映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

終の信託

2012年11月09日 | 邦画(12年)
 『終の信託』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)これまで周防正行監督の作品は、『シコふんじゃった』(1991年)、『Shall we ダンス?』(1996年)、『それでもボクはやってない』(2007年)と見てきていますので、この作品もと思って映画館に出かけました。

 物語の舞台は1997年のある大きな病院。
 映画の冒頭は、大きな川の堤防を、花束を持って歩く女が映し出されて、タイトル・クレジットが入り、次いで、同じ女が「検察庁」の看板が掛けられている建物に入って、事務官に待合室で待つように言われます。
 映画の大部分は、その女性、すなわち、病院で呼吸器内科医として働く折井医師(草刈民代)が、塚原検事(大沢たかお)の呼び出しを受けながらも、1時間近くも待合室で待たされている間の回想として描かれます。
 まず、彼女は、同僚の医師・高井浅野忠信)と長年不倫関係にありましたが、ある出来事がきっかけで簡単に捨てられてしまいます。



 そんなこともあってか、彼女は、自分の患者である江木役所公司)のいかにも誠実な生活態度に惹かれるものを感じて行きます〔具体的なきっかけは、江木にオペラのアリアの入ったCDを手渡されたことです〕。
 さらには、江木の小さい頃の話を聞いたりし、江木に対し好意の念が募っていきます。
 ですが、江木の病状(重い喘息)が次第に昂進し、あるとき、「その時が来たら、なるべく早く楽にしてください」「僕がもう我慢しなくていい時を決めてほしいんです」と江木に言われ、折井も「わかりました。でも江木さんがいなくなったら、私はどうしたらいいんですか」と答えてしまいます。
 そして、2001年になって、江木が、突然心肺停止状態で折井の病院に運ばれます。
 さあ、折井はどのように江木に対応するのでしょうか?
 塚原検事の呼び出しとは、……?

 恋人にすげなく捨てられて自棄的になった主人公の折井医師が、誠実な生き方をする患者の江木に心を惹かれていって、ついには大変なことをしでかすに至る流れがなかなかうまく描き出されているのではと思いました。

 主人公の折井医師を演じる草刈民代は、折井医師の純心さを実にうまく出しているだけでなく、大沢たかおの塚原検事との長時間のやりとりでも破綻なくこなしていて、元バレリーナなことを忘れてしまいます。



 また、喘息患者江木に扮する役所公司は、彼にしてはそれほどの演技力を示さずに済む役柄のような気がしたものの、それでも、喘息の発作が起きて川の堤防で倒れこむシーン(注1)などは印象深いものがありました。



 塚原検事役の大沢たかおは、40分以上に渡る折井医師の取調シーンが圧巻でした。
 映画『桜田門外ノ変』において主役の関鉄之助に扮しているのを見ただけながら、自分の信念をかたくなに信じてそれを貫こうとする人物を演じるにはうってつけの俳優だと思いました。




(2)本作は、周防監督の言によれば、「終末医療」や「検事の取調べ」などの社会的な問題を描き出すことに力点があるわけではなく、折井と江木との「ラブ・ストーリー」を描くことに主たる狙いがあるとのことです。
 でも、たとえそうにしても、折井と江木の関係はプラトニックなものである一方(注2)、「終末医療」や「検事の取調べ」といった問題は現在のところ非常に大きなものがありますから、どうしても後者の方に目が行ってしまいます。
 ただ、「尊厳死/安楽死」については、現在までのところ司法では認められていないので(注3)、塚原検事の取調べは、当局に都合のいい方向に持って行こうと誘導しているのが明らかだとはいえ、大きな問題はないのではと思われます(注4)。

 問題は、折井医師の方にあるのではと思われます。
 というのも、彼女のやることなすことがあまりにも“初心”過ぎる(良く言えば、過度に“純心”でしょうか)のではと思えて仕方がありません。
 元々、同僚の高井との関係も、彼女ほどの歳で、それも長年付き合っていれば、彼が幅広く女に手を出しているくらいなことが分かりそうにもかかわらず、現場を見つけるまで気が付かなかったとは初心過ぎる気がします。
 ですがそれはさておき、いくら、江木に好意を寄せているからといって、江木に安楽死を要請された際に、「はい」と簡単に請け合ってしまうのは、常識的にはなかなか考えにくいことではないでしょうか(注5)?

