みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#497 神の法第四戒

2020年02月27日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p154~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

安息日は契約の標示であって、人の状況に対する法律ではない。

クリスチャンにおける安息日は、イスラエルの安息日とは全く異なる。

それは休息の日であり、平安の日、静寂の日。

強調すべきことは、それが神の権威であり、神の知恵ということ。

コロサイ2:16~17
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。 

安息日に関して、われわれは誰からも裁かれることがないとすれば、同じようにわれわれも誰も裁いたりしない。

契約のメンバーである限り、その日を平安のうちに守る者であるべき。

安息日は休息の一日であるがゆえに、契約のメンバーのみが休息することができる。

みことばや神の霊を通して、われわれではなく、神が契約者のうちで働く日。

それぞれの契約者が祝福と知恵において成長する日。

詩篇1
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。 

安息日に歓喜できるのは、信仰の躍動があるから。

安息の休息ゆえに繁栄する。

主の中に休むことは、主の権威を受け入れることであり、彼に信頼するということ。

コメント:

安息日について




#496 神の法第四戒

2020年02月26日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p153~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

イスラエルの安息日とクリスチャンの安息日の違いは、曜日ということだけでなく古い制限の終焉にある。

週の初日は、パレスチナやローマ帝国においては労働の日だった。

教会員は、昼の間は働き、初日の夕方に集まった。

眠気のため窓から落ちて、死んだ者もいた(使徒20:7~12)。

今でも主日の労務が違法であるとしたら、新約聖書において、そのことに関して十分な記載がなされていたはずだ。

古い法が変更されたことは明白。

現在の義務について、パウロは次のように述べている。

ヘブル10:25
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

マケインは、主の日を愛するための理由を丁寧に説明した。

彼は日曜日の列車に反対し、それは安息日違反であると宣言した。

しかし、その法の適応レベルを旧約聖書が規定する程度まで押し上げることはできなかった。

24時間通して稼動する工場や、食物輸送などについて、世はマケインが描く安息日を容認することはなかった。

一方、人の平和を破壊する、非安息日という考え方も同様に受け入れることはできない。

イスラエルの安息日及びそれに関連する法は廃れた。

クリスチャンの安息日はクリスチャンの秩序を背景とする。

クリスチャンの秩序の中のひとつの側面がクリスチャンの安息日。

参考文献:人目にうるわしい信仰



#495 神の法第四戒

2020年02月24日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p152~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

カルヴァンによるそのような発言は、反キリスト作家らによってカルヴァンに与えられた残忍極まる迫害という汚名とは極めて対照的。

カルヴァンの「残忍極まる迫害」は、神話のひとつにすぎない。

日曜法や他の道徳に関する法律は、旧い法律だった。

それはジュネーブで施行されたが、カルヴァンはまだその地にはいなかった。

その法律は、カルヴァンに強く敵対していた人たちによって施行された。

死を要求する法は、何か極めて重要で、かつ異常なほどに善なる何かを包括していた。

キリストはそれほどまでに善であり、われわれの休息はキリストの中にある。

安息日という法は、良き働き手によってさえ破られてしまう法。

安息日の本質は、キリストにあるわれわれの休息であり、キリストの恵みによる救いについて、さらに知識を増し加えていくことにある。

と、カルヴァンは主張する。

コメント:

カルヴァンは、反キリスト作家らによって「残忍な迫害者」という汚名を着せられたと書いてある。

悪魔は真の預言者たちを嘘や誹謗中傷によって追い落としていく。

道連れにされないように注意が必要。

主イエスに関する記述を徹底的に調べ上げたペテロのように、自分自身で聖書や関連文献を入念に調べるべきだ。

・マスクの取り扱い方について一言

◇マスクの扱い方について
*捨てる時以外、マスクは決してはずさない。
*マスクの外表面には絶対に触らない。
*はずしたマスクは再利用しない。

◇マスクのはずし方について
1.必ず両手を使い、それぞれの側の耳掛けひもをつかみ、前方へと押し出すようにはずす。
2.いったんはずしたマスクは、再利用せず、フタのあるごみ箱に捨てる。
3.はずしたマスクを手に取り、ポケットなどにしまうことは絶対にしない。
4.食事などでマスクをはずした場合、そのマスクは捨てる。

