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オカンの嫁入り

2010年10月03日 | 邦画(10年)
 予告編から映画では最近ありがちなストーリーではないかと二の足を踏んでいましたが、マアとにもかくにもと思い立って、『オカンの嫁入り』を新宿の角川シネマートに行って見てきました。

(1)映画は大阪の話で、ごく狭い範囲の人間関係が、至極濃密に描かれます。母親・陽子(大竹しのぶ)と娘・月子(宮崎あおい)とで長年暮らしてきたところ、突然母親が、20歳くらい若い青年・研二(桐谷健太)を伴って帰宅、そして結婚宣言までするので、大家のサク(絵沢萠子)や陽子の勤め先の医院の先生(國村隼)をも巻き込んで騒動に。挙げ句は、結婚式で白無垢を着るべく衣装合わせに行こうという段取りになります。ところが、月子には電車に乗れないという問題があります。また、衣装合わせの当日に陽子は倒れてしまい、月子に秘密にしていたことがバレてしまいます。うまく結婚式の日をみんなで迎えることが出来るのでしょうか、……。

 この映画には興味をひかれる点がいくつかあります。
 まず、先日の『BECK』で見たばかりの桐谷健太が、映画が始まってすぐに登場したので驚いてしまいました。それも、髪の毛を金色に染めたリーゼントスタイルで。
 『BECK』では派手な張り切りボーイ役でしたが、こちらでは調理師の腕前を持った“おばあちゃん子”という地味な設定ながら、どちらも一本気な性格という点で共通していて格好良く、とどのつまりはファンが増えてしまうのでしょう。
 その桐谷健太が、自分のせいで祖母が亡くなってしまったとして、何よりも悲しいのはもう会って謝れなくなってしまったことだ、と言っていたのがすごく印象的です。これは、映画『今度は愛妻家』で、薬師丸ひろ子が豊川悦司に対して、「知らなかったな。私のことそんなに好きだったなんて。何で言ってくれなかったの」と言う場面に通じるところがあると思いました。人間死んでしまえば、したくともコミュニケーションができなくなってしまうのですから、生きているうちに何でもしておかないとという気にさせられます。

 また、陽子の秘密があります。ただ、いったい余命1年という陽子が、病人とはとても思えない雰囲気なのにはやや違和感を覚えてしまいます。
 とはいえ、これは、園子温監督の『ちゃんと伝える』で、父親(奥田瑛二)よりも重い病状のはずの息子(AKIRA)が、酷く元気な姿で描かれているのと通じているのではと思われます。要すれば、厳しい病状を描くことに映画の眼目はなく、むしろそんなことをすれば観客の観点が他に移ってしまう恐れがあるからということなのでしょう。

 さらに、月子のトラウマの件です。
 最初のうちこの映画は、母親の陽子が中心の人情話ではと思っていました。ところが、月子は、1年ほど前に、会社の同僚によるストーカー被害を受けて、その結果電車に乗ろうとすると足がすくんでしまうというダメージを受け、会社もやめて家に引っ込んだ生活を送っているという事情が突然明らかにされます(注1)。
 母親の秘密は予告編からもある程度推測はつくものの、月子までもそんな厳しい事情を持っているのかという感じになります。
 ですが、月子はそこまで追い込まれているからこそ、逆に、様々の思いもよらない事態を自分なりにしっかり受け止めて、立ち直っていこうとするのでしょう!

 こうなると、全体として大層重苦しいジメジメした感じの作品になってしまうところ、大竹しのぶの持前の明るさ、それに、『少年メリケンサック』や『ソラニン』でも見られた宮崎あおいの可愛らしい雰囲気、それに桐谷健太らの脇役陣の充実によって、映画全体は決して湿った感じのものになってはいません(注2)。日常的なものと非日常的なものとがうまくバランスしているのは、監督の呉美保氏の手腕によるものでしょう。なにより、陽子の死ではなく、嫁入り行列のシーンで終わりというのがよかったと思います。




(注1)これはPTSDなのかもしれないところ、月子が恐ろしい目に遭遇するのは電車の中ではなく駐輪場ですから、自転車に乗れなくなるのであればわかりますが、電車に乗れないというのは、ちょっと飛躍があるのではという気もします。それに、彼女がその病気で通院しているようには描かれてはいません。
(注2)大竹しのぶと國村隼は、『ダーリンは外国人』で、井上真央の両親の役を演じてました!

