みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #322 1 Corinthians 6

2019年01月30日 | コーヒーブレイク
第1コリント6章17節
しかし
主と繋ぎ合わされた者は
一つの霊の中にいるのです

*改変

◇◇

この聖句に書かれていることは

キリスト者の霊と主の霊は結合して一つになっている

ということ。

キリスト者の霊と神の霊とは分けることができない。

ロマ書8章には霊ということばが多数出てくるが、それらは、主の霊と結合した私の霊という意味で捉えるべきではないかと思う。

単純な意味において神の霊ではなく、神の霊と私の霊の結合体。

但し、9節のように、神の霊、キリストの霊などと限定がある場合を除く。

この結合した霊を広い意味で聖霊と解するなら、それはそれで一つの考え方か。




Coffee Break, #321 1 Corinthians 2

2019年01月27日 | コーヒーブレイク
第1コリント2章15節
霊の人はすべてのことを分別できるが
彼自身は誰によっても理解されることはない

*大幅改変

◇◇

霊的領域は、地(時空間)よりも上位にあるため、霊の人は地上のすべての道理を知っている。

然るに、肉の人は霊の人がすることや言うことが理解できない。

霊の人≒この地において、内なる人の中で生きている人

肉の人≒この地において、外なる人の中でのみ生きている人

つまり

霊の人が語る道理は、肉の人が語る道理とは次元が異なる。

次節にこうある。

同2:16A
主を導くことができる程に
主の思いを知っている者はいるのか

我々の思いが主の思いと積み重なっていく過程が思いのリニューイング。

最終的に主をも導くことができる程に成長し、一つになる。

変容を遂げながら、この世から分離されていく過程。

世捨て人になるのではない。

分離されていくのだ。




Coffee Break, #320 John 12

2019年01月23日 | コーヒーブレイク
ヨハネ12章25節 
自分の魂を愛する者はそれを失い
この世でその魂を憎む者は
それを保って永遠の命に至るのです

◇◇

外なる人が打ちのめされ、取り扱いを受け、あらゆる不幸によって挫かれた時、後に残された傷、瘢痕組織から内なる人が流れ出ていく。

これが人を惹き付ける。

福音宣教において、聖書教理、神学、聖書のマメ知識はあまり益とはならない。

役に立つのは、我々から流れ出ていく我らの神、主イエスのみ。

外なる人が破られなければ、我々の持っているものは皆思いの中に留まり、流れ出ていくことができない。



Coffee Break, #319 John 12

2019年01月22日 | コーヒーブレイク
ヨハネ12章25節 
自分の魂を愛する者はそれを失い
この世でその魂を憎む者は
それを保って永遠の命に至るのです

◇◇

自己中心主義、利己主義、自己愛などをネット検索してみると、アリストテレス、ルソー、エーリッヒ・フロム等々、さまざまな哲学者が登場する。

さらにキリスト教関連の記事もいろいろ見てみた。

聖書の引用はあるが、博愛主義的内容の記事、罪と関連付けて議論している記事などさまざま。

比較的まともに議論しているサイトを以下に掲げておく。

自己愛という非聖書的教え

しかし、この記事も含めて、腑に落ちるものは残念ながら皆無。

腑に落ちない。
流れていかない。
深みが感じられない。

何故だろう。

霊性が欠落しているのだ。

実際、これらの記事には霊ということばは全く出てこない。

我々の本体は霊であり、我々の本質は心。

心とは魂と霊から成る。

永遠の命に通じているのは魂ではない。

過剰な自己愛は霊なる神との交わりを遮断する。

また、「それを保って」と主は言われる。

何とも魅力的な真理ではないだろうか。



Coffee Break, #318 John 12

2019年01月16日 | コーヒーブレイク
ヨハネ12章25節 
自分の魂を愛する者はそれを失い
この世でその魂を憎む者は
それを保って永遠の命に至るのです

◇◇

魂と訳された単語ψυχήを魂的生き方と理解したいと書いた。

しかし

魂的生き方を愛する者は魂的生き方を失う

となり、何かおかしい。

魂的生き方を愛する者は永遠の命を失う

であれば分かる。

主はそう言ってはいない。

つまり、ψυχήの意味は生き方とか人生ではなく、日本語として意味が伝わりにくくなるが、直訳して「魂の命」とするのが断然良い。これがouter man。

体の命

魂の命

永遠の命

命を死と入れ替えてみると、何となく感じが伝わってくる。

要するに

自分の魂を愛するとは、過剰な自己愛のことなのだろう。




Coffee Break, #317 Mark 14 

2019年01月14日 | コーヒーブレイク
マルコ14章3節
イエスがベタニヤで
らい病人シモンの家におられたとき
食卓についておられると
ひとりの女が
純粋で
非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て
そのつぼを割り
イエスの頭に注いだ

