典でも

עֹלָם    עוֹלָם:
‛ôlâm    ‛ôlâm
o-lawm', o-lawm'
From H5956; properly concealed, that is, the vanishing point; generally time out of mind (past or future), that is, (practically) eternity; frequentative adverbially (especially with prepositional prefix) always: - always (-s), ancient (time), any more, continuance, eternal, (for, [n-]) ever (-lasting, -more, of old), lasting, long (time), (of) old (time), perpetual, at any time, (beginning of the) world (+ without end). Compare H5331, H5703.

つまり、eternityという意味もある。いやむしろ、そっちの訳の方が一般的のようだ。

また、in his timeという訳出だが、上のcommentaryを見ると、これもin his timeよりもin its timeがベターのような印象を受ける。

結局、上のKJVは以下のように修正した方が良い。

He has made everything beautiful in its time
also he has set eternity in their heart

以上の考察から

神のなさることは
すべて時にかなって美しい
神はまた
人の心に永遠への思いを与えられた
(神はエロヒム)

において、大きな誤訳はないと思われる。

「時にかなって」とは、すべての物事には旬(season)があるということだろう。

「永遠への思い」という訳はどうなのか。

Brown-Driver-Briggsを読むと

この単語には

永遠に関する
神的存在に関する
神の約束に関する
神の律法に関する

などといった意味があることが分かる。よって「永遠への思い」と訳しても誤訳とは言えない。

以上から、偉そうなことを言うようだが、この聖句について誤訳はないと結論する。

何となく喜ばしい。。


Coffee Break, #198

2018年05月29日 | コーヒーブレイク
伝道者の書3章11節
神のなさることは
すべて時にかなって美しい
神はまた
人の心に永遠への思いを与えられた
しかし
人は
神が行なわれるみわざを
初めから終わりまで見きわめることができない


大変有名な聖句、何回も繰り返し読み込んで暗唱しているクリスチャンも多いと思う。

言い回しが滑らかなで口ずさみ易く、うまく心にしみ込んでくる。

神のみわざの成就の絶妙を巧みに表現していると思う。

夢を壊すようで申し訳ないが、やはり指摘しておく必要がある。

この聖句の原典が上に書かれているような意味を持っているのかどうかだ。

原典を正確に訳出しているのか。

早速検証開始。

例によって英語訳。


He hath made every thing beautiful in his time
also he hath set the world in their heart
so that no man can find out the work
that God maketh from the beginning to the end

この英語訳の中に「時にかなって」「永遠の思い」という意味を持つ語句はあるだろうか。

どうにも見当たらない。

「時にかなって」はin his time、「永遠の思い」はthe world in their heartを訳出したと思われる。

原典において、これらの語句にそのような意味があるのか。

上の英語訳に問題はないのか。

つづく。




Coffee Break, #197

2018年05月27日 | コーヒーブレイク
詩篇119編58節
私は心を尽くして
あなたに請い求めます
どうか
みことばのとおりに
私をあわれんでください

この聖句にも大切なみことばの欠落がある。

早速、英語訳。


I entreated thy favour with my whole heart
be merciful unto me according to thy word

上の英語訳でfavourと訳された単語はpânı̂ym、つまり顔。
臨在、重みなどの意味もある。

非常に重要なことばだ。

同a
私は心を尽くして
あなたの御顔を慕い求めました

みことばが知識として心に刻まれているだけでは足らない。

加えて、主とのface to faceの交わりが必要だと書いてある。

神の憐れみを請い求めるのではない、神の御顔を慕い求めるのだ。




Coffee Break, #196

2018年05月25日 | コーヒーブレイク
ヨハネ6章21節
それで彼らは
イエスを喜んで舟に迎えた
舟はほどなく目的の地に着いた

何となく読み過ごしてしまう聖句の一つ。

何処が注目すべき箇所なのか。

英語訳を見てみよう。


Then they willingly received him into the ship
and IMMEDIATELY the ship was at the land whither they went

注目したいのはimmediatelyということば。

immediatelyと訳された単語はεὐθέωςで、意味は

εὐθέως:
eutheōs
yoo-theh'-oce
Adverb from G2117; directly, that is, at once or soon: - anon, as soon as, forthwith, immediately, shortly, straightway.

at once,immediately, shortly, straightwayという訳が充てられている。日本語にすると「直後に」「直ちに」「すぐに」「同時に」など。


ηθελον ουν λαβειν αυτον εις το πλοιον
και ευθεως
το πλοιον εγενετοεπι της γης
εις ην υπηγον

全文直訳する。


彼ら(弟子たち)は彼(主イエス)をその舟の中へ向かい入れた
すると直ちにその舟は彼らが行こうとしていたその地にいた

「直ちに」とあるので、これを、主によるsupernatural transportationとする人々がいる。

→Page 82, Miraculous Transport, Beyond Human, JUSTIN PAUL ABRAHAM

しかし、驚くにはあたらない。

Everything is possible with Jesus.

