みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#350 神の法第一戒

2019年06月30日 | 神の法
第一戒
第三節 神対モロク


通読中

◇◇

モロク、すなわち神なる王は、高位の座について人間の代理者として働く。

人間は彼とともにそこに昇る。

主(バアル)への礼拝において、天と地が連続する。

万物は一つの存在であり、神とはその存在の階段を昇った人間にほかならない。

故に、政治体制において権力の座につくということは、神の力を獲得し、それを占有することを意味する。

それは人間及びその民が勝利したことの証し。

したがって、モロク礼拝は政治的宗教であった。

モロクへのいけにえの目的は、権力から刑罰を免除してもらったり、彼らの保証や保護を受けることにあった。

バアル礼拝において、高等ないけにえは人間のいけにえであった。

自分の身体の一部を切断すること(とくに去勢)や子どもや子孫をいけにえに捧げることが行われた。

祭司は、去勢や普通の人間関係からの隔離、異常行為を通じて、人間性から離れ、神に近づくことができた。

子どものいけにえは、モロクにとって最高の犠牲であった。

モロク礼拝は、ソロモンがアモン人の妻のためにモロクの祭壇を建てたときに、イスラエルに入りこんだ。

第1列王記11:7~8
当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。 

このように、モロク崇拝は国家崇拝であり、国家は完全な犠牲を要求した。

第一戒は国家主義及び全体主義を禁止している。

サタンの究極の目標は、神によって禁止されている全体主義的世界政府を樹立することにある。

究極の主権を持ち全存在の中で最も偉大な力とは、全存在を存在せしめる力のこと。

神(ヤハウエ)のみが、自らの存在を他のいかなるものにも依存されないお方。

御自身の内に永遠の存在を持っておられるお方。

万物に遍在する絶対権力は、創造者の内に存在する。

神以外の権力は分割されており、それゆえ制限されている。

故に、絶対ではない。




#349 神の法第一戒

2019年06月29日 | 神の法
第一戒
第三節 神対モロク


通読中

◇◇

申命記18:9-22、13・1-4、レビ記18:21、19:26、31、申命記12:29-32において
モーセは、あらゆる形の不法な未来予知を列挙した。

神と無関係に未来を知ろうとしたり、コントロールしようとすることは、主を軽んじ、他の神を立てることになる。

申命記18:9~14
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。あなたは、あなたの神、主に対して全き者でなければならない。あなたが占領しようとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきたのは確かである。しかし、あなたには、あなたの神、主はそうすることを許されない。

レビ記18:2
また、あなたの子どもを1人でも、火の中を通らせて、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。

レビ記19:26
あなたがたは血のついたままで何も食べてはあならない。まじないをしてはならない。卜占をしてはならない。

レビ記19:31
あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。

申命記12:29-32
あなたが、はいって行って、所有しようとしている国々を、あなたの神、主が、あなたの前から断ち滅ぼし、あなたがそれらを所有して、その地に住むようになったら、よく気をつけ、彼らがあなたの前から根絶やしにされて後に、彼らにならって、わなにかけられないようにしなさい。彼らの神々を求めて、「これらの異邦の民は、どのように神々に仕えたのだろう。私もそうしてみよう。」と言わないようにしなさい。あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえした。あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行わなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。

純粋性を維持するために、神の民は人間の手によるあらゆる作り事を遠ざけ、純粋かつ単純な宗教に不純物が紛れ込まないように注意すべき(カルヴァン)。

フェブルエーション(モロク礼拝において行われた子どもたちを火の中をくぐらせる儀式)が、他のいかなる種類の偶像礼拝にもまして、予言や魔術と深い関係にあったため、モーセは冒頭にモロク礼拝を禁止する言葉を置いた。

