細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

2018-12-31 11:55:13 | 人生論

今年は大晦日を浦和の実家で迎えています。29日から子ども二人を連れて二泊。今夜は一旦自宅に帰って奥さんと合流して、新年の朝は家族四人で迎えます。

大晦日の一日も、ミッション・ステートメントに基づいて行動しています。

29日は隙間の時間を使って年内最終の水泳1300m。大晦日も先ほど、実家の周囲で25分間の軽いジョギングをして、温かいシャワーを浴びてからこのブログを書いています。運動にかなりの努力をした2018年を象徴する年の瀬かと思います。

昨日は、家族サービス。昼食は実家の近くのイタリアンのお店で、両親、妹、私の娘二人、甥っ子と私の7人で、ランチを私がご馳走しました。母の体調がやや優れなかった、ということもあり、夜は私の提案で、焼肉、ステーキと、締めは焼きそば。みんな手伝ってくれて、にぎやかな夕食となりました。母も元気になりました。

本日は仕事モード。

土木史のレポートの採点もしています。素直にレポートを書いてくれる学生もいるので、いろいろと「タレこみ」もしてくれます。

私の講義を通じて、無知に気付き、興味を拡げてくれる学生も少なくない一方、私の講義に対して批判、非難する土木の学生も少なからずいるそうでして、さらに悲しいことには、土木に失望したり、するような学生もいる、とのこと。

人それぞれですし、私の講義を批判、非難されようがご勝手に、ですが、私の講義を通じて土木に失望する学生がいる、というのは残念です。

まず、批判、避難したいのであれば、正々堂々とすればよろしい。土木史のレポートでそのようにする学生もいます。立派と思います。

レポートでは口裏を合わせておいて、陰で批判、非難するような連中の言うことには私はびくともしません。まさにご勝手に。

土木に失望する、というのは残念です。まあ、失望するくらいなら方向転換なさった方がよいのかもしれませんね。少なくとも、私とは馬が合わないのでしょうから、それがこの時点で分かっただけでもよいのかもしれませんね。人間、合わない人は必ずいます。ご自身の心から満足する環境を見つけられるとよいですね。

さて、私自身は、考えが凝り固まっているとは思いませんが、自分自身の生き方、哲学はすでに確立されています。今でも、いろいろと刺激を受けたり、全く知らなかった物の観方を学んだりすることも少なくないですが、基本的な方針が変わることはありません。ミッション・ステートメントに記す通りです。

そして、私の考え方が独りよがりのものであれば笑止千万ものですが、内村鑑三(後世への最大遺物)やシュペングラー(西洋の没落)の結論と私の考え方は同じです。真似事をしているのではなく、自分なりに真剣に、誠実に生きてきた結果、体得した考え方が歴史に残る偉人のものと同じものであった、ということです。

ですから、多少の批判、非難など気にはしないし、逆に気にしている暇などございません。

もうすぐ、大晦日の昼ご飯です。母親が、私の長女のリクエストでサツマイモの天ぷらやかき揚げなどを長女と一緒に作っています。

私は昼食まで、留学生の投稿論文の添削です。


ブログ

2018-12-26 10:56:11 | 人生論

昨夜は共同研究先との忘年会でした。

今年度から共同研究契約を結んで、当初思っていたよりもかなり濃くお付き合いさせていただいています。

元々は、2018年2月ごろに、同じ横浜国立大学の建築学科の先生からご紹介いただき、面会しました。最初に話をお聴きした際には、あまりピンときませんでしたが、かなり強引に共同研究させてくれ、というお願いをされたので、しぶしぶ引き受けるという状況でした。。。

この企業で私のお付き合いする方々は極めてフットワークが軽く、決断も早く、私も驚くくらいですが、私の提案した研究テーマ(NATMトンネル関係)にも賛同していただき、急ピッチで研究開発も進んでいます。その研究開発以外にも、結構重いテーマのコンサルティングもさせていただいており、私もいろいろと勉強させていただいています。

