俳優の高島忠夫さんが88歳で老衰のために亡くなった。
一見、88歳と聞けば、米寿まで生き、長生きしたと思われる。私は高島さんの活躍していた頃、日本に暮らしていなかった。私が高島さんの事を知ったのは、2013年6月に彼の病気との闘いが『独占密着!真実の高島ファミリー「死ぬまで一緒やで」~寿花代・献身愛で闘う夫の病~』というフジテレビで放送されたからである。
現在男性の平均寿命は、81歳である。誰もが81歳まで健康のままで生きているわけではない。平成22年の統計によると男性の平均寿命が79.55歳なのに対して健康寿命は70.48歳である。9.13歳は不健康な期間とみなされる。
高島さんは、私と同じ糖尿病をまず発症した。糖尿病は、なったが最後、一生完治することはない。運動療法、食事療法、薬療法を並行させながら付き合うしかない病気である。高島さんは、糖尿病の他にも不眠症、アルコール依存症、うつ病、パーキンソン病、不整脈によるペースメーカーを取り付けた。88歳の生涯だったが不健康期間は、途中仕事復帰があったにせよ20年以上にわたった。
私は糖尿病である。同じ糖尿病でありながら、高島さんが88歳まで生きられたことに驚いている。本人の病気と闘う意志の強さも尊敬に値するが、家族の大きな支えがあったからこそであろう。特に妻の寿花代さんの「死ぬまで一緒やで」を貫いた生き様がすごい。
高島さんは、フリオ・イグレシアスの熱烈なファンだったそうだ。死の床で家族は、フリオ・イグレシアスの歌を流していたという。その家族の配慮に高島さんへの思いがみてとれる。フリオ・イグレシアスと言えば、私たち夫婦が旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時、ベオグラードで一番大きな劇場でコンサートを開いた。劇場は満員。旧ユーゴスラビアが民族紛争で内戦を経て分裂する中、経済封鎖を受けて、荒んだ人々の心を甘い独特の歌声で包んだ。あのコンサートをベオグラードで経験していたので、高島さんが最後にフリオ・イグレシアスの歌を聴いていた様子が目に浮かぶ。
先日、我が家で友人たちと夕食を共にした時、それぞれ自分の葬式にどんな曲をかけてもらいたいかの話になった。ジャズ、クラシックなどいろいろな意見があった。私も尋ねられたが、決めていないので答えられなかった。ただ今言えることは、葬式でなくて、まだ息をしているうちに高島さんの家族がした様に曲を聞かしてもらえたらいいな、と思う。ピンピンコロリで急死ならそれが一番だが。意見を聞いていて、結構みんな葬式の事まで考えているのかと感心した。
ある日妻がどうしても彼女が読んでいる本の一節を聞いて欲しいと言った。妻の朗読を聞くのが好きだ。『信長の原理』 (角川書店 垣根涼介著 1800円 税別)434ページ「人が生きていく上で、最もやりきれなく、そして始末に負えないことは、その生が、本来は無意味なものだと言うことに、皆どこかで気づいていることだ。物心がついたことからすでに気づき始めており、更に大人になって、その影をはっきりと意識するようになる。そして死ぬまで、その漠然とした虚無感を引き摺っていく。つまりはその無意味さのみが、生きることのあかしだ。」 一度読んでもらっても、私は意味がよく解らなかった。妻になぜ私にこの節を読んでくれたのか説明してもらった。妻は私が時々「私が生きていても無意味だ」と愚痴るのを聞いている。妻は、この節を読んだ時、どうしても私にこの節を聞かせたかったそうだ。「あなただけではない。多くの人々がそう思っている。でも口に出さないで、その日その日を生きている。私はあなたと一緒にそう生きている」と妻は私に伝えたかったのだと受け止めた。
フリオ・イグレシアスの歌も役に立ったかもしれない。どんな素晴らしい歌や曲があっても、高島さんが最後に一番聞きたかったのは寿花代さんの「忠夫さん、死ぬまで一緒だったで」の声だったのではないだろうか。