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ハラがコレなんで

2011年11月23日 | 邦画(11年)
 『ハラがコレなんで』を渋谷のシネクイントで見ました。

(1)『あぜ道のダンディ』に続く石井裕也監督の作品であり、また、『ゼブラーマン2』や最近の『モテキ』に出演している仲里依沙が主演とのことで、大いに期待したのですが、何回も彼女の口から飛び出す「粋だねっ!」の台詞に、どうも最後まで馴染めませんでした。

 もう少し作品に接近してみましょう。
 冒頭暫くすると、妊婦の光子仲里依沙)は(注1)、住んでいたマンションを引き払い、旅行鞄一つと300円を持って外に出ます。
 公園を通りかかると、保険会社をリストラされた男(近藤芳正)がベンチに座って泣いているので、その300円をあげてしまいます。
 光子は、「風が向いていないときは、昼寝が一番。風向きが変わったら、その時、ドーンと行けばいいんだから」と言って、暫くベンチで休み、空の雲が動き出すと、「ホラ風向きが変わった。行くかな」とタクシーを捉まえて、「あの雲が流れる方へズーッと行って」と乗り込み、昔いたことのある長屋に辿り着くと、タクシー料金など払わずに降りて、ズンズン行ってしまいます。

 そして、光子は、その長屋の大家・稲川実代子)と運命的な再会を果たします。



 というのも、15年前に、両親(並樹史朗と竹内都子)が営んでいたパチンコ店が立ちゆかなくなって、夜逃げしてこの長屋に3人が転がり込んだことがあり、その際に清から、「あんたらは、所詮夜逃げだろう。だけど、あんたらばかりじゃない、みんなでドーンといけよ。粋に生きようとする姿勢が必要だ」とか、「金のない人間には、粋と人情だけが残されたもの」などと、その後の光子の人生観の核となることを言われているのです。

 光子にとって、さらにモウ一つ運命的な再会がありました。その長屋を出て元のパチンコ店に戻るときの別れ際に(注2)、「大きくなったら結婚してくれ」と言われた陽一中村蒼)に出会ったことです。



 彼は、伯父の次郎石橋凌)と一緒に、相変わらず同じ長屋に住み、同じレストランで働いているのです。15年前には、レストランで客の呼び込みをしている陽一を見て、光子は「粋だね」と思い、また今回も、彼が大家の世話を焼いているのを見て「粋だね」と言ったりします。

 物語は更に進行しますが、とにかく光子は、何でも「粋だね」、「OK」とか「大丈夫、大丈夫」とか言って、自分なりの考え方でドンドン前に行こうとするのです。
 周囲の人々は、その勢いに気圧されてしまうのでしょうか、敢えて異を立てようとはしません。
 ただ、彼女の一本調子なところを、映画はくどく描きすぎているのでは、という気がしました。

 仲里依沙は、やっぱり『ゼブラーマン』の黒ゼブラでしょうし、また『モテキ』でも、そんなに長い出番ではありませんでしたが、アゲ嬢・愛もなかなか良かったと思います。
 ですが、今回の光子役では、その魅力がうまく生かされていないように思え、残念でした。

(2)本年7月に、石井裕也監督の前作『あぜ道のダンディ』を見たばかりなので、どうしてもそれと比較してみたくなります。

 両作で共通するところが、いくつかあると思われます。
 例えば、前作の主人公の宮田(光石研)も、本作の光子と同様、頗る一本気で、無理を承知しながらも、なんとか子供達を東京の大学に通わせようとどこまでも頑張るのです。
 また、宮田の胃癌騒動は、身体の異変という点で、光子の妊娠と類似するといえるでしょう。そして、胃癌に違いないという宮田の思い込みは、検査によって解消されますし、光子の妊娠も出産によって解消されることになるでしょう。

 ただ、宮田は、どこまでも自分一人でやり通そうとする光子と違って、真田という絶妙の相棒を持っているのです。それに、真田を演じる田口トモロヲのひょうひょうとした味のある演技ともあいまって、宮田の一本気は、観客側にとってそれほど押しつけがましく感じられません。
 また、前作で印象深かったのは、皆で「兎のダンス」を歌うシーンですが、本作ではそれが見当たりません(『川の底からこんにちは』でも、傑作な社歌を歌うシーンがありました!)。

