映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ブリューゲルの動く絵

2013年01月20日 | DVD
 『ブリューゲルの動く絵』をDVDで見ました。

(1)本作については、本ブログのタイトルに「絵画的」と標榜しておきながら、都合がつかなくて見逃してしまい、ズット気になっていたところ(注1)、そのDVDが昨年12月に出され、TSUTAYAでもレンタル開始となったので、早速、正月休みを利用して見てみました。

 本作は、ベルギーの画家ピーテル・ブリューゲルの絵画『十字架を担うキリスト』(1564年、ウィーン美術史博物館蔵)が持つ意味合いを、絵で描かれている人物たちを実写化(この絵に描かれている人物たちが、それぞれに扮した俳優たちによって動き出します)することで探究しようとするものです。

 元になっているのは、マイケル・フランシス・ギブソンの著作『The Mill and the Cross』(映画の原題と同じ)ながら、そのギブソンが、本作の監督・製作のレフ・マイェフスキと共同で脚本を書いています。

 この映画では、一方で、ブリューゲルの妻とそのたくさんの子供たちが食事をしたり、行商人がパンを売り歩いたりするなど、当時の様々の生活風景が丹念に描き出されますが、他方で、台詞を与えられている3人がいろいろ話します。

イ)画家のブリューゲルルトガー・ハウアー)が、この絵の構図等について、あらまし次のようなことを述べます(注2)。



・画面を大きくし登場人物も増やして、1枚の絵の中に多くの物語を描きたい。
・描き始めに基準となる点が必要で、それがゴルゴダの丘に引っ立てられていく救世主だ。彼はクモの巣の中心にいるクモでもある。
・ただ、彼は絵の中心にいるものの、目立たぬ存在だ。というのも、十字架を担がせようと兵士が捉えたシモンの方に群衆の目が向いているから(注3)。
・中央に岩山があって、その上に風車小屋が置かれるが、これはこの絵の軸であり、生と死の間にある。その風車小屋に粉屋がいるが、彼が、他の絵における神のように、すべてを見下ろしている。彼が挽いて出来る粉で、生命と運命のパンが出来、それを行商人が売り歩く。
・岩山の左側では、生命の樹が葉を茂らせる。
・その反対側の右手奥には、死の黒い輪(ゴルゴダの丘)。
・右手前には、死の木(車輪刑用の)が立っていて、根元には馬の頭蓋骨。
・最後に、そのそばに2人の男(ブリューゲルと銀行家のヨンゲリンク)。

ロ)銀行家のヨンゲリンクマイケル・ヨーク)(注4)は、スペインによる支配について、概略次のように妻に向って話します。



・この地に住む者はどんな宗派の人間とも共存できると信じているが、スペイン王は異端を認めず、彼らは王の命により残らず処刑される。
・このような横暴は我慢ならない。
・だが、赤い服の傭兵たちはスペインの支配者に仕えており、我々もその僕なのだから(注5)、彼らの振る舞いに耐えなくてはならない。

ハ)聖母マリアシャーロット・ランプリング)が、ゴルゴダの丘に向かう救世主について、だいたい次のように呟きます(注6)。



・彼を歓迎した同じ兵士達が、昨夜、彼を捕えにきた。
・さらに、夢中になって耳を傾けていた同じ群衆が、今朝は、彼の首を求めて叫んでいる。
・彼は私の息子、だが大人になって私たちを驚かせた。
・彼は、「私は地上に火を投げるために来た」、「私たちは運命の火をつかめるのだ」と言って笑みを浮かべた。
・彼は、世界に光をもたらした。その光は闇を脅かした。神や人を敬うことのできない愚か者や、権力に固執する者、因習に囚われている者にとって、彼は脅威となったのだ。


 これらの台詞からすると、ブリューゲルは、銀行家のヨンゲリンクの依頼に基づきながら、当時のスペイン国王によってネーデルランドに対しなされた暴政(異端審問に代表される)を、キリストの受難になぞらえて描き出そうとしているものと考えられます。
 描かれている聖母マリアは、キリストの母であると同時に、フランドルの状況を改革しようとして捕まり処刑される青年の母親でもあるのでしょう、あれほど支持していた民衆が今度は手のひらを返すように処刑の見物に集まってくる様を見て、嘆き悲しみます。
 この光景に対して、ブリューゲルは、見守るべき救世主よりも、今兵士に捕まえられているシモンの方に関心を持ってしまう民衆の有様を描くことによって、もう一捻り加えています。

 映画では、救世主の処刑が終わり、岩山の洞窟に遺体を安置すると、空が暗くなって雷鳴が轟きますが、一夜明けると空は晴れ渡り、何事もなかったように人々の普段通りの生活が行われ、皆は輪になって踊り出します。
 でも、果たして何事もなかったのでしょうか、人々は大切なことから目を逸らして日常生活に埋没しているだけなのではないでしょうか?

