『もらとりあむタマ子』を吉祥寺バウスシアターで見ました。
(1)『苦役列車』で頑張っていた前田敦子が主演の作品で、なおかつ評判がなかなか高いこともあり、大層遅ればせながらも映画館に行ってみました。
本作は、音楽チャンネルの「MUSIC ON! TV(エムオン!)」のステーションID(注1)から生まれたもので、四季に分かれていて、最初は「秋」。
東京の大学を卒業して実家に戻っているタマ子(前田敦子)が、朝、2階にある部屋のドアを叩く音でもぞもぞ動きます。
舞台は「甲府スポーツ」で(注2)、父親・善次(康すおん)が店の戸を開け、看板を表に出します。
善次は早速仕事にとりかかっているところ、起きてきたタマ子は朝食のロールキャベツを食べ(どうやらギッチョのようです)、TVを付けます。
さらに善次は、洗濯物を干していますが、その中にはタマ子のパンティとかブラジャーが混じっています。
善次が部屋に戻ると、タマ子は、食べっぱなしでトイレに入り漫画を読んでいる始末。
その後タマ子は、椅子に座りながらプリンを食べ、漫画を読み、昼寝という具合。
夕方になると、善次は店を閉め夕食を作ります。
二人で夕食を食べるのですが、TVニュースを見ながらタマ子が「ダメだな、日本は」と口にすると、善次は、「お前、どこか体悪いのか。少しは就職活動しているのか?何のために大学に行かせたと思っているんだ。日本がダメじゃなくて、お前がダメなんだ」と言います。これに対して、タマ子は「動くよ。私だって」と答え、善次がさらに「いつなんだ?」と尋ねると、「少なくとも今ではない」との返答。
おおよそこんな感じで物語は次の「冬」(そして「春」から「夏」)に移っていきますが、さてタマ子と善次の関係はどのようになっていくのでしょうか、………?
映画のメインの舞台は地方のスポーツ店で、その登場人物はごくわずかであり(専ら主役のタマ子とその父親・善次)(注3)、また何かことさらめいた起こることもない作品ながら〔タマ子が大学を卒業しても、何もせずに家でぶらぶらしている様子が主に描かれ、その中に父親の再婚話(注4)などがちょっとばかり嵌めこまれます〕、にもかかわらず(あるいは、だからこそかもしれませんが)、なんだか今の時代がとても上手く描かれているような気がして、なんとなく感動してしまいます。やっぱり映画は、お金をかけた大作だからといって良い作品になるものでもないな(例えば『人類資金』でしょうか!)、こうした小さな作品(78分)の方が返って良い印象を与えてくれるのだな、と改めて思いました。
(2)本作は、何はともあれ前田敦子の類まれなる演技が第一の見ものといえるでしょうが(注5)、なおまた脚本の良さも特筆すべきではないかと思います。
例えば、タマ子は、写真館の息子で中学生の仁(伊東清矢)と何故か気が合うのですが、ラストの「甲府スポーツ」の店の前で、アイスクリームを食べながらおおよそ次のような会話をします。
タマ子「私、夏が終わったらここ出るから」、仁「どこ行くの?」、タマ子「まだ決めてない。バスケ、レギュラーになれそう?」、仁「微妙」、タマ子「彼女は?」、仁「別れた。自然消滅」、タマ子「そんなもんだな」。
そして、仁は自転車に乗って去ってしまい、ひとり残されたタマ子は、背伸びをしてから「自然消滅って、久々聞いた」と言います。
このシーンでは、ごく簡単な科白のやりとりの中にこの物語のここまでの展開が色々詰められていて(注6)、とても優れた出来栄えではないかと思いました。
(3)渡まち子氏は、「音楽番組から生まれた異色の人間ドラマ「もらとりあむタマ子」。ニコリとも笑わないぐうたらヒロインを演じる前田敦子のダメっぷりがいい」として65点をつけています。
また相木悟氏は、「ゆる~い空気感ながら、一瞬たりとも眼が離せない怪作であった」と述べています。
他方、前田有一氏は、「前田の演技力不足、役作り不足もあってすべてが芝居がかって見える」として35点しか付けていません。
ですが、例によって〔『ジャッジ!』についてのエントリの(2)でも申し上げたように〕、前田氏は「世界設定が浮いているため、共感も教訓もないし、ドラマに深みもない」と述べていますが、どうしてどの映画からも「教訓」を引き出そうとするのでしょうか?入場料を払い時間を潰して見たからには、「教訓」くらい得られないと元が取れないとでも言いたいのでしょうか?
