細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・教育者のブログです。

脱不調

2014-03-27 20:16:35 | 人生論

私の記憶している限りでは、フランスに滞在を始めてからの最大の不調かと思いますが、ようやく不調を脱し、明後日29日からの日本出張へ向けてペースを上げておるところです。ごく簡単にではありますが、不調の状況と、その間に学んだことについて記しておきます。

不調の原因は何となくは分かりますが、分析してもあまり面白くないので、不調の状況について。

もちろんやる気がない。いろいろとやるべきこと(特に、連名の投稿論文の添削や、学生の研究の指導など)はあるのですが、全くやる気が起こらない。その結果、自己嫌悪に陥る。

二日間ちょっと、これはもう諦めるしかないと半ば開き直って、偶然巡り合った、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という文化放送のラジオ番組をYou tubeでひたすら聴く。もともと、武田鉄矢さんは好き(自分自身が熱血教師というのもあるのか?)で、この番組がやたら面白く、ひたすら聴いて笑ったり、学んだりしておりました。

武田さんは金八先生等ですごく有名な方ですが、この番組では彼が読んだ本をネタ本にして、ご自身の経験等も踏まえながら、いろいろなことを語る番組。女性アナウンサーの水谷加奈さんがアシスタントで、この方がまた面白い方です。昨年、女子アナで初めてヌードにチャレンジした方だそうで、ブログを見て大笑いしてしまいました。この二人のコンビが実にほのぼのしていて、面白い番組です。

武田さんはいろんな経験もされているし、ご苦労もされているし、ネタ本の内容も面白いのですが(内田樹さんの大ファンらしく、内田先生ネタも満載、というのも私が気に入った理由かと思います)、武田さんご自身の苦労話が非常に面白い。東日本大震災の後、一ヶ月ほど毎日泣いておられたそうなのですが、三か月経って東日本大震災のことを番組で集中的に取り上げられたときの内容も大変に深い内容でした。

私自身は、孔子のような上昇志向の考え方だけでなく、老子のような無の考え方も大事にしているつもりです。特に調子のよくないときには老子の無の考え方が大変に参考になります。

武田さんの番組を今回の不調中に通算でどれくらい聴いたでしょうか。10時間くらいは下らないように思いますが、その中で白川静先生の孔子論も取り上げられましたが、老子的な考え方も多数紹介されていました。交感神経と副交感神経の話もそうです。人間には意識的に制御できない世界があり、むしろそちらの方が大事とも言える。

不調を脱する決め手になったのは、Facebookでも紹介しましたが、奥さんの誕生日のお祝いを家族で盛大にしたことでした。恥ずかしながら、奥さんの誕生祝いをここまでしっかりとやったのはあまり記憶にありません。とても喜んでもらえたようで、それが私にもうれしかったです。

不調は脱しましたので、明後日の日本出張への出発まで、春休み中の長女のお世話も並行しながらですが、重要な業務に片を付けたいと思います。

不調は気持ちの良いものではありませんが、やはり不調でないと学べないこともたくさんあることを、今回も改めて感じました。 

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時間の生き物

2014-03-22 17:24:45 | 人生論

人間とは、つくづく時間の生き物だと感じます。

一つ前の記事の「下流志向」の悲劇においても、時間のことをしっかりとイメージできるならば決して陥ることのない状況にあまりにも多くの人が陥っています。「今さえよければいい」などという考え方にどうして陥るのでしょうか。自分がなぜこの世に生を受けているのか、そして老いること、必ず死ぬこと、をリアルに想像できないのでしょうね。

時間からなるべく自らを切り離そうとするので、歴史になど到底興味を持てないし、その結果、ありがたみを感じる心も無くなる。60億を超えるほどの無数の人々が将来へ向けて時を一刻一刻重ねることの大変さ、壮大さのイメージも持てない。勝手に時が刻まれると幼稚に思っている。自分が食べるもの、消費するエネルギーも「金さえ払えば」容易に手に入ると幼稚に思っている。

内藤廣先生の「形態デザイン講義」では、特に未来の時間について想像することの難しさを学びました。「時」に関する多くの書物が紹介されており、すでに購入済みで、読むのはこれからですが、もっと深く、時について考えられるようになるのを楽しみにしています。