 この映画を制作したポーランド人のレフ・マイェフスキ監督は、単にブリューゲルの絵画『十字架を担うキリスト』の絵解きをするだけでなく、ブリューゲルが絵画という手法を縦横に使って訴えようとしたこと(いってみれば、エラスムスの“寛容の精神”でしょうか)を、現代的なメディアである映画という技法を駆使して、再度、今の時代に蘇らせようとしたのではないでしょうか?

 本作に出演している俳優のうち、ルドガー・ハウアーは、有名な『ブレードランナー』に出演していますが、最近の作品ではお目にかかっていません。
 また、シャーロット・ランプリングは、『メランコリア』で主役のジャスティンの母親に扮しています(ちなみに、同作品ではブリューゲルの『雪中の狩人』が使われています)。

(2)本作の公式サイトの「イントロダクション」において、レフ・マイェフスキ監督の「鋭い感性」が「アートそして映画ファンをも魅了した『エルミタージュ幻想』(アレクサンドル・ソクーロフ監督)や『真珠の首飾りの少女』(ピーター・ウェーバー監督)に劣らぬ傑作をうみだした」と述べられています。
 ただ、映画『エルミタージュ幻想』(2002年)は、ピョートル大帝や皇帝ニコライ二世、プーシキンなどなど歴史上の人物がいろいろ登場するものの、そしてエルミタージュ美術館所蔵の名画がいくつも映し出されるものの(注7)、ロシア・ロマノフ王朝の歴史を描き出すことに主眼が置かれていて、本作のように、ある絵画を取り上げてその意味を解明しようという意図は持っていません。

 また、映画『真珠の首飾りの少女』(2003年)は、確かに、フェルメールの絵に描かれている少女(注8)を巡る物語ですが、絵画の謎の究明というよりも(注9)、絵を見て着想したロマンティックなラブストーリーの方に随分と傾斜していると思われます(注10)。

 本作は、むしろピーター・グリーナウェイ監督の映画『レンブラントの夜警』(2007年)の方に近いのではないかと思いました。
 同作についてはこのエントリの(3)で触れたところですが、本作と同じように、レンブラントの『夜警』で描かれている市警団隊長バニング=コックらが、本作と同じように当時の扮装で動き回っているのです。



 その上で、ピーター・グリーナウェイ監督は、絵画『夜警』の背後に一つの殺人事件を探りだそうとします。
 むろん、それも一つの仮説であり、想像力の産物と言えるでしょうが、映画『真珠の首飾りの少女』に比べたらずっと地に足の着いたものといえるのではないかと思います。
 ただ、同作は、専らレンブラントに関する伝記的な作品であり、ブリューゲルの伝記的な事実についてほとんど触れられていない本作とは性質を異にしているともいえるでしょう。

(3)渡まち子氏は、「実写映像と、ポーランド人アーティストのレフ・マイェフスキ監督自らが描いたという背景画、ラストに登場する本物のブリューゲルの絵。すべてがミックスされてイマジネーション豊かな作品になった」として70点をつけています。



(注1)映画『プッチーニの愛人』に関するエントリに対するmilouさんのコメントで、「映画的・絵画的・音楽的なら必見の作品だ」との指摘を受けたこともあり!
 なお、同コメントでは、本作の字幕に関する貴重な意見が述べられています。

(注2)以下でブリューゲルが述べていることを試みに絵の中に書き込むと、あるいは次のようになるのではと思われます。



(注3)本作のブリューゲルは、「「イエスの降誕」も「イカロスの失墜」も「サウルの自害」も、世界を揺るがす大事件だが、人々は無関心だ」と述べ、「だから、私は、観る者の目を捉えるべく、クモの巣のように巣を張っているのだ(→すべての物語を描き込むこと?)」と銀行家のヨンゲリンクに言います。
 ブリューゲルは、『イカロスの墜落のある風景』及び『サウルの自殺』を描いているところ(「イエスの降誕」についてブリューゲルは、下記の「注6」で触れる『東方三博士の礼拝』を描いています)、いずれの絵においても、重要な出来事の画面における扱いはごく小さなものになっています。。