まじない師とは、ささやく者、蛇使い。

呪術者とは、呪文やまじないを唱える者。

口寄せとは、別の世界の秘密を知っていると主張する者。

死人に伺いを立てる者とは、死者を呼び出して尋ねる者。

最も中心的な悪は、モロク礼拝。

モロク(またはメレク、マリク)は「王」を意味し、その子音が残り、「恥」という意味となった。

人身御供はこの神に対して捧げられた。

アモンの神とも呼ばれる。

モロク関連聖句:エレミヤ49:1、3、アモス1:15、ゼパニヤ1:5、レビ記18:21、20:2-5、第二列王記23:10、エレミヤ32:35

イスラエルにおいてモロク礼拝が行われていたのは、ヒノムの谷においてであった(エレミヤ32:35、第二列王記23:10)。

モロクはバアル(主という意味)の一面(エレミヤ32:35)。

バアルは、ツロの王メルカルトの名で礼拝されていた。

ツロの礼拝では人身御供が行われた。





#348 神の法第一戒

2019年06月28日 | 神の法
第一戒
第二節 分割できない御言葉


通読中。

◇◇

創世記16・10、13、18・2-4、13、14、33、22・11、12、15、16、31・11、13、32・30、出エジプト記3・2、4、20・20、32・34、33・14、ヨシュア5・13-15、6・2、イザヤ63・9、ゼカリヤ1・10-13、3・1-2において
主の使いは自らを主と称し、自らを啓示した人々は、彼のことを神と認めた。
彼は聖書記者たちによって主と呼ばれている。
聖書はこれらの箇所において、神の人格の複数性を暗示している。

出エジプト記23:21
あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。 

「わたしの名がその者のうちにある」とは、「わたしは彼の中にいる」と同じ意味。

神は「わたしの名がその者のうちにある」と明言された。

主の使いは新約聖書において繰り返し登場する。
使徒の働き5:19、12:7-11、17

パウロは、御使いをイエス・キリストと考えていた(第一コリント10:9)。
(→引用聖句の誤り?)

御民は災害や疫病から守られる(出エジプト記23:25-27)。

服従には物質的な祝福が伴う。

これらの物質的な祝福として、敵が目の前から駆逐されることや、大きな相続を受け取ることが含まれている(出エジプト記23:27-31)。

出エジプト記23章32-33節から明らかなように、このすべては第一戒と結びついている。彼らは他の神々から離れなければならない。(結婚であれ条約であれ共同体であれ)「いかなる契約も」不信者や彼らの神々と結んではならない。

 律法の結論部分にある重要な1節において、人間がどのように律法に接近すべきかが説明されている。モーセは、不従順のゆえに彼らにのろいが臨むことを警告した後、申命記29章29節において、次のように宣言した。

申命記29:29
隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。 

「現されたこと」には、約束と脅迫を伴う律法が含まれる。それゆえ、「隠されたこと」とは、神が将来御計画と御心を実行される際に取られる方法を意味する。神の御計画と御心は、律法の中に現されており、それに従って、民の背信にもかかわらず救いの御業は完成する。