オーギュスト・ペレや、フレシネーの「技術の翻訳」「時間の翻訳」を建築、構造物、街づくりを実際に見ることで学べているのも、私にとっては大きな財産になりそうです。

私自身も、復興道路で高耐久な構造物を建設するプロジェクトに関わっていますが、軽々しく「100年持つ構造物を」などと言ってはいけないと改めて思います。オーギュスト・ペレの教会でようやく100年近く。フレシネーのPC橋梁はまだ70年に満たない程度です。100年という時間がどれだけ重いものか、特に環境作用の過酷な地域でのインフラにとっての100年を真剣に議論するためには、もっと想像力をたくましくしないといけません。

シビルエンジニアリングの真の魅力は、この、時間なんだろうな、と思い始めています。ロマンがあるよね。素晴らしい職業に従事できて幸せです。この魅力を若い人たちに全力で伝えないといけませんね。 

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下流志向

2014-03-22 15:10:57 | 家族のこと

娘二人とストラスブールに来ています。

長女が金曜日から春休みに入ったため、終日面倒を見る必要があり、 「えいや!」とTGVで一泊旅行に出ることにしました。ストラスブールはもちろん初めて来ましたが、ドイツとの国境にすぐ近く、パリの東駅からTGVで2時間20分くらいかかりました。イル川に囲まれた旧市街が世界遺産で、素晴らしく雰囲気の良い街です。シュークルートという名物料理もさっそく2回いただき、川の遊覧船にも乗って日本語ガイドの説明をヘッドフォンで聴きながら(日本人はもちろん我々だけ)、街を堪能しました。街のことはまた別の記事にて。

内田樹先生の「下流志向」をKindleで読み終わりました。予備知識が入っていたので、さっと読み終わりました。

学ぼうとしない人、働こうとしない人、が非常に多くいることは聞いてはいましたが、その実態を知って驚愕しました。すべてではないのはもちろんでしょうが、公立の中学校等で全く授業が成立していない状況、その原因等も描かれており、まさに末期状態にあることを感じました。

その原因は、この本にはグローバリズム、経済至上主義が根幹であり、「等価交換」を原則とする人たちが、自分の支払う苦役、不快に対して学業や労働から等価な対価が得られないと「合理的に」考える結果である、と描かれています。(「極度に大衆化した方々」と理解することももちろんできます。)

うーむ。これほどアホな「合理的」もないものです。

グローバリズム、市場原理主義等の限界は、リーマンショックで明白になったことでしょうし、東日本大震災で日本人の一部は完全に目が覚めましたので、あと一息で流れが変わるのでしょうか。

まあ、一言でまとめれば、「死にまっせ」ということです。そのような学ばない、働かない方々がたくさん生じてしまったのは社会的な悲劇であるとしても、そのように国力が弱った状態で、自然災害がもし連発したとでもすれば、日本は回復不能なダメージを負うと思われるし、また逆にそれをきっかけにようやくほとんどの日本人の目が覚めるのかな、とも私は思っています。

子どもたち二人と旅行するときの食事では、深いコミュニケーションをします。

「下流志向」にも書かれていますが、核家族、とは非常に人間にとって不適切な家族形態だと私も思います。大変だし、親の見識が低い場合や、両親の意見が妙に一致しすぎる場合など、子どもたちにはどうする術もありません。三世代であれば、親が暴走した場合もなだめたり、止めることができます。

我が家も核家族ですが、比較的多くの大人が出入りする家庭ですので、上記の核家族のデメリットは多少は軽減されているかと思います。また、昨夜のコミュニケーションもそうですが、私がある一つの考え方を強制するのではなく、世の中にいろんな考え方や、いろんな人がいることも話してやるようにしています。

また、子ども(親も)が本当に困ったときに、それを相談し合える家族でありたいと思っています。 昨夜のストラスブールでの夕食時には、そのように話し、特に次女が現在通っているインターナショナルスクールで、友達を作ることに全力で頑張っていることを話してくれ、何とか二人、苦労しつつも一緒に遊ぶ友達ができたことを、誇らしげに話してくれました。聴いていて涙が出てきました。