(2)他にこの映画で興味が惹かれたのは、陽子と月子が住む住宅のことです。
 大阪にも、京都の町家と同じように、入口が狭くて奥が深い俗に言う“ウナギの寝床”的な感じの住宅がまだあるようです。
 劇場用パンフレットに掲載されている間取り図からすると、思ったより細長くない感じですが、それでも、細長い通路の奥に格子戸があって、その奥に中庭があったりして、いかにも町家風です。
 その中庭は、大家のサクが煮物が出来たと言って運んでくる通路であったり、陽子や月子がイロイロ考え事をしながら縁側に据わって眺めるものであったり、などと重要な背景部分を構成しています。


(劇場用パンフレットより:左側が陽子・月子の住む家、右側が大家の家)

 ここで思い起こされるのが「住吉の長屋」です。これは、大阪住吉区住吉大社近く(細井川そば)にある建築デザイナー安藤忠雄氏の設計による住宅(1976年)です。



 この家は、「昔ながらの長屋が残っていた地域において、その長屋のうちの1軒を建て替えたもの」で、「ちょうど、既存の長屋の間にコンクリートの箱(間口2間、奥行き7間)を差し挟むようにできてい」て、中央にある「中庭によって手前と奥の2つの場所に分けられてい」ます。そして、この中庭があるために、「隣の部屋に行くために一度外に出なくてはならないという平面図」になっていて、そのことがこの建物を有名にしました(注)。



 もしかしたら、これらの庭はスペインの建物に見られるパティオにも通じるところがあり、大阪の陽子や月子が住む住宅からひょっとしたら世界が見えてくるのかもしれません。

(注)以上の事柄は、『住吉の長屋/安藤忠雄(ヘヴンリーハウス―20世紀名作住宅を巡る旅3)』〔千葉学著、東京書籍、2008年〕を参考にしました(P.20)。



 

(3)映画評論家は総じて好意的です。
 福本次郎氏は、「母の本心を本人からではなく他人の口から聞かされる、ただ一人の肉親だからこそ気を使っているのに、相手は水臭いと感じている。すれ違いのもどかしさが軽妙なテンポの会話で浮き彫りにされていく過程は人情の機微に富んでいて、人が深刻に悩み人を真剣に心配する、そのつながりが懐かしくもうらやまし」く、「辛い過去や哀しい記憶は誰にもある、しかし人は生きていかなければならない。それでも日常の出来事にちょっとした笑いや幸せを見つけることで人生は豊かになる、そんな思いが込められた作品だった」として70点もの高得点を、
 渡まち子氏も、「軽すぎず、重すぎず。演出の抑制が絶妙な人間ドラマだ。初共演の大竹しのぶと宮崎あおいが母娘を演じるが、フワフワした雰囲気が共通していて本物の親子のよう」であり、「月子の心の扉を開けるため、母の結婚が強引なカンフル剤となっている。さらに陽子にもなかなか娘には言いだせない、ある秘密が。その秘密はヘタするとお涙 ちょうだいになってしまうものだが、この映画ではそうはならない。軽妙なセリフの中にいたわりを感じさせるため、白無垢姿の母とそれをみつめる娘の和解の 場面がごく自然な感動を生んでいる」として60点を、
それぞれ与えています。




★★★☆☆


象のロケット:オカンの嫁入り


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2 コメント

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平面図 (mach)
2010-10-04 11:17:57
トラバありがとうございました。

パンフレットには主人公の住む住宅の平面図が載っていたのですね。最近ほとんどパンフレットは買いませんが、こんな「有益情報」があったとは。

本作では、コミュニケーションや他人との繋がり方が重要な要素なので、それを生み出す家屋のプランは影の主役ともいえますね。
萌え萌え (ふじき78)
2010-11-14 07:24:50
いつまで経っても顔立ちが小学生の宮崎あおいのスネ顔が可愛くて堪らない。

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