みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#487 神の法第四戒

2020年01月29日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p147~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

この律法は、命の条件に対して正当な敬意を払うことによって命を保護することを教えている。

そのほかにも多くの意味を含んでいる。

無割礼という言葉が入念かつ強調的に使用されている。

この言葉は「土地が人間の罪のために実際に呪われていること、そして、神を離れては、人間のすべての仕事は不毛で、無割礼の状態にある」ということを意味している。

無割礼の果物に関するピークの説明は、不信仰がいかに愚かであるかの実例。

この主題は、おそらく、最初の3年間それはタブーであり、放置しておかねばならないということ。

もともとは、畑の精のために取り分けておかれていたのかもしれない。

動物の初子も生まれて3歳になるまで利用されなかったことに注意すべき。

アラブ人は、土地に最初の鍬を入れる際に、精霊をなだめるために血を捧げる。

この見当外れな解釈は、モダニストたちに大いに珍重された。

ナタニエル・ミックレムは30年後、レビ記19章23~25節に関する自分の注解書の中でこの文を引用し、不朽の名文として残した。

ボウナーは、ピークからもミックレムからも注解者として認められなかったが、神の律法をまじめに受け取り、次のように述べた。

この戒めは、「パラダイスにおける禁断の木の実」の記念ではなかったか?

すべての果実は、彼らを試すために、3年間放置しなければならなかった。

異国人たちはみな、イスラエルの果樹園とブドウ畑において、イスラエル人がいかに彼らの至高の主に対して忠実であるかの証、つまり、主の証を見た。

土壌保全と樹木の豊穣維持は、この無割礼の事実の重要な基礎。

土地は主のものであり、それは、神の命令と法のもとで使用されなければならない。

安息日は、単に不活動になりさえすればよいという日でも、また、雌鳥が安息日に産んだ卵を食べないことで神に自己推薦するための日でもない。

コメント:

呪縛から解放されつつある。 

天に青空が広がり、実に清々しい気分。

参考文献:死後クリスチャンにはからだが与えられるか





#486 神の法第四戒

2020年01月28日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p146~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

安息日と仕事の関係は、万物を神との関係の中に入れ、神への献身の中に組み込むこと。

何物も神と無関係になることはできないし、また、無関係であると考えることもできない。

契約の人だけではなく、彼のすべての仕事もある意味で割礼または洗礼を受けて御国に入るべき。

初物を捧げる習慣は、このことを表していた。

しかし、他の律法はこの点をさらに明らかにしている。

レビ記19:23~25
あなたがたが、かの地にはいって、どんな果樹でも植えるとき、その実はまだ割礼のないものとみなさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとって割礼のないものとなる。食べてはならない。四年目にはその実はすべて聖となり、主への賛美のささげ物となる。五年目には、あなたがたはその実を食べることができる。それはあなたがたの収穫を増すためである。わたしはあなたがたの神、主である。

この律法は明らかに、土壌保全・樹木の多産・すべての被造物の生命に対する敬意というテーマで以前論じた際に取り上げた律法と関係している。

ギンスバーグはこの面についてすばらしい解説を行った。

食用ではない実を結び、ひとりでに育ち、垣や材木として植樹される木は、この律法の対象に含まれなかった。

その実は無割礼のものと見なさなければならない。

文字通り訳せば、無割礼、つまり、その実を割礼しなければならないとなる。

すなわち、テキストそのものが「その実」であると説明している無割礼を切り離せ、ということ。

割礼の暗喩的な利用法がテキストそのものによって説明されている。

テキストの中において、その実は資格のない、不適切なものとして描かれている。

レビ記26:41において、神の訓戒に耳を傾けるまでに成長していない頑固な心に対して同じ暗喩が使用されている。

聖書の他の個所では、その本来の役割を果たさない唇(出エジプト記6:12、30)と耳(エレミヤ6:10)に関連して使用されている。

最初の3年間、実は刈り取ってはならず、地面の上で自然に腐らせておかなければならなかった。

第4年目に、その値に5分の1を上乗せした値を払うことによって、主から贖われた実(この実は神のものだったので)を食べることができた。

5年目になってやっと実を収穫することができた。

その後5年間、もしくは、次の安息年まで同じように収穫が可能であった。

コメント:

ディスペンセーション主義によって導き出される誤謬;

#1.紀元70年に経綸が変わったという理解に乏しいので、パレスチナ及びアブラハムへの約束の地であるナイル河からユーフラテス河までの土地を武力と計略で奪還しようとする今のイスラエルを非難しない。

#2.旧約聖書がすべてキリストによって成就したという理解もないので、旧約の預言で現代の政治状況を解説する。

#3.初臨のキリストにやり残したことがあったと考えるので、再臨のキリストにその成就をゆだねる。

等々。


#485 神の法第四戒

2020年01月26日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p146~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