神の啓示である律法の背後には、神の隠れた御心があり、この御心に従って、神の計画は実現し、人間の反逆は挫折する。

御国は、定められた時に定められた方法で、必ず勝利する。

要約すれば、律法は啓示されている-つまり、神は神であるゆえに、律法が成就することは保証されている-が、その方法や時は、大部分隠されている。

律法は一つの言葉であり、分割することはできない。

申命記4:2
私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。

聖書全体-律法、預言者、福音書-は一つの言葉であるということを意味している。

啓示が完結した後は、言葉を追加(もしくは削除)することは禁じられている(黙示録22:18-19)。

福音から律法を勝手に切り離すことはできない「神がお一人であるゆえに、御言葉も一つなのだ」。

御言葉を分割することは、神を否定すること。




#347 神の法第一戒

2019年06月26日 | 神の法
第一戒
第二節 分割できない御言葉


通読中。

◇◇

律法には、多くの序文や前口上としての宣言が記されている。

これらは、律法の一部、第一戒の一部と言うことができる。


出エジプト記20:1~2

出エジプト記23:20~31

レビ記19:36~37

レビ記20:8

レビ記22:31~33

申命記1:1~4

申命記1:49

申命記5:1~6

申命記7:6~8

申命記8:1~18

申命記10:14~17

申命記11:1~7

申命記13:18

申命記26:16~19

申命記27:9~10


戒めの前提として、神は主(ヤハウエ、有りて有る者、自存の絶対者にして永遠の神)であると宣言されている。

イスラエルは神の選びの恵みによって神の御前に立っているとも宣言されている。

出エジプト記20:1~2
それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。 

申命記5:1~6
さて、モーセはイスラエル人をみな呼び寄せて彼らに言った。聞きなさい。イスラエルよ。きょう、私があなたがたの耳に語るおきてと定めとを。これを学び、守り行ないなさい。私たちの神、主は、ホレブで私たちと契約を結ばれた。主が、この契約を結ばれたのは、私たちの先祖たちとではなく、きょう、ここに生きている私たちひとりひとりと、結ばれたのである。主はあの山で、火の中からあなたがたに顔と顔とを合わせて語られた。そのとき、私は主とあなたがたとの間に立ち、主のことばをあなたがたに告げた。あなたがたが火を恐れて、山に登らなかったからである。主は仰せられた。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。 

申命記4:20
主はあなたがたを取って、鉄の炉エジプトから連れ出し、今日のように、ご自分の相続の民とされた。

他の多くの箇所において、神の主権と神の選びの恵みが宣言される。

申命記5:3
契約は、私たちの先祖たちとではなく、ここに生きているわれわれ一人一人と結ばれた。

「相続(所有)の民」(申命記4:20)とは、信仰を持つイスラエル。

恵みの歴史とイスラエルに対する神の救いの恵みの事実が繰り返し引用されている(申命記)。

出エジプト記23:20~33
見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、私が備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。しかし、もし御声に確かに聞き従い、わたしが告げることをことごとく行うなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろう。

わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをエモリ人、ヘテ人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導き行くとき、わたしは彼らを消し去ろう。あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。あなたの国のうちには流産する者も、不妊の者もいなくなり、わたしはあなたの日数を満たそう。

わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこにはいって行く民のすべてをかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう。わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これが、ヒビ人、カナン人、ヘテ人を、あなたの前から追い払おう。

しかし、わたしは彼らを1年のうちに、あなたの前から追い払うのではない。土地が荒れ果て、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。あなたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。わたしは、あなたの領土を葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また、荒野からユーフラテス川に至るまでとする。

それはその地に住んでいる者たちをわたしがあなたの手に渡し、あなたが彼らをあなたの前から追い払うからである。あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。彼らは、あなたの国に住んではならない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させることのないためである。それがあなたにとってわなとなるので、あなたが彼らの神々に仕えるかもしれないからである。





#346 神の法第一戒

2019年06月25日 | 神の法
第一戒
第一節 第一戒とシェマ・イスラエル


通読中。

◇◇

神は忍耐と恵みゆえに御怒りを下すことを留保されることもあれば、裁きの洪水をもって敵を滅ぼされることもある。

ナホム1:8
しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、主に逆らう者を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる。

ヒューマニズムや非人格主義的な法は、ただ行動に現れたものしか関知できない外面的な法。

神のねたみは、神の法廷が無謬であることの確実な保証である。

神のねたみは正義の保証。

悪は人格なので、法の網をくぐり抜けて、大いにはびこることができる。

もし神がねたむ神ではなく、人格を持つ神でもなければ、この世に正義は存在しない。

カルマの教え(因果応報の法則)を信じると、不義が最高に価値あるものとなる。
→この教えには人格がなく、関知するのは行動とその結果のみであるから。

申命記6:13
あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。

神の御名において人々に仕える時にのみ、あなたは神に仕えていると言える。

マタイ23:16~22
忌わしいものだ。目の見えぬ手引きども。あなたがたはこう言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』 愚かで、目の見えぬ人たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。また、こう言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』目の見えぬ人たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。ですから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。

うわついた気持やむなしい心で神に誓うことは、神の御名をみだりに唱えることに他ならない。

真理(神)を求める者は、神御自身の確証以外、いかなる確証をも求めるべきではない。

人は神だけに仕え続けるべき。

あらゆるものを神に関係づけることを学び、あらゆることを神の御名において行ない、所有し、使用し、堪え忍ぶことを学ばなければならない。

神は人のすべての行ないを見て、裁くために臨在しておられる。

マタイ26:52
そのとき、イエスは彼に言われた。
剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。 

