Rain or Shine~メイおばさんの宝箱

雨が降れば虹が出る、晴れた空には光が躍る。
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世界のどこかから、あなたへ贈るメッセージ

良きことの連鎖~モスクワの氷原にて

2014-05-08 13:32:15 | 言葉


大雪もお花見も地震すらも通り過ぎ
随分長い東京暮らしとなった身が
再び太平洋を越えました。

ちょっと間があいてしまいましたけれど
前回の続きです。

「なんでこんなにメイさんに会いたいんでしょう。
 なんでこんなにメイさんに作ってあげたいんでしょう。
 亡くなった母がそうさせるのかしらねえ。」

実は、そんな言葉が深々と心に響くある思い出を語る前に
ミチコさん(仮名)のことをもう少しだけ。

四国の小さな町で生まれ育ったミチコさんは
ご両親の教育方針のもと
中学校から大学までを親元から離れて東京で暮らしました。
中学校に入ったばかりの頃は
毎日夕方になると下宿でひとり
寂しくて寂しくて泣いていたそうです。

自転車が乗れないお母さんのために
銀行も郵便局も役場も、病院にお薬を取りに行くことも
全てが小さな女の子の仕事でしたから
東京の中学校の授業で
「金利って何だか知ってる人!」と先生に問われた時には
教室中でただ一人、ミチコさんだけが手を挙げたそうです。

ミチコさんは今年の夏でダブルセブンになります。
けれども、頭の回転と言い、行動力と言い、お肌の艶と言い
もうすぐ77歳だなんて信じられません。

あれからもう長い長い年月がたちました。
ミチコさんには10歳下の妹さんがいます。
大恋愛のあげくヨーロッパの片田舎で暮らすことになったアコさん(仮名)です。

美しく気風のいいアコさんと私は
ひょんなことで出会って
とても親しくなりました。

アコさんがお産をすることになった時
アコさんのたつての願いで
77歳のお母様が
四国からまるで世界のあちら端にあるような
遠く離れた小さな町に
末娘の助っ人に来ることになりました。

ちょとのつもりが
帰るに帰れずに、結局1年も彼の地に留まることとなってしまったお母様は
日本人など他には一人もいない地で
どんなにか心細かったことでしょう。

その頃私は、長年住み慣れたその国を
去らねばならない時期にさしかかっていました。
そこで、アコさんに頼まれて
お母様を日本まで連れて帰る役目を担うこととなりました。

私たちが乗った飛行機はアエロフロート、時は12月。
乗り継ぎのモスクワの大地は堅く厚い氷で覆われていました。
モスクワへの到着が遅れて、ずっと向こうに見える日本行きの飛行機は
すでに離陸の体制を整えているところでした。

「早く、早く!」とロシア人が急かします。
私は左手に娘を抱き、右手に年取ったお母様の手を引いて
ツルツルと滑る暗い氷の大地を無我夢中で走りました。
必死でした。

結局、飛行機のドアが閉まる直前に
まさに間一髪で乗り込んで
私たちは無事、日本の空港に下り立ちました。
お母様は迎えに出ていたミチコさんの手に引き渡されました。

その後はお会いすることも叶わぬままに
「メイさんのおかげで帰ることができた。」と喜んでくださっていたことを
ミチコさんから聞いた時には
お母様は
故郷の四国で、帰らぬ人となっていました。
80歳をお迎えになってすぐのことでした。

「なんでこんなにメイさんに会いたいんでしょう。
 なんでこんなにメイさんに作ってあげたいんでしょう。
 亡くなった母がそうさせるのかしらねえ。」

と、長女のミチコさんが口にするのには
実はこんな背景があったのです。

太平洋を越える飛行機の中で
お母様のか細かった手を思い
アコさんの華やかな顔(かんばせ)と
ミチコさんの穏やかな笑顔を思い
良きことの連鎖、そして「徳」というものについて考えていました。

本当はそんなことを書くつもりで始めたのですけれど
長くなりすぎました。
また続けさせていただけますでしょうか。

こちらは水曜日の深夜です。


ご訪問をありがとうございました。
どちらでも一つ押してくださるととても嬉しいです。
どうぞ良い一日でありますように!

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