クリスチャンなら、血ヘドが出る程祈るべき時ではないか。




#494 神の法第四戒

2020年02月23日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p152~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

キリストにより、クリスチャンは遵奉から解放された。

かつてキリストがおられなかった時代、それらの儀式は影であった。

これらの影に固執する人たちは、人の見立てを影で判断する。

今やキリストはわれわれの前に啓示されており、彼の臨在を謳歌することができる。

われわれがキリストの体であるとは、われわれがキリストの中にいるということ。

ルターはかつての安息日を次のように例える。

モーセの民にとって必需であった安息日は、われわれにとっては解放となった。

新しいものへの変化のみならず、古いものの重要性について、カルヴァンは次のように説明する。

これは儀式上の戒めであり、それらの影、その本体はキリストであるとパウロは教える。

コロサイ2:17
これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。

外面的休息は儀式に過ぎない。

その実体はキリストの中に求められる。

予め示されるべきものを、どのようにキリストが具現化したのかを考慮すべきだ。

パウロは次のように宣言する。

ローマ6:4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 


われわれは今やキリストとともに葬られた
バプテスマを通して
キリストが死者の中から蘇らされたように
御父の栄光を通して
命の新しきの中において
われわれが歩むことができるように
(直訳)

安息日を守ることは重要なことだった。

神は殊更にこのことに従順であるようにくり返し諭した。

しかし、神は裏切られ、ユダヤ人はさらに不信仰へと堕ちて行った。

エレミア17:24
もし、あなたがたが、ほんとうにわたしに聞き従い、・・主の御告げ。・・安息日にこの町の門のうちに荷物を持ち込まず、安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら、 

エゼキエル20:21
それなのに、その子どもたちはわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行なえば生きることのできるそのわたしの定めを守り行なわず、わたしの安息日を汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らへのわたしの怒りを全うしようと思った。 

安息日には特別な崇高性があり、不従順は死に値する。

民数記15:32
イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。 

パウロが宣言するように、安息日の実体はキリストの中にいるということであり、尋常なことではないのだ。

コメント:

参考文献

終末を告げる預言者の正体を見極めよ!

終末を告げる預言者の正体を見極めよ! 2



#493 神の法第四戒

2020年02月19日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p151~
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The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇


神の知識や神の法に関する進歩は、安息日の祝宴にとって重要であり、新約聖書はこのことを雄弁に物語っている。

クリスチャンの安息日は、安息日という休息の重要性の認識のレベルと符合する。

クリスチャンの安息日の中心は、神の言葉を宣言する日ということ。

神のことばを学び、その知識をさらに応用するために用意された一日。

安息日における歓喜や歌は、この知識と関連する。

救いの知識と神の法に関する確信は、契約の民に、歌や賛美において表現される光と確かさを与える。

クリスチャンの安息日は、イスラエルの安息日と親密に関連している。

しかしながら、非常に重要な相違がある。

コロサイ2:16~17
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。 

この聖句は、古い命令が革新的な変化を遂げたということを意味する。

カルヴァンは次のようにコメントする。

裁くとは、人を罪に定めることを意味する。

或いは、良心の呵責を負わせることを意味する。

そうであるなら、われわれはもはや自由ではない。

礼典の完全遵守は、人の力の及びところではない。

キリストは、ご自身の死によって遵奉を廃棄された。

それにより、われわれはそれらのくびきから自由となった。

故に、われわれはもはやそれらの足かせによって束縛されることはない。

暗黙のうちに、神は全人類に対してキリストを置く。

キリストを払いのけ、自分を高く上げようとする者が一人もいないように。

コメント:

