みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#3 進化論と宗教 進化論とマルクシズム

2023年12月28日 | 進化論と宗教

くり返し、論じているように、マルキシズムは進化論から導かれたイデオロギー。

同様に、ディスペンセーション主義プレミレも進化論から誘導された教理だ(Rousas John Rushdoony)。

われわれの古い脳、すなわち理性は、進化論によってトコトン汚染されている。

クリスチャンといえども例外ではない。だから努力が必要なのだ。 

では、どうやってこの洗脳から脱出すれば良いのか。

ただひたすら聖書を読みこなしていく以外に手はないように思う。

怪しげな神学(悪魔学?)に耳を傾けることなく、自身で道を切り開いて欲しい。

Ligonier Ministriesが提供してくれている動画はかなりの助けになるはず。

大いに利用して欲しい。

◇◇

 
進化論は、かつてのマルクシズムの発展段階説に似ています。

これらはどちらもヘーゲルの弁証法的歴史発展説の非神話化の切り札として現れたものですが、マルクシズムは史実性という点において決定的な問題をかかえていました。

すなわち、原始共産制から奴隷制、封建制、資本主義、社会主義、共産主義という筋道で歴史は段階的に発展する運命にあると主張したのに、現実にかつて原始共産的共同体があったという証拠はありませんでした。

また、資本主義から社会主義にかならずしも至るというわけではなく、現実の世界では資本主義は資本主義のままであり、発展するはずであった社会主義から共産主義への移行は実現しないまま、ソ連は崩壊しました。

つまり、マルクスが考えたような筋道をかならずしも現実の世界はたどらない。

これはそもそも歴史が発展するなどという近代の支配的な歴史観に従ったことに問題があったのではないかという反省が起こってきたわけですが、同じことは、進化論についても言えるでしょう。

進化論に存在する「非史実性」は、進化論がマルクシズムとまったく同じ道をたどることを暗示しています。

理論に照らして存在するはずのものが存在しない。

進化論の考えに反して、種は非常に安定しており、種と種の間には大きな断絶があって、中間種を作り出すことが非常に難しい。

作り出しても長生きしない、

子孫を残さない。

化石だけではなく、実際に生存しているはずの、進化の過程にある、試行錯誤の最中の生物と思われるものが少ないか存在しない。

このような非連続はいったい何か?カエルやミミズやサルなどと同じくらいどうして普遍的に、猿人が生存していないのか。

淘汰されて残ったはずの生物がなぜ、あるものは残り、あるものは残らなかったのか。
それは単に現在の環境が適していたかどうかによる差であると片付けられるであろうか。
単純に素直に考えてみれば、猿人が現在サル並みに多数生存していないのは、「そもそも存在しなかったからだ」といわざるを得ないのではないだろうか。

これだけ進化否定する要素が揃っているのだから、マルクシズムと同じように、その根本に横たわる歴史観に立ちかえって考え直してみる必要があるのではないだろうか。

「本当に世界は進化しているのだろうか?」と。

 

 


#3 進化論と宗教 進化論を放置すると社会は崩壊する

2023年12月04日 | 進化論と宗教

進化論は、自然法を否定します。

19世紀まで宇宙の創造者・法制定者(聖書の神であるかないかにかかわらず)が存在するとか、宇宙には普遍的な法があるという考え方が世界を支配していました。日本でも「おてんとう様が見ている」とか「バチがあたる」というように、人間を越えた法が存在するという考え方がありました。仏教でも儒教でもそのようなHigher Lawの考え方というものはあります。

しかし、進化論のように、世界が偶然に誕生して、歴史が偶然に推移し、その歴史を動かしているのは、自然法とかHigher Lawなどではなく、「適者・力の強い者が生き残り、不適者・力の弱い者が滅びる」という優勝劣敗の原理であるということを主張するならば、そういった法は「原理的に」滅びます。

