アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

娘と夫の帰国、「アントマン&ワスプ」来日。

2018-08-25 07:26:26 | 日記

いとこのガールフレンドのワンちゃん、リリーと仲良しになりました。

また蒸し暑さがぶり返し、台風が近づいた数日前に、夫と娘が無事に帰国しました。
ヴロツワフというポーランドの都市からフランクフルト、そして北京と2回乗り換えで、フラフラになって成田に到着したようです。


他のいとこの子供達と遊ぶ。

成田に到着した時、私は大阪出張だったので、またもや83歳の父にお願いして、ピックアップしてもらいました。
出発する時も、夫と娘、私と2回に渡って羽田空港に車で送ってくれました。
私が運転しないので、立ってるものは老父でも使え、ということで(笑)。


いとこの子供とピザ。

私がポーランドを去ってからの1週間、初めて会う、いとこの子供(でも娘より年上!)と遊んだり、他のいとこのお家に泊まりに行ったり、
また他のいとこのガールフレンドのワンちゃんと仲良くなって、お散歩したり、一緒に寝たり(!)、2年前に仲良くなったお隣さん姉妹と遊んだり、
宿題の自由研究のためにインタビューしたり、忙しく過ごしたようです。


リリーちゃんとお出かけ。


お隣さん姉妹と、お土産のお揃いTシャツで。


アマゾンカ、という自然公園(?)にて。


やはりアマゾンカにて。


インタビュー終わって、ご挨拶。

自由研究のインタビューは、お相手があまり英語ができないので、パパがまたポーランド語と英語の通訳として活躍したようです。
インタビューに行く前は、ものすごく緊張していたようですが、終わってから話したら「楽しかった!もう一人にもインタビューする
ことになったよ」とのこと。しかし、小学1年生、どんな感じでインタビューしたんだろう??



そうやって娘たちが過ごしている間に「アントマン&ワスプ」という映画の来日があり、監督さんの通訳をさせていただきました。

https://marvel.disney.co.jp/movie/antman-wasp/home.html


大阪のファン・ミーティング・イベント。

映画自体も、ヒーローものなんですが、冴えないヒーローのアントマンと、完璧なヒーローのワスプのデュオも笑え、前作よりさらにサイズが
変化が大小激しい中繰り広げられるアクションシーンに驚いたり、大笑いしたり、登場人物たちの家族との関わりではジーンと感動して涙したり、
盛りだくさんであっという間の2時間5分、家族みんなで楽しめます!


フィルクトゥ・ミエールの店内。

今回のお仕事でご一緒した方に教えていただいた、大阪の「フィルクトゥ・ミエール」というカフェに行ってみました。

http://www.fylgdumer.jp/osaka


その場で作るコールドプレス・ジュースのメニューは日替わり。

大阪らしからぬ(!)、とってもおしゃれな空間で、ヘルシーで美味しそうなメニュー。2階には電流を使ったエネルギーセラピーの
スパ。オーナーの方に特別に見せていただいた3階は、そのうち開業するという宿泊空間があり、広い浴槽のあるバスルームと、岩盤浴のできるバスルーム
2種類あり、さらにカップル・マッサージができる専用もスパルームもある、贅沢な作り。

どのフロアーも、とてもシックでモダンで素敵。ゆっくり時間をとって、スパとカフェ、できれば宿泊も経験してみたいものだ、とうっとりしながら、
台風をギリギリ切り抜けて、無事に夜中に東京に戻ったのでした。

旅の終わり、ワルシャワへ。

2018-08-20 00:17:11 | 日記

2年ぶりの夫の同級生。娘は覚えてないらしい。

カトヴィツェから3時間ちょっとでワルシャワにつきました。


キッチンの窓から中庭が見えます。

今回のairbnbは旧市街のとても便利な場所で、建物は古いけれど、改装されたばかりのきれいなアパートでした。



プラハのアパートほどではありませんが、天井も高めなので、広く感じます。



収納がたくさんあって、長期滞在する人には便利そう。



ただ、シャワーとお風呂が使いづらかったのが玉に瑕。



エアコンなしですが、通常の夏の気候に戻ったので、必要なし!夜は窓を締めないと寒いくらいでした。


旧市街の広場にあるお店。

荷ほどきをして、すぐに外に出て、歩いて5分くらいのところにあるお店に向かいました。


夫が注文した鴨料理

夫の同級生が予約してくれたお店に、すでにご夫婦お二人が先に座って待っていてくれました。


マスの燻製、ホースラディッシュのソース。美味しかった!