「回復」は安息日の概念の基本的事実。

しかし、明らかに回復には「仕事」が含まれている。

オーラーは次のように指摘する。

倫理面で重要なひとつのポイントに注意すべきである。 

安息日の重要性は、それが6日間の労働日の後にやってくる第7の日だという点にある。

したがって、安息日の休息の基礎は、もっぱら『それに先立つ職業的労働』にある。

安息日は、神と人の契約のしるしであり、神の恵みを告げ、「神の御業は人を救うことができる」と宣言する。

ゆえに、人は休むことができる。

「我々の働きは主にあって無駄にはならないということを知っている」(第1コリント15:58)からだ。

第4の重要なポイント。

それは、「あなたは6日間仕事をしなければならない」、つまり、6日間を仕事のために取り分けておかなければならないということ。

このように、仕事に関しては積極的な戒めがある。

創造命令において、神は人間に対して「生めよ、増えよ、地を満たせ、地を従えよ。海の魚、空の鳥、すべて生けるもの、地を這うものを治めよ。」と宣言された(創世記1:28、バークレイ訳)。

これはまだ人間が堕落する前の宣言。

増え広がること、労働、支配の任務は、堕落前に確立された。

この任務は、堕落後も続いたが、大きな障害があった。

再生の恵みなしでは、人間は神の法を守ることができず、自分の任務を果たすことができないということ。

贖われた人の仕事は、地上にパラダイスを造り出そうとすることではなく、御国の中において、神の要求を満たすこと。

贖われた人は、神の国の市民であり、その法を守る。

これは、彼の仕事であり、義務であり、支配への道。

安息日の事実は、仕事の事実を前提としている。

コメント:

やはり本論からは外れるが、大切な内容なので追加記事を紹介しておきたい。

敵の洗脳から徹底的に解放されるために、くり返し読み込んで欲しい。聖書を手元に置きつつ、邪念を捨てて自分の頭で考えること。

#1.新約時代の経綸に基づくルカ21章24節の解釈

#2.新約時代の経綸に基づくルカ21章24節の解釈2

#3.新約時代の経綸に基づくルカ21章24節の解釈3




#484 神の法第四戒

2020年01月23日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p146~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

オーラーによれば、仕事と目標、努力と結果、これらは安息日の理念の土台を形作る2つの概念。

安息日は、労働に意義と目的を与え、生活に目標を与え、労働を喜びに満ちた完成に導く。

安息日は、後ろを振り返りつつ、その雛型と信仰の源を創造の安息のうちに求める。

加えて、上を見上げて神の恵みと勝利を確信し、前を向いて偉大なる安息の完成を予見する。

しかし、人類の歴史の中に入った罪と死の支配を考慮に入れない限り、安息日の理念の意味を十分に理解することはできない。

創世記5:29
彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」 

地が神に呪われ、裁きを受けた人がその滅ぶべき体を用いて、額に汗して働かねばならなくなってはじめて、神の休息を求める気持ちは、贖いへの憧れという形態を取るようになる。

イスラエルも、エジプト人による迫害のもとで、休みなしに働かされることを通じて、休息をあえぎ求めるようになった。

神が彼らを奴隷の地から救い出し、彼らに定期的な休みを与えた時に、この命令は、同時に彼らが経験した救いを、感謝をもって厳粛に記念する儀式になった。

そのため、二回目に与えられた十戒(申命記5:15)において、「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられた。」と言われる。

この聖句は、よく誤解されるが、単に、第7日目にしもべの休息を邪魔してはならないという特殊な義務の遂行を励ましているわけではない。

また、他方、これもよく誤解されてきたことだが、この聖句の中には、安息日を聖別するための理由としてふさわしい、客観的な教えが含まれているわけでもない。

逆に、すでに述べたように、安息日の聖別は、最初に与えられた十戒(出エジプト記20:11)の中に記されている。

この聖句は、安息日の遵守にあてはめられている。

とくに、きわめて主観的な煽動に基づいて律法全体の成就へと向かわせるあの考察にあてはめられている。

上記のローマ人の著者たちによれば、エジプトのくびきから救われた時の記憶がどれだけ密接にこの安息日の制度と結びついているかは、安息日の祝いの理由に関して異教徒たちに知られていたことから明らかである。

コメント:

本論からは外れるが、敵の霊に騙され続けないために、富井師の過去記事から2つ紹介しておく。

毎日必死に祈ろう

異教やニューエイジの称名は神の御名の称名の真似である

悪魔に騙されないためには何をすべきか。

1.聖書を最終判断基準として採用する→ディスペンセーション主義やニューエイジなどの異端からの解放

2.自分の頭で考える→人間教や進化論的思考パターンからの解放

3.研究史を調べ、今までにわかっていることを把握する→歴史に対する偏狭な知識からの解放

4.先人に対して敬意を持つこと→歪曲化された聖書理解からの解放



#483 神の法第四戒

2020年01月20日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p145~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