食事の後、ホテルのバー(誰もいないので三人で独占。私はキールロワイヤル、子どもたちはアップルジュース。)で、長女の話を聞きました。長女の小学校のクラスでもいろいろな人間模様があるようで、担任の先生のご努力と、それにしっかりと反応した男子生徒の勇敢な話など、長女からたっぷりと聞かせてもらいました。

夕食時にも伝えたことですが、私は子どもたちにとって父親ですが、私のことを通して社会のいろんなことを知る先生としても機能しようと思っています。核家族において私が、特にフランスでの時間で取るべき行動だと考えて実践しています。

以下、子育て中、これから本格的に子育てされる方々(私たちも含めてですが)に、「下流志向」から得られるまともな子どもの育て方をごく簡単に要約しておきます。そもそも、子育てとはとんでもなく手間のかかることですので、それを面倒くさい、と思われる方は残念ながら対象外です。生きる、ということはそんな甘っちょろいものではありませんので。

・「買い物」という経験をなるべくさせない方がよい。特に、たくさんのお金を持って、自分の自由に買い物ができる状況を、あまり小さいときに持たせてはいけない。何でも金で買える、と思いこんだり、何でも等価交換しようと考える、原体験となってしまう。

・その一方で、家庭でなるべく手伝いをさせた方がよい。手伝うべき家事が無くなってしまっているのが根本原因なので容易ではない。私自身の経験からすると、料理を一緒に作る機会を増やすと、子どもたちが「手間ひま」や「達成感」を体験できる機会が増えることにつながると思う。

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自分の時間

2014-03-19 03:47:13 | 人生論

時間が足りない、というのは誰でも同じでしょうか。

24時間は各人に等しく与えられており、時間を生かすも殺すも自分次第。

不平等に聞こえますが、能力の高い人の時間は濃密であり、無為に過ごす人の時間は希薄です。

私も日本では自分なりのベストを尽くしてはきたつもりですが、極限までのモチベーションを持てることも含めて能力です。「時間が足りない」と文句を言っていた時点で能力不足だったのでしょう。寝る時間を惜しんでまで仕事をしたわけでもなく、お酒を飲んでの懇親も(遊んでばかりいるわけでは決してないけれど)しょっちゅうです。

しかし、さすがにフランスに渡航する直前の6ヶ月は、読書好きの私が本を読む気力も無くなるほどでした。それでも、隙間の時間が無かったわけではない。でも、私のレベルではもはや限界でした。

フランスに来て最初はかなりバタバタしていましたが、12月ごろからかなり自分の時間を確保できるようになりました。それでも日本出張の間は全く隙間が無いし、日本の繁忙期は、私も連動して忙しく過ごしていました。ですが、フランスでは日本に比べて圧倒的に自分の時間があるのはもちろんです。

たくさん勉強できていますし、論文や原稿を書く時間も自分にとっては十分に確保できています。

問題は、日本に戻った後、どのように時間のマネジメントを行うかだと思っています。

自分の時間がほしいのは誰でも同じ。自分の時間を確保するためには、わがままを言ったり、多少は周囲に迷惑をかけることになると思いますが、そのためにはしっかりとした成果を形で示すことが重要と思っています。成果も出さないのにわがままで自分勝手な人は、組織からも社会からも抹殺されるでしょうから。一種の社会的ジレンマに相当するのかもしれませんが、自分勝手になった方が最終的に社会にも貢献できる可能性がある、という点で複雑かと思います。

いろいろ迷いながらこの記事を書いていますが、結局は、自分の長所を生かす、ということに尽きるのかなと思います。中途半端に生かすのではなく、自分の誰にも負けない長所を徹底的に生かす、と書き直した方がよいかと思います。他の人ができることは任せ、自分しかできないことに注力する。その代り、自分にしかできないことがないのであれば、組織のために身を捧げる。

自分にしかできないこと、を創り出し続けられるよう、自分の時間を確保して努力を続けるしかなさそうです。 

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10年ごとの

2014-03-18 18:02:47 | 勉強のこと

今日のランチは、30歳ちょっと手前だと思いますが、東大のコンクリート研の後輩の堀切さんと一緒にします。私の研究所の隣の建物の、エコール・デ・ポン・エ・ショセ(土木工学校)に留学しています。