Przy Zamkuというこのお店、旧市街のワルシャワ王宮の目の前、ザ・観光地(?)にありながら、ポーランド料理店にしてはボリュームも
控えめで、お味もなかなかでした。

http://www.placzamkowy.pl/en


前回中をよく見たので今回はパスした王宮。

宮殿前の広場は赤い夕日が差して、なんとも言えない色合いに包まれ、まだ2回目なのに妙にノスタルジックな気持ちに
させられます。



ようやく酷暑から爽やかな気候に戻り、夕方になると涼しくてお散歩するのにぴったりです。

2年前に来た時に、他の同級生のお家にみんなで大集合して数泊し、あちこち観光し、そのあとに、この同級生のお家にも泊めて
いただきました。その時にあった息子さんや娘さんの近況も聴きながら、「そういえば娘さん、色々悩んでいたよね」とか、
私はまだ会って2度目なのに、懐かしいなあ、なんて思ってしまった。



ワルシャワは、第2次世界大戦で爆撃を受け、98パーセント壊滅したそうです。



この旧市街は、爆撃される前の通りに復元した街で、昔のままだから、ではなく、昔の通りに復元したその努力が認められて
世界遺産に指定された世界唯一の街。



瓦礫と化したワルシャワをソビエト流の街に作り変える計画もあったそうですが「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」という信念と「失われたものの復興は未来への責任である」という理念の下、再びポーランド人自身によって厳密に再建された、とウィキペディアに
書いてありました。すごい根性というか執念というか、いやはや。


文化科学宮殿。

旧市街を少し歩くと、ワルシャワのランドマークの一つである文化科学宮殿が見えて来ました。スターリンからの贈り物だったらしく、
当時はヨシフ・スターリン文化科学宮殿という名前だったそうですが、その後、スターリンの名前を取ってしまった。
ソビエト支配の象徴として、嫌う人も多いけれど、ローリングストーンズとかアバがコンサートをした場所でもあるそうです。


いきなりの嵐。ちょうどタクシーに乗ってよかった!

2年前に私が初めてワルシャワを訪れた時に(夫もものすごく久しぶり)色々と観光をしたので、今回は夫の同級生やシドニー出身の
お友達に会うことと、前回見れなかったコペルニクス科学センターにいく、この二つだけが目的でした。

というか、私の帰国便がワルシャワからしか取れなかった、というのがこの街を訪れた一番の理由なんですが・・・。


アルカディア・ショッピングセンター。

お土産を買いに行く、と行ったら誰もついてこなかったので、一人でショッピングセンターへ。


ショピングセンターの中にあったお店。餃子みたいなピロギはさすがに種類が豊富です。

前回何度か行ったので、道はわかってるので、途中までお散歩しました。



なんだか雲行きも怪しいな、とタクシーに乗った途端に、土砂降り!風も強くて、嵐です。
タクシー降りたらちょうど止みました。ラッキー!


コペルニクス科学センター

前回、オンラインで予約していなかったので、入場できなかったコペルニクス科学センター。今回はちゃんと予約しましたよ〜。
そしてやっぱり行ってみたら、すでにチケット売り切れでした!人気なのね。

http://www.kopernik.org.pl/


永久運動の振り子。

全て体験型の展示で、その数450以上とか!


空気銃みたいな迷路。

博物館というか、室内遊技場みたいな使い方できそうです。



シドニー生まれのポーランド人2世で、ポーランド人と結婚し、ワルシャワに何年か住んでいる夫の知り合いと
あっておしゃべりしたら、「うちの息子たち、冬になるとコペルニクス科学センターに行くのよ」とのこと。
なるほど、やっぱり室内遊技場ですね(笑)。


プラハの感覚博物館にあったのと同じ!