また、つまらないことですが、「山下敦弘監督の映画は、物語に抑揚がなく突出したキャラクターも出ないオフビートな作風が持ち味」と前田氏が述べているところ、「オフビート」の本来的な意味合いは、「抑揚がない」ということではなく、「通常とははずれたところに強拍があること」(コトバンク)のはずですが。
(注1)シーズン・グリーティングID は、「秋の日のタマ子」(サンマ)、「冬の日のタマ子」(みかん)、「春の日のタマ子1」(ハト)、「春の日のタマ子2」(就職祝いの時計)、「夏の日のタマ子」(犬のツトムくん)からできています。
いずれも同一のスタッフ(出演:前田敦子、監督:山下敦弘、脚本:向井康介、音楽:星野源)による30秒の作品であり、その内容は「前田敦子扮するタマ子という女の子を中心に、日常のひとコマを、季節感溢れるワン・シチュエーションで表現」しています。
なお、本作のスタッフ(監督・脚本・音楽)もこれらの作品と同じです。
(注2)甲府が舞台の映画作品といったら、すぐさま『サウダーヂ』を思い出します。同作では、甲府駅の南側の商店街(今やシャッター街になってしまいましたが)が映し出されているところ、本作の「甲府スポーツ」は、甲府駅の北側(山梨大学の南側)に実在するようです(なお、このサイトの記事を参照)。
ただ、マッタクどうでもいいことですが、公式サイトの「プロダクションノート」に「半径200メートル以内で展開するタマ子の世界」とあるものの、実在の「甲府スポーツ」から“半径200メートル以内”に、タマ子が2度ほど自転車で通りかかる「小さい駅」は見当たりません(1度目は友人だったマキ子が帰省したところに遭遇し、2度目はそのマキ子が東京方面の電車を駅で待っています)。
(注3)善次の別れた妻は東京にいるようですが、タマ子は時々連絡をとっていて、彼女がバリ島へ旅行に行くとの情報を善次に伝えたりします。また、善次の再婚話の進捗状況を母親に連絡するものの、母親の方は取り合おうとはしません。なんだかタマ子は、両親が再び元の生活に戻るかもしれないと甘い期待を抱いていたようなのです。
また、タマ子には結婚している姉がいてお正月に帰省するのですが、母親同様音声のみになっています。
(注4)法事の相談に兄・啓介(鈴木慶一)の家に善次と行った際に、タマ子は、兄嫁のよし子(中村久美)が、アクセサリー教室を主催する曜子(富田靖子)を善次に紹介したことを知ります。
そこでタマ子は、まず中学生の仁をスパイとしてアクセサリー教室に送り込んで様子を探らせた挙句、自分でも教室に乗り込んで曜子と接触します。
その際、父親のダメっぷりをいろいろ曜子に話すのですが、「一番ダメなのは、私に家を出て行けと言えないところですよ」と言うと、なんとその後の夕食時に、父の口から「夏が終わったら、この家を出て行け」と言われてしまうのです。
タマ子は、曜子に言ったことがすぐに善次に伝わって、それを善次が自分に言ったのだとわかるのでしょうが、サテどのように対応するのでしょうか?善次が「今更他人と暮らすのは嫌だ」と言ってはいるものの、それは表向きで、実は曜子と大層親密な関係になっていることがわかったと思うのでしょうか、あるいはそんな口移しのことを言うような人間ではダメじゃないか、この縁談もうまくいかないのではと思うのでしょうか?
(注5)例えば、前田敦子の本作におけるトローンとした目つきを見たら、善次でなくとも、「もっとしっかりしろ!」とは叱れなくなってしまうのではないでしょうか?