 そして、最悪なのが、チューブを外してからの折井医師の慌てふためき様(注6)。
 見ながら、クマネズミは、「アレ、この映画は“安楽死”の映画ではないの?」と思ってしまいました。
 逆にいえば、それほど江木を演じた役所公司の苦悶の演技がすごかったわけながら、一方で、チューブを外したらどのような事態になるのかについて、そして予想外の出来事にどう対処すべきかについて、折井医師が何も考えていなかったという点に酷く驚きました。
 これに関しては、このサイトの記事を書いている長尾和宏氏は、「彼女がした行為は全くの殺人と言われて返す言葉が無い」と述べています。

 とはいえ、こうした思いがけない出来事がなく、チューブを抜き取るとすぐに江木が死んでしまったとしたら、それでも刑事事件としては立件され塚原検事載取調は行われるにしても、この映画は全くつまらない作品になってしまったのではないでしょうか?
 あの出来事が描かれているからこそ、人間の死というのはなかなか簡単にはとらえられないものであり、「尊厳死/安楽死」に関しては、確かに、living willを明確化しておくことは大切にしても、決してそれだけで済まされる問題ではないかもしれない、と思いました。

(3)渡まち子氏は、「ほとんど会話劇とも言える構成で、ヒロインの人間性や死生観をくっきりと浮かび上がらせる構成は見事だ。尊厳死は「もし、自分だったら…」と誰もが考えてしまう、非常に同時代性の強いテーマで、作品としての訴求力は大きい。本作がヒロインに下す“裁き”は苦いが、このあいまいさに倫理観が揺らぐ現代日本のビター・テイストが感じられる」として65点をつけています。



(注1)とはいえ、江木に関しては、全体が折井医師の回想のはずですが、このシーンは客観的第3者の視点になってしまっています。

(注2)折井医師は、高井医師とは病院内で性的関係を持つほどですが、その関係は極秘になっていたようで、そして江木とは無論そんなことはありません。としたら、あれだけ美貌の医師ですから、周囲の男が放っておくわけはないと思われるところ、そんな兆候は微塵も見られません。暫くしたら、病院の担当部長になったほどですから、折井医師に人格的におかしなところがあるわけでもなさそうで、なんだか不思議な気がするところです。
 あるいはこうした点は、いくらフィクション仕立てとはいえ、映画の原作(朔 立木氏の同名小説)が依拠した「川崎協同病院事件」〔1998年(平成10年)〕における当事者(このサイトの記事には実名が記載されています)が実在することからくる制約なのかもしれませんが。

 なお、この当事者に対しては、このサイトの記事によれば、2011年10月から2年間の医業停止の行政処分が下されています(当事者は、事件後、病院を退職し、診療所を開いていました)。

(注3)映画の中で、塚原検事が引用する「横浜事件」とは、平成3年(1991年)に起きた「東海大学安楽死事件」でしょうが、同事件に関するWikipediaの記事によれば、「日本において裁判で医師による安楽死の正当性が問われた現在までで唯一の事件」とのことです〔その前に、「名古屋安楽死殺人事件」(1961年)がありますが、この事件には医師は関与していませんでした〕。
 そして、その判決では、「被告人を有罪(懲役2年執行猶予2年)とした(確定)」ようです〔平成(1995年)7年3月28日〕。
さらにまた、このサイトの記事でも、「今までに日本で安楽死が認められた実例はない」と記載されています。

(注4)何回か、塚原検事が大声で折井医師を威嚇するシーンがありますが、殺人容疑者に対しては、あの程度のことならやむを得ないのでは、という感じがします。

(注5)江木の方も、妻になかなかそんなことを言えないのは妻が「勇気がないから」、などと言って、妻を酷く気遣うわけで、そうした気働きが十分にできる人間なのですから、折井医師に対し、CDを貸してあげたり、「信頼している」と言ったりして好意を持っているのであれば、そんなことを言えば、折井医師を窮地に追い込む可能性があることくらい、よく分かりそうなものです。