 総じて言えば、クマネズミとしては、前作の『あぜ道のダンディ』の方を買いたいと思います(いくらなんでも28歳の監督が、年2作というハイスピードで傑作を作り続けるのは無理なのでしょう!といっても、クマネズミにとって石井監督の作品は、★3つが最低持ち点なのです)。

(3)本作品は、“とにかく頑張っていこう”というテーマが、鮮明に、かつ前面に出てしまっています。
 もちろん、これまでの作品にもそうしたテーマはスグに見て取れますが(特に、『川の底からこんにちは』)、他のファクターでうまくまぶされて嫌味を余り感じませんでした。
 でも、今回の作品のように、モロにしつこく何回も提示されると、見ているこちら側としては、それからはドンドン引いてしまい、別のファクターに注意を向けたくなってきます。
 例えば、空に浮かぶ雲の固まりがスーッと動く様は、なんだか同監督の『ガール・スパークス』の空を飛ぶロケットを思い出させますし、喫茶店のママ(斎藤慶子)に思いを告白できないレストランの次郎とか、映画の冒頭に登場する会社をリストラされた男なども、同監督作品にお馴染みの“ダメ人間”だな(注3)、それに、次郎達が住んでいる長屋は、このところの邦画でお馴染みの日本家屋だな、などなど。



 特に、長屋の地下に埋まっていた不発弾が爆発して(注4)、寝たきりだった大家がスクッと立ち上がれるようになるなど風向きが変わるのは、マズマズの仕掛けといえるでしょう(注5)。

(4)渡まち子氏は、「光子には自分を顧みず人を助ける、義理と人情こそが“粋”の定義なのである。ただ、彼女が“粋”という言葉を頻繁に口に出しすぎて、かえって野暮に聞こえてしまうのは私だけか? 1983年生まれの石井監督世代が感じる粋とはどんなものなのかが知りたくなる。いずれにしても破天荒な妊婦ヒーロー(ヒロインだけれど)が周囲を元気するこの物語、仲里依紗のカラリとしたキャラのおかげで、見ていてるこちらまで励まされる、賑やかな作品に仕上がった」として60点を付けています。
 福本次郎氏は、「本来、彼女(光子)の善意の空転ぶりが面白いはずなのだが、切れ味の悪い映像はユーモアにまで至らず、いつまでたっても笑いが弾けないのには閉口した」として40点を付けています。



(注1)光子は、かかりつけの産婦人科医に、「また逆子に戻っちゃったね」とか、「妊娠9ヶ月目でまだ吐き気があるとは、なかなか安定しないね」、などと言われます。
 暫くしてまた行くと、「安定期がなかった人だね」と医者に言われますが、光子は、「あたしの人生には安定期はなかったんだ。でも、それでいいんだ、自信ありますから」と言い返します。
 なお、お腹の中の子供について、光子は、「ジャック・ハドソンの子供。彼は黒人で、流れでアメリカに行き、そこで捨てられて帰国した」などと話しています。

(注2)その時は、長屋暮らしはスグに切り上げることが出来ました。その後両親は、15年ほどパチンコ経営に勤しむのですが、またまた銀行融資が受けられなくなって、再度この長屋に転がり込んできたところ、カリフォルニアにいるものとばかり思っていた光子に出会うことになります。

(注3)昨年5月29日の記事の(3)をご覧下さい。

(注4)長屋の大家は、「東京大空襲の際に、この長屋だけは焼けなかったものの、不発弾がいくつか残ったままになっている、そのため、気づいたら長屋の連中は皆いなくなっていた」、「もう人情も粋も日本に残ってはいない」と話しています。

(注5)不発爆弾の爆発のような一発逆転の仕掛けは、これまでの石井裕也監督の作品では、あまりみかけないようです(ただ、『ばけもの模様』の女主人公は、夫をバットで一発殴って重傷を負わせることで、便秘が治ってすっきりしますが)。




★★★☆☆





象のロケット:ハラがコレなんで


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6 コメント

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戦え、光子ロボ (ふじき78)
2011-11-23 14:25:13
こんちは。