昨夜は、その建築の先生も一緒に忘年会だったのですが、とても楽しい時間でした。

なぜ、その先生が私をその企業に紹介したのか、という話になりました。大学の学部の入試委員を10年近く前に一緒にやっていたとき、センター試験やら学部の前期・後期試験のために本部でずっと待機・業務があり、やたらと入試委員で話す時間があったことが親しくなったきっかけでした。当時の入試委員長が、入試委員はパソコンを持ち込むのはやめましょう、とご提案されました。注意力が散漫になり入試のミスを誘発するかもしれないし、せっかくの機会だからコミュニケーションを図りましょう、という趣旨でした。とても良い方針だったかと思います。

たくさんおしゃべりしているうちに、私のブログの話にもなり、当時、自費出版でブログの単行本も発刊しており、それを見せたりもしました。

結局、その先生は、私がブログで発信している内容、考えを見ていただき、「この人は本音で話をできる人だ」と信頼していただいていた、とおっしゃってくれました。

このブログがきっかけで始まった共同研究、と言えるかもしれません。

このブログも、すでに1300件以上のエッセーが溜まっていますが、ここに書かれていることに偽りはありませんし、私の中身そのもの、であると思います。

これからも少しでも社会に貢献できるよう、可能な限り誠実に生きて、伝えるべきことを発信していこうと思います。


基礎とテコ入れと

2018-12-24 18:03:43 | 人生論

年によって師走の様子も異なりますが、今年は17~21日の平日をもって、師走の私の忙しさのピークは終わったように思います。例年に比べて、比較的余裕をもって師走まで駆け抜けてこれましたが、そういう年もあってよし。いずれどうせ首の回らなくなる状況に追い込まれるのは目に見えており、今年はめでたしめでたし、でした。

12月2日にハーフマラソンを完走し、その後、各種の忘年会が続いたこともあり、一度、節制モードを緩めることにしました。

ハーフマラソンの日までは水泳もロードバイクも時間的な余裕がなくてできず、運動はRunばかり。ハーフマラソンという明確な目標があったので、時間にも限りはあり、致し方ないかと思います。

ハーフマラソンが終わり、自由に運動を選択できる、ということでやはり選んだのは水泳、でした。一番好きなのでしょうね。

21日に師走の繁忙期を終え、その日の夕方の、土木学会のプレキャストコンクリートの委員会のWG(自身が主査)を終えた後、水泳に行き、一人でゆっくりと夕食をしました。

22日の休日からは、自身の年末モード。研究に打ち込んでいる学生たちの論文投稿ラッシュが始まり、英語論文の添削や、年末年始に集中できる執筆等の仕事に注力です。

三連休の最後の24日は、久しぶりにジムで5.6kmのRunをした後(やっぱりRunも楽しい)、1100mの水泳。さらに、ジムから徒歩でホームセンターへ向かい、いただきもののチューリップの球根の残りの半分を植えるための栽培用の土をホームセンターで購入し、自宅まで3.5km程度のウォーク。帰宅後すぐに、残り半分のチューリップの球根群を植えました。植えるのが少し遅れてしまいましたが、すべて花が咲きますように。

約6ヵ月後の鞆の浦でのトライアスロンに出場するつもりでいますが、スポーツの基礎習慣も日常に戻ってきました。

自分自身の活動を支える基礎をしっかりすることには、普段から注力しているつもりではいますが、相応の努力を必要とします。研究のための勉強・段取りや、教養のための勉強も含め、やるべきことは数え切れません。

日常のルーチンな基礎的活動を続けるだけでも容易ではありませんが、どんなに頑張っても各所にほころびがでてきますので、それらの維持修繕も必要です。

日常が普通に回るための維持修繕も結構大変で、維持修繕にも相当に注力しないと日常もおぼつかなくなります。電球が切れたり、米や調味料のストックが無くなりかけたり、早くも花粉症が出始めたり、・・・・。

10数年、歯医者に行っていませんでしたが、差し歯の不具合を契機に大学の近くの歯医者に行き、すぐに修繕してもらいました。さすがに10数年、歯医者に頼らずに自身でメインテナンスしていましたので、明日、同じ歯医者でお手入れしてもらう予約をしています。