◇◇

上の聖句において「純粋な」という形容詞は「真に霊的な」という意味合いを持っている。

マリヤはアラベスクの壺を割った。

壺が割られなければ、純粋で高価なナルドの香油は放たれない。

貴重なのは香油。

壺ではない。

内なる人より外なる人の方が重要と考えている者が多すぎる。

知恵、知識、理解力、洞察、判断力など、いくら壺を崇めてもしようがない。

部屋いっぱいに拡がる香油の香りがいい。




Coffee Break, #316 John 12

2019年01月13日 | コーヒーブレイク
ヨハネ12章24節
まことに
まことに
あなたがたに告げます
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ
それは一つのままです
しかし
もし死ねば
豊かな実を結びます

◇◇

命は麦の粒の中にある。

その命の粒が肥沃な地に落ちて殻が破れると、麦の粒が成長し始める。

死ぬのは殻であり粒ではない。

殻が破られるかどうかが問題なのだ。

次節にこうある。

自分の魂を愛する者はそれを失い
この世において自分の魂を憎む者はそれを保ち
永遠の命に至る

魂と訳された原語はψυχή。英語訳を見ると、例外なくlifeと訳されている。よって、soul lifeという訳を採用したい。上の訳出では単に魂としたが、魂的生き方という理解だ。

魂的生き方が外殻、中の粒が永遠の命。

外側が破られなければ、内側が解き放たれない。






Coffee Break, #315 John 6

2019年01月09日 | コーヒーブレイク
ヨハネ6章63節
命を与えるのは御霊です
肉は何も生かさない
わたしがあなたがたに話すレーマは
霊でありまた命です

*一部修正

◇◇

思いのリニューイングについて、ひと通り考察した。

敢えて順番を付けるとすれば

思いのリニューイングの前に、霊と魂の分離が必要ではないか

と考えるのが自然だと思う。

しかしながら、これらすべての過程が同時に、かつ瞬時に完了するクリスチャンもいるはずで、順番はあまり気にする必要はない。

では、霊と魂の分離に関する考察を開始する。

最初に取り上げるべきみことばを上に掲げる。

命を与えるのは霊

と書いてある。

このみことばを、まずは思いの中に徹底的に焼き付けておく。

命を与えるのは、肉ではなく霊

霊が命を与える

原典を見ると、霊という意味を持つ単語 πνευμαに定冠詞τοが付されている。よって、日本語訳では御霊と訳している。しかし、肉との対比において理解しようとするなら、単純に、その霊、ないしは単に霊とした方が分かりやすい。




Coffee Break, #314 2 Peter 1

2019年01月07日 | コーヒーブレイク
第2ペテロ1章14節
それは
私たちの主イエス・キリストも
私にはっきりお示しになったとおり
私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです

◇◇

復活の主はペテロに次のように言われた。

しかし年をとると
あなたは自分の手を伸ばし
ほかの人があなたに帯をさせて
あなたの行きたくない所に連れて行きます

殉教の宣告を受けた直後に、ペテロは次のように主に問うた。

主よ
この人はどうですか

と。

何も見えず、何も聞こえない。

感度ゼロ。

思いは完全に閉ざされていて、暗やみの中。

神の光がない。

しかし、上の第2ペテロ1:14におけるペテロは全く別人だ。

救いを確信し、罪が洗い流され、迫害に耐え、殉教も覚悟。

これが徹底的にリニューイングされ、変容を遂げた魂。




Coffee Break, #313 Ephesians 4

2019年01月06日 | コーヒーブレイク
エペソ4章25節
ですから
あなたがたは欺きを捨て
おのおの隣人に対して真理を語りなさい
私たちは互いに他方の一部分だからです

*一部修正

◇◇ 

では、古い人を脱ぎ捨てるとは、具体的に何をすることなのか。

以前に

欺き→古き
真理→新しき

と言い換えると分かりやすい

と書いた。

古い人の欺きを列挙してみる。

日が暮れてもなお怒っている
悪魔に足場を与える
盗む
醜悪なことばを吐く
神の聖霊を悲しませる
毒を吐く
激昂する
復讐する
喚き散らす

これらを皆、神の祭壇に置き、捨て去る。

そして、新しい人を着たいと願う。

新しい人の真理とは

すぐに怒りを忘れ去る
みことばのみに思いを馳せる
まっとうな職に就く
人を勇気づけたり役に立つことばを発する
贖いの日のために証印されていることを大いに喜ぶ
お互いに思いやり役に立てるようになる
神がキリストゆえに赦したようにお互いを赦しあう

光の当たる側。

実現できるように心で願う。

自由意志において決意宣言する。

神に導かれるがままに実践してみる。

事が成就する。

御心が証明される。

神を信じない者が自分を変えたいと望むなら、あらゆる項目、それらの全過程を自分一人で全部こなさなければならない。

実現可能とは到底思えない。