みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #326 2 Corinthians 4

2019年02月27日 | コーヒーブレイク
第2コリント4章16節
私たちは決して挫かれない
我々の外なる人が退かされるなら
内なる人は日々新たにされるから

◇◇

以前にも書いたが

Coffee Break, #312 2 Corinthians 4 

この聖句にある動詞、「衰える」「新たになる」は、いずれも受動態(または中態)で使われている。

リニューイングが進む過程の背後で、常に神が働かれておられるということを示す。

神が我々を日々リニューイングして下さっている。

先に、麦の外殻のように、外なる人は砕かれる必要があると書いた。

逆説的に聞こえるかもしれないが、砕かれることによって、我々の外なる人は内なる人との調和を保つことができる。

外なる人は内なる人を外界へと解き放つチャネルだからだ。

砕かれた瞬間から、外なる人の行ないは完全に停止し、静まる。

内における感情や言動が適正を保ち、外部に対する振る舞いも適正化されていく。

我々の思いは、(御)霊とともに働くようになる。

さらに砕かれていくと、外なる人は、内なる人が悲しむ時に悲しみ、喜ぶ時に喜べるようになる。

内なる霊が完全に解き放たれているからだ。




Coffee Break, #325 John 4

2019年02月20日 | コーヒーブレイク
ヨハネ4章24節
神は霊
神を拝する者は
霊と真理の中で
拝しなければならない

*かなり修正

◇◇

有名な聖句。

神は霊

これはまさしく真理。

次に

霊と真理の中で(εν)神を拝しなければならない

とは、具体的に、どのような礼拝を指すのか。

実は、「拝する」という日本語がネックとなり、原典の意味から遠く離れてしまっている。

原典で使われている単語はπροσκυνέωで、意味は

προσκυνέω:
proskuneō
pros-koo-neh'-o
From G4314 and probably a derivative of G2965 (meaning to kiss, like a dog licking his master’s hand); to fawn or crouch to, that is, (literally or figuratively) prostrate oneself in homage (do reverence to, adore): - worship.

meaning to kiss, like a dog licking his master’s handとある。つまり、この聖句で使われている動詞は「戯れる」という意味を持つ単語。

よって、この聖句は

霊と真理の中で神と戯れることができる(δεῖ)

というのが正確な意味となる。

水と水、油と油、空気と空気が溶け合うように、神の霊と我々の霊が溶け合う瞬間がある。

これが「霊の中で」ということ。

では、「真理の中で」とはどういうことだろうか。

イエスは

私が道であり、真理であり、命である

と言われた。

つまり、真理の中で

とは

イエスキリスト(神)の中で

ということ。

意訳してみよう。

神は霊であるから
我々の霊が神の霊と溶け合い
一つとなることによって
思う存分神と戯れることができる

これが本来あるべき姿の礼拝。

儀式や式典ではないはずだ。






Coffee Break, #324 2 Corinthians 4

2019年02月10日 | コーヒーブレイク
第2コリント4章7節
私たちは
この宝を
土の器の中に入れているのです
それは
この力の素晴らしさが神のものであって
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです

*一部修正

◇◇

有名な聖句。

まずは、簡単におさらいを。

古い人≒旧創造 
新しい人≒新創造 

外なる人≒自我(意識)自己愛 プライド
内なる人≒新生した心 私の本質 キリストと一つになった我が霊

ネット検索していたら、次のような記事があった。

キリスト教牧師が書いた記事と思われるが、HPトップに跳ぶことができないので詳細不明。

やや暗くて、くどい箇所があるが、リビングバイブルをしっかり否定しつつ、なかなか的を得た内容となっていると思う。

参考までに紹介する。

「内なる人・外なる人」 コリントⅡ 四章一六ー一八節






Coffee Break, #323 2 Corinthians 3

2019年02月03日 | コーヒーブレイク
第2コリント3章17節
主はまさに霊
そして
主の霊のあるところには自由がある

*ですます調を直し、文章を引き締めた

◇◇

「主は御霊」と書くと、「主=聖霊」と誤解する恐れがあるので「御」を削除した。

霊の前に定冠詞τοが付いているので、そのように訳出したのだろう。

主の霊のあるところには自由がある

とある。

一つになった霊を介して、永遠の領域を堪能できる自由。

素晴らしい。