自分自身の体も、自分の暮らす環境も、毎日の基礎的なしっかりしたルーチン的な活動と、ほころびを修繕する活動とをしっかりすることで、何とかパフォーマンスを発揮することができます。少しでも手を抜けば、私のパフォーマンスなどあっという間にレベルが低下していきます。間違いありません。

自分自身と真っ当な対話を重ねる人間であれば、人間社会のレベルを維持、向上していくことがいかに難しいかもすぐに分かるはずかと思います。

なぜ、自分自身と組織や社会を同じように考えられないのでしょうかね。組織や社会を壊すような活動ばかりが次々と実行されており、恐ろしくなります。

明日の25日からは、もちろん仕事(忘年会も二つ)もありますが、年末年始の論文添削・執筆・家族サービス、等の特別モードが楽しみです。


素直さ

2018-12-08 12:26:24 | 教育のこと

土木史の講義も9回目が終わり、次週の火曜日は10回目です。

9回目は、古代ローマ帝国の街道網について説明しました。

私の講義スタイルで9回も土木史の講義を重ねると、発信する情報の種類も非常に多岐に渡り、また実はそれらの情報がお互いに密接に連関していることも学生たちには分かってくるので、学生たちのレポートの視点も多岐に渡るようになります。

ちょっとした私の情報に非常に敏感に反応したり、自分の生きてきた経験に合致するようなときもあり、それらに刺激されてレポートを紡ぐ学生たちも少なくありません。

もちろん、私と波長の合わない学生もいますし、全員を満足させることなどできないし、そのようにするつもりもさらさらありませんが、私に反感を感じる学生にとっても、何らかの影響を与えているのでしょう。ご自由になさってください。

さて、9回目のレポートでは、「素直さ」について書いてくれた土木の学生がいました。

講義中に私が、「素直であることも、人間が伸びていくための大切な要素だと私は思う。」と述べたことに起因します。

その学生は、素直である、ということは、良いと思ったことにすぐに着手する、ということにもつながるだろう、と述べていました。親からも素直に生きなさい、と言われ続けて育ったようで、スポーツをやってきた学生のようです。少数派になるかもしれないけど、多くを引っ張って行くことのできるキャプテンシーを細田先生から学びたい、付いていきたいと思う、というニュアンスのことも赤裸々に書いてくれていました。

古代ローマの話は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を引用する形で説明します。この全15巻のシリーズを薦められたのは、私が学部4年生のときで、岡村甫先生がみんなの前で紹介されたときでした。後に岡村先生から聞きましたが、すぐに読み始めたのは二人だけで、一人は私で、もう一人は國島正彦先生だったそうです。どちらも非常にクセがありますが、素直と言われればそうかもしれませんね。。。当時はまだ4巻まででしたが、その後、毎年一冊発刊されるのを心待ちにしていた記憶があります。

素直である、ということは、良いと思うことをすぐに試してみる、ということにもつながります。自分に合う、合わないは後でも判断できます。「いい本を紹介してもらったので、春休みに読んでみようと思います。」というような感想を書く人もいますが、大半の場合、読まないと思います。いいと思ったことはすぐに実行する。そして、本当に自分の信頼する人から紹介された情報は、大半の場合、自分にフィットします。そのような感じる力も含めての素直さ、です。

私は、岡村甫先生に出会わなければ、今のような自分になっていることはあり得ないと思います。それくらい多大な影響を受けました。

昨日は、共同研究をしている首都高速道路の方々にも参加していただき、研究室のプチ忘年会をしました。留学生たちも、バングラデシュ、ベトナム、エチオピアの大変においしい料理を用意してくれ、私も海鮮のチゲ鍋を振舞いました。多くの学生たちも準備を手伝ってくれ、大変にアットホームな雰囲気の楽しい懇親会でした。