他者から影響を受けない光子は、この映画の中で“とにかく頑張っていこう”という方向性を指し示すベクトルに過ぎない。だから彼女を普通の人間と捉えると話に無理が生じてしまう。そこはどうでもいいや、と無視できるかどうかがこの映画が楽しめるかどうかの境界線じゃないかと思います。

『あぜ道のダンディ』の光石研は頭から尻まで人間で、『川の底からこんにちは』の満島ひかりは「中の下だから頑張る」に行きついてから間化してるように思えます。

私はロボみたいになってからの主人公が好きだから、光子の話もそんなに嫌いじゃないな。
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もっと人間的に! (クマネズミ)
2011-11-23 21:36:15
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「間化して」いて「ロボみたい」な光子は、「頭から尻まで人間」の『あぜ道のダンディ』の宮田と比べて、トテモ馴染めませんでした。
それにしても、「他者から影響を受けない光子は、この映画の中で“とにかく頑張っていこう”という方向性を指し示すベクトルに過ぎない」とは、絶妙極まる規定の仕方ですね!
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Unknown (万田海斗 )
2012-01-02 23:24:03
添え物の小粋から、主役の大粋へ。

女性は現代の主役に成り果てた。

「ドンと来い」状態の、剥き出しの母性を、現実社会に放り込んだらこうなった。。。
誤魔化しも効かない「最前線」。

「助け」も当てにならない。
世間社会の中心軸を、「太く」生きるには「気持ち」で思う動物炎が「一番肝心要」で、「大事」なので、アール!

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動物炎? (クマネズミ)
2012-01-04 06:38:36
万田海斗さん、「映画.com」への投稿と同一文章のコメントをいただき、ありがとうございます。
でも、「粋」はどこまでも「添え物」であって、「主役」になるのかな?
「粋だね」と小声で囁くことが「粋」なのであって、大声で言ってしまったら「無粋」の極みでは?
それはともかく、「「気持ち」で思う動物炎」とは?
「動物炎」→「動物園」??or「動物魂」??
とはいえ、「映画.com」の投稿でも同じ言葉が使われているところからすると、インプットミスではなさそう?
「感じる」お話が満載の『詩小説クリップ』を読めば分かる?
とにかく、読んで分かる言葉を使うことが「一番肝心要」で、「大事」なので、アール!
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Unknown (Quest)
2012-07-14 01:06:31
こんにちは。
石井作品は初めて鑑賞したのですが、独特の感性と世界観のある監督さんですね。まだ若いらしいので、今後にも期待と言うか、大作並のバジェットが確保されたらどのような映画を撮るのか非常に興味が湧きました。

さて、今作については実は相当暗い話なんだと思いました。光子を含めて出てくる人たちがみんな一般的に幸せな境遇ではないことがポイントなのかなと感じました。
つまり、今作で声高に出てくる「粋」というものを表現するためには、登場人物がみんなある種の不幸であるという舞台装置が必要だったんじゃないかなと。それが、つらくても負けるな、というメッセージに繋がるロジックになっていたように思いました。
拙ブログでは「ブルース(哀歌)」と表現しましたが、パッケージの明るさとの対比が非常に印象的です。
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粋? (クマネズミ)
2012-07-16 05:53:53
Questさん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「今作で声高に出てくる「粋」というものを表現するためには、登場人物がみんなある種の不幸であるという舞台装置が必要」で、それで「つらくても負けるな、というメッセージに繋がるロジックになっていた」のでしょう。たぶん、今の世の中の大半を占める「中の下」だとの意識を持っている人たちも、また同じような状況下にあるのでしょう。石井監督は、そういう人たちに対して、『川の底からこんにちは』などと同様に、“頑張れ”というメッセージを送っているのだと思いました。
でも、本作はそうしたメッセージ性が前面に強く出すぎていて、特に、「粋だね」、「OK」、「大丈夫、大丈夫」という台詞は、あからさますぎる上にこうも何度も口にされると、クマネズミはとても馴染むことができませんでした。
(あるいは、「登場人物がみんなある種の不幸であるという舞台装置」がまずあって、それを乗り越えるために皆が頑張っている様子を、石井監督は「粋」といった言葉で表現したかったのかもしれませんが、そんな言葉の当てはめ具合にクマネズミが馴染めなかったのかもしれません)
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