ネパールに暮らした時、コイララ首相は就任演説で「ネパールを10年でシンガポールのような国家にする」と宣言した。あれからすでに20年が過ぎた。セネガルに引っ越すと、当時のディヨップ大統領はダカールをアフリカのシンガポールにすると息巻いていた。チュニジアに住んだ。去年ジャスミン革命で失脚したベン・アリ元チュニジア大統領は「チュニジアを地中海のシンガポールのような国家にする」と意気込んでいた。なぜこのようにシンガポールのような国家にしたいと国家の指導者が考えるのだろうかと私は疑問を持った。日本のようになりたい。韓国のようになりたい。台湾のようになりたい。香港のようになりたい、でなく何故シンガポールのようになりたいのか。
シンガポールは小さな国家である。まず国土が狭い。資源がない。これといった輸出産業もない。ところがマレー系、中国系、インド系の国民が大した摩擦を起こさずに共存している。教育に熱心でインフラも整備されている。アジアの国の中では珍しく、衛生面や治安もよい。英語を公用語としている。
旧ユーゴスラビアやロシアのサハリンで住んだ時「シンガポール」という言葉を聞いたことがなかった。おそらく社会主義という大きなスローガンを掲げ、結局は行き詰ってしまい、理想を掲げるどころではなかった。
先週7月1日の日曜日、東京の如水会館で高校の関東同窓会に出席した。体調を崩していて、とても出かけられる状態でなかったけれど、妻と出かけた。ネパールでお世話になった宮原巍氏の講演を聞くためだった。私たち夫婦の高校の先輩ということもあるが、ネパールでの2年5ヶ月、どれだけ宮原氏に助けられたか知れない。宮原氏は私より13歳年上である。78歳。講演内容もしっかりしていて良い講演だった。
1962年にヒマラヤ登山隊に参加して以来、ネパールの魅力に取り付かれ、1966年からネパールに住み始めた。すでに46年が経っている。2005年にネパール国籍を取得して2006年の選挙にネパール国土開発党を立ち上げ立候補した。残念ながら落選。
宮原氏の講演で印象的だったのは「カトマンズの市内を流れるバグマティ川の汚染は酷くなるばかりで、今では水に指を入れるのさえ躊躇する」というスライドを見せながらの言葉だった。カトマンズでほとんど毎日見ていた川、当時だって私は顔をそむけ鼻をつまみたくなる程ひどい状態だった。コイララ首相が10年でシンガポールのような国にするといった約束はどうなってしまったのか。ネパールも日本と同じく毎年トップ交代があるほど政治は混迷している。加えてマオリスト(中国毛沢東の影響受ける活動家)が暗躍する。それでも宮原氏は、次の選挙にまた挑戦するという。60歳を過ぎて最高齢でのエベレスト登頂に挑んだが、あともう少しという所で撤退した。詳しくは『還暦のヒマラヤ』宮原巍著 中公文庫、『ヒマラヤのドンキホーテ』根深誠著 中央公論新社などで読める。
熱い情熱を感じる。登山家に「なぜそんなに苦労して山に登るのですか」と聞くと「そこに山があるから」と答えるそうだ。宮原氏に「なぜネパールなのですか」と尋ねれば「そこにネパールがあるから」と返ってきそうだ。あきらめずに前を向き続ける宮原氏。講演後、挨拶に行くと胸を指して「私もここにステント入れたよ」と言って、日に焼けた顔をほころばせた。どんなにバグマティ川が汚染されても、どんなに国の発展が遅く非効果的であっても、宮原氏にとってネパールはすでにシンガポール以上の国であるに違いない、と思った。