どの展示にも、ポーランド語、ロシア語、英語で説明が書いてありますが、親が読んで説明しないといけない。
結構疲れます(笑)。


あ、これも感覚博物館と同じ!

プラハの感覚博物館と同じ展示がいくつかありましたが、プラハでは体験型アートみたいな感じで展示され、子供だけでもきゃあきゃあ
言って楽しめるようにできていました。でもこのワルシャワの科学センターだとね、親がちゃんと展示カードを読んで子供に説明しないといけないのですよ。


「今、一時的に壊れてます」

同じものでも、こういう展示の違いにお国柄が現れる・・・?


ビーチカフェ風?

くだんのシドニー生まれ、育ちでポーランドで今子育てをしている女性は、弁護士としてオーストラリアとポーランド両国で仕事をし、違う視点でポーランドをみているので、話していると面白いです。前回も忌憚ない意見を色々聞かせてくれましたが、今回もバサバサ斬ってました(笑)。



「私の息子たちはポーランド語と英語、バイリンガルの私立の小学校に通わせてるけど、それでもオーストラリアの公立小学校よりは時間がなさそうよ。
ポーランドの公立小学校って、暗記ばっかりさせるし、宿題はやまのように出るし、遊ぶ暇なんか全くないのよ。」

「ポーランドの大学って英語で学位が取れる学科がたくさんあって、留学生がたくさんいるわよ。でもね、仕事してると、ポーランドの教育しか
受けてない人って、ものすごく視野が狭くて使いづらいわ。他の国の教育を少しでも受けてる人と全然考え方が違うの」

ワルシャワ大学の構内を散歩して「お城みたい!この大学行くのもいいな」と娘が言っていた、というと、この女性曰く
「オススメしないわ。私はオーストラリアの大学時代に1学期だけ留学したの。それはそれでいい経験だったけど、1学期以上はいらないわね」(笑)。


旧市街にある、ブランコのように椅子が動くレストランにて。食べづらい・・・

ま、あくまでの一個人のご意見ですけどね(笑)。



ワルシャワに2泊して、3日目、夕方のフライトなので、昼に少しワジェンキ公園で遊びました。












日本の「女」の展覧会?






ランチは公園内ベルヴェデールで。

公園内にあるベルヴェデールというレストラン、とても素敵で、美味しかったです。
それほど美味しいレストラン探しに熱心だったわけではありませんが、今回の旅行で美味しいレストランのトップの方に入りそう。

https://www.belvedere.com.pl/en/home/

お昼をいただきながら「今回いろんな街に行ったでしょ?何が一番気に入った?」と娘に聞いてみました。


サーモン、いい火加減で美味。

「ママと一緒にいたこと!」と娘の即答に、ちょっとグッときてしまいました。


鴨も美味しかったそうです。

「あとはブダペストの温泉かな?また行きたい!」


キッズメニューを前にポーズする子供。

「今回こそ一緒に飛行機で帰れると思ったのにな〜」と付け足す娘。


生のベリー類とドライイチゴにラズベリーのシャーベット。美味しかった!

ポーランドやシドニーの親戚を訪ねるとき、私は仕事の関係で遅れて入国し、一足先に帰国することが多いのです。
今回も1週間遅れてポーランドに到着し、1週間早めに帰国します。

日本で独身生活を楽しめるので、いつもは「しめしめ」と思ってるのですが(!)、今回は珍しく寂しいなあ、
なんて思ってる。



2年前に訪れた時より、ずっと大人になって、娘と一緒に旅行するのが楽になってきましたし、一丁前なコメントをするので
楽しくもある。
ティーンエイジャーになったら、親よりもお友達と一緒にいたくなるでしょうから、娘が家族と旅行して楽しいと思う期間って
そんなに長くないんだな、なんて思っちゃったりして。


日本が見えてきました。

ああ、楽しかったな〜!またどっかに行こうね!と言いながら、行きのフライトとは打って違い、とってもスムーズな帰りのフライトで
あっという間に東京の我が家に戻ってきました。


犬の散歩。いや、わんちゃんに散歩させてもらってるのかも。

蛇足ですが、今回の旅行で、airbnbで同じような1ベッドルームのアパートやホテルを探してみたら、
プラハは一泊1万円、ブダペストは1万5千円、ワルシャワは八千円くらいな感じでした。

でも物価は、プラハが一番高くて、プダベストが2番目、ワルシャワは3番目くらいな感じです。ちゃんと比較してないけれど。
あ、そうだ、記憶が正しければ、同じようなアイスクリームが、プラハは180円くらい、ブダペストは150円くらい、ワルシャワは120円くらい
だったかな?