神の命令によらず、自分の欲望にかられて剣を取る者は滅ぼされる。

剣を帯びることが神によって命じられた場合、それは神への奉仕。

無秩序な欲望ゆえに、肉体を性的に利用することも禁じられている。

自分のために誓うのではなく、神や隣人のために主の御名によって誓うべきである。

あなたの神である主を試みてはならないと書いてある。

下がれ、サタン。あなたの神である主を礼拝し、主にだけ仕えよと書いてある。

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きると書いてある。

申命記6:16~19
あなたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。あなたがたの神、主の命令、主が命じられたさとしとおきてを忠実に守らなければならない。主が正しい、また良いと見られることをしなさい。そうすれば、あなたはしあわせになり、主があなたの先祖たちに誓われたあの良い地を所有することができる。そうして、主が告げられたように、あなたの敵は、ことごとくあなたの前から追い払われる。

申命記8:3
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。 

サタンがイエスに行わせたかったのは、神を試みることだった。

出エジプト17:7
それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。 

神の律法は人を試す。

箴言10:4
無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。

ゴロゴロばかりしていて働こうとしない人は神を試みている。

神は仕事を通して人を養ってくださる。

回りに神の御言葉しかなく、必要な物がすぐに手に入らない場合、人は神を試みる。




#345 神の法第一戒

2019年06月23日 | 神の法
第一戒
第一節 第一戒とシェマ・イスラエル


通読中。

◇◇

カルヴァンの教え(神の律法に従うことを困難、かつ粗野と言っている点で問題がある):
1.神の戒めは御民にすんなりと受け入れられるように(神ご自身によって)配慮されている。
2.いかに人間の目に慕わしく見えても、人のための計画は神によって拒まれ非難される。
3.自分の悟りに頼る者はみな邪神を崇めるようになる。
4.勝手な神礼拝を行う者は、自らの熱心が極めて尊くかつ正しいと信じている。
5.世が聖い献身的行為と見なしても、自分勝手な神礼拝は霊的姦淫と同じ。

マタイ23:5
彼らのしていることはみな、人に見せるためです。
経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。

律法に対して外面的に忠実であることを誇っていたパリサイ人は、イエスによって非難された。

申命記22:12
身にまとう着物の四隅に、ふさを作らなければならない。

神の律法は困難でも奇妙でもない、馬鹿げたものでも、不可能なものでもない。

キリストが更新した契約の新しいしるしによって、クリスチャンは律法を守ってはいない。

契約の民は恵みによって生きたのであって、より高い能力や成熟によって生きたのではない。

異言による礼拝(第一コリント14章)はこの戒めに違反している。

恵みに対する応答は律法を守り行うことである。

教会が律法に対して誤った意味を与えるならば、その誤った意味は預言者と使徒によって攻撃される。

律法を守り行うことによって、神の民は恵みに対する応答の義務を果たし、恵みを証しする。

申命記6:10~15
あなたの神、主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ、あなたが建てなかった、大きくて、すばらしい町々、あなたが満たさなかった、すべての良い物が満ちた家々、あなたが掘らなかった掘り井戸、あなたが植えなかったぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与え、あなたが食べて、満ち足りるとき、あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい。あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。ほかの神々、あなたがたの回りにいる国々の民の神に従ってはならない。あなたのうちにおられるあなたの神、主は、ねたむ神であるから、あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、主があなたを地の面から根絶やしにされないようにしなさい。 

