みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#10 救いの達成:Be Holy as I Am Holy, NO.4

2023年07月31日 | 救いの達成

Be Holy as I Am Holy: Fear and Trembling with R.C. Sproul

11分36秒から16分01秒まで。

◇◇

それが主の言いたかったことではないかと思います。

しかしながら、真のクリスチャンであることを立証するために、律法学者とパリサイ人の規範をはるかに超える聖のレベルを明示せよということがイエスの意図であるなら、私たちは戸惑ってしまいます。

恐れおののいて、聖なる領域に近づこうとしていないからです。

聖に関する当初の議論において、イザヤの体験を見ました。

高きにおられる神を見た時、イザヤは上げられ、セラフィムが聖三祝文(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな)を歌う光景を目撃しました。

イザヤ6:1~3
ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、 
セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、 
互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」 

ここを読んだ時に、一度立ち止まったことを覚えているだろうか。

イザヤは自分に呪いが降りかかったと宣言しました。

「何と言うことか。私はもうだめだ」

もうだめだ、終わった。

神の聖の光景を目の当たりにした時のイザヤの経験は、「崩壊」という心理的プロセスの状態でした。

誰かがこう言うのを聞いたことがありませんか。

「しっかりしてくれよ。落ち着いてくれ。大丈夫か。」

しっかりするために、落ち着くために、人生は、あらゆる場面で、首尾一貫互いに結び合わされているのです。

つまり、人生はあらゆる面で互いに調和しています。

何かが崩壊すると、ばらばらとなる。

それが、「何と言うことか。私はもうだめだ」と叫んだ時にイザヤに起こったことなのです。

私の中のつなぎ目がばらばらになってしまった。

神を見るまでは平安だった。

自分は良い人間だと思っていたし、他の人もみな私の公正さをほめてくれた。

事実、エルサレムでは皆が私を美徳の手本とみなしてくれていた。

しかし、真の聖を目の当たりにした時、衝撃を受けた。

私を破滅へと追いやった。

その後の展開はどうなったか。

神は何と仰せられたか。

「私の前に留まれ、イザヤ。そこがあなたの居るべき場所。あなたは正しい。あなたの口は汚れている。あなたは唇の汚れた民の中に住んでいる。汚れの中でころげ回れ。私はそこにいるあなたを打つ。」

しかし、それは起きなかった。

では、何が起きたのか。

「祭壇から火鉢で取り出した燃えた炭を手に持って、セラフィムのひとりが私の所に飛んできた。そして、その炭で私の口に触れた。」

神の御前で恐れおののいているイザヤがいた。

降りかかった呪いの下で、イザヤが泣き叫んでいた時、神は天使のひとりを彼の下に送った。

燃える火鉢を手に持ち、熱い炭で溢れていたの祭壇の下にいたセラフィムの中のひとり。

その炭はあまりに熱くて、天使でさえ触れることができなかった。

そのため、セラフィムは火鉢を取り、燃える炭を掴んで、イザヤの下へと飛んで行った。

その炭でイザヤの口に触れた。

その焼ける音が聞こえるはずだ。

人の体で最も敏感な部分である唇に、燃える炭。

誰かに口づけをする時に唇を使う理由は、唇が意志疎通のための強力な感覚であるからです。

裏庭のバーベキュー所から取り出した燃える炭を口の回りに押しあてることを想像してみて下さい。

 

 

 


#9 救いの達成:Be Holy as I Am Holy, NO.3

2023年07月27日 | 創世記

Be Holy as I Am Holy: Fear and Trembling with R.C. Sproul

7分21秒から11分36秒まで。

◇◇

お分かりと思うが、恐れおののいて、私はゴルフを練習してきました。

それは救いのためではありませんでした。

私たちは、「義なんて大した問題ではない」と考えがちであります。

イエスは弟子たちに次のように言いました。

「あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさるものでなければ、あなたがたは神の国に入ることはできない。」