プレミレという幼稚な教えから完全離脱するには相当な時間と労力を要する。

それほど敵の呪縛力は凄まじい。

加えて、日本人の島国根性という国民気質も大きな壁となって立ちはだかる。

参考文献:パラダイムシフトには時間がかかる

参考資料2:
これが人間教によって支配されている組織、領域
(→https://www.youtube.com/watch?v=W3X3RSmf7ds

【要点】
安全地帯と危険地帯が分離されていないということ。
正確な知識を有する指導者がいないこと。
専門家の助言を拒否すること。

参考資料3:https://www.youtube.com/watch?v=jNqaF0qonuE




#492 神の法第四戒

2020年02月12日 | 創世記
第4戒
安息日と権威
 
p151~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

シナゴーグや教会での礼拝の発展は、理論上安息から発展したと推察される。

安息とは全く関係ないが、不可欠かつ理論上、安息から発展したとされる。

権威に服すること、主権を承知するためには、知識が必要。

レビ族は神の法を解き明かし、預言者養成学校は聖職教育者のための中心的施設となった。

結果として、シナゴーグが発達した。

使徒15:21
昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。 

コメント:

参考文献:

「御心の地にもなさせたまえ」「地を従えよ」とは、具体的にどういうことか。

霊的現実を物質化せよ

霊的現実を物質化せよ2

霊的現実を物質化せよ3



#491 神の法第四戒

2020年02月11日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p150~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

4.過越の祭り
出エジプト記12:1~28、43~49、13:3~9、23:15
レビ記23:5、民数記29:16~25、申命記16:1

5.種なしパンの祭り(7日間)
出エジプト記13:17

6.五旬節(ペンテコステ)は、過越祭の後7週間を祝った。
レビ記23:15

この日は、16番目のニサンにおける収穫感謝祭だった。

7.仮庵の祭りは、木の枝で作られた仮宿で7日間過ごし、出エジプトを回想する祭り
レビ記23:36

農業の年に、歓喜と祝宴をもって終了した。

それぞれの安息日には大きな相違がある。

週の安息日では、火は焚かれず、料理は前日に用意された。

新月年の安息日には、仕事の中断は要求されず、安息は義務ではなかった。

その他の安息日は、季節ごとの祝宴と祝いが主であった。

すべての安息日は、契約の民にとって大きな喜びであった。

安息日と権威との関係について、エゼキエルは、祭司など信仰心のある生活について次のように語っている。

エゼキエル44:24
争いがあるときには、彼らは、わたしの定めに従ってさばきの座に着き、これをさばかなければならない。わたしのすべての例祭には、わたしの律法とおきてとを守り、わたしの安息日を聖別しなければならない。 

安息日における肉体的休息の重要だが、より深くて基本的な休息とは、主権者や神の御業における休息。

それは民の喜びだった。

神の法は、単に労働の中断を要求しているだけではない。

出エジプト記20:8
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 

労働も休息も権威の下にあり、分離され、主の下で聖別された。

聖は権威を暗示し、分離、あるいは神への献身。

安息における休息は、契約の民が権威の下にいるという事実に由来する。

安息は、ヤハウエに対する安息、すなわち契約の印として遵守される。

安息は、主に対して聖。

これらは神の主権と権威という基礎的事実を示している。

神の主権と権威を明らかにするのでなければ、それは安息とは言えない。

コメント:

参考文献:切迫再臨信仰を捨てないと次世代を失う



#490 神の法第四戒

2020年02月09日 | 神の法
第4戒
安息日と権威
 
p149~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

安息(shabbathon)に関する聖句は次の通り。

出エジプト記16:23、31:15、35:2
レビ記16:31、23:3、32、25:4,5

それは聖なる安息であり、主のための安息、主のための聖。

契約の印であるがゆえに、神に対する服従の印、神の主権を甘受すること。

エゼキエル20:12
わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えてわたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖別する主であることを彼らが知るようにした。 

安息日に関する法。

1.週の安息日

2.新月の安息日

民数記28:11~15
あなたがたは月の第一日に、主への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。雄牛一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパとする。子羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらはなだめのかおりの全焼のいけにえであって、主への火によるささげ物である。それにつく注ぎのささげ物は、雄牛一頭については二分の一ヒン、雄羊一頭については三分の一ヒン、子羊一頭については四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のいけにえである。常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物に加えて、雄やぎ一頭が、主への罪のためのいけにえとしてささげられなければならない。