自分自身の人生は、周囲の方々の支援もいただきながら、取り得るベストの選択を重ねて築いていくものと思いますが、私も40歳になって1年間の留学をさせていただくことができ、いつも感謝の念で一杯です。今日のランチでは、10歳位下の人がどのような留学体験をしているのか、いろいろと聞いてみたいと思います。

師匠の岡村先生は、 10年に一回くらい留学に行くのがよい(そうしないと日常に飽きる)というような言い方を、ご自身の経験に基づいてされます。20代にテキサス大学に留学され、生涯の恩師のファーガソン先生に師事され、その後40歳くらいでイギリス、50歳くらいでワシントン大学に短期滞在しておられます。

私も海外の留学は初めてですが、 20代終盤からのJR東日本での実務経験は「内地留学」であった、と認識しています。岡村先生の國分先生・ファーガソン先生と比較するわけではないですが、今の私があるのは、東大コンクリート研から学んだことと、JR東日本で学んだことが基礎になっていることは間違いありません。

というわけで、今日の結論は、50歳ごろにもう一度、海外で滞在しよう、ということです。東京オリンピックも終わっていますし、首都圏直下地震等の危機も経ているのかどうか分かりませんが、 帰国後10年くらいは地獄のプールで泳ぎ切れるよう、日々鍛錬しておきたいと思います。

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時代遅れ

2014-03-16 20:48:19 | 家族のこと

一つ前の記事「与えられないこと」と絡む話です。

その記事の内容を、昨夜、一緒に寝た長女に話しました。反対側には、すでに強力な「ギュー」を10回以上、本人の希望で実施して、ぐっすりと寝ている次女がおりました。

長女は寝る前の読書を終えて、少し目が冴えていたようで、私と話をしたかったそうなので、「与えられないこと」の話をしました。

納得していたようですが、聞き終わった後に、「『ごっこ遊び』をしているなんて、時代遅れかなあ。9歳にもなって。」と発言しました。

5歳が近づいた次女と様々な遊びをやっていますが、ごっこ遊びもやっています。

私は、「時代遅れ???時代の最先端の遊びをやるほど、バカになるよ。」と伝えました。

現在読んでいる「塩の道」の著者、宮本常一氏(高名な民俗学者)の著書「忘れられた日本人」(早速アマゾンで購入しました)が藤井先生らの「大衆社会の処方箋」でも引用されていましたが、宮本常一氏の祖父は「カニとり」を孫たちに素晴らしい遊びとして教え、もちろん捕まえたカニは逃がしてやることとともに教えました。

まさに時代遅れ?のカニ採りですが、長女と私は日本では多摩川の土手に住んでいたこともあり、カニ採りに興じていました。

カニ採りがいかに素晴らしい遊びであるか、長女にも伝えました。

そして、「ごっこ遊び」がいかに素晴らしいか、伝えました。「何なら、パパと科学者ごっこでもやる?それとも、おじいちゃんとおばあちゃんになったつもりで素敵な老夫婦ごっこする?」と話しました。

下手に時代の流行など追う必要は全くない。私も時代の流行など、無視はしませんが、どうでもよいと思っています。

今朝は、長女が「魚の図鑑」を自作で作り始めました。学研の図鑑で自分の気に入った魚を自分のノートに色鉛筆で説明付きで描く、という遊びですが、作品が仕上がるたびに見せに来ます。魚はとても色彩が鮮やかで、長女の描いた魚もとても美しいです。



次女がそれを真似しています。



確実に崩壊に向かっている高度大衆社会ですから、「時代遅れ」の方がよいのかもしれませんね。

私も徹底的に時代遅れの熱血で行かせていただきます。 

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与えられないこと

2014-03-16 00:45:03 | 教育のこと

長女の遊び開発力に感心することは、何度かブログでも書いています。自然の流れとして、その影響を大きく受ける次女も、いろいろな遊びを開発して、勝手に遊んでいます。テレビも、テレビゲームも無いので、開発せざるを得ないことが主たる原因であると思います。従たる原因もいくつかありますが、ここでは省略します。