これを読んで、こう言うかもしれない。

「イエスを殺したのは、彼ら律法学者とパリサイ人だ。彼らはまさに偽善者。義において、私たちが律法学者パリサイ人にまさるのは大変なことではない」と。

しかし、覚えているだろうか。

パリサイ人は、神の法を遵守するのを生業としていました。

そして、イエスは彼らについて何と言っていたでしょうか。

「聖書によりあなたがたは永遠の命を得ることができると思って、あなたがたは聖書を調べている。」

しかし、彼らは偽善者。

偽善者でありながら、彼らは聖書を調べていました。

神のことばの研究において、彼らは大変勤勉でした。

イエスは次のように言います。

「忌まわしいものよ、律法学者とパリサイ人。偽善者たち。10一献金はするが、より重要な律法事項、義と慈悲を無視する者たち。」

近年の世論調査で、アメリカの福音派クリスチャンと考えられる人たち、すなわち神の霊によって生まれた人たちの中の4%は10一献金をしたということが示されています。

すなわち、96%のクリスチャンは、組織的かつ定期的に神のものを盗んでいるのです。

パリサイ人は神のものを盗もうとは考えてはいませんでした。

彼らは10一献金をすることに関しては大変厳正でした。

彼らから起きた結果などから(実態を)知ることができます。

有り余る中の一部が増えた場合に、神の業に対して彼らは10分の一を献げたのでしょう。

通りで1円玉を見つけて、それをポケットに入れたことも覚えていません。

しかしながら、次の日曜日に集金袋にその拾った1円玉を入れるのではないでしょうか。

パリサイ人の几帳面さとはそういうことだったのです。

さて、他の場面で、イエスは次のように言いました。

「律法学者とパリサイ人、お前たち偽善者よ。人を改宗させるために至るところを駆け回り、その者が改宗するや自分よりも2倍ひどい地獄の子としている。」

宣教についての彼らの熱心さ、また、福音についての熱心さはどうなのか。

人を改宗させるために海や山を飛び回わるとあります。

ロサンゼルスから私宛に手紙を書いた人がいます。

ロサンゼルスに来て、私に説教をして欲しいと言うのです。

最初に私が抱いた疑問は「希望者はどれくらいいるのか」ということでした。

というのも、たった一人のために、数千マイルも離れたところに旅して説教しようとは思わなかったからでした。

しかし、パリサイ人はそれを実行したのです。

偽善とその祈りゆえに、イエスは彼らを強く非難しました。

しかし、祈りのある生き方において、彼らは大変几帳面でした。

彼らは毎日聖書を読み、毎日祈り、自分の所持金の少なくとも10パーセントを神の御業のために献金したのです。

彼らは教会生活に身を委ね、福音に身を委ね、伝道活動に身を委ねました。

しかし、イエスは言います、「あなたの義が彼らの義に勝らなければ、あなたは決して神の国を見ることはない」と。

恐らく主が意図したことというのは、「私の義を持ちなさい」ということ。

救いの根拠としてのイエスの義、つまりイエスの義は律法学者とパリサイ人の義に勝るのです。

 

 