信仰(霊)の領域は「何でもあり」の世界だ。




Coffee Break, #195

2018年05月23日 | コーヒーブレイク
第2コリント5章16節
ですから
私たちは今後
人間的な標準で人を知ろうとはしません
かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても
今はもうそのような知り方はしません


この聖句に関して異本はないようだ。

本編で

>人間的な標準で

と訳しておきながら、欄外注に

>直訳「肉によって」

と書いてある理由は何だろうか。

理由がはっきりしないが、余計なことはすべきではない。

本文中に

>私たちは今後、肉によって人を知ろうとはしません

と、ズバリ書くべきだと思う。

まるでジューシーさが抜かれたパサパサのステーキのような印象を受けてしまう。


ωστε ημεις απο του νυν
ουδενα οιδαμεν
κατα σαρκα
ει δε και εγνωκαμεν κατα σαρκα χριστον
αλλα νυν ουκετι γινωσκομεν

原典を英語に直訳する。


therefore from now
we know nothing
according to flesh
though and we have known Christ
according to flesh
but now nothing we know

*読みやすいように単語の順番を多少変えた

この英語を日本語に直訳する。

それ故
今後
私たちは何も知っていない
肉に従って
私たちはキリストを知っていたけれども
肉に従って
しかし今私たちは何も知っていない

「知る」という意味の単語が3回出てくる。最初に出てくるのはοιδαμεν で、意味は

εἴδω:
eidō
i'-do
A primary verb; used only in certain past tenses, the others being borrowed from the equivalent, G3700 and G3708; properly to see (literally or figuratively); by implication (in the perfect only) to know: - be aware, behold, X can (+ not tell), consider, (have) known (-ledge), look (on), perceive, see, be sure, tell, understand, wist, wot. Compare G3700.

文中に登場するのはεἴδωの完了形だが、意味は現在で、我々よく使うknowのこと。完了形で使うということは、「前からよく知っている」ということだろう。

2回目、3回目に出てくる動詞はγινωσκομενで、意味は

γινώσκω:
ginōskō
ghin-oce'-ko
A prolonged form of a primary verb; to “know” (absolutely), in a great variety of applications and with many implications (as shown at left, with others not thus clearly expressed): - allow, be aware (of), feel, (have) known (-ledge), perceive, be resolved, can speak, be sure, understand.

上の定義を見ても、οιδαとの違いがよく分からないが、「認識はしている」という程度の知ると思われる。

この聖句を見て分かることは、パウロにとって、過去・現在・未来は存在せず現在のみが進行中という印象を受ける。

だから。「今後」という副詞句を使っておきながら、使用している動詞は完了形(意味は現在)だったりする。次の文章も意味的には未来であるが、現在形(副詞節は完了形)で書かれている。

では、じっくり見ていこう。

まず最初に確認すべきことは

「肉に従って」とは、5感を通して

ということだろう。

従って、上の日本語は次にように言い換えることができる。

それ故
今後
私たちは何も知っていない
5感を通して
私たちはキリストを知っていたけれども
5感を通して
しかし今私たちは何も知っていない

これで何となく見えてくる。

我々は5感を通して物事を知っているとしているが
知るべき何ものも実は知ってはいない
そして今後も
これまで我々は5感を通してキリストを知っていたが
今我々が自覚すべきは
キリストの(霊的領域については)何も認識できていないということ

そして、17節が続く。

しかし今や我々が知っていることは・・ということ。

*最後の意訳文に、「そして今後も」を追加したが、やはり原典が一番分かりやすい。


Coffee Break, #194 

2018年05月21日 | コーヒーブレイク
ピリピ1章20節
それは私の切なる祈りと願いにかなっています
すなわち
どんな場合にも恥じることなく
いつものように今も大胆に語って
生きるにも死ぬにも私の身によって
キリストがあがめられることです


私の大いなる期待と希望に従って
私は何一つ恥とせず
むしろ今と同様に
常にすべての大胆さをもって
生きることを通して
死ぬことを通して
キリストが私の体の中で
大きくなっていく

