アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ネパール交流トレッキング中の娘と父、そして台湾で食い倒れる母

2019-12-26 22:48:50 | 日記

現地の小学生と一緒に。

今学期の最終日の真夜中、娘と夫は、ネパールに旅立ちました。


羽田空港についたよ。

このネパール交流プロジェクトは、娘の学校の主催で、同じ小学校の有志が集まりました。生徒達は1年生から5年生までが10人ちょっと、そして保護者、スタッフ合わせて合計20人くらいかな。


バンコク経由でカトマンズ空港に到着。

文通などで交流しているネパールの小学校や中学校を訪ね、交流するプログラムですが、どの学校も車が通れる道路がない山あいに
あるのです。


カトマンズでの夕食。

まずはカトマンズに一泊し、翌朝早くバスで200キロほど行き、その後はずっとトレッキングです。
途中ロッジに泊まりますが、電気がないところもあるらしい・・・。


このバスで山道を時速2、30キロで移動するとのこと。

現地SIMカードを調達した夫からかなり頻繁に写真が送られてきました。
バスの揺れ具合を動画にして送ってくれたのですが、見ている私が気持ち悪くなりそう。でもね、子供達は元気に百人一首を諳んじていました(笑)


だんだん高くなっていきます。

山に登り始めたら、もうネットは通じないかなと思ったのですが、結構な高度まで大丈夫のようで、写真が時々送られてきました。


一泊目は床に寝袋。

最初の数日は、写真が送られてくる間は、娘も他の子供たちも元気で楽しんでいたようです。


文字通り、山あいを歩く。

心配していた寒さも、思ったよりはいいよ、と夫からの報告。


2泊目のロッジにはベッドがありました!


東京の生徒たちと現地の生徒たち。

3日目というか4日目かな、最初の小学校を訪れました。全校あげて歓迎してくれたようです!


プレゼントしたゲームなどで一緒に遊んでます。

2015年のネパール大地震の時に、多くの建物が倒壊したそうです。この小学校も校舎もその一つ。
何しろ車が通れる道路がない場所にあるので、建築材料も一つ一つ、山道を人やラマが持って登るしかないそうです。
そうやってどうにか出来上がった校舎を前にみんなで記念写真を撮ったり、遊んだり。

3年前に、初めて交流プログラムが行われ、娘の通う小学校の生徒たち5人くらいと保護者たちがこの学校を訪れたそうです。
その時は、周りのロッジがまだなくて、カトマンズを出た後は、テント泊のみ。

もっと高地にある中学校の生徒たちが、2日かけて降りてきて、日本の小学生たちに会いにきてくれたそうです。
今回は、日本の小学生たちが、この小学校のあと2日かけてさらに登って、中学生たちに会いにいくのです。

もうネットはあまり繋がらなく、写真は送ってこなくなりました。たまに文章が送られてきます。

高度もせいか、みんな疲れてきている。

娘は頭痛を訴えいたが、ご飯を食べて一休みしたら、少し良くなったと言っている。

一泊したら、だいぶ良くなってきた。元気も出てきた。

今回の最高地点は3700メートルです。さて、どんな交流をしているのでしょうか?
無事に戻ってきて、直接話を聞くのが楽しみです!


台北の外れ、北投の夜市。地元の人たちばかりでのんびりしています。

さて、娘と夫を送り出してから、私は台湾にきました。


ベビーオイスターのオムレツ作ってます。

ネパールの荷造りは細々と大変で、ギリギリまであれが足りない、これが買わなくちゃ、と騒いでいたので、自分の荷造りは
直前に慌てて済ませました。


ジューススタンドでニガウリとりんごジュースを注文。

さ、では、台北に行こう、と空港に着いたら、なんとパスポートを忘れていた!!
こんなことは生まれて初めて・・・もしかして早めの認知症か!?と焦りつつ、
慌ててフライトを変更する手続きをし、どうにか次の日には飛行機に乗れたので、ホッとしました・・・。