#8 救いの達成:Be Holy as I Am Holy, NO.2

2023年07月24日 | 救いの達成

Be Holy as I Am Holy: Fear and Trembling with R.C. Sproul

4分06秒から7分21秒まで

◇◇

聖となるための、すなわち聖別されるための過程は、聖書に書かれてある通りであります。

使徒パウロは、ピリピの人たちに何と書き送ったでしょうか。

「あなたの救いを達成せよ」であります。

自分の救いのために努力せよと言ったのではない。

自分の業によって救われるということではないのです。

私たちはキリストの御業によって救われたのです。

キリストの信仰を得た瞬間、神は私たちのアカウントにご自身の義を移され、私たちを聖とみなすのです。

私たちを受け入れ贖われた後に、神は私たちに努力するよう命じるのです。

聖化という作業はどのように開始すべきなのか。

どのようにして「あなたの救いを達成」するのでしょうか。

「恐れおののいて」であります。

これが神の要求です。

恐れおののいて自身の救いを達成せよ。

一体これは何を示唆しているのでしょうか。

これまであなたは恐れおののいて、つまり神経を高ぶらせつつ打ち震えながら。何かを始めたことはあるでしょうか。

何故いらいらして打ち震えるのか。

何故なら、その特殊任務は極めて重要であり、その任務を是が非でも完了したいと願うからであります。

誰かを満足させるため、あなたの友を満足させるため、あなたの両親を満足されるため、あなたの先生を満足させるため、あなたのコーチを満足させるために。

つまり、その任務を大変重要と考えているのです。

やや気取った言い方をすると、私たちは聖であること、義であることに関心があるということなのでしょう。

私たちクリスチャンはあまり発奮することなく、クリスチャンライフを営み、のんびりと冷静かつあまり張り切らずに、救いを達成しようとしています。

しかし、御顔を探し求めることと御国を探し求めることを人生の主な仕事とするために、神は私たちを召し出したのです。

私はゴルフが大好きです。

背中を痛める前まで、長年ゴルフを楽しんでいました。

各ラウンドを回るごとに、各ショット毎に、ノートに記録していました。

ラウンドの終わりにそれらの記録を評価し、どこがうまくいっていて、どこが改善の余地があるかを検討したものです。

そうして、あるパターンを見出したりしたものです。

また、よりよいスコアを得るための方法を発見したことがあります。

レッスンもくり返し受けました。

ある程度のレベルまで上達するために懸命に努力しました。

夜ベッドに入った後、一定のゴルフ技術の達成後に、「嗚呼、もしこのようなエネルギーや執着を救いのために用いるのなら、一体どうなるのだろうか」と自問したことが度々ありました。

 

 

 


#7 救いの達成:Be Holy as I Am Holy, NO.1

2023年07月16日 | 救いの達成

Be Holy as I Am Holy: Fear and Trembling with R.C. Sproul

R.C. Sproul師のメッセージに移ろう。

◇◇

リゴニエ市で5分間のラジオ番組を持ったことがあります。

番組のタイトルㇽは、「R.C.に聞こう」というもの。

番組のリスナーは、神学上の疑問を郵送、または電話で問い合わせることになっていました。

そして、私がラジオで答えるという企画です。

実際、私の答えが「分かりません」でも、リスナーが送ってきたすべての質問に答えることになっていました。

何かを話していたわけです。

私たちは、視聴者の送ってきた質問に注意を向けていました。

私たちが受け取った質問の中で最も頻度の高かったものは、次のような質問でした。

「どうしたら神の御心を知ることができるのか。」

この質問に対して、私は次のような常識的な返答をしておりました。

「あなたが肉屋や燭台職人でよいのかどうかを聞かれても、私には答えられない。私は神の心を読むことはできない。唯一言えることは、聖書に書いてあることをすべきであるということ。それによって自分の才能や能力を冷静に判断することができ、この世においてあなたがどのように神に用いられるのかを知ることができ、自分の天職を見出すことができるからです。」