選択肢の多いことは良いことなのだと思いますが、あまりにも多くの選択肢を「与えられる」ことは良くないことなのだと思います。

子どもに個室を与えない方がよいのだと思います。個室にテレビ、ゲーム、インターネットなどが装備されると、無限の選択肢が与えられ、子どもは一切の思考停止に陥り、大衆的な情報をむさぼることになるのでしょう。

私の家族が日本にいたときも、テレビはリビングでない和室にひっそりとたたずんでおられました。現在、パリの家ではテレビがセットアップされておらず、見ることができません。私は見たいという気持ちもほぼゼロですが。結婚した前後は、プレイステーションのゲーム機も持っていましたが、かなり以前に捨てました。

私が育った家庭では、個室の子ども部屋は無し。割と大きな部屋でしたが、子どもたち三人が同じ部屋でした。その部屋にはテレビはもちろん無し。リビングにテレビはありましたが、食事をする部屋とは別で、基本的にリビングのテレビで見る番組を決められていました。

しかし、二階の父親の書斎には小型の古いテレビがあり、私はそのテレビで見たいものをこっそり?見ていました。西遊記の再放送や、おれたちひょうきん族(家では禁止)、Gメン75など。また、リビングで見ることは絶対に許されない、大人のための?番組などもこっそり見ていました。こっそり見る、ということが重要です。こっそりとたくさん見てしまったので、私も大衆的な悪い面をたくさん身にまとうことになってしまいました。ですが、そのため、大衆的な考えも理解できるので、大衆的な方々とコミュニケーションをいつまでも続ける教育者、研究者となろう、と開き直っています。

リモコンをかちゃかちゃ動かして次から次へと番組を換えたり、ゲームでうまく行かなくなったらすぐにリセットしたり、インターネットでへどが出るような情報に触れ続けたりしていては、まともな大人になるはずがありません。ケンカをすることもなく、自己の閉じこもった世界の中でまさに万能の王様になり、傲慢のかたまりのような人間がいとも簡単に養成されるものと思います。

我が家の娘たちは、自分たちの開発した様々な遊びをしていますが、しょっちゅうケンカをしています。そのたびに親に叱られていますが、生身の人間がケンカし、叱られたり反省したりすることが、実はとても大事なんだろう、とこの記事を書いていて感じます。

このブログを読むほとんどすべての人は大人だと思いますが、大人ははっきり言ってどうでもよいし、改善の余地もほとんど無いと思われます。が、無限の可能性を秘めた子どもたちのことを思うなら、テレビ、ゲーム、インターネットなどと子どもの関わりについて親が採るべきアクションはかなりあるように思います。

また、誤解の無いように最後に記しておきますが、あまりにも多くの選択肢を「与えられる」ことは良くないですが、自分の努力で可能性や選択肢を開拓していくことは何ら悪いことではないと思っています。 

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Positive Thinking

2014-03-15 21:30:58 | フランスのこと

ポジティブに考える方がよい、とは頭では分かっていても、それを実践することが重要です。

適切な目標を立てないと研究が一歩も進まないのと同様、考えもしないのに実践することはできません。

実践することを想定して、自らの行動を誘導するように徹底的にポジティブに考えることが大事だと思います。昨日考えたことですが、私の実例を紹介します。何事も、具体的に見せることが一番の教材になると思うからです。

フランスで1年過ごすことについて、事前にはいくつもの不安要因がありました。以下、列挙すると、

・様々なプロジェクトがダイナミックに動いている状況で日本を1年離れることになる。
・研究室を不在にすることで、学生の指導が日本にいるときよりもうまく回らなくなる。
・滞在する研究所の研究室がベストの状態でない。研究室の主要メンバー複数が不在、転出等。
・家族と滞在することで、自分自身の行動に相当の制約が生じる。出張を自由にすることはできないと思っていた。

以上くらいが事前に感じていたマイナス要因でしょうか。

現在、本格滞在がスタートして5ヶ月半が経過しました。折返し地点が近づいています。上記の不安はもちろんすべて払拭され、充実した時間を過ごしていますが、以下、今の私がどのようにポジティブに考えているか、マイナス要因を払拭した結果も踏まえてまとめます。

