活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

子供の境涯 1

2016年04月06日 | 坐禅

指導者は 「坐禅」 をするには、「赤子(あかご)の心」 にならなければいけないといいます。

孟子は 「大人(たいじん)は 赤子(せきし)の心を失わず」 といいました。

「子供は大人の師匠なり」 ということもあります。

 

何故そういうことをいうかというと、子供は相手を見ないし、恐ろしいものは

ないのです。

貴人の前でも泥棒の前でも笑っています。

笑っても決して軽んじる気は毛頭ありません。

 

ところが、年を取ると、相手に依って変わってきます。

物持ちが来ると頭を下げるようになります。

相手に依って愛憎が起こるのです。

ところが、子供にはそれがありません。

 

「涅槃経」 の中には 「嬰兒行(ようにぎょう)」 というのがあります。

つまり、「赤子は如来だ」 ということです。

ものに執着しない、くっつかないからです。

 

ところが、私たち衆生は 「赤子」 のようになれないので、

一朝大変動でも起こると、精神が動転してしまうのです。

これは 「逆境」 に立たせて 「天が試練する」 のです。

 

ですから、「逆境」 は英雄の選抜試験なのです。

むしろ、「逆境の人」 は、「幸福」 であるといわねばなりません。

 

「坐禅は子供に成る標本」 です。

坐禅の時には坐禅ばかりで 「自己」 がありません。

いわゆる執着がないということです。

 

執着がないから、直に立って仕事ができるのです。

「仕事をする時がやはり坐禅」 なのです。


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