スペアリブの唐揚げやタロイモのコロッケ、お豆腐にハムや葉っぱを巻いて揚げたもの、などなど。

台北で合流したのは35年来の友人ですが、一緒に旅行するのは今回初めてです。


友達と二人で願いを書いて、ランタンを空に飛ばしました。

たまたま近いから、安いから、くらいな理由で台湾を選んだのですが、ひょんなことから香港出身のこのお友達と一緒に旅行することになり、
彼女の知り合いの台北在住の人々と会ったり、私のお友達や知り合いが偶然同じ時期に台北に来ているので、その人たちと
会うことになりました。


タンゴを踊った後、夜中のビーフヌードル。

台湾には美味しいものがたくさんあるので、いろんな人と一緒にご飯を食べる、食い倒れの旅になりつつあります(笑)


定番の鼎泰豊

一緒に旅行しているお友達は香港人で、彼女のお友達や私の知り合いは、台湾人だったり中国系マレーシア人だったり、まあ、私からすると
チャイニーズな訳ですが、本人たちは「全然違う!」と地域によってどんな特色があるか、説明してくれるのも面白い(笑)。


火鍋は冬の人気料理だそう。


ねっとりと甘いカスタードアップル。


九份は霧が立ち込めて、周りがよく見えなかった・・・。


芋圓(ュイーユェン)は温かい小豆のスープでいただきました。

私と香港人のお友達は、明日は南下して高雄にいきます。
日本から来るお友達と合流し、さらに香港人のお友達の大学時代の元同級生で高雄に帰省している方ともお会いする予定です。

考えてみると娘や夫がいない旅行は9年ぶり。
結婚前にはあちこちよく旅行していたなあ、と思い出しながら、新しい出会いを楽しんでいます。

今回の旅の最高地点に達した娘は、無事に中学生たちと交流できているのかな、と、もうネットが通じないところにいるので
想像するばかりです。いつもネットが通じるところに行くので、今回のように数日でも音信不能なところにいるのは新鮮です。

お互いに無事で楽しく旅が続きますように!

早めで少なめのクリスマスパーティー、学芸会、「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」来日

2019-12-17 15:50:52 | 日記

今年もサンタさんが来た!

クリスマスイブ前後に旅行するので、今年はうんと早めのクリスマスパーティーというか、ポーランド式のクリスマスイブの食事、
ビギリアを行いました。



ちょっと前までポーランドにいた夫は、いつもは調達に苦労する洋風のニシンの酢漬けなど、しっかり持って帰りました。
毎回ものすごく手がかかる、餃子みたいなピエロギやウシュカも、今回は冷凍したものを買ってきたので、例年よりかなり準備が
楽でした。そして楽な上に、お味ももしかしたら夫の手作りより美味しかったりして(笑)。



準備が楽ではありましたが、今年は例年より3人減り、合計8人とやや小さめでした。
祖母が少し前に自宅で転倒したので腰がまだしっかりせず、お世話をしている叔母とともに欠席。
さらに父も参加するはずだったのが、事前にいったスポーツクラブから戻らず、どうしたのかと思っていたら、ロッカー室で動けなく
なっている、とスポーツクラブから呼び出しをくらい、弟が引き取りに行き・・・という騒動があり、欠席。


サンタさん、バイバ〜イ!

おかげさまで、祖母も父もまた元気になりましたが、う〜ん、さすがにみんないい歳なんだなあと実感いたしました。
特に祖母はいつも元気なので忘れていますが、107歳という超高齢なので、いつ何があってもおかしくないんですよね。


似顔絵描いてあげたよ〜!

ビギリアあと、少ししてから祖母宅に遊びに行ったら、いつもの元気な様子。
何年生になったの?学校はどこにあるの?と同じ質問を繰り返しますが、ひ孫がいるということ、すでに保育園でないということ、
徒歩ではいけない学校に通っていることはわかっているようです。


大きいおばあちゃんにお絵かきを教えるひ孫。

「あれ、また大きくなって顔が変わったね、外で会ったらわからないわ」なんて言ってるので、顔の記憶もはっきりあるのでしょう。


途中から一人で集中して色ぬり。

最初の女性思想の芸術雑誌「女人芸術」に参画していた生田花代先生に自宅に招き、源氏物語の勉強会をしていた祖母は、
60代から短歌を始め、自費出版で数冊短歌集を出しました。でも何年か前に、まだ80代だった先生が先に亡くなってしまいました。