どの都市も英語が通じるし、私の感じた範囲ですと、治安もそれほど悪くない。地下鉄なども乗りやすいです。

20年くらい前にプラハやブダペストを訪れたお友達たちによると「当時はなんとなく暗くて、サービス悪くて、英語通じなくて、ご飯まずくて、アジア人ほとんどいなくてモテるか、ジロジロみられる」ような街だったらしい。
私はプラハやブダペストは今回初めてでしたが、やはり20年くらい前に訪れた東ドイツで、暗くてサービス悪くてご飯まずくて、みんなにジロジロみられて、「ああ、共産圏だった国っていや!」としみじみ思った記憶があります。

それ以来、2年前のポーランド訪問まで、旧共産圏の国って、なんとなく遠慮してきたのです。それが2年前のポーランドの印象がすごくよくて、今回プラハもブダペストもとてもよかった。今は英語も通じるし、サービスも良くなってるし、ご飯もなかなか美味しいし、便利になってきてるし、街もかなり綺麗になってるし、
治安もまあまあだし、でもまだ物価は東京より安い・・・。

今、東欧って旅行しやすい時期に来てるのかも、となんとなく思いました。

まだまだ私にとっては未知な東欧の国々、他の街も色々見てみたいな〜!

チェコ共和国のOlomoucオロモツを経て、ポーランドで空気が一番汚い街、Katowiceカトヴィツェへ。

2018-08-17 11:54:56 | 日記

え、北海道??チェコ共和国のオルモツにて

ブダペストからワルシャワまでは900キロ弱、一気に車で走ると8時間半とグーグルマップが教えてくれました。
さすがに8時間半のドライブは辛いので、「真ん中あたり、ポーランドのカトヴィツェKatowiceで一泊したらいいんじゃない?」と地図を見ながら
私が提案したら「え〜!カトヴィツェ!ポーランドで一番空気が悪いと評判悪い街なんだよね」と夫がすごくいやそうな顔。


チェコ共和国のオルモツ、かわいい街でした!

「じゃ、チェストホヴァCzestochowaは?奇跡のマリア様がいる聖地なんでしょ?」と2年前に聞いた話を思い出して提案したら「8月15日は
聖母被昇天祭で1年で一番混雑している日だからだめ」。


噴水にイルカと亀。

そうだった、日本で終戦記念日の8月15日は、ポーランドでは聖母被昇天祭と、ソヴィエト軍に打ち勝った「ヴィソワ川の奇跡」を記念する
軍隊記念日の両方をお祝いする日だったのです。2年前にポーランドに来た時、教会の周りに賑やかにバザーがたち、軍隊がタンカーなどを出して子供達を乗せてあげたりしていたのを思い出しました。


イルカの尾びれに魚が飛び込んでる彫像。

ポーランドに入る前に、まずはチェコのオルモツという小さな街で休憩しました。

小さな旧市街の広場には立派なバロックの塔があり、建物も様々なパステルカラーに塗られて、とても可愛らしい。
アイスクリーム食べたり、噴水で水遊びして、ちょっと一休みしてから、またドライブを続けました。


ハンガリーやポーランドよりチェコやスロバキアの方が道路が悪いような・・・。

ところで、チェコやスロバキア国内の道路があまりよくなく(幹線道路でも)、途中でドライブインとまでいかない、休憩所のお手洗いが
酷くて、外で致さざるを得なかったことに驚きました。

というのは、2年前に初めてポーランドを訪れた時、あちこちドライブしたのですが、道路も途中のドライブインも綺麗で、お手洗いもトイレットペーパーなどは
粗い紙ですが、まあ清潔でホッとして、東欧の国でもお手洗いは安心できる、と思っていたから・・・。