コメント:
μεγαλύνωの定義の中にextol(崇める)という意味が確かに含まれている。
しかし、「キリストが私の(体の)中で大きくなっていき、私は小さくなっていく」ことが
我々キリスト者の本来あるべき成長の姿ではないだろうか。

だから、パウロは次節で

私にとっては
生きることはキリスト
死ぬこともまた益

と言い切っているではないか。

よって、μεγαλύνωの訳として「大きくなる」「増大する」を採用した。

*いちいちこんなコメントをアップする必要はないとも思ったが、よく聞こえない人のために。







Coffee Break, #193

2018年05月20日 | コーヒーブレイク
ピリピ1章20節
それは私の切なる祈りと願いにかなっています
すなわち
どんな場合にも恥じることなく
いつものように今も大胆に語って
生きるにも死ぬにも私の身によって
キリストがあがめられることです

なんでこんな訳になるのか実に不思議だ。

何処か。

早速英語訳を見てみたい。


According to my earnest expectation and my hope
that in nothing I shall be ashamed
but that with all boldness
as always
so now also Christ shall be magnified in my body
whether it be by life
or by death

オヤっと思われる箇所を順に指摘していく。

1.「今も大胆に語って」とあるが、「語って」は原典には書いていない。
原典を直訳すると、「常にすべての大胆さの中で(εν)」

2.「私の身によって」ではなく「私の体の中で(εν)」

3.「キリストがあがめられることです」と書いてある。
何故このような意味が歪んでしまうような意訳をするのか理解に苦しむ。

「あがめられる」と誤訳されている単語はμεγαλύνωで、意味は

μεγαλύνω:
megalunō
meg-al-oo'-no
From G3173; to make (or declare) great, that is, increase or (figuratively) extol: - enlarge, magnify, shew great.

つまり、「増大させる」「増加させる」「大きくする」
「崇める」という意味はない。

全文直訳する。

ピリピ1:20
私の大いなる期待と希望に従って
私は何一つ恥とせず
むしろ今と同様に
常にすべての大胆さをもって
生きることを通して
死ぬことを通して
キリストが私の体の中で
大きくなっていく

*「私の大いなる期待と希望に従って」を何処に置くか悩ましい

そして

ピリピ1:21
私にとっては
生きることはキリスト
死ぬこともまた益



Coffee Break, #192

2018年05月18日 | コーヒーブレイク
ルカ6章31節
自分にしてもらいたいと望むとおり
人にもそのようにしなさい

この聖句も非常に有名な聖句。

マタイ7:12と同様、問題となるのが

>自分にしてもらいたいと望む

という誤訳だ。

オツムを白紙に戻す必要(mindのrenewing)があるので、上の日本語訳には今後一切言及しない。

早速、原典を見てみよう。


και καθως θελετε ινα
ποιωσιν υμιν οι ανθρωποι
και υμεις ποιειτε αυτοις ομοιως

*邪本はκαι υμειςを欠いている。

英語に逐語訳する。


and as you desire
that the men do to you
and you do to them likewise

複雑な文法は簡略化した。

日本語に直訳する。


その人たちがあなたがたに行なうということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らに行ないなさい

意味がよく分からない文章だ。

そこで、前後の文脈を追及していく。

主はこのような内容の説教を何度も話したに違いない。

マタイ伝の黄金律は結語的内容であるのに対して、ルカ伝の黄金律は前後の文脈の流れからやや乖離しているような印象を受ける。

そこで、この聖句と似たような内容の聖句がないかどうか検討していく。

例えば、27節b。

「あなたを憎む者に善を行ないなさい」を上のキーセンテンスに当てはめてみると

その人たちがあなたがたを憎むということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らを憎みなさい

これは、主のことばとは真逆。

次に、28節a。

「あなたをのろう者を祝福しなさい」を上のキーセンテンスに当てはめてみると

その人たちがあなたがたを呪うということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らを呪いなさい

しかし、主のことばは「祝福せよ」だ。

結果、上のキーセンテンスよりも前には同じ内容の記事は見つからない。

後半の検討に移る。

続いて、32節a。

「自分を愛する者を愛したからといって」をキーセンテンスに当てはめると

その人たちがあなたがたを愛するということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らを愛しなさい

一見マッチしているように見えるが、主の主張は「罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛する」だ。