ギュスタフ・オーラーは、安息日の理念を分析するうちに次のことに気づいた。

人間は、神のように働き、休まなければならない。

人間の生活は、神の生活の写し。

神の民にとって労働とは、地上に神の秩序を再建するための手段。

神の労働は、幸いな安息をもって終わる。

創造者がその御業について満足するまで、被造物は完成しない。

同じように、人間の労働も、いつまでたっても結果の出ない循環の中で続くようなものではない。

存在の幸いな調和の中で終了すべき。

ヨベルの年は、安息制度のこの面を一部実現する。

人間の歴史の全過程は、際限もなく続く退屈さの連続ではない。

その目標は栄光の勝利にある。

そのため、われわれも、歴史は調和に満ちた神の秩序が実現する時に完成する、と考えなければならない。

神の秩序は、創造の安息によって保障されており、安息の季節において予見されている。

創造の安息は、その前の6日間とは異なり、夕方で終わらない。

創造の第7日目に訪れた神の休息は、夕方で終わらず、進展する世界歴史の上空を舞っている。

最後にはそれを自らのうちに取り込むこと。

コメント:

創造6日目までにおける締めくくりは、いずれも「夕があり、朝があった」

しかし、創造7日目には、「夕があり、朝があった」と記されてはいない。

この点に注目し、ギュスタフ・オーラーは、「神の休息は、夕方で終わらず、うごめく世界の上を漂っている」と表現したのだろう。

神の安息が、うごめく世界のすべてを吸収してしまうことができるように。




#482 神の法第四戒

2020年01月19日 | 神の法
第4戒
安息日と命
 
p144~
The Sabbath and Life
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

赦しは、安息日の基本的な側面。

罪を赦す神の恵みは、人間の安息の契約でもある。

この契約は、罪と罪責の重荷からの解放と休息を意味する。

主の祈りは、大安息日を期待する。

「御国が来ますように」は、ヨベルの年の解放を期待する。

我々が負債者を赦免したように、我々の負債(debt)をも赦してくださるように。

我々も我々の負債者を赦しました。

神に対して我々が負っている負債は到底支払うことができないほど大きいもの。

唯一の道は、キリストゆえに、神が恵みによって値なく我々の罪を赦してくださること。

安息日は、休息・赦し・負債の帳消し・疲労回復を意味する。

つまり、生活のリフレッシュメント。

不信者は生まれながらの奴隷なので、負債から解放されていない。

申命記15:1~6(バークレイ訳)
七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人や兄弟に貸したものを免除する。いっさい取り立てを行ってはならない。主が免除を布告しておられるからである。外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。ただ、あなたは、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令を守り行なわなければならない。あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。