・フランスに拠点を置きつつ、短期間の日本出張を重ねることで、日本のプロジェクトにほとんどロスなく関わり続けられている。日本出張のスケジュールはほぼすべて研究で埋められており、過去経験したことの無いような充実した時間となっている。

・フランスに拠点を置いての学生の指導にもほとんど問題は無かった。むしろ、Facebookやスカイプを活用した研究指導の有効性に気付くことができた。Facebook(指導学生たち限定のクローズドグループ)ではある学生の指導を他の学生も共有できるので、教育効果、刺激効果が大きいように思う。スカイプによる指導を活用できるようになったため、日本にいるときよりもface to faceの打ち合わせの回数は増えたかもしれない(一部の学生にとっては。全くコミュニケーションを取らなくなった学生も複数いる)。 

・家族とのコミュニケーションが増えたことはかけがえのない財産となりそうである。長女、次女とのコミュニケーションの質、量ともに相当に高まっている。フランスでは自分自身の読書等による勉強も進んでおり、自身が深く思考した結果を子どもたちとのコミュニケーションにフィードバックしている。自分自身が向上することなどはどうでもよいことであるが、子どもたちが良質の情報を得、経験を重ねることは、彼女らの生涯においてかけがえのない経験になると思われる。それが、彼女らが大人になった後の家族や、周囲の人々への良い影響になることは間違いないと思うので、家族との時間を大切にしたい、と強く思う。

・家事をする時間も非常に多いが、自分に合っているし、家族への貢献もできるし、一人で思考する時間の確保にもなっている。通勤にも非常に時間がかかるが、その時間もかけがえのない自身の時間となっている。

・ヨーロッパ各国を動き回るという状態にはなっていないが、その分、フランスのことをじっくりと観察、勉強する時間に満ちている。フランスはそれに値する魅力にあふれた国である。

・所属している研究室で感じた問題点(議論が活発でないことが最大の問題点)に対して、自分なりのアクションを起こした(3/3のワークショップ)。幸いに良い影響が生じており、ミニワークショップを今後も開催する方向で議論が進んでいるし、自分自身のアピールにもつながり、非常に心地よい時間を研究所で過ごせるようになった。

とにかく、日本での大学教員として過ごす時間においては考えられないほど、自分の時間を持つことができます。今日も、土曜日の午前は家族でマルシェに買い物に行きましたが、午後は論文の査読修正作業をじっくりと行っています。夕食は、マルシェでかったミニいわしを使ったパスタを私が作ります。

日本に戻れば地獄のように忙しい日々が待っているのは百も承知ですが、どんなに放電しても力尽きないように充電をしっかりとしておきます。

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教育現場の崩壊等

2014-03-14 20:14:37 | 教育のこと

神戸女学院大学の内田樹教授のことは、土木学会誌に掲載されたコミュニケーション論で初めて知りました(フランスにいてリアルタイムで読めないので、山口県の二宮さんに紹介していただきました)。

その後、我々、品質確保共同体?の中で内田先生の書籍、言論がブームになっておりまして、内田先生のホームページやら、書籍やらを、皆が競うように読んでおります。大半は非常に納得の行くもので、目から鱗だったり、ぼんやり感覚的に思っていたことをずばっと指摘されたり、と大変に勉強になっています。

以下、いくつか、完全に同意した論説をご紹介します。私も、教育の現場にいる人間ですから、自分自身の直接の影響範囲でベストを尽くすのはもちろんのこと、影響の輪を少しでも広げていけるよう、努力したいと思います。

「学力と階層」解説 

『下流志向』韓国語版序文

いじめについて

内田先生のメッセージにも関連しますが、大学の講義で受講生の成績を評価するときに、優秀な成績「秀」とか「優」を付ける割合を一定の範囲内にしてください、という指導が大学から来ます。例えば受講生の8割に「秀」や「優」を付けたとすると、改善させられるのです。全くもって意味が分からない。私の「土木史と技術者倫理」がどれだけ手間のかかっている講義であるかは、実際に講義を見てもらえれば分かりますが、8割以上の受講生に「優」以上を与えていると思います。だって、私が全力で発した情報、メッセージを受けて、学生たちが自分で考えたことを、自分自身で題を付けて毎回論文を書くのです。内容が異なって当然だし、8割の学生のレポートが秀逸である可能性を誰が否定できるのでしょうか。

