第1章
キリスト教神学
p30~
Chapter 1
Christian Theology
Part One
The Structure of My Thought
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
改革派信仰の防衛という疑問に目を向ける前に、われわれはまず、一般に、聖書とは何かについて知っておく必要がある。
1.神の教理
当然のことながら、神学体系においても弁証学においても、神の教理は基本的重要事項。
神は本当に存在するのかを理性的に議論する前に、クリスチャンがどのような神を信じているのかまずは確認しておく必要がある。
何がそのことに先行するのか。
言外の意味は表示に先行する。
まず前者を考えることなく、後者を理性的に議論することはできない。
われわれが「神」ということばを用いる時、われわれの意味することは何だろうか。
系統学は、神の属性(attirbute、ご性質)すなわち特性(property、特徴)について議論して、この疑問に答えようとする。
そのような神の特徴(ご性質)は、説明可能な特徴と説明不可能な特徴に分かれる。
説明不可能な特徴の下において:
第1に、神の非依存性、すなわち自存性(aseity)。
神はご自身の存在以外の何かに関連することも依存するもない。
神はご自身の存在(his own being)の源、否、源ということばは神に適応されない。
神は絶対。
神に不足はない。
第2に、神の不変性。
神は永遠の存在であり、変わることなく、また変わることもできない。
マラキ3:6
主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。
ヤコブ1:7
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
→引用聖句の間違いか?
コメント:
>何がそのことに先行するのか。
>言外の意味は表示に先行する。
意味がよく分からない。次の文章はどうか。
>まず前者を考えることなく、後者を理性的に議論することはできない。
クリスチャンはどのような神を信じているのか考えることなしに、神は本当に存在するのかを理性的に(理知的に)議論することはできない。
すると「言外の意味」と「表示」の意味が何となく見えてくる。
つまり、「表示」とは、われわれクリスチャンが信じている(つまり、聖書に書かれている)具体的な神の特徴であり、また「言外の意味」とは、そのような(聖書を通して)神のご性質を把握した上で、ことばでは言い表すことができない神の実在を確信しうる何か、ではないかと推察される。
キリスト教神学
p30~
Chapter 1
Christian Theology
Part One
The Structure of My Thought
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
改革派信仰の防衛という疑問に目を向ける前に、われわれはまず、一般に、聖書とは何かについて知っておく必要がある。
1.神の教理
当然のことながら、神学体系においても弁証学においても、神の教理は基本的重要事項。
神は本当に存在するのかを理性的に議論する前に、クリスチャンがどのような神を信じているのかまずは確認しておく必要がある。
何がそのことに先行するのか。
言外の意味は表示に先行する。
まず前者を考えることなく、後者を理性的に議論することはできない。
われわれが「神」ということばを用いる時、われわれの意味することは何だろうか。
系統学は、神の属性(attirbute、ご性質)すなわち特性(property、特徴)について議論して、この疑問に答えようとする。
そのような神の特徴(ご性質)は、説明可能な特徴と説明不可能な特徴に分かれる。
説明不可能な特徴の下において:
第1に、神の非依存性、すなわち自存性(aseity)。
神はご自身の存在以外の何かに関連することも依存するもない。
神はご自身の存在(his own being)の源、否、源ということばは神に適応されない。
神は絶対。
神に不足はない。
第2に、神の不変性。
神は永遠の存在であり、変わることなく、また変わることもできない。
マラキ3:6
主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。
ヤコブ1:7
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
→引用聖句の間違いか?
コメント:
>何がそのことに先行するのか。
>言外の意味は表示に先行する。
意味がよく分からない。次の文章はどうか。
>まず前者を考えることなく、後者を理性的に議論することはできない。
クリスチャンはどのような神を信じているのか考えることなしに、神は本当に存在するのかを理性的に(理知的に)議論することはできない。
すると「言外の意味」と「表示」の意味が何となく見えてくる。
つまり、「表示」とは、われわれクリスチャンが信じている(つまり、聖書に書かれている)具体的な神の特徴であり、また「言外の意味」とは、そのような(聖書を通して)神のご性質を把握した上で、ことばでは言い表すことができない神の実在を確信しうる何か、ではないかと推察される。