二人の合作。

女学校の頃から世の中で一番嫌い、と言っていたお習字も、90代になり、やっと老人会に入ったら強く勧められたので仕方なく始め、暇なので毎日1時間練習していたら、
準2段くらいになったようです。幾つになっても成長があるんだなあ〜とびっくりしていましたが、祖母より若かったお習字の先生も少し前に亡くなってしまいました。うんと若いお友達を作りなさい、と以前祖母に言われたことがあるのですが、実体験に根ざしたアドバイスなんですね・・・。


学芸会でのパントマイム上演中。

ところで、娘の小学校での学芸会が先日ありました。
最後の方にいくつか続く音楽の時間に練習した合唱や楽器演奏以外は、ほとんどが生徒たちが自由にエントリーした演目
で埋められています。今年は照明や音響など運営の裏方まで生徒たちが担当したようです。
小学生たち、表舞台と裏舞台、両方で大活躍でした!


蝶々を捕まえるという内容のパントマイム中。

去年は自由エントリーで出場したかったのに、最後の方でやめてしまった娘は、今年こそはエントリーする、と前々から宣言しておりました。
歌を歌う、とかダンスをする、とか色々言ってましたが、最終的にはもう一人の生徒とパントマイムをすること、あとは数人が集まってのオリジナル劇
に出ることで落ち着いたようです。

パントマイムはドビュッシーの「月光」が流れる中、親バカ丸出しで言いますと、とてもきれいに動いていました。


MVGとして表彰されました!

学芸会の最後に、最優秀観客賞(観客に選ばれた、でなくて、いい観客だった、という賞)とか、最優秀演技者、などの賞が表彰されますが、娘ともう一人のペアは
最優秀グループ賞を受賞していました。受賞スピーチで「去年の夢が叶いました。去年は出ようと思ったけど辞めてしまったので、今年はちゃんとできて嬉しい」みたいなことを言っていました。

4、5歳の頃、自分でやりたいというのでバレエ教室に通い出したけれど、ポーランドに数ヶ月滞在した後に辞め、小学生になってから始めたバイオリンも辞めてしまい、まあ、嫌なことを無理に続ける必要はないけど、すぐに諦めちゃうなあ(私も人のことは言えないのですが!)、となんとなく思っていたのです。
でもね、そのスピーチを聞いて、自分の中で引っかかったことについては自分なりに追求してるんだ、とちょっと嬉しくなりました。



さて、先週、「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」来日があり、C3POを42年以上演じ続けたアンソニー・ダニエルズさんの通訳を
主にさせていただきました。

https://starwars.disney.co.jp/movie/skywalker.html


スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け、プレミアにて。

ほっそりとした体つきの上品は英国紳士のアンソニー・ダニエルズさんは、時々、C3POの動きを披露していましたが、あのコスチュームなしでも
C3POとはっきりわからせるのは、さすが!身のこなしがとてもしなやかで、なんというか精霊とか妖精みたいな、賢くて透明な存在感。
とっても優しい目で、穏やかな口調で丁寧に質問にお答えになり、通訳させていただきながら私も穏やかな気持ちになっていきます(笑)。


レッドカーペットでのアンソニー・ダニエルズさん。

40年以上続いたストーリーがやっと完結するというので、少しでも内容を聞き出したいという取材がもちろん多いわけですが、
アンソニー・ダニエルズさんは「あと少しで映画が公開になるから、それを楽しみにしてくださいね」と子供を諭すようにニッコリと
茶目っ気のある優しい笑顔でお答えになります。

今回は試写会もなかったので、一体どんな内容なのか、私も今から楽しみです!

パパが帰国して嬉しい〜!

2019-12-07 14:18:12 | 日記

ドキドキ、帰国直後のパパのためにスクランブルエッグ作ったよ、美味しいかな?

無事にポーランドでの母のお葬式を終え、さらに甥っ子に元気な女の子が生まれたのをみんなでお祝いし、姪っ子の妊娠のお知らせに喜びながら、夫は日本に
戻りました。同じ頃、海を越え赤道を越えたシドニーでは、もう一人の甥っ子が3度目の結婚式を行い、ハネムーンを楽しんでいるようです。


帰国した次の日、パパのために朝食作ってます!

1週間くらいの間に、冠婚葬祭が続く・・・なんだか、人生だな〜って思います(笑)。日本の私の家族の周り、というか日本全体にそうなんでしょうが、
高齢なので、お葬式が続くってことはあっても、お葬式の直後に出産とか結婚式って、あまりないので、なんだか嬉しい。


完成!パパ用にトーストにジャムとチーズ、スクランブルエッグに、おまけのチョコレート(笑)。

ポーランドを見ていると、なんとなくひと昔前の日本を思い出します。
まだ子供がどんどん生まれていて、家族で集まることがまだまだあって、道路や鉄道がどんどん整備されていって。


自分にはトーストでなくてドーナツに、ホットチョコレートに氷を入れて冷ましたもの!

日本の戦後は、ポーランドの場合、ベルリンの壁崩壊後に当たるような気がします。となると1989年が戦後の始まり、みたいなもので、今が戦後30年目くらいかな?日本だと昭和50年代くらいな感じでしょうか?まだまだ成長への希望があって、勢いがある。少しずつ家族関係は変化しているけれど、でもまだ個人主義的すぎない。


小学校でのプレゼンテーション。パートナーが話している間、硬い表情で出番を待ってます(笑)。

「来年の夏、またポーランドに行こうね、そしたら、私より若い子が二人もいるね!」と娘。父母両方の親戚集めても、いつも一番のちびっ子だったのが、
やっとお姉さんになれると嬉しそうです。といっても、従兄弟の子供たちなので、娘は広い意味での「おばさん」ってことなんですけどね(笑)!


従兄弟たちの小学校で絵画展。

娘の従兄弟たちが通う、また娘が在籍している公立小学校で絵の展覧会があり、見に行ってきました。
娘が通学しているのはNPO法人なので、公式な意味での小学校ではありません。なので、在籍は近くの公立の小学校です。
一時学童に通いましたが、在籍している小学校自体に通ったことはありません。


絵画展、力作ぞろいです!

受付で、在籍している子供の欄に娘の名前があるので、そこにチェックすると、教頭先生が「あ〜!!やっと会えたね!!」と
言ってくださいました。ちょっと娘はうろたえておりました(笑)。


娘の手芸。ニット帽を切って、ペンケース。

さらに、展覧会場に入ると、「もしかして、〇〇ちゃんですか?」と、在籍上の担任の先生が話しかけてくださいました!
この時には少し慣れてきたのか、「学校とっても楽しいよ〜!!」と通学している方の学校の様子を色々話しておりました。
(・・・って書くと、本宅と妾宅の間みたい・・・!?)


いとこにもらったお人形の髪の毛とお洋服を変えて、改名しました(笑)。

一度も通ったことはない小学校とはいえ、在籍はしているので、顔と名前を覚えていてくださるんだなあ、ありがたいことだと
思いました。


スーパーにあったエチオピアからきたバラ!

たまたまスーパーに行ったら、エチオピアからきたバラが売っていました!
無知な私は、いまだに飢饉に苦しむエチオピア、というイメージが強いので、こんなに素敵なバラと結びつかなかったのです。
自分の想像力の貧困さ、偏見の強さ、みたいなものに軽くショックを受けました(笑)。


5、6日は元気でしたよ〜。

遠い国からはるばるやってきたんだ、エチオピアのバラ畑ってどんなに綺麗なんだろう、などと思うと、買わずにおられません(笑)。
そんなお花の遠距離輸出、地球温暖化にはよくないよね、という考えがちらつきながらも、バラの花に妖精がいるとしたら、東京のスーパーに連れて来られて、どんな気持ちにだろう、「まあまあ、遠いところから長旅でお疲れ様でしたね。少しゆっくりしていってくださいな」みたいな気持ちで花瓶にいけました。

黄色いバラを見ながら、パパが遠い国にいっている間、パパがやっていたお隣のおじいちゃんとおばあちゃんのゴミ出しを娘がしてくれたり(パパが戻ってきたらやめちゃったけど!)、朝5時起き(少しずつ遅れてきてはいますが!)して、自分で朝ごはん作るようになったり、頼りないママしかいない間に、娘は頑張らなくちゃ、と少し成長したんだろうなあ・・・。

エチオピアのバラから、あちこち連想が飛んでちょっと不思議な時間でした。