(注4)ブリューゲルに絵の制作を依頼するヨンゲリンク自身は、「アントウェルペンの市民であり、銀行家であり、絵の収集家である」と言っています。

(注5)ネーデルランドは、長いことスペイン・ハプスブルク家の支配下にあったところ、80年戦争の結果結ばれたウエストファリア条約によって、プロテスタント勢力が強い北部7州は独立を果たすものの、南部諸州はスペイン支配下のままでした。
 ブリューゲルが活躍していた1560年代は、彼が住んでいたアントウェルペンはまさにスペインのフェリペ2世の支配下にあったわけです。

(注6)聖母マリアについて、本作のブリューゲルはこう言っています。
 「年の初めに『東方三博士の礼拝』を描いた時は、息子を生んだ直後の妻をモデルにして聖母マリアを描いたが、今度の絵に描くのはその30年後の姿だ。その姿や顔付きは変わらないものの、彼女に喜びをもたらした幼子は連れ去られてしまい、その絶望は深い」。
 また、銀行家のヨンゲリンクは、次のように言います。
 「「この聖堂を壊して三日で再建する」との彼の言葉が罪に問われているが、皆はそれが「改革」を意味していることを知っていたのだ」。

(注7)例えば、エルミタージュ美術館の「レンブラントの間」に展示されている『ダナエ』(その絵の前で女性が絵との“交流”を図ったりしています)とか『放蕩息子の帰還』などの名画が、映画ではゆっくりと描き出されたりします。

(注8)フェルメールの絵画『真珠の耳飾りの少女』に関しては、このエントリをご覧ください。

(注9)カメラ・オブスクラを、主人公のグリート(スカーレット・ヨハンソン)がフェルメール(コリン・ファース)と一緒に覗く場面があるなど、絵画の技法に関することは描かれていますが。

(注10)フェルメールの妻が、彼の絵を破ってしまったことがあったり(使用人同士の話に過ぎませんが:ただこれは、『チキンとプラム』で、主人公が大切にしていたヴァイオリンを妻が壊してしまったシーンを思い起こさせます)、さらにはグリートを描いた絵を嫉妬の余りペインティングナイフで壊そうとしたり、グリートに思いを寄せる肉屋の息子がいたりするなど。



★★★★☆





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ルトガー・ハウアーのブリューゲル (kintyre)
2013-01-20 08:59:44
こんにちは、細かい分析流石ですね。
御指摘の中にあるように、「真珠の...」より「夜警」の方に近いと私も感じます。
ブリューゲルを演じたオランダ出身のルトガー・バウアーですが、この作品と同時期に公開されていたカナダ映画「ホーボー・ウィズ・ショットガン」と言うB級映画の主役を演じていました。私は意識した訳ではありませんが、同じ日にこの2本の作品を観賞して、その余りにも違う役柄に驚きました。
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絵解き (ふじき78)
2013-01-20 09:06:09
うん、分かった。
こう、解説があるととても面白い。だから、映画というよりは解説付きのNHKスペシャルで見たい(バカだから映画見ただけだと背景の構築までままならない)。

ルドガー・ハウアー氏の近作は「ホーボー・ウィズ・ショットガン」かな。悪徳の町に流れ着いた流れ者がショットガン片手に街を粛清。ハウアーは流れ者の主役。こっちの方が私の肌には合ってる。
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お礼 (クマネズミ)
2013-01-21 06:55:47
「kintyre」さん、1年以上前に公開された作品につ
いてのTBにもかかわらず、TB&コメントをいただき誠
にありがとうございます。
ご紹介いただいた「ホーボー・ウィズ・ショットガン」の
DVDがツタヤにありそうなので見てみたいと思います。
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DVD (クマネズミ)
2013-01-21 06:58:10
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
こんなエントリになるのも、公開時に映画館で見るので
はなく、後からDVDを見たことによっています。なにし
ろ、自分の好きな時に、見たい分だけ、それも分からな
ければストップさせたりもできるのですから!
ただ、映画で取り上げたブリューゲルの絵画自体が大き
なもの(124×170cm)なので、やはり映画館で見たかっ
たなと後悔しているところです。
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