労働は禁じられてはいなかったが、献げ物は必要であった。

アモス8:5
あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。  

労働の中断は習慣化してはいたが、元の法はそれを要求していはいなかった。

以前は、家族と過ごすための一日だった。

第1サムエル20:5
ダビデはヨナタンに言った。「あすはちょうど新月祭で、私は王といっしょに食事の席に着かなければなりません。私を行かせて、三日目の夕方まで野に隠れさせてください。 

また、新年祭Feast of Trumpetsは安息日だった。

3.安息年、ヨベルの年
出エジプト記23:10、レビ記25:1~7、25:8~10、申命記15:1~11、31:10~13

負債は6年間に短縮された。

7年目が安息年であり、解放の年であった。

申命記15:1~11
七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。ただ、あなたは、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令を守り行なわなければならない。あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。あなたは心に邪念をいだき、「第七年、免除の年が近づいた。」と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」 

コメント:

参考文献:

キリストは旧約聖書を成就した

キリストは旧約聖書を成就した2

広き門から直ちに脱出し、狭き門へと導かれますように。



#489 神の法第四戒

2020年02月05日 | 創世記
第4戒
安息日と権威
 
p149~
The Sabbath and Authority
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

結婚に関して、聖書には女性からしばしば反対意見の出る記述がある。

ルツ記3:1
しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。 

「身の落ち着く」(rest)と訳されたヘブル語原語manaochは、「安息の場」あるいは「安息」(rest)という意味。

一方、休止、あるいは安息と関連して、安息restという意味を持つヘブル語はshabbathonという。

この2つの単語manaochとshabbathonには、重要な違いがある。

落穂ひろいとして働いているからと言って、結婚がルツにとって安息となるということではない。

ルツにとっての安息とは、結婚により彼女が男の加護と権威の下に入るということを意味する。

男の安息が、ちょうどキリストの庇護下に入るということと同じ。

第1コリント11:3
しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。

本来の安息は結婚の中にある。

そこには、妻と夫の宿命ともいうべき多くの困難が待っているかもしれないが。

妻も夫も、それぞれ権威の下におり、その権威の信頼の中で歩む。

婦人の長い髪と覆われた頭は、権威に服従するという印であり、その権威は彼女の頭上にある。

それは、権威に対する服従と、その権威が彼女に与える力と保護を表す。

保護されていない女性が格好の餌食であることは、歴史上、精神上明らか。

コメント:

参考文献:携挙はすでに起きた



#488 神の法第四戒

2020年02月02日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p148~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

安息日は、労働、神の創造命令[文化命令]を成就し、神の法にしたがう労働を前提としている。

それゆえ、安息日は、この神的統治の後にやってくる喜ばしい休息。

安息日に、人は「地と、その上に満ちるすべてのものが主のものである」(詩篇24:1)という事実を喜ぶ。

このことに対する確信の中に人間は安心して休むことができ、その喜びの中で自分の手の業を振り返る。

「主にあって、自分の労働が無駄ではない」(1コリント15:58)ということを知る。

その日、そして、安息の季節に、人間は禁断の木の実のように、実と木から取って食べることを控える。

なぜならば、人間に統治させるために労働を命じられた主が、その統治に対して制限を設定されるからである。

人間は、「主にあって、自分の労働が無駄ではない」(1コリント15:58)ということを知っている。

なぜならば、至高の神が、神の目的にしたがって召された、神を愛する人々のためにすべてのことを相ともに働かせて益としてくださるからである(ローマ8:28)。

契約の人は、「一つの法でも破るならば、法全体を破ったことになる(ヤコブ2:10)。

一点においてであっても、法を軽んじる者は、その点において自分自身を神の座に祭り上げる者であるということを認めている。

「アダムとエバは、すべての点で服従したが、ただ『一本の木』に関して失敗した」という事実は、神の御前においては、彼らに有利に作用しなかった。

彼らは「善悪を独自に定めることにより、神のようになる」という新しい行動原理を明らかにした(創世記3:5)。

労働も休息も主のためであり、その前提を三位一体の神の主権のもとに置かねばならない。

コメント:

参考文献:洗脳されてきたことを自覚しよう