「ジャネット、スーザン、あるいはエリーメイと結婚してもよいか」などと聞かれても、私はそのことについての神の御心を知ることはできません。

しかしながら、神の御心を本当に知りたいのであれば、最も重要なことは聖書に何と書いてあるかに耳を傾けることです。

聖書には、「これはあなたにとって神の御心であり、あなた自身の聖でもある」と書いてあります。

これはどういう意味でしょうか。

その意味とはこうです。

主イエスが「最初に神の国とその義を求めるならば、他のこれらのものは皆あなたに加えられるであろう」と言ったのは、神による召命によってあなたが聖となるためです。

それはどういうことでしょうか。

聖化という考え方は、このシリーズで私たちが言及していることばと同じであります。

聖化とは「聖とされる」ということです。

クリスチャンライフの開始から始まる一連の過程のことを聖化と言います。

クリスチャンになると、あなたは直ちに聖となるのではありません。

私たちクリスチャンが抱く難題のひとつは、クリスチャンになってもいまだに罪を犯すということであります。

しかし、私たちの生き様は変わるはずです。

キリストのイメージへの同化(conformity、一致)に向かって、私たちは成長し、前進していくのです。

その過程、ないしはその進展過程を聖化と言うのです。

ご自分の民をご自身のもとへと召し出した時に、神が民に告げたことは何だったでしょうか。

「あなたは聖でなければならない、私が聖であるように。」

新約聖書におけるクリスチャンは聖者と呼ばれました。

英語で聖者と訳されたことばは、文字通り「聖なる人」という意味であります。

コリント人やガラテア人宛ての手紙を読んでみると、「コリントにある聖徒たちへ」とパウロは書いています。

「聖なる人たち」と彼らを呼びつつ、パウロは彼らの不従順や罪の深さをたしなめます。

「あなたがた聖徒たち、罪を犯すのを止めなさい。」

彼らがいまだに聖化の過程にあることを、パウロは心得ていました。

 

 

 


#6 救いの達成:Spiritual War, NO.6

2023年07月09日 | 救いの達成

The Spiritual War of the Christian - Sanctification | Paul Washer, John MacArthur, Steven Lawson

◇◇

以下にあるように、われわれクリスチャンがこの世に生かされている主な理由は、伝道活動に勤しむことではない。タイトルにあるとおり、神との共同作業において、己れの救いの達成のために懸命に努力すること。そのことを分かりやすく説いてくれている。

22分17秒から。


(Paul Washer)
知っていると思うが、聖化とは神との共同作業。

神によってなされ、それに私たちが応答すること。

私たちの内で善い業を始められたお方が、それを完了して下さるという数多くの約束がある。

つまり、私たちが自分で決勝ゴールを決めるのではないということ。

事実、天における栄光化に到達するまで、誰一人としてゴールラインを超えることはできない。

人生のすべての日々において、神はその人の中で働き続けると聖書には書いてある。

その人が真の(新生された)クリスチャンであるなら、神は必ず聖とされる。

さらにさらにキリストの似姿へと彼を導いて下さるでしょう。

コロサイ3:6
このようなことのために、神の怒りが下るのです。 

これこれのこと不品行故に、神の怒りが不従順の子らに下る。

この手の罪、つまり性的罪は不従順の子らの特徴であり、ご自身が義とされるために、神は怒りをもって彼らに立ち向かう。

黙示録21:7,8
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 
しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。 

多くのクリスチャンは、信仰を持つ前、性的不道徳に束縛されていた。

しかし、改心するや、その束縛は破られ、それ故、自由が達成される。

直ちに拘束から解放された人々もいたが、神の御力から離れた人たちもいる。

性的不道徳から解放された人々は新しい性質を与えられたが、以降肉が持つ生得の悪癖と格闘することとなる。

しかし、彼らは必ず打ち勝つ。

年をとるにつれてますます信じるようになったことがある。

この地上において、宣教において偉大な功績を余りなく残すことはできないのではないかということ。

にもかかわらず、私がこの地上にいる理由は、自分自身の(古い)性質を打ち負かすためなのだと思う。

私がここに存在している理由は、イエスキリストと同質化しない性質を打ち壊すためだと思っている。

そして、これらの(古い)性質を打ち壊すことは基本中の基本であると信じている。

私たちはうわべや外面を気にする。

これをしなくては、あれをしなくては、助けが必要、これを直さなければ、この手のことをしなければといつも気を揉んでいる。

心の中で絶えず、医者が自分のどこかを治してくれていると思っている。

人生において、私たちを取り囲んでいる数々の罪を経験することになる。

ピネハスが敵を攻撃し火あぶりにしたように、私たちもそれらの罪を攻撃することになる。

あなたは聖なる人であり、いろんなことに悩んではいないと信じています。

たとえ岩のように口のきけない人であろうとも、神はあなたを用いて下さるでしょう。

あなたが聖なる男であり婦人であるなら、神はあなたを必ずや用いて下さるでしょう。

 

 


#5 救いの達成:Spiritual War, NO.5

2023年07月06日 | 救いの達成

The Spiritual War of the Christian - Sanctification | Paul Washer, John MacArthur, Steven Lawson