神はねたむ神である。

労せずして得た豊かな土地を占領し所有する時、与えてくれた神を忘れることがないようにせよ。

神に帰依しなくても成功や繁栄を手中におさめることができるという誘惑がある。

ほかの神々、あなたがたの回りにいる国々の民の神に従っていく恐れがある。

神は妬みと律法を関係づけて語る-これは律法を理解する上で極めて重要。

神の律法は、盲目的な非人格的力ではなく、また、機械的に作用する力でもない。

神の律法は、神の愛と憎しみの中で働く。

律法は人格的である。




#344 神の法第一戒 

2019年06月22日 | 神の法
第一戒
第一節 第一戒とシェマ・イスラエル


通読中。

◇◇ 

人の内に神の御手によらないないものは一つもなく、それゆえ、神の律法に従属しない部分は一つもない。

申命記6:5
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

人間は、いかなる状況においても、自分の全存在をかけて、神に完全服従しなければならない。

人間の生活と存在の領域の中で、神と神の律法の効力が及ばないものは一つもない。

ルターの唱える異端的教理(無律法主義):
1.もし第1戒(信仰と福祉)のためになるなら、第五戒を破って人を殺してもよい。
2.アブラハムは王たちを殺した(創世記14:15)。
3.アハブ王はシリアの王を殺さなかったために罪を犯した(第一列王20:34)。
4.敵の財産・商品・妻・娘・子ども・下僕を奪ってもよい。
5.主を愛するためには自分の父母を憎むべきだ(ルカ14:26)
6.律法は義しい者のために定められたのではない(第1テモテ1:9)。
7.第1戒(信仰と愛)のためになるなら、すべて(の行ない)が律法の拘束力を持つ(全うする)。

ルターの下した異端的結論:
もし他の神々を避けるために第一戒を正しく真に理解したければ、1人の神を信じ、かつ、愛のために行動し、自分を捨て、あらゆることを恵みによって受け、あらゆることを感謝をもって行え

このような混乱した発言は、さらなる混乱しか生まない。

*私論:神の法は十戒すべて同等に義。第一戒のみではない。
ルターの下した結論は一見まともに見えるが、これが異端の特長。
最後に破滅が待っている。

申命記6:7~9
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。

申命記6:20~25
後になって、あなたの息子があなたに尋ねて、「私たちの神、主が、あなたがたに命じられた、このさとしとおきてと定めとは、どういうことか。」と言うなら、あなたは自分の息子にこう言いなさい。「私たちはエジプトでパロの奴隷であったが、主が力強い御手をもって、私たちをエジプトから連れ出された。主は私たちの目の前で、エジプトに対し、パロとその全家族に対して大きくてむごいしるしと不思議とを行ない、私たちをそこから連れ出された。それは私たちの先祖たちに誓われた地に、私たちをはいらせて、その地を私たちに与えるためであった。それで、主は、私たちがこのすべてのおきてを行ない、私たちの神、主を恐れるように命じられた。それは、今日のように、いつまでも私たちがしあわせであり、生き残るためである。私たちの神、主が命じられたように、御前でこのすべての命令を守り行なうことは、私たちの義となるのである。」

律法教育は、律法の遵守と礼拝の両方にとって基本。

聖書に基づいた学校教育以外はすべて信者にとって背教的行為である。

真の教育がなくては、真の礼拝も成り立たない。

律法は命令であり、絶対である。

常に神の命令が、文字どおり実行されるならば、それはそれで賞賛に値する習慣。

神は、御自身の御言葉に則って礼拝するように求めておられる。




#343 神の法第一戒

2019年06月19日 | 神の法
第一戒
第一節 第一戒とシェマ・イスラエル


通読中。

The Institutes of Biblical Law,Rousas John Rushdoony

1か月以上かかったが、ようやく原本を手に入れた。

800頁以上もある圧巻。

今通読中の富井氏の翻訳で不明瞭な個所があれば、随時参考にしていきたい。 

◇◇

基本的強制力は神の御手にある。

神の律法は統一的であり、その内部において矛盾がない。

他方、現代の政治制度は、多神教的、かつ帝国主義的。

1.律法はイスラエルにとって良いものである。
2.クリスチャンと教会は恵みの下にいるので、律法はいらない。
3.もしいるとしても、それはもっと優れた新しい律法である。

これは暗黙の多神教教理、すなわち異端。

ヨアキムの異端:
1.人間の最初の時代は御父の時代であり、正義と法の時代
2.第二の時代は御子の時代であり、キリスト教と教会と恵みの時代
3.第三の時代は、御霊の時代であり、人間が神になり自分の法になる時代