なお、前田敦子主演の黒沢清監督作品『SeventhCode』は、渋谷のシネクイントにて今月1週間限定で上映されたものの、残念ながら見逃してしまいました(ただ、シングルCD「セブンスコード」発売に合わせて、3月5日に、同作品もDVDで発売されるようです)。
(注6)タマ子の「私、夏が終わったらここ出る」との科白には、上記「注4」で触れたことが反映していますし、彼女が「バスケ」と言うのも、映画の冒頭付近で、仁が母親と一緒に「甲府スポーツ」にやってきてバスケットシューズを買ったことがあるからですし(特にその後、仁が一人で店にやってきて、タマ子と相談しながら注文内容を変更します)、さらに「彼女は?」と尋ねるのは、タマ子が買い物から帰る途中で仁が女子中学生と一緒にいるところを目撃していることからです〔その後、もう一度仁の家(写真館)の前でも二人に遭遇しています〕。
★★★★☆☆
象のロケット:もらとりあむタマ子
(1)『苦役列車』で頑張っていた前田敦子が主演の作品で、なおかつ評判がなかなか高いこともあり、大層遅ればせながらも映画館に行ってみました。
本作は、音楽チャンネルの「MUSIC ON! TV(エムオン!)」のステーションID(注1)から生まれたもので、四季に分かれていて、最初は「秋」。
東京の大学を卒業して実家に戻っているタマ子(前田敦子)が、朝、2階にある部屋のドアを叩く音でもぞもぞ動きます。
舞台は「甲府スポーツ」で(注2)、父親・善次(康すおん)が店の戸を開け、看板を表に出します。
善次は早速仕事にとりかかっているところ、起きてきたタマ子は朝食のロールキャベツを食べ(どうやらギッチョのようです)、TVを付けます。
さらに善次は、洗濯物を干していますが、その中にはタマ子のパンティとかブラジャーが混じっています。
善次が部屋に戻ると、タマ子は、食べっぱなしでトイレに入り漫画を読んでいる始末。
その後タマ子は、椅子に座りながらプリンを食べ、漫画を読み、昼寝という具合。
夕方になると、善次は店を閉め夕食を作ります。
二人で夕食を食べるのですが、TVニュースを見ながらタマ子が「ダメだな、日本は」と口にすると、善次は、「お前、どこか体悪いのか。少しは就職活動しているのか?何のために大学に行かせたと思っているんだ。日本がダメじゃなくて、お前がダメなんだ」と言います。これに対して、タマ子は「動くよ。私だって」と答え、善次がさらに「いつなんだ?」と尋ねると、「少なくとも今ではない」との返答。
おおよそこんな感じで物語は次の「冬」(そして「春」から「夏」)に移っていきますが、さてタマ子と善次の関係はどのようになっていくのでしょうか、………?
映画のメインの舞台は地方のスポーツ店で、その登場人物はごくわずかであり(専ら主役のタマ子とその父親・善次)(注3)、また何かことさらめいた起こることもない作品ながら〔タマ子が大学を卒業しても、何もせずに家でぶらぶらしている様子が主に描かれ、その中に父親の再婚話(注4)などがちょっとばかり嵌めこまれます〕、にもかかわらず(あるいは、だからこそかもしれませんが)、なんだか今の時代がとても上手く描かれているような気がして、なんとなく感動してしまいます。やっぱり映画は、お金をかけた大作だからといって良い作品になるものでもないな(例えば『人類資金』でしょうか!)、こうした小さな作品(78分)の方が返って良い印象を与えてくれるのだな、と改めて思いました。
(2)本作は、何はともあれ前田敦子の類まれなる演技が第一の見ものといえるでしょうが(注5)、なおまた脚本の良さも特筆すべきではないかと思います。
例えば、タマ子は、写真館の息子で中学生の仁(伊東清矢)と何故か気が合うのですが、ラストの「甲府スポーツ」の店の前で、アイスクリームを食べながらおおよそ次のような会話をします。
タマ子「私、夏が終わったらここ出るから」、仁「どこ行くの?」、タマ子「まだ決めてない。バスケ、レギュラーになれそう?」、仁「微妙」、タマ子「彼女は?」、仁「別れた。自然消滅」、タマ子「そんなもんだな」。
そして、仁は自転車に乗って去ってしまい、ひとり残されたタマ子は、背伸びをしてから「自然消滅って、久々聞いた」と言います。
このシーンでは、ごく簡単な科白のやりとりの中にこの物語のここまでの展開が色々詰められていて(注6)、とても優れた出来栄えではないかと思いました。
(3)渡まち子氏は、「音楽番組から生まれた異色の人間ドラマ「もらとりあむタマ子」。ニコリとも笑わないぐうたらヒロインを演じる前田敦子のダメっぷりがいい」として65点をつけています。
また相木悟氏は、「ゆる~い空気感ながら、一瞬たりとも眼が離せない怪作であった」と述べています。
他方、前田有一氏は、「前田の演技力不足、役作り不足もあってすべてが芝居がかって見える」として35点しか付けていません。
ですが、例によって〔『ジャッジ!』についてのエントリの(2)でも申し上げたように〕、前田氏は「世界設定が浮いているため、共感も教訓もないし、ドラマに深みもない」と述べていますが、どうしてどの映画からも「教訓」を引き出そうとするのでしょうか?入場料を払い時間を潰して見たからには、「教訓」くらい得られないと元が取れないとでも言いたいのでしょうか?