20分12秒から。

(John MacArthur)
神は私たちをキリストにあって新創造とした。

あなたは変えられ、新創造となった。

あなたはかつてのあなたではない。

いまやあなたは義であり、義と宣言されるだけでなく、再創造されて義となった。

再創造されてますます神のようになった。

新生前の古い体において再創造されて神の似姿となった。

しかし、いまや再創造されて、霊の部分において神の似姿となった。

そして、あなたは聖者と呼ばれ、聖であると宣言される。

あなたは変えられた。

ローマ書6章にあるように、あなたはかつて罪の奴隷だった。

しかし、いまや義の奴隷である。

罪の奴隷であることにより、ますまず罪を顕現していく。

ローマ書6章にあるように、義の奴隷として、さらに義を発現していく。

これはコロサイ3章に書いてある内容そのもの。

神が私たちの内に構築して下さったことに基いて、外の世界を生き抜くように命ぜられている。

私たちは新たなる創造。

その新しきと一致する生き方をする必要がある。

私はイエスを信じる、信頼していると言うことが今日流行化している。

同性愛者であり政治家である人が、イエスは私の救い主と言うかもしれない。

至るところでそのような場面に遭遇する可能性がある。

イエスは私の救い主と言っているその人は牧師かもしれない。

その人が何度も不貞を犯していることを知りはするが、その人のためにそれを神の恵みであり慈悲であると記載する。

今日多くの人たちはこのような生き方をしている。

キリストを信ずると言えばクリスチャンとして認められる。

真のクリスチャンとは変容を遂げた人であり、義とされ、その義を明らかにし、その義を継続的に明らかにするように命ぜられた人。

真のクリスチャンは愛があり、さらにその愛が膨らんでいく。

真のクリスチャンは徳があり、さらにその徳が膨らんでいく。

 

 


#4 救いの達成:Spiritual War, NO.4

2023年07月02日 | 救いの達成

The Spiritual War of the Christian - Sanctification | Paul Washer, John MacArthur, Steven Lawson

17分12秒から。

(Paul Washer)
習慣的に性的不品行を行なう人々は神の国を相続できない。

このことを十分理解しておく必要がある。

聖書には確かにそのように書いてあり、そのうちの数か所を読んでいきます。

この罪と格闘し、ついにはそれを打ち負かしてしまうような天才クリスチャンについて話そうとしているのではない。

そうではなく、この領域において悔い改めようとはしない、全く進歩がない、改善の見られない人々について話そうとしているのです。

そのような人は、この罪に拘束され続け、結局断念してしまう。

第一コリント6章9節にこう書いてあります。

第1コリント6:9、10
Know ye not that the unrighteous shall not inherit the kingdom of God? Be not deceived: neither fornicators, nor idolaters, nor adulterers, nor effeminate, nor abusers of themselves with mankind,
nor thieves, nor covetous, nor drunkards, nor revilers, nor extortioners, shall inherit the kingdom of God.
(KJV)

彼らがそのような人々であると言われる所以は、彼らが習慣的にそのようなことを行なっているからなのです。

ガラテア5:21
Envyings, murders, drunkenness, revellings, and such like: of the which I tell you before, as I have also told you in time past, that they which do such things shall not inherit the kingdom of God.
(KJV)

彼らもまた神の国を相続することはできない。

今日の教会に多くの悔い改めのない人々がいるという事実を指摘しておきたい。

教会に多くの好色があるということも指摘しておく。

神は美に敵対することはない。

清廉に敵対することもない。

作法や生活様式、服装や話し方、神ととともに歩むその歩み方の度合いに応じて、神は敵対することはない。

しかし、好色を神は憎む。

女性だけでなく男性についても言えるのだが、美しさと好色との間に混乱があるように思う。

好色には限度というものがある。

私たちは美しい人であるべきだが、それは必要な要素ではない。

巡回伝道師が教会に入るために祈られなければならないというのはおぞましいこと。

エペソ5:5,6
あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者・・これが偶像礼拝者です。・・こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。 
むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。 

パウロはくり返し警告する。

確かにその通りであり、騙されてはいけない。

不道徳な者や不純な者は偶像礼拝者であり、キリストと神の国を相続できない。

虚しいことばに騙されてはならない。