チェコやスロバキアの方が、ポーランドやハンガリーより一人平均購買力が高い、まあ、経済力がある国の
はずなのに・・・。まあ、以前、フランスで有料トイレが酷くて頭に来たことがあるので、経済力とは関係ないのかも
しれませんが、公共トイレの清潔さはその国の民度と比例していると私は密かに思っているので(笑)、
今回の旅行で、ポーランドの株が一挙に上がりました(笑)。


カトヴィツェに入って来ました。

結局、「休憩のために泊まるだけだし、最近はきれいになって来てるらしいから」とカトヴィツェで一泊することにしました。
休むためだけなので、今回はホテル、マリオットコートヤードにしました。去年できたばかりらしく、新しくてきれいでした。


ホテルからの眺め。

カトヴィツェに入ってみると、それほど空気は悪くない、というか他の街と変わらないくらい。
新しい建物が多く、以前は工場がたくさんある工業都市だったのを観光都市として再生しようと努力している、とどこかで読みましたが、
それが感じられ好感が持てます。


モダンな中心街の広場。


広場にある噴水。


噴水があると自動的に入る(笑)。

ホテルから歩いてすぐのレストラン、タチアナに入ってみました。


お腹すいたよ〜、ガブ!

なかなか美味しかったし、ポーランド値段なのですごく手頃だし、お店のスタッフは英語ができるし、親切だし、なんだか気に入ってしまいました。

http://www.restauracjatatiana.pl/en/


サーモン。


豚のテンダーロイン。

カトヴィツェにも、元工場の住宅街とか、モダンな音楽ホールとか、いくつか観光する場所はあるらしいですが、私たちはワルシャワに
早く入りたかったので、何もみないまま。


眺めが良い朝食。


古い建物群がちょっと、あとは新しいビルが多い風景です。

夜のお散歩とレストランと朝食の時にみた窓からの風景だけですが、「国内随一空気が悪い街」だったにしては、なかなか
よろしい、というのが初めて訪れた夫と私の印象。「なんだか日本みたいだね」と窓からの風景を眺めて、娘が
言っていましたが、確かに。


3時間ちょっとのドライブでワルシャワへ。

ポーランドに入ると、道路も比較的いいし、ドライブインやお手洗いも清潔なので、安心できます。


なぜか日本語もあった、トイレ内のオムツ台。



ワルシャワの街が見えてきたら、以前訪れたことがあり、印象がよかったので、なんだか嬉しくなってきました。
そして、ワルシャワが今回の旅の最後なので、ちょっと寂しくなってきました・・・。

ブダペスト3、4日目、夜景クルーズにうっとり、王宮の丘、NYカフェでゆったり。

2018-08-14 23:33:58 | 日記

国会議事堂。

ブダペストの夜景クルーズ、とっても素晴らしかったです!



日本語も含む各国語で話されるイヤフォン解説を聴きながら眺める、ゆったりとドナウ川の辺りの黄金にライトアップされた建物の
数々は、まさに「ドナウの真珠」でした!


私の写真ではうまく伝わらないので、ネットから写真借用。


これもネットから借用。

夜の帳を背に、壮大な歴史的建築物が真珠の粒を繋ぐようにライトアップされており、イヤフォンから流れる歴史のお話を聞いていると、
御伽話の中に入り込んでしまったかのようにうっとりします。
絶対にオススメです!!


漁夫の砦から街をみる。

この日の昼間、ブダペスト3日目にして、前夜の雨のおかげか、やっと爽やかなヨーロッパの夏の気候に戻りました。
前日丸1日温泉で日焼けしたせいか、昼近くまで親子3人ぐっすり寝込んでしまいましたが(笑)、
昼過ぎから王宮の丘を見に行くことにしました。


マーチャーシュー教会は閉鎖中でした。







眼下に広がるドナウ川の昼間の風景も、ゆったりと広々として気持ちがいい。
プラハの絵本のようにまとまった綺麗さとは違い、新しい建物と古い建物が混ざりながら、緑も目に美しく、大らかです。