この教えに類似するディスペンセーション主義は進化論的、多神教的。

律法を恵みと対立させようとする試みは多神教的。

御言葉は、人間がそれに対してどのように対応したかによって祝福ともなり、呪いともなる。

無律法主義(多神教主義、過激派アルミニウス主義):
1.聖さを求めることが大切であると言いながら、良心を安らかに保つため、恵みを殊更強調
2.恵みが満ちあふれるために罪を犯す自由が与えられていると主張
3.自らのあらゆる行いが罪に汚染されているという事実を否定
4.恵みによって律法の要求から解放されたので、罪を犯すことができないと主張

愛するお方の戒めを守ることは、愛のあかしであり、新創造にとって喜び。

ダービーらの唱える異端的教理(部分的無律法主義):
1.神の戒めを守ること、これが(神に対する)愛(ここまでは実に素晴らしい)。
2.律法は人々を滅ぼし、責めさいなむ。
3.義と認められるために律法を守る必要はない。これは聖書に書かれてはいない。
4.生活の規則としては守らなければならない。これも聖書には書かれていない。

究極の異端(完全無律法主義):
1.律法はサタンによって与えられた。
2.新約聖書は、律法の下にある生活とは異なり、恵みの下にある生活を表している。
3.律法か恵みかの選択ではなく(部分的無律法主義)、律法か無律法かの選択(完全無律法主義)。

律法はイスラエルのためのものであり、クリスチャンのためのものではないと言うことは、律法を捨てるだけではなく、律法の神をも捨てることに等しい。

バルト主義(異端)
1.神は自由に変化できると主張(神は不完全)。
2.万人を裁く絶対かつ不変の法は存在しない。
3.それゆえ、万人が救われることは可能。
4.万人は救いに至る多くの道の中からどれでも好きなもの一つを選ぶことができる(救いは自己実現)。
5.絶対者なる神と絶対なる命令及び律法から解放されている。




#342 神の法 

2019年06月16日 | 神の法
第一戒
第一節 第一戒とシェマ・イスラエル


通読中。

要約する。

◇◇

十戒の序文は、律法全体への導入、かつ第一戒への導入。




出エジプト20:1~3
それから神(エロヒム)はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神(エロヒム)、主(ヤハウエ)である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々(エロヒム)があってはならない。



 
神は御自身を自存の絶対者-主(ヤハウエ、エロヒムの最高位)-と宣言。

神は救い主、それゆえイスラエル人と神との関係は恵みの関係。

神は契約の特権と祝福を与えるために、恵みによって救われた人々に律法を与えた。

「あなたには、私のほかに、ほかの神々があってはならない」という宣言は、律法の第一原理であると同時に恵みの第一の応答でもある。




申命記6:1~3
これは、あなたがたの神(エロヒム)、主(ヤハウエ)が、あなたがたに教えよと命じられた命令-おきてと定め-である。あなたがたが、渡って行って所有しようとしている地で、行うためである。それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神(エロヒム)、主(ヤハウエ)を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、またあなたが長く生きることのできるためである。イスラエルよ。聞いて、守り行いなさい。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。




神がこれらの命令を与えたのは、御自身への恐れを呼び起こすため。

神は、絶対の主・立法者なる神。




申命記6:4~9
聞きなさい。イスラエル。主(ヤハウエ)はわれわれの神(エロヒム)。主(ヤハウエ)はただ1人である。心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。





申命記6:4、5は「シェマ・イスラエル」という。イスラエルの朝と夕べの祈りとして朗唱された。




申命記10:12~13
イスラエルよ。今、あなたの神(エロヒム)、主(ヤハウエ)が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神(エロヒム)、主(ヤハウエ)を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることではないか。





われわれクリスチャンは三位にして一人なる神、一人にして三位なる神を礼拝する。

それは「一人の神、一つの法」を意味する。

多神教の前提は、一元的宇宙(ユニバース)ではなく、多元的宇宙(マルチバース)。様々な法秩序があり、様々な主がいる。

それゆえ、いかなる絶対的存在も否定する。

相対主義のゆえに、それは一元的宇宙及び一元的法の概念に反対し、その法制度には絶対的もしくは普遍的有効性がない。

つまり、「神の命令は絶対であり、人間と国民を拘束するものである」との聖書の主張に反する。

このような前提に立ついかなる統一世界秩序も、帝国主義的にならざるをえない。

絶対的法秩序の存在を認めないため、実用主義的法の下では、自分自身が自分にとっての法秩序、つまり無政府主義状態。

律法は、人間が自分勝手に法律を作ってはならないと命じている。
「あなたがたは、われわれがきょう、ここでしているようにしてはならない。おのおのが自分の正しいと見ることを何でもしている」(申命記12・8)。





