細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

長期戦か

2020-07-31 10:44:57 | 人生論

今日で7月も最後です。関東地方は梅雨が明けないまま、7月の終わりを迎えました。

私の勤務する横浜国立大学は、当初、9月末までが原則、遠隔授業の予定でしたが、ついに10月からの秋学期もオンライン授業を原則とする、という方針を表明しました。正直、がっかりしました。

仕方ない、と言えばそれまでですが、議論の大半が、実は感染者なり発症者が出たときに責任を取りたくない、取れない、社会からの批判が極めて大きい、のでリスクを取ろうとしない結果になる、というようなものばかりです。

身近なところで議論していても、「感染者が出たらどうするんだ?どう責任を取るんだ?」と言った意見に引きずられて、リスクを取らない安全な選択ばかりになってしまいます。私は日常的には自家用車には乗りませんが、車に乗ることや、歩行者として歩道を歩くこともリスクの塊なのですけどね。「コロナと車を一緒にするな!」とどうせ返ってきますね。議論にならない、という状況が最も危険な状況かと思いますが、すでに状況は深刻です。

一連の動きは「自粛」と表現してよいかと思いますが、自粛により失っているものがいかに大きいか、に自粛を推進する方々は思いが至っていないように思います。そう言うと、「そんなことは分かっている」と答えが返ってきますが、分かっているなら過剰な自粛はしないと思います。本当には分かっていない、のでしょうね。

いずれにせよ、横浜国立大学は秋学期もオンラインが原則となりました。私の「土木史と文明」の講義や、その他の講義もオンラインでやることになります。過去、土木史の講義で使ってきた「ケンカ戦法」も使えませんね。学生との対話を非常に大事にした私の大事な講義のつもりですが、できる範囲でやるしかありません。

コロナに翻弄される社会の混乱も、これは長期戦になりますね。

私も3月の学校休校から自粛的生活が始まり、すでに5ヶ月が経過しましたが、その間にもいろいろな変化がありました。5月はひたすらジョギングしていましたが、6月22日からは長女の毎日のお弁当作りが始まり、本日7月31日で通算27個目のお弁当を作りました。今日で長女も次女も学校の通常期間が終わるようなので、週5日のお弁当作りも一旦終了です。

長期戦となると、この状態で自分のパフォーマンスを中長期的に発揮することを考えるしかありません。教室の主任教授としての仕事もかなりあるのですが、この自粛状況なので対応しやすい面もあります。通常時のように動き回ったり、外での会議や会合が極めて多い状況だと、主任業務をこなすのに一杯になる可能性も高かったと思います。

ある意味でずうずうしく開き直って、雑用も研究も教育も、自分の本来やるべきことは淡々とこなし、自粛ムードにまみれて人間らしさを失わないような生活を模索してみます。

遠隔での学生実験(コンクリート実験)も終盤に差し掛かっていますが、7/28のZoomでの学生実験はとても楽しい講義でした。別のエッセーで改めてレポートします。


一人の研究者として

2020-07-18 13:59:35 | 研究のこと

思ったことをFBにさっと書いたのですが、それをブログのエッセイにしてみます。

7月に入り、研究に関連した出張を始めました。また世間がコロナで騒ぎ始めたので、今後どうなるか分かりませんが。

7月16日は、気仙沼湾横断橋の現場へ。RC床版を高耐久化するために、東北地整の手引きに基づいた工事が行われていますが、RC床版に発生したひび割れの調査を、発注者、施工者、今後の維持管理計画を策定するコンサル、横浜国大等で行いました。現場のひび割れの発生状況は、事前に想定していたものと異なりました。私がこれまでに想定していたひび割れに関する要因以外にも、要因があることを現場での議論を通して学ぶことができ、大変に有意義な現場での議論でした。

この調査から得た知見は、また東北地整の手引き等にフィードバックします。

今回の調査には、RC床版の耐久性・ひび割れ抑制の研究をテーマにしている留学生を同伴しました。彼も、今回の調査での議論や、道中での私とのやり取りから多くのことを学んだようで、やはり土木技術者として現場での議論の重要性を再確認しました。

この学生も非常に頑張る方ですが、指導する学生たちと、研究の打ち合わせをすると(最近はZoomで行うことが多いのですが)、清々しい気分になることが多いです。特に、こちらが様々な理由で滅入っているときに、そのような気分にさせられることがしばしばあります。世の中のかなりの情報がねじ曲がっている、場合にとっては意図的な嘘が多い中で、真実を探求しようとする研究という行為だから、そのような清々しい気分を感じるのだろうと思います。

また、研究においては、前提条件が重要なのは当たり前ですが、世の中の大半の議論は、前提条件が間違っているとか、前提条件を意図的にねじ曲げられて設定されている場合がほとんどで、これも気が滅入る大きな理由です。研究においては、そもそもなぜその目的を設定するのか、また議論を進めていくための前提条件や境界条件について徹底的に議論します。当然に、結果は条件によって変わるのであって、それらの条件をいかに設定するか、が研究の根幹とも言えます。

研究での議論を通して清々しい気分にさせられるのは、学生(特に留学生たち)が真剣に取り組んでくれているのが大きいですが、この場を大切にしたいです。

今回、要請もあって気仙沼湾横断橋の現場に行きましたが、今回の件は、大学の関係者の中でも私が最適任の研究者です。RC床版の施工段階でのひび割れについて、構造物の全体的な視点も含めて検討している、もしくは検討できる研究者はほとんどいないと思います。さらに今回の現場調査では、床版を施工した後、壁高欄、中央分離帯の施工で生じる荷重も影響していると思われたので、まさに「施工段階のひび割れ」であり、机上のみでの検討では対応不可能でしょう。

元々、研究者は、自分の最も得意なことをする人種でしょうから、他人の真似などして太刀打ちできる職業ではありません。

私自身も、「研究が下手」を公言してしまう研究者ですが、そうであっても自分にしかできない研究があるのは当然に自覚しており、自分にしかできない研究に大した価値がないのであればすぐにでも職を辞そうと常に思っているつもりです。

今年度は、東北地方整備局の品質確保、耐久性確保に関するいくつかの手引きの改訂を行う予定となっていますが、私も最前線のプレーヤーとして関わります。このような機会に恵まれていることを幸せに感じ、研究者として最善を尽くそうと思います。

清々しく感じることのできる、この場がある限り、・・・、と言いたいところですが、この場さえも失われようとしているのが現在の大学であり、心から危惧いたします。私自身はよいとしても、後に続く研究者たちが活躍できる場を確保しないと、この国の明るい将来はない(少なくとも近未来には)と思われます。どん詰まりの状況ではなく、取り得る対策があるのが歯がゆいですね。国民が賢明な選択を重ねることを期待します。


Butterfly effect

2020-07-15 11:41:27 | 研究のこと

バタフライ効果(Butterfly effect)という言葉を初めて知りました。

ウィキペディアによると、「力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象」とされています。

この言葉は、藤井聡先生の表現者クライテリオンのラジオ番組で知りました。"Butterfly Effect"という2004年の映画も紹介されており、とても興味が湧いたので、見てみようと思います。

藤井先生のメッセージは、このButterfly effectのように、一つ一つの行動がプロジェクトや組織や、そして人生や、さらには社会全体に極めて大きな影響を及ぼす可能性があるのであって、そのような気持ち、覚悟で行動をしないといけない、というものでした。

この話を聴いてから、自分の日常を振り返ってみると、例えば自分の研究活動においても、半ば無意識的にButterfly effectが生じることを企図して、一つ一つの発言や、判断を行っているのだな、と感じます。一つで変わることはないかもしれませんが、常に自分の信じる方向、自分の良しとする方向に向かうように自分のアクションを重ねる。そのアクションは小さいかもしれないけれど、それこそ命がけで実践する。そうすると、いずれその願う方向に向かい始めます。

今年度がスタートしたとき、私の研究プロジェクト群は順風満帆でスタートしたわけでは全くありませんでした。それには様々な理由がありますし、もちろんコロナも関連しています。

ですが、その状況は受け入れざるを得ません。常に自分自身がどのように社会に貢献できるのかを自問自答し、研究者・教育者として本分を務めるための努力を重ねるしかありません。

7月11、12日の週末には、かなり久しぶりにトライアスロンの運動をしました。ロードバイクが10.5km、Runが5km強、水泳が1000mを二日間続けました。一つ、もしくは二つ、の運動はやってましたが、三つすべてとなると何と昨年の10月20日以来ということで、9か月ぶりでした。。。冬場はバイクに乗る機会が減ることと、コロナが理由です。

研究、教育、運動、読書、お弁当作り、絵本の執筆、ブログ、会議、・・・・・。ばらばらのようで、しかしすべて私の行動であり、人生の一部であり、それらの総体で私の人生が形成されており、一人の人間として少しでも社会に貢献できればと思っています。

改めて、自分の長所、強味に注力していく必要性を強く感じています。


日常へ

2020-07-07 07:23:10 | 人生論

7月も第2週が始まり、私の生活も少しずつ日常へと戻ってきています。

ですが、九州の豪雨災害。大変な被害となっており、その上にさらに豪雨が続くということで大変に心配です。マスコミ(テレビ)を見ていると、またか、と思ってしまいますが、「過去に経験したことのない雨」とか「命をまもる行動を」などの繰り返し。命をまもる行動を取っても、自宅などの財産が大変な損害を受けることもあります。避難しなくてよいような安全な国土にしていくことが最も大事なのでは?そのような論調なしに、逃げろ、命を守れ、と言い続けることで彼らは責任を果たしていると思っているのでしょうか。

適切なインフラ投資を継続しなければ、今後、毎年毎年、大規模な災害が連発し、インフラ投資を怠り続ければ、災害の規模もどんどんと甚大化していくことでしょう。信じられない人は、第二次大戦後の日本の自然災害による死者数を見てください。あって当たり前と思われてしまうインフラですが、インフラが劣化したり、無くなったりすると、これだけの人口が安全に住める国土では全くない、という当たり前のことを学校教育でも教えるべきですね。

そして、災害が甚大化すれば、それに対して、マスコミが今のような報道を続け、さらにそのトーンが過熱していくことを想像するとそれだけでうんざりします。

7月に入り、二つの入試が無事に終わりました。一つは大学院の特別選抜試験で、今年はオンラインでの面接試験となりました。もう一つは、高専からの編入学試験で、こちらは大学で筆記試験と面接を実施しました。想定される様々な状況に対して入試の主担当者を中心に準備をして臨みましたが、特にトラブルなく、無事に終了して教室主任としてもホッとしました。

今週から出張が入り始めました。今のところ、7月に3件、すべて東北ですが、出張が予定されており、これも少しずつですが、日常へ戻ってきている感覚になります。

子どもたちも学校生活や塾などが日常に戻ってきており、長女のお弁当作りは本日で12個となりました。

また、今日から学生実験のコンクリート実験が始まり、私が主担当ですが、オンラインで実施します。コンクリート実験をオンラインで、というのは極めて困難な条件ですが、TAたちとも相談しながら、できうる限りの内容を準備してきたつもりです。

少しずつ日常に戻ってきている面もありますが、私の研究室にも、一時帰国で母国に戻ったまま、日本に帰ってこれない留学生もいます。

新しい留学生として10月に来日が決まっている方々がどうなるのかも、非常に不透明です。

グローバリズムにより巻き起こされたと言っても過言でないコロナの問題に対して、人間が不適切な対応をしたがために社会が大混乱状況に陥ってしまい、元の日常に回復するのはほぼ不可能であろうと思っています。

行き過ぎたグローバリズムから、適切なナショナリズム,その上でのインターナショナリズムへと方向転換すべきとも私は思うので、全く元の状態に戻る必要もないとは思いますが、いずれにせよ、世界中の人々が多大な影響を受けることは必至です。

しばらくは激動、混乱が続く、と覚悟しておいた方がよいのかもしれません。


カラマーゾフの兄弟

2020-07-02 09:11:55 | 趣味のこと

2020年の読書は、三島由紀夫の「豊饒の海」(全4巻)を読破し、現在は、長編ものとしては「カラマーゾフの兄弟」を読んでいます。もともとどちらかというと乱読タイプなので、三島由紀夫の「英霊の聲」など、短編もいろいろ読んでいます。

「カラマーゾフの兄弟」を読み始めたのは、世界の歴史に残る小説を読みたい、という単純なミーハーな気持ちが一番でした。研究、教養などにおいても、やはり古典、名作の力はすごく、すぐにすたれるような最先端の話よりも、本質に触れたい、本質をつかみ切りたい、という気持ちが自分には強くなってきています。それも、読み始めた大きな理由の一つかと思います。

哲学者ウィトゲンシュタインは、カラマーゾフの兄弟を少なくとも50回は精読した、と言われていますが、それだけの名作であればやはり読んでみたくなります。

ただ、難しくて読み切るのも大変、という噂は聞いていたので、5月8日のブログにも書きましたが、以下のように読書を開始しました。
「さて、私個人は、1年以上前に第1巻だけ読み終わっていた、三島由紀夫の「豊饒の海」を最終巻の第4巻まで読破し、その次はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み始めています。読み切ることも難しい、とのことだったので、まずは講談社の漫画で読み、NHKの100分de名著で理解を深め、さらに「100分de名著」の4回の番組をオンデマンドで見て、それから亀山郁夫(100分de名著、の解説者)訳の小説を読み始めました。」

さて、本日は在宅勤務ですが、朝の10分間読書の時間(今朝は実際には20分)に、カラマーゾフの兄弟の2巻の終盤に出てきた二つの表現。

第2部、第6編「ロシアの修行僧」、2 神に召された修道苦行司祭ゾシマ長老の一代記より
伝記的資料 (b) ゾシマ長老の生涯における聖書の意味について

より引用。

「必要なのは、ごく小さな、一粒の種なのだ。民衆の魂のなかにその種を投げ入れてみなさい。すると種は死なず、民衆の魂でずっと生きつづけ、闇や罪の悪臭のなかにあってわずかに灯る光のように、偉大ないましめとして一生息をひそめつづけるだろう。だから、あれこれと説明する必要も、教えてやる必要もないのだ。民衆はじつにあっさりと、すべてを理解してしまうのだから。」

「どんな草も、甲虫も蟻も、金色の蜜蜂も、生きとし生けるものが、およそ知恵などというものを持たず、驚くばかりに自分の道をわきまえ、神の奥義を証明し、倦むことなくその成就につとめている。・・・・」

人間とは何か、についても改めて考えさせられるフレーズが随所に散りばめられています。


週5回

2020-07-01 08:25:19 | 人生論

7月になりました。私のブログの読者から、「ブログで刺激を受けている身としては最近少し寂しく感じております」という言葉をいただきました。最近、著しく更新頻度が下がっており、私自身もいろいろと悩んだり、また以前に比べると活力にあふれた生活を過ごしていない、ことが大きな理由かと思います。

先週から長女(高校1年生)の分散登校が終わって、フルの登校が始まりました。それはすなわち、週5回のお弁当、も意味します。現在の我が家では、お弁当を作るのは私の担当になっていて、先週から毎朝のお弁当つくりが始まり、今朝で8個となりました。

フランス滞在中は合計で100回のお弁当を作りましたし、コロナ以前もお弁当作りは基本的に私の役割でした。しかし、コロナ以前は私の母が毎週、一泊でサポートに来てくれていたり、出張も多かったので、週5回連続のお弁当作りはほとんど経験していなかったかと思います。

いよいよ週5が始まる前は、ややプレッシャーでしたが、今週はすでに2週目。人間は、真っただ中に置かれると、それが当たり前になってしまう、慣れる生き物です。今朝はサンドイッチでしたが、週の半ばに一度サンドイッチを入れて、木曜日には簡単弁当。少しリズムを作ったり、手抜きではないのだけど楽をする日も入れたりすると、自分自身も過度な負担に感じないし、楽しくなったりします。

サンドイッチは、卵サンド、ハムチーズサンド(トースターで焼く)、きゅうりチーズサンド、ツナサンド、です。パンの下味にバター、マスタード、マヨネーズなどを適宜塗ります。今日は入れ物に少しスペースがあったので、プチトマトも。別の小さなタッパーにフルーツのデザートも。

サンドイッチの翌日の簡単弁当も、簡単ではありますが、おいしいおにぎりを複数と、ソーセージや塩鮭、ブロッコリなどを、いつもの長女のお弁当箱ではなく、小さめのタッパーなどに詰める。お弁当箱を毎日洗うのも、長女や私にもやや負担だったりするので、楽な日を設けておく、というのも工夫の一つです。

コロナによる自粛期間が始まった後、出張は全滅になり、Face to Faceでの議論や懇親会なども数か月無くなりました。足で稼ぐ研究者?にとっては、とても元気の出る状況ではありません。

オンラインの会議の便利さ等は認めるものの、個人をバラバラの砂粒にしてしまった近代の末期に、コロナによりとどめを刺され、完全な砂粒になってしまった、という状況なのであろうと思います。そのような状況で、人間が人間らしく生きられるわけがありません。

先週、6月24日に大学に出勤して、朝から夕方まで忙しく仕事を終えた後、研究室のある博士課程の留学生1名を誘って、和田町で二人で夕食をしました。彼は、この三か月で、他人と一緒に食事をしたのは初めてだ、というようなことを言っていました。驚きました。そして、私に夕食を誘ってもらったことをとても喜んでおり、夕食とおしゃべりを楽しみました。

いつも、研究のミーティングでは頑張って進めている自分の研究について報告し、有意義な打ち合わせをしてくれているそのような学生が、どれだけ孤独な生活を母国から離れて送っているのだろう、と複雑な気持ちになりました。

家族はもちろんですが、私の指導学生や、仕事などをともにする人など、私が周囲の方々に対してできることはいろいろあります。この、(愚かな)人間が作り出した人災とも言える困難な社会状況において、できること、やるべきことはいろいろあるとやはり思います。今週も、人数を限定して、金曜日に大学でしっかり研究した後、指導学生たちとの夕食会を企画することにしました。

この数か月、ブログの更新が滞っていたのは、自分自身もこの状況に苦しんではいますが、社会にはもっともっと苦しんでいる方々がいるので、ある意味遠慮していた面もあったように思います。

いつもの日本のパターンで、適切でない情報や嘘に踊らされて、社会が間違った方向に進み、取り返しがつかなくなる、という状況に今回も突き進んでいるように思います。コロナについても適切な情報を入手・理解すれば、いかに社会が危機的な状況にあるか、どれだけ間違った情報に踊らされているか、手に取るように分かります。

どのような状況に置かれても、一日一日、自分の持ち場でしっかりとした時間を重ねていくしかなく、2020年の後半が今日から始まりましたが、気持ちを新たにして過ごしていきたいと思います。

今朝も極めて蒸し暑かったですが、同じサンドイッチのお弁当を持った長女と一緒に7時過ぎに家を出て、通勤中はショパンのピアノ演奏を聴きながら、カラマーゾフの兄弟を読み耽っておりました。