また、つまらないことですが、「山下敦弘監督の映画は、物語に抑揚がなく突出したキャラクターも出ないオフビートな作風が持ち味」と前田氏が述べているところ、「オフビート」の本来的な意味合いは、「抑揚がない」ということではなく、「通常とははずれたところに強拍があること」(コトバンク)のはずですが。
(注1)シーズン・グリーティングID は、「秋の日のタマ子」(サンマ)、「冬の日のタマ子」(みかん)、「春の日のタマ子1」(ハト)、「春の日のタマ子2」(就職祝いの時計)、「夏の日のタマ子」(犬のツトムくん)からできています。
いずれも同一のスタッフ(出演:前田敦子、監督:山下敦弘、脚本:向井康介、音楽:星野源)による30秒の作品であり、その内容は「前田敦子扮するタマ子という女の子を中心に、日常のひとコマを、季節感溢れるワン・シチュエーションで表現」しています。
なお、本作のスタッフ(監督・脚本・音楽)もこれらの作品と同じです。
(注2)甲府が舞台の映画作品といったら、すぐさま『サウダーヂ』を思い出します。同作では、甲府駅の南側の商店街(今やシャッター街になってしまいましたが)が映し出されているところ、本作の「甲府スポーツ」は、甲府駅の北側(山梨大学の南側)に実在するようです(なお、このサイトの記事を参照)。
ただ、マッタクどうでもいいことですが、公式サイトの「プロダクションノート」に「半径200メートル以内で展開するタマ子の世界」とあるものの、実在の「甲府スポーツ」から“半径200メートル以内”に、タマ子が2度ほど自転車で通りかかる「小さい駅」は見当たりません(1度目は友人だったマキ子が帰省したところに遭遇し、2度目はそのマキ子が東京方面の電車を駅で待っています)。
(注3)善次の別れた妻は東京にいるようですが、タマ子は時々連絡をとっていて、彼女がバリ島へ旅行に行くとの情報を善次に伝えたりします。また、善次の再婚話の進捗状況を母親に連絡するものの、母親の方は取り合おうとはしません。なんだかタマ子は、両親が再び元の生活に戻るかもしれないと甘い期待を抱いていたようなのです。
また、タマ子には結婚している姉がいてお正月に帰省するのですが、母親同様音声のみになっています。
(注4)法事の相談に兄・啓介(鈴木慶一)の家に善次と行った際に、タマ子は、兄嫁のよし子(中村久美)が、アクセサリー教室を主催する曜子(富田靖子)を善次に紹介したことを知ります。
そこでタマ子は、まず中学生の仁をスパイとしてアクセサリー教室に送り込んで様子を探らせた挙句、自分でも教室に乗り込んで曜子と接触します。
その際、父親のダメっぷりをいろいろ曜子に話すのですが、「一番ダメなのは、私に家を出て行けと言えないところですよ」と言うと、なんとその後の夕食時に、父の口から「夏が終わったら、この家を出て行け」と言われてしまうのです。
タマ子は、曜子に言ったことがすぐに善次に伝わって、それを善次が自分に言ったのだとわかるのでしょうが、サテどのように対応するのでしょうか?善次が「今更他人と暮らすのは嫌だ」と言ってはいるものの、それは表向きで、実は曜子と大層親密な関係になっていることがわかったと思うのでしょうか、あるいはそんな口移しのことを言うような人間ではダメじゃないか、この縁談もうまくいかないのではと思うのでしょうか?
(注5)例えば、前田敦子の本作におけるトローンとした目つきを見たら、善次でなくとも、「もっとしっかりしろ!」とは叱れなくなってしまうのではないでしょうか?
なお、前田敦子主演の黒沢清監督作品『SeventhCode』は、渋谷のシネクイントにて今月1週間限定で上映されたものの、残念ながら見逃してしまいました(ただ、シングルCD「セブンスコード」発売に合わせて、3月5日に、同作品もDVDで発売されるようです)。
(注6)タマ子の「私、夏が終わったらここ出る」との科白には、上記「注4」で触れたことが反映していますし、彼女が「バスケ」と言うのも、映画の冒頭付近で、仁が母親と一緒に「甲府スポーツ」にやってきてバスケットシューズを買ったことがあるからですし(特にその後、仁が一人で店にやってきて、タマ子と相談しながら注文内容を変更します)、さらに「彼女は?」と尋ねるのは、タマ子が買い物から帰る途中で仁が女子中学生と一緒にいるところを目撃していることからです〔その後、もう一度仁の家(写真館)の前でも二人に遭遇しています〕。
★★★★☆☆
象のロケット:もらとりあむタマ子
「オフビートがオフビート」すると、通常のリズムに戻ってしまうとも思えますが、それはさておき、本作は、秋から夏という1年をだらだらと何事もなく過ごす女の子の有り様が実に上手く描かれていて、都議選の状況などをみると、強迫・弱拍のリズムなしに平板に推移しているように感じられる今の日本となんとなくマッチしているような感じを受けたところです。
割と評価が難しい作品だと思ってて、実は大きくけなすところがないだけの作品ではないかと思ったりもしてます。物語の奔流にのせてと言うような話でないのは承知なのですが、山下監督の評論によく使われる「オフビート」も今回は徹するでもなく、オフビートがオフビートしてるし。何かギリギリ映画の尺になったけど、これが四季じゃなく三季でも困らないみたいな、何か作品としての必然性のなさを感じてしまうのです。