☞ David Murray: Jesus on Every Page
参考までに。
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前回の考察により、エゼキエル書38章とマタイ5:17との整合性の問題は解決されたので、今回はダニエル書に関する論考を2題提示しておく。
旧約における終末預言はイスラエル滅亡に関する預言であるから、人類史終焉の状況把握や教訓として用いるべきではないとは思わない。
先の記事でも書いたが、似て非なるものでありつつも、イスラエル滅亡の予兆は世界終末のそれとかなり類似している。
むしろ、それらを大いに参照して、これから起こるであろう出来事を大胆に予測し、それに対応・対抗しうる手段を探るべきと考える。
パウロが当時の諸教会に宛てた書簡に、現在あるいは将来の教訓として参考にすべき箇所が多数存在するように。
*旧約の預言は、比ゆ表現、象徴表現に満ち溢れているので、素人が口出しすべきではない。しっかりと研究を積み上げた神学者に任せた方がよい。
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1.ダニエル7章について
ダニエル7章13節にこうあります。
私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この聖句はマタイ24章30節と酷似した内容であり、旧約時代の終わりを預言していると理解して良いでしょうか。
そうです。
次に22節。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
「さばき」とあるので最後の審判と世の終わりの預言、そして「聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た」とあるので、万物の回復の預言と解釈してよいでしょうか。
「さばき」は、紀元70年の審判を指します。19節に「第四の獣」とあり、これはローマ帝国です。
「聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た」というのは、クリスチャンが神の国を受け継いで、世界を統治する者となった、ということを意味します。
紀元70年にイエス・キリストが再臨され、神殿崩壊とイスラエルの滅亡により、背教のユダヤ人に対する裁きが行われたと同時に、そのイスラエルを滅ぼしたローマ帝国に対する裁きも実行されました。ティトゥスの死です。
そして、それ以降の世界は、ローマ帝国は存続しますが、霊的(法的・契約的)な意味で、世界の主権は彼らから奪われ、イエス・キリストに与えられました。
現在も、アメリカが世界を支配しているように見えますが、実質的に支配者であるのは、イエス・キリストであり、イエス・キリストの体である教会(つまり、クリスチャン)です。
この支配は徐々に広がっていく性質のもので、霊的な変化は、徐々に実際的な変化となって現れます。
その後、キリスト教は、迫害していたローマを逆に乗っ取り、ローマ帝国の国教になりました。ローマ帝国からヨーロッパ諸国が生まれ、キリスト教はヨーロッパに広まり、実際的な支配は拡大して行きました。
現在は、一時的に悪魔側の勝利が続いていますが、それは、神が人間に悪魔の支配の本当の姿を見せて、御国を求めさせるためです。
人間だけでやっていくと宣言した共産主義によってどれだけの地獄が生まれたか。そして、その共産主義の黒幕であったタルムードユダヤ人の世界支配が広まるにつれて、人々の生活がいかに悲惨になっていくかをわれわれは目の前で見ています。
そうすると、15節以下は現在進行中の新約の時代について書かれていると理解されますが、いかがでしょうか。
この7章は、紀元1世紀のイエス・キリストの来臨(紀元27年からの初臨と紀元70年頃の再臨)によって、4つの世界帝国、つまり、サタンの支配の手段が滅びて、イエス・キリストに世界を支配する権力が与えられたことの預言です。
15節以下の第4の獣に関する預言は、「紀元1世紀においてローマ帝国に対するイエス・キリストの勝利と、それに続いて、全世界がイエス・キリストの支配下に入った」という意味で、現在進行中の預言でもあります。
2.ダニエル書9章の70週について
すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、
私に告げて言った。「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。
あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。
あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。
その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」(ダニエル9:21-27)
この70週は、文字通りの時間を示しているのではない。
黙示書・預言書における数字は、象徴表現である。
ここでは、「7週」が一つの単位として扱われている。
70週は、「7週」という単位が10個並んだ期間を意味する。
7は完全数であるから、それぞれ1個の「7週」は「完全な期間」を示す。
70週は、次の3つの部分に分かれている。
1.「エルサレムを再建せよ」という命令から「君主の来臨」まで(7週)
2.君主による再建と君主の死(62週)
3.裁き:神殿崩壊及び「荒らす憎む(忌む)べき者」の滅亡(1週)
1.
これは、紀元前538年にペルシャの王クロスが神殿とエルサレムを再建せよと命令してから、イエス・キリストの来臨までの時期である。
「7週=完全な期間」であるから、「キリストによる再建の準備が整った」ということを意味している。
2.
再建の開始から君主の死まで62週。
62週=7週x8+6週である。
「7週」という完全な期間が8回連なる。
8は回復と復活を意味するので、再建は完全に行われたことを示す。
イエスによって、イスラエルは回復された。
「広場とほり」は、それぞれ集会と防衛を象徴する。
神の民の集会、交わり、神の国の防衛が回復する。
この期間の最後に来る「6週」の後に、君主が断たれる。
つまり、十字架である。
6は人間を表すので、「人間による殺害」を意味する。
3.
最後の1週は、神の裁きの期間である。
裁きはユダヤ人に対するものと、「荒らす憎むべき者」に対するものに分かれる。
(1)ユダヤ人に対する裁き
「やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」
町と聖所の破壊、洪水、戦争、荒廃。
これらは、裁きの象徴である。
紀元70年に成就した。
(2)「荒らす憎むべき者」に対する裁き
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
背教のイスラエルに対する処刑人として選ばれた(後のローマ皇帝)ティトゥスは、ユダヤ人を迫害し、その宗教を冒涜した。
至聖所に、自分の像がついたローマ軍旗を建て、自らを神と宣言した。
しかし、皇帝になって2年で死んだ。
4.
最後の7週は、6週と1週に分かれる。
これは、労働日と安息日の関係に相当する。
つまり、人間は6日働いて、最後の1日は神が働かれる。
6週の最後にイエスは人間によって殺され、ついに、最後の1週、神がご自身の働きを開始され、審判の座に着かれた。
5.
この70週の目的は、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐ」ことにあった。
つまり、神に従順な民を起こすために、イエスは来られた。
イエスは、「不従順な民」と「従順な民」を分けられ、前者には裁きを、後者には「贖いと永遠の義」をお与えになった。
6.
70週は「イエスによる贖いと救い、イスラエルの再建と、不従順な民に対する裁きと報復」の予言であって、「終末のタイムテーブル」のようなものではない。
年数などを計算し、歴史上の事実との整合性を図るのは無駄な努力である。