「原理的に」と言ったのは、「実際に」人々が生活の中において優勝劣敗の原理を実行するとは限らないからです。

思想が実を結ぶのには時間がかかります。進化論の原理が人々の実際の生活を支配するのには、時間がかかるでしょう。

そのため、あまり進化論の世界観を危惧している人はいません。

しかし、実際に今世紀のはじめ頃から、法律や社会のあらゆる部分に進化論の世界観が適用されるようになり、欧米社会は変質してきました。欧米の影響を直に受ける日本や他の地域も当然変質しつつあります。進化論の社会的影響はまことに甚大です。

では、これから先、進化論の原理を忠実に体現するような社会になればどのようになるのか。

旧来の自然法的世界観が残っている世代が過ぎ去って、進化論だけしか教えられなかった人々によって構成された社会がやってきます。一体そのような社会がどのようなものになるのかという問題がこれからクローズアップされてくると思うのです。

「おてんとう様なんて関係ない。人間は動物から進化してできたものであって、人に迷惑をかけなければ援助交際でも何でもやってもいい。」という若者を非難することは進化論者は原理的にできません。心情的にそんなことをしてはいけないと言えるでしょうが、原理的には不可能です。

原理的に不可能であるということは、決定的な弱さを持っているということであり、時間が経てば、そのような滅茶苦茶な人種が巷にあふれるようになる。

アメリカにおいて公教育の中からキリスト教倫理が完全に排除された時と、青少年非行の急激な増加の開始時期はぴったり一致します。

日本は、自分の親の時代に教育勅語など儒教の影響がまだ残っており、人がやってよいことと悪いことの区別というものがきちんと教えられていましたが、戦後の教育は道徳教育を批判し、進化論が教えられました。

教育勅語は全体主義の国家の利益とか家制度の利益が背景にあるので、それを復活させることには反対ですが、しかし、何らかの超越法がなければ社会は崩壊すると考えられます。

国家の教育が破たんし、旧来の宗教が勢いを失い、進化論の唯物史観しか教えられなかった日本の社会には、オヤジ狩り、痴漢警察官、淫行教師、汚職が溢れています。

 

 


#1 進化論と宗教 進化論の影響

2023年11月30日 | 進化論と宗教

ナチスや共産主義と進化論の関係を些末なものでしかないと考えることはできない。

進化論の登場以降、ナチスに限らず、人種や民族に優劣をつける風潮はヨーロッパや日本において普通に見られた現象である。これは、当時著された書物を読めばすぐにでもわかることである。

白人の波状毛は、黄色人種の直毛よりも進化の進んだ形質であるなどという議論が頻繁に登場したものである。

実はダーウィンの進化論が登場する前に、進化論への道備えとなる思潮がすでに存在していた。

ヘーゲルの弁証法的発展史観がそれである。

しかし、このような発展史観は神話的・思弁的であるとし、客観性を求める立場が現れ、実証主義に立つ発展史観が登場した。ダーウィン進化論はそのような立場の一つであったと言われている。

共産主義も、実はこのような、思弁的発展史観に対する実証主義的アンチテーゼとして生まれたのである。

したがって、ダーウィンもマルクスも自らの立場を「科学的」「実証的」と称し、宗教くさいヘーゲル哲学から脱却しようと模索し、そしてそれを乗り越えたと主張した。

さて、歴史をもっぱら陰謀だけによって進むと考え、思想的動因を無視するのは、きわめてイビツであり、本質を見失った見方である。

共産主義が、もっぱら資本家や王族の財産を奪取するためだけに行われたということはできない。

もちろん、そのような要素は多分にある。陰謀もあった。

しかし、歴史の変化の中心には思想の変化がある。

思想の面において本気になって取り組む人がいなければあのような大規模な運動が起こるはずもない。

人間を本気にさせるのは使命感であり、ただ「略取」の願望におびき出されるだけならば、社会主義革命など起こるはずもない。

そういう意味において、ロシア革命家たちが進化論的イデオロギーを真剣に信じており、その思想に沿うように活動したということは容易に推察できるのである。ソ連のスパイ・ゾルゲを見よ。