世の中はまさに音を立てて壊れようとしていますが、守るしかありません。守るためには、我々一人一人が強くなるしかありません。研究室という場においては、真っ当なことをやる空間・時間を確保することができます。そのような空間・時間をなるべく大きくして、私たちが育っていくしかありません。それが良い世の中につながると信じています。

育てていただいた先生方、家族等に感謝の気持ちを持ちながら、真っ当で素直な生き方を続けていくつもりです。


ハーフマラソン完走

2018-12-03 11:18:52 | 趣味のこと

2ヵ月程度、準備を重ねてきたハーフマラソンが昨日終わりました。ほぼ目標通りの走りで完走でき、満足しました。

11月に入ってからは、水泳や自転車は全くやらず、週末ごとに1時間ランを行い、昨日に備えてきました。直前の5日間、禁酒もして体調を整えました。二日前に岡山での出張で、最も気にしていた右膝頭をレンタカーの固い部分にぶつけてしまい、調査中も終日痛む、というアクシデントがありましたが、当日はほぼ回復した状態で臨むことができました。

12月2日の当日は、それほど寒くなかったですが、スタート地点で走る服装で30分近く待機している間は寒く、周りの人を見ると、スタート時に捨てられるポンチョを着ていたり、と用意周到な方々も見られました。まあ、走りだせば温かくなったので、それほどの問題ではありませんでした。

さて、スタート後、オーバーベースにだけはならないよう気を付けながら、楽しく走り始めました。道路の交通規制等も含め、非常に多くの方々が準備・貢献されて、マラソンという舞台が整えられており、それらへの感謝や、走れているという健康への感謝等々を感じながら、気持ちよく走り出すことができました。

ペースメーカーがいた方が走りやすく、それほどのスピードでもないですが風除けにもなろうかと思い、ちょうど良いスピードのおばさんの後をしばらく走りました。途中で少しペースアップしたかったので、そのおばさんとサヨナラして、別の男性ランナーを見つけその後を4~5km走りました。その方ともサヨナラして、自分のペースで走り始めたのが11km時点くらいから。

15kmの手前で長女が応援に来てくれることになっていたので、とても楽しみに走りました。まだ体もそれほどきつくなく、長女もすぐに見つけることができ、折り返し地点で折り返しながらコミュニケーションすることができました。とても元気が湧きました。

給水も適度に行うことができ、15kmを過ぎた辺りでウェストポーチに入れておいたゼリードリンクを少しずつ飲み、エネルギー補給もしてゴールを目指しました。

15kmを過ぎた辺りから、足が痛くなり始めました。右太ももの裏側が少し痛み、ひどくなると足がつるんだろうなー、と思いながら走りました。足の指先も痛くなってきました。

19kmを過ぎたくらいで、いくつかあるカメラのシャッターポイントでキャップを撮ってカメラにポーズしようと思ったら、手が滑ってキャップが落ちました。少し戻ってキャップを拾ったので少しロスしましたが、ほぼ唯一のアクシデントでした。

最後、20kmを超えてから、最後の上り坂があるのですが、失速する人や立ち止まってしまう人を尻目に、自分なりのスパートをすることもでき、無事にゴールにたどり着きました。

以下が、完走証とラップです。1時間49分43秒で、ラップライムが落ちることもなく、準備したなりの力を発揮できたかと思います。



レースが終わった後、預けておいた荷物も撮った後の記念写真が以下。



2018年は45歳になってから、大槌のヒルクライムと、トライアストン教室、7kmの台場ナイトマラソン、そしてこの港区シティハーフマラソンに出場しました。気に入った大会にはなるべく続けて参加したいとは思いますが、まだいろいろとチャレンジを重ねてみたいと思います。

日常では趣味として、ロードバイク、水泳、ジョギングを行っており、これらを組み合わせると、トライアスロンになります。。。

これまで何度も通ってきた鞆の浦で、数年前からトライアスロン大会が催されており、2019年6月に鞆の浦でのトライアスロンに出たいな、と思い始めています。

目標を定めて、それに向けて努力をする、成果を大会で試す、ということは趣味のレベルを高める上でも有効ですし、ただ単に楽しいです。

また、この手のスポーツは、コツコツタイプなのですが、どうも自分に合っているようです。才能のない研究者としても、第一線で闘ったり社会に貢献するためにはコツコツやるしかなく、その根性を養う意味でも、これらのスポーツを自分の趣味として続けて行こうと思っています。