(注6)「川崎協同病院事件」に関するWikipediaの記事では、「S医師は患者Aが死亡することを認識しながら、気道確保のため鼻から気管内に挿入されていたチューブを抜き取った。ところが、予想に反して患者Aは身体をのけぞらすなど苦悶様呼吸を始めたため、S医師は、鎮静剤のセルシンやドルミカムを静脈注射したが、これを鎮めることができず、そこで、S医師は同僚医師に助言を求め、その示唆に基づいて筋弛緩剤のミオブロックをICUからとりよせ、3アンプルを看護師に静脈注射させた。注射後、数分で呼吸は停止し、11分後には心拍も停止して患者Aは死亡した」と述べられています。
 こうした経緯もあって、本事件はいわゆる「安楽死事件」として数えられないように思われますが、それでも尊厳死を巡っての事件であることに違いがないように思われるところです。



★★★☆☆



象のロケット:終の信託


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クマネズミ)
2017-09-05 05:48:42
「ふじき78」さん、TB&コメントを有難うございます。
残念ながらクマネズミは「HERO」を見ておりません!
ただ、「この事件を「HERO」のキムタク検事が取り扱ってたら、ああいう終わり方にはならなかったろう」と仰るところからすると、本作の大沢たかお検事が酷くリアルなのに対し、キムタク検事はきっとファンタスティックなのでしょうね。
返信する
Unknown (ふじき78)
2017-09-04 21:50:30
大沢たかおの罪に問う事を前提としている取り調べは大層怖かったです。しかし、この事件を「HERO」のキムタク検事が取り扱ってたら、ああいう終わり方にはならなかったろうなあ。
返信する
気がつきませんでした (クマネズミ)
2012-11-22 06:34:55
「ポンテヴぇッキオ」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
えっ、そうだったんですか!全然気がつきませんでした。
それでネットを調べてみましたら、「鉄平ちゃんの相模原ディープサウス日記」(http://blogs.yahoo.co.jp/teppeichang0340/30769632.html)というサイトに掲載の写真にはっきり写ってます。
もっと目を凝らして見ないといけませんね。
返信する
版画 (ポンテヴぇッキオ)
2012-11-22 03:12:11
大沢たかおの検事の部屋に、版画が飾ってありましたが、それがフィレンツィエのポンテ・ヴェッキオの絵であることに気が付かれたでしょうか?
周防監督、遊んでるな~とシリアスなシーンなのに、爆笑してしまいました。
返信する
Unknown (クマネズミ)
2012-11-14 20:25:03
「ほし★ママ」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「彼女の行動に理解できない部分」とは具体的にどんなこ
とかわかりませんが、もう少し彼女が大人びて行動したら
なと思う点がいくつかありました。
返信する
焦点 (クマネズミ)
2012-11-14 20:23:54
「sakurai」さん、TB&コメントをありがとうございます。
ラブストーリーという観点からすれば、高井医師に振ら
れてからの折井医師の行動は初心過ぎる感じがし、深
刻な社会問題を扱っているにしても、チューブを抜きとっ
てからの折井医師の行動がどうも不可解な感じがしま
す。
そんなところから、おっしゃるように、本作はどうも「焦点
が定まらなかったような気」がしてしまうのではと思いま
す。
返信する
Unknown (ほし★ママ)
2012-11-14 07:53:32
本当は、すごく好きな映画で、折井医師に
大いに感情移入するだろうと思っていたのですが
どうしても彼女の行動に理解できない部分があって
何をどう見たらよいのかわからなくなってしまいました。
返信する
やはり (sakurai)
2012-11-13 10:35:44
折井医師の描き方に難点があったように思えますよね。
実際にあった事件がベースになっているとはいえ、医師のキャラ付けは、創作になったのでしょうね。
それがいい方向に生かされてなかった感じがしました。
難しい問題を提起して、映画にした気概は買いますが、焦点が定まらなかったような気がしました。
返信する

コメントを投稿