見たいものしか見ず、経験した範囲でしか考えない

2017-04-28 19:21:40 | 日記
『あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしはもっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしはあなたを抱きしめてキスをして そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら わたしはその一部始終をビデオに撮って 毎日くり返し観ただろう 確かにいつも明日はやってくる 見過ごしたことも取り返せる やり間違ったことも やり直す機会がいつでも与えられている 「あなたを愛している」と言うことはいつだってできるし 「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるとしたら わたしは今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい そして私たちは忘れないようにしたい 若い人にも年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを (中略) 「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう そうすればもし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから…』(「最後だとわかっていたなら」より)知人から教えてもらった詩(2001年9月11日の同時多発テロで行方不明となっているレスキュー隊員が書いたもの)だ。われわれは北朝鮮問題について、次の状況下にあるかもしれない。つまり、①自分の見たいものしか見ず、経験した範囲でしか物事を考えない。②自分流に勝手なイメージを作り、それを声高に主張する。③考えたくない事態は存在しないと決めつけたがる(畑村洋太郎氏の見解)。きょうの楽しかったことは、○4週間毎の定期診察を無事に終えたこと、○机の中から貴重な詩が見つかったこと、○昼食は回転すし「長次郎」、ウマかったことだ。(12,080歩)