#341

2019年06月12日 | コーヒーブレイク
聖書律法綱要
序論
第三節  法の方向


通読中。

ポイントを抜粋。

◇◇

#1.十戒は基本法。

#2.例えば、盗んではならない(出エジプト20:15、申命記5:19)。

イ)生活の基本的な領域を確立し、保護する。

ロ)国家や人間によってではなく、至高かつ全能なる神によって、私的財産が確立される。

ハ)神が律法をお定めになったので、その法に対する違反は全て神に対する違反である。

ダビデは、自分の姦淫と殺人の行為に関して次のように宣言した。

「あなたに、ただあなたに対して私は罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」(詩篇51・4)

ニ)無律法は罪。

#3.律法は広範かつ基本的な原則を与える。

第一に基本的原則を引用し、第二に判例法を、第三にパウロによる法の適用の宣言。

① 盗んではならない(出エジプト20・15)。基本法。原則の宣言。

② 穀物をこなしている牛にくつこをはめてはならない(申命記25・4)。基本法の例証。判例法。

③ いったい神は、牛のことを気に掛けているのだろうか。
それとももっぱらわたしたちのためにこのように言われたのだろうか。
もちろん、わたしたちのためにこう書いてあるのである。
なぜなら、耕すものが望みをもって耕し、脱穀するものが分配を受ける望みをもって仕事をするのは当然だからである。
…同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るように定めておられます(第一コリント9:1~14)。律法の適用。

#4.律法の今日的価値を否定するものは、結果として、盗みの罪の意味を非常に狭く限定してしまう。

#5.律法は、第一に、原理を主張し、第二に、それらの原理を発展させる判例を引用する。そして、第三に律法は、神の秩序の回復をその目的と方向性として持つ。

#6.この第三の面は、聖書律法にとって重要であり、それは再び聖書律法とヒューマニズム的法のあいだの違いを示す。

#7.聖書律法は被害者に対する償いを規定しているが、それ以上に基本的なのは神の秩序を回復することに対する要求である。

#8.新約聖書は、ザアカイが不法に税金を取り立てていた罪の正しい解決は償いであると教えている(ルカ19・2-9)。

#9.償いは山上の説教の中ではっきりと語られている(マタイ5・23-26)。

#10.エペソ4章28節において、パウロは、償いの原理がどの様に発展しているかを示している。泥棒であったものは盗みをやめるだけではなく、不正に奪い取ったものを償うため自分の手で働かなければならない。しかし、盗んだ相手が見付からない場合には、弁償金は貧しい人々に施さなければならなかった。

#11.神との関係で、償いとか回復の事実は3通りある。

イ)第一に、神の至高の律法が宣言され、律法が正しく回復される(マタイ17:11~12)。

ロ)第二に、万物をキリストに服従させ地上に神の秩序を築き上げることによって回復がやってくる(マタイ28:18~20、第一コリント10:5、黙11:15)。

ハ)第三に、キリストの再臨のときに、完全な最終的な回復が実現する(使徒3:21)。

#12.聖書全体は人間がいつも神との契約関係にあるという事実の土台の上に立っているという真理から出発している(ホセア6・7)。

#13.救いは、常に神の契約の確立と実現としてある。

#14.その契約的関係の回復はキリストの御業であり、ご自身の選びの民に対するキリストのみ恵みである。

#15.創造命令とは、人間は地を従え、その上に正しい支配を実行することである。

この命令が廃棄されたことを示す箇所は聖書の中でどこにもない。

かえって、この命令は実現されなければならないし、また実現されるであろう。

そして、イエスによれば、「聖書は破棄されるべきではない」(ヨハネ10・35)。

それを破棄しようとするものは、自分自身が滅ぼされてしまうことになる。