同様の検証をしながら、さらに下流へと追及していく。

37節。

その人たちがあなたがたを裁くということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らを裁きなさい

これも真逆。

さらに、下流へ。

38節。

その人たちがあなたがたに与えるということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らに与えなさい

これは主の主張と完全に一致する。

その人たちがあなたがたを量るということを
あなたがたが願う通りに
同じようにあなたがたも彼らを量りなさい

これも、主の主張と見事にマッチしている。

以上から、ルカ伝における黄金律は、同6章38節と同じ文意であることが分かる。





Coffee Break, #191

2018年05月16日 | コーヒーブレイク
マタイ7章12節
それで
何事でも
自分にしてもらいたいことは
ほかの人にもそのようにしなさい
これが律法であり預言者です

黄金律と呼ばれる大変有名な聖句だ。

この聖句に限らず、聖書(主)が重要かつ正統な主張をしているにもかかわらず、日本語訳聖書では、誤訳、簡略、欠落のために、それが隠されてしまっていて見えてこないことが多々ある。

検証してみよう。

上の聖句において、検討すべき箇所は

>自分にしてもらいたいことは

だ。

この文章の主語は何か。

「あなたがた」だろう。

よって、上の日本語は次のように書き換えることができる。

>あなたがたが(自分に)してもらいたい(と願う)ことは

日本語訳をいじるのはここで止めておく。

では、原典には何と書いてあるか。

原典を引用する。


παντα ουν οσα αν θελητε
ινα ποιωσιν υμιν οι ανθρωποι
ουτως και υμεις ποιειτε αυτοις

例によって、英語に直訳すると


all then whatever suppose you desire
that the men do to you
so and you do to them
(直訳)

(注)邪本はανではなくεανとなっているが、それぞれ「と仮定して」「もしも」という意味であるから、大きな意味の違いはない。

問題となる箇所を抜粋すると

suppose you desire that the men do to you

直訳する。

あの人たちがあなたがたに行なうということを
あなたがたが願うと仮定すると

全文直訳する。

何事も
あの人たちがあなたがたに行なうということを
あなたがたが願うとすれば
同じように彼らに行ないなさい

さて、この箇所の文脈を確認しておく。

子がパンを願うなら、親は石ではなくパンを与える
子が魚を願うなら、親は蛇ではなく魚を与える
神の子が良い物を願うなら、神は良い物を与える

こういう流れとなっている。

つまり、与える者が人であれ、神であれ、願いは必ず成就するということ。

このことを上のキーセンテンスに当てはめると

あなたがたがパンを願うとすると
あの人たちはあなたがたに石ではなくパンを与えるだろう
同じようにあなたがたもあの人たちにパンを与えなさい

あなたがた神の子が良い物を願うとすると
御父はあなたがた神の子に良い物を与えて下さるであろう
同じようにあなたがた神の子も御父に感謝の讃美を献げなさい

このように、キーセンテンスに当てはめてみて見えてくることは

願いは必ず叶うというフェイスが我々にあれば
まず先にあの人たちの必要を満たしてあげることができる

という❛give to get(得るためにまず与える)❜の原則だ。

願った瞬間にすでに得ていることが分かるので与えることができる。

これがこの下りの主の主張ではないかと思う。

この聖句の最後に

this is the law and the prophets

とある。

すると

give to getの原則が、旧約であり主の影ということになる。

何となく、遠くに、主による山上の垂訓が見えてくる。

ルカ伝では、山上の垂訓に続いて同じみことばが登場するのも頷けるのではないか。

補足:この聖句が難しい理由は、suppose(if) you desire thatをどう理解すればよいかにある。
これがなければ、極めて単純な文章なのだが。





Coffee Break, #190

2018年05月14日 | コーヒーブレイク
第1コリント10章31節
こういうわけで
あなたがたは
食べるにも
飲むにも
何をするにも
ただ神の栄光を現わすためにしなさい

この聖句において注意すべきは最後の行。

やはり英語の方が分かりやすい。


Whether therefore ye eat
or drink
or whatsoever ye do
do all to the glory of God

神の栄光のためにすべてのことをせよ

と書いてある。

>・・を現わす

とは書いていない。

余計な補足をするなと言いたい。

原典で確認しておく。

παντα εις δοξαν θεου ποιειτε

英語に直訳する。

all into glory of God, you do.

日本語にすると

神の栄光の中へと入り(εις)すべてをせよ

だ。

これなら分かる。

ある超有名な問答集の和訳版の巻頭に次のように書いてある。

人間の主な最高の目的は神の栄光を現わし・・

上の聖句を参照聖句として挙げている。

砂の上には何も建たないと思うが。