大学の説明も一応は理解できます。ろくな授業をせずに秀や優をばらまいているいいかげんな先生がいる。きちんと授業をすれば、成績は分布するはずである。

しかしです。ものすごく教えるのが上手な先生がいたとして、学生もすごくやる気になり、みんなが秀になることだってあるかもしれないじゃないですか。

結局は、レベルの低い教員を排除し、「平均的な」教員に合わせようとしたいがために、本当にやる気のある教員の足を引っ張るような議論で支配しようとしている。

また、高校までの受験教育を否定するような発言を一方でしておきながら、受験教育と何ら変わらないような教育を大学、大学院にまで押し拡げようとしている。

フィロソフィーから議論することがなく、文科省に報告しやすいような、文科省に怒られないような教育をしようとしているように私には見える。

私は自分自身の講義のやり方を大学の指示で変えるつもりは毛頭ありません。少なくとも、意図が十分に理解できない指示に合わせて変えることは絶対に行いません。私の講義のスタイルが許されないのであれば、大学とは呼べない、と思います。

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講義、について

2014-03-13 18:49:34 | 教育のこと

以下、所属する大学で、ある書類を提出するように依頼がありました。先ほど作文して提出しましたが、その内容を紹介します。

++++++++++++++++++ 

大学において,教員が学生に対して教育を行う機会は講義に限られない。実際に,私の場合も,国内外の現場見学会(都市基盤EPの見学会企画責任者)や,頻繁に更新するブログ,Facebookからの様々な情報発信は,私の教育に不可欠のツールである。研究室に配属された学生たちに対しては,それこそ日常のすべてが教育の題材である。しかし,多くの学生に対する教育の機会として講義は最重要の場であり,私も自身が担当するすべての講義において全力を尽くしている。どの講義も達成目標が異なるので,私の講義の形態はすべての講義で異なる。その中で,2011年度(東日本大震災の発生後)秋学期から開講した「土木史と技術者倫理」(全学教養科目,都市基盤EPの必修科目)での工夫について説明する。


この講義は都市基盤EP以外の学生も多く受講する。講義の目的を,講義の初回だけでなく,ほぼ毎回の講義で伝える。シラバスの記述とは異なるかもしれないが,この講義の真の目的は以下である。

  • 「歴史」に興味を持ってもらう。
  • 日本の将来を支える若者として,日本に対する誇りと将来への夢を持ってもらう。
  • 土木とは文明(人間が人間らしく生きること,もしくはその状態)そのものであり,国内外の先人たちの営みに感謝と敬意の念を持つこと。
  • 読書を好きになること。


以上の目標を達成するため,本学名誉教授の合田良実先生(2012年1月ご逝去)の秀逸な教科書「土木文明史概論」を用いている。ただし,教科書(全15章)のお尻から使う。古代から始めるから興味を持てないのであり,自分たちに身近なところから興味を持たせ,古代まで誘うのが自然だからである。

全受講生に教科書を購入してもらう。教科書の予習を前提とした講義であり,私が立て替えて事前に購入した教科書を講義で配布し,必ず予習をしてもらっている。

毎回の講義では,教科書1章分(例えば,第7章「世界を変えた鉄道」)を予習してもらい,それに関連する私が持っている珠玉の情報を,パワーポイント,ビデオ,本の朗読などで伝える。予習してもらっている教科書の重要な箇所をともに拾い読みし,情報を追加する。パワーポイントはHPで受講者に公開している。

その上で,毎回の講義の終盤15~20分程度で,全学生にレポートを書いてもらう。講義で学んだことを書くのではなく,自分で考えたこと,感じたことを,必ず「タイトルを付けて」書いてもらう。毎回の講義の終わりに回収し,すべてに目を通して採点したものを,次回の講義で返却する。100名近い受講生があった年もあったが,この相互コミュニケーションが最も重要である。講義が進むにつれ,学生のレポートに涙を流すこともしばしばである。それも学生に伝える。

以上が講義の基本