神の御心は、貧困と負債のない社会の建設にあり、これを実現する唯一の方法は、神の法を守ること。

安息日の律法の効果は、キリスト教国において顕著に現れている。

現代の制限法と破産法は、古代の安息日の救済法の目的を満たしている。

前者は、ある年数を経過した後の負債の取り立てを禁止し、後者は、負債者が負債の支払いのために自分の財産を売り払うことを可能にする。

現代の法律は、徹底して世俗的であり、その意図は冒涜的。

聖書の安息日による救済法に由来しているにもかかわらず、霊的にまったく無関係。

安息日の救いは、命を与えてくれる。

しかし、神から遠く離れている人間にとっては、安息日もその救いも、その真の意味を失った。



#481 神の法第四戒

2020年01月18日 | 神の法
第4戒
安息日と命
 
p144~
The Sabbath and Life
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

安息日の意味を限定し、礼拝や不活動をもって安息日を守っていると考える教会員は、その本当の意味をわきまえていない。

安息日に雌鳥が卵を産んだ場合、その卵を食べることは合法かどうかに関して議論するパリサイ人がいた。

彼らは救いに関して、神に頼ることはなかった。

彼らは不活動を強調する。

これは本質において人間の業であり、自分には律法を守る力があると誇り高ぶることに他ならない。

このパリサイ主義は、今日のいくつかの教会に明らかに存在する。

安息日は、主に救いを求める人にとって命となる。

安息日を守ることによって、神は、創造世界全体において偉大なる再創造者としてお働きになることができる。

安息日は、単なる外面的な遵守のためにあるのではない。

また、人間の業や国家の業を人間の休息と救いの源として信頼するヒューマニズム信仰とは全く関係がない。



#480 神の法第四戒

2020年01月17日 | 神の法
第4戒
安息日と命
 
p143~
The Sabbath and Life
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

人間は、土を疲弊させ、食物を汚染し、空気や水を汚すことによって、自分自身に死刑宣告を下している。

科学が何か新しい装置を作り出し、そのような問題に対処してくれるから大丈夫だという自惚れが問題を悪化させている。

安息日の本質は、回復の御業、神の新創造にある。

安息日の目標は、神による第2の創造の安息。

人間は自ら休み、土地や動物を休ませることによって、神の回復の御業が働くようにする。

被造物に再び活力が戻るように配慮しなければならない。

すべての安息日の休息は、万物の新創造・再生・回復を指し示している。

神の回復の御業は土台から始まる。

それゆえ、神の安息制度は土にも適用されなければならない。

安息制度を単なる人道主義に貶めることができないのと同様に、単なる土壌保全に限定することもできない。

それは、主への安息。

神ご自身の宣言によれば、それは契約のしるし。

エゼキエル20:10~13
こうして、わたしはエジプトの地から彼らを連れ出し、荒野に導き入れ、わたしのおきてを彼らに与え、それを実行すれば生きることのできるそのわたしの定めを彼らに教えた。わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えてわたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖別する主であることを彼らが知るようにした。それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行なえば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。

安息日は、神と人間との本質的な命を与える契約を証言する。

その命の源は、神であって、法や安息日自体ではない。

捕囚後のイスラエルは、安息日を厳格に守り、それを、人間・土地・動物に適用した。

しかし、その形式は、命を与えなかった。

彼らは、自分の行いと血筋(アブラハムの子孫であるということ)に頼ることによって、安息日を否定し、盲目の中で死んだ。

安息日を守っても、それによって救われることはなかった。

安息日の主を否定し、十字架につけて殺したからだ。



#479 神の法第四戒

2020年01月16日 | 神の法
第4戒
安息日と命
 
p142~
The Sabbath and Life
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

土地の再生は、安息制度の重要な側面。

万物の再生は安息制度の基本であり、土地はこの再生にとって中心的な要素。

土地に関する安息日の条件を無視する人々には、裁きと死が降りかかる。

歴史において、死の刑罰は作用しており、土地を破壊し、資源を濫用する民族に訪れる運命は死。

土地に関して安息制度を軽視することがこれほど深刻な事態を招くとすれば、人間と動物に対して同じようにすることも同様な事態を招くのではないか。

現代の養鶏法では、鶏の成長を促進するために、鳥小屋では電灯は一日中つけっぱなしにされ、化学的に強化された餌が与えられている。

卵を多く産ませるために様々な方法が取られている。

このような環境で育てられた雌鶏は、羽毛が抜けた後は、まったく利益を生まない状態になる。

畜牛においても、同じような短命の問題がある。

驚くなかれ、そのような動物から得られた製品には、かつてのような栄養価はない。

人間の場合、ストレスが続くと死に至ると言われている。

休息を得られず、真の安息が不足し、信仰が欠如していると、最後には死に至るストレスに満ちた生活を送ることになる。

近年、ノンクリスチャンの観点からではあるが、ストレスに関する大規模な研究がセリエ博士によって実施された。

人には休息が必要。

生きるために安息が必要なのも真。

信仰がなければ、本当の休息は得られない。

他の人々や土、動物にも休息を与えることはできない。

異教社会が実用主義的な観点から、すばらしい土壌開発を行う例を耳にする。

しかし、実用主義的な目的から行われるために、動物に関する配慮を欠いている。

異教文化が大規模な破壊を免れてきたとしたら、それはしばしば、文化の規模そのものが小さいからに過ぎない。



#478 神の法第四戒

2020年01月15日 | 神の法
第4戒
安息日と命
 
p142~
The Sabbath and Life
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

ユダが捕囚に遭ったのは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためだった。

この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た(2歴代誌36:21)。

エレミヤの預言は、エレミヤ書25章9~12節であり、ダニエル9章2節において想起されている。

捕囚は安息日違反に関する法の預言の成就であった。

レビ記26:34~35
地が荒れ果てている間中、地は、あなたがたがそこの住まいに住んでいたとき、安息の年に休まなかったその休みを取る。その地は彼らが去って荒れ果てている間、安息の年を取り返すために彼らによって捨てられなければならず、彼らは自分たちの咎の償いをしなければならない。実に彼らがわたしの定めを退け、彼らがわたしのおきてを忌みきらったからである。

この70年の安息は、土地とイスラエルに対する神のあわれみであった。

キリストの十字架後、そのようなあわれみがその土地の上に注がれることはなかった。

その歴史は、土と人間の着実な衰退と低下の現れだった。

その土地とそこに住む人々は、神の呪いの厳しさを象徴している。

捕囚と十字架の間の時代に、イスラエルは律法にしたがって土地に安息を与えた。

しかし、他の点では神をさげすみ、ついに御子を十字架につけて殺した。

そのため、呪いが彼らの上に及び、彼らの罪ゆえに土地が呪われた。