観光客もたくさんいましたが、王宮の丘はプラハ城より広いので、ごちゃごちゃ感があまりない。



ブダペストは最初にケルト人が集まるローマ帝国の古代都市として始まり、9世紀にマジャール人がやってきて、13世紀半ばにモンゴル人の襲来を受け、
再建した街はルネッサンス期に人文主義文化の中心地として栄え、16世紀にはオスマン帝国に支配され、19世紀はオーストリア・ハンガリー帝国の
ウィーンに次ぐ第2の都市として栄え、そのあとも様々な歴史の動乱の舞台となって・・・と、ざっとウィキペディアを見るだけでもクラクラする
歴史をもつ都市です。



今は国立美術館や博物館としても使われている王宮は、何世紀にも渡って様々な支配者に使われ、その度に様式が変わっていったそうです。



暑さが緩むと少しだけ、歴史にも想いを馳せる気分になります(笑)。


NYカフェ、内装豪華です!

王宮の丘を見たあとで、ブダペストに車で入った時にその豪華さに気づいて、興味を持ったニューヨーク・パラス・ホテルの中にある
ニューヨーク・カフェに行って見ました。


ネットより借用。ライトアップされた建物は目を引きます。


https://www.dahotels.com/new-york-palace-budapest/?gclid=EAIaIQobChMI0sOQ0abu3AIVC6qaCh0K3wBkEAAYASAAEgKk1vD_BwE




このカフェにも一応予約しておいたのですが、よかったです!
入り口でたくさんの人たち、全て私たちのような観光客が列をなしていました。


公式HPの写真より。



娘は「お城見たい!」とお姫様気分になったらしく、あちこちでポーズをとって「写真撮って!」(笑)。



ブダペストの街中には、手入れをすればこのニューヨーク・パレス・ホテルのようになるであろう建物がたくさんあります。





何世紀にも渡り、東西から様々な襲来、侵略、支配を受け、その度に形を変えながら再建してきたブダペストの街。
壁崩壊後、どんどん発展しているようなので、そのうち様々な様式の歴史的な建物が美しく蘇り、目をみはる街並みを
楽しめる日はそう遠くないのかも、なんて思いながら、この街を後にしました。


ブダとペストをつなぐ橋の一つ。

ポーランド人の夫に言わせると「チェコ人はすぐに諦めて、降伏する人たちっていうイメージ。ハンガリー人は、ポーランド人と
似てい兄弟みたいなイメージ」だそうです。


チェコ内の道路には国旗があちこちにあります。スロバキアとかポーランド、ハンガリーでは見なかったけれど。

たまたまプラハでみたものが、感覚博物館やブラック・ライト・シアターという、錯覚を利用したものでした。
今回は見ませんでしたが、人形劇も有名で、これは人形というメタファーを使って、密かにメッセージを伝えるアートでもあります。
プラハ出身の作家といえばカフカがいますが、「変身」という奇妙な小説が有名。

そしてプラハは、この辺りの都市としては珍しく戦禍を逃れ、街並みが保存されています。


今は誰もいない国境のブース。

もしかしたら、プラハの人たちは、簡単に諦めているように見せて、それはあくまでトリック、錯覚を利用した、あくまで表面的な
ものであり、実は本質は自分たちをしっかり保ってきたのではないか?あるいは、逆に、いろんな支配に甘んじてきたからこそ、
メタファー、トリック、錯覚を利用するすべを身につけてきたんだろうか・・・?

常に周囲の国から攻撃され、一時は3分割され国がなくなってしまったポーランドと、東西からさまざに侵略、支配を受け、1920年代には国が
3分の1になってしまったハンガリー。そんな歴史を持つ両国人が兄弟のような気持ちを抱くのはなんとなく理解できます。

「ポーランドとハンガリーは、辛い経験に実直に耐えてきた、粘り強い性格の兄弟たちで、同じような状況でもうまく立ち回る奴、チェコ人を半分羨ましく、半分妬ましく思う、そんな感じなんじゃないの?」数日街を垣間見ただけの、勝手な印象を夫に述べると「うん、それもあるかも」と結構あっさり認めました(笑)。

さあ、今度はポーランドに戻ります!

ブダペスト3泊4日の2日目、セーチェニー温泉でまったり。

2018-08-14 10:19:23 | 日記

セーチェニー温泉へようこそ!

エアコンのおかげでぐっすり眠った翌朝、また暑そうな1日なので、温泉でのんびりすることにしました。


ネオバロック様式の美しい建物。

ハンガリーの温泉には2000年の歴史があり、国内には80を超える源泉がある、と観光ガイドにありました。


入り口も素敵。

ローマ帝国に支配された時に温泉を作り始め(掘り始め?)、そのあとオスマントルコに支配された時にはトルコ風のお風呂を作ったようで、
いろんな様式の温泉があるらしい。


屋内に15、屋外3つの温泉(とプール)があります。

私たちが訪れたセーチェニー温泉は1913年に作られたもので、ヨーロッパ最大規模だとか?
ネオバロックの美しい建物の中に20度から34度くらいまでの温泉が15、屋外に水泳用の50メートルくらいの大きなプールが一つと流れる温泉、40度くらいの噴水付きの温泉、と合計18も温泉(とプール)があります。


ビール温泉、冷たくて流れてます。

この日も35度くらいで、温泉に入るから日焼け止めを塗らずにいたら、すっかり日焼けしてしまいました。
はるか昔、草津の大きな露天風呂で日焼けして以来の温泉焼け(笑)。


セルフサービスのカフェテリアもあります。

まずは温泉に入って、そのあと何をするか考えよう、と思いながら、泳いだり、いろんな温泉に浸かったり、ランチをしたり、
昼寝したりしていたら、結局1日中温泉で過ごしてしまいました(笑)。

娘はろくに泳げないのに、50メートルプールをなんども往復して、周りの人に「あの子は溺れているんじゃないか?」と
半分笑われていました。

「14歳以下の子供に温泉は勧めませんが、親の判断に任せます」とセーチェニー温泉のホームページに書いてありました。
日本では子供も温泉に入っているし、7歳の娘もなんども入っているので、私たちは躊躇なく連れて行きましたが、
確かに小さい子供は少なかったかも。


疲れた。

家族づれやカップルもいましたが、若い人たちのグループがたくさんいました。シーゲット・フェスティバルに訪れる若者たちが、日中この温泉に来るのかな?

そうだ、あらかじめ、オンラインでチケットを買っておいてよかったです。入り口にはチケットを買う人の長蛇の列で、蒸し暑かった(笑)。


ビーチチェアはすでに全部使われていて床にバスタオルを敷いている人たちがたくさん(私たちも)。

タオルや水着やサンダル、シャンプーなどの温泉セットをレンタルしたり買ったりできますが、これも並ぶことがあるそうなので、私たちは持参しました。
水泳用のプールにはキャップが必要ですし、屋内の温泉エリアではサンダル着用なので、ビーチサンダルも持参するといいかも。
食べ物も売っていますが、持ち込みも自由で、私たちはお水やくだものなど少し持参しましたが思ったより、長時間いたのでカフェテリアも
利用しました。


ドナウ川の辺り、というかそばにある野外ミロンガ。

温泉から戻り、エアコンの効いているアパートでだらだらしてから、野外ミロンガを見つけたので、少しだけ踊ってきました。


ライトアップされた建物の前です。

地下鉄に乗って、少し歩くと、アルゼンチンタンゴが聞こえてきます。噴水のある広場で踊っている人たちが見えてきましたが、
それを見ている観客の方が多いみたい。


ミロンガ前にあった銅像。

イタリアからの旅行者、現地の人たち何人かと踊りましたが、女性の方が圧倒的に多いみたいだし、それほど上手な人も
いなそうだったし(!)、早々に切り上げてドナウ川周辺をお散歩。ライトアップされた王宮や教会などが美しい。
ドナウ川の真珠と言われているのもうなづけます。

夜景クルーズがとてもいいらしいので、明日の夜にトライしてみようね、と1日温泉で遊んで疲れた親子3人、また地下鉄で
アパートに戻りました。