きっかけとなった3年前の右膝痛に感謝、です。


三島の「憂国」とPowersと自分

2018-12-01 09:06:01 | 人生論

三島由紀夫の「憂国」を初めて読みました。三島が自決した年齢になって初めて「憂国」を読んでいるくらいですので、私の奥手ぶりも相当なものかと思いますが、心や内臓をえぐられるような気持ちを抱きながら読み終わりました。すごい。

「表現者クライテリオン」の文学対談で三島の「憂国」と「真夏の死」が取り上げられており、大変に興味を持ったので早速どちらも読みました。

文庫本に三島本人のこの作品に対する解説があります。

「『憂国』は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全なる融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない。」

戦前の家制度における家族のあり方、教育勅語に示された自らのあり方と国家との関係、など、現代の腐敗しきったとも言える状況と照らし合わせ、痛烈な鉄槌を下されるような感覚を覚えます。

藤井聡先生の「大衆社会の処方箋」に示されている三つの処方箋の一つである「活物同期」は、ロックバンドShishamoの「明日も」が一番分かりやすいかと思います(土木史の講義でも20歳前後の多くの学生たちにこの話をし、驚いた学生や喜んだ学生も少なくなかったです)。私もランニングのトレーニングの時によく聴いて励まされました。三つの処方箋のもう一つである「運命焦点化」は、簡単に言うと「死を直視しなさい、そうすると生きることの意義が明確に見えてきますよ」ということだと思っていますが、これは上記の「憂国」にありありと描かれています。私もこの小説におけるくらい、生きることへの感性が研ぎ澄まされ、自分の日常と「大義」とが融合するような感覚を味わえるよう、もしくは近づいていけるよう、模索してみたいと思います。少なくとも本物の「運命焦点化」とはこういうものだ、ということを知ったのは大きいです。

中野剛志さんの言われるよう、「没落」のステージに確実にある我が国の凋落はもはや止められないのかと私も思います。ただ、結論は、中野氏の「日本の没落」の最後にもシュペングラーの「西洋の没落」から引用されている通りかと思います。『われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外に道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。』

「憂国」を読み終わるとほぼ同時に、今年の大学院修士課程の講義「耐震耐久設計論」の前半の耐久設計のテキストの最後、T.C.Powersの凍害のメカニズムの論文を学生たちと一緒に読みました。素晴らしい論文で、巨人Powersの秀逸な論文の中でも彼の自信作であろうかと思います。

学生たち(全員、私の研究室の学生)には「憂国」の説明もし、この堕落した没落するしかない時代において私たちのするべきは、一級のものに触れて感じ、私たち自身を少しでも向上させ、社会のために尽くすことであろう、と説きました。そのような気持ちでPowersの論文を輪講しました。

明日はいよいよハーフマラソンです。本日も含め、5日間禁酒しました(9月20日以来の73日間での禁酒率は48%で、2月末までの節制期間の目標の50%にわずかに届かず。。。)。昨日の岡山での現場調査の際、レンタカーのある部分に一番懸念される右ひざをぶつけてしまい、終日右ひざが痛むというアクシデントに見舞われましたが、調査後にスーパー銭湯に行き、20分の下半身マッサージもしてもらい、今朝は相当に回復しており安心しました。現在、新幹線で戻っていますが、軽めのランニングをして、夜はカイロプラクティクにも行って、前夜としては万全を期したいと思います。

勉強したいこと、勉強していることも山ほどあり、論文の添削、研究諸活動の遂行とアウトプットなども含め、まだ自分の限界のレベルでの活動とは言えませんが、徐々に限界のレベルに引き上げているつもりです。それが、自分の日常と「大義」との融合かは分かりませんが、今の私にできることはこれです。

残りの新幹線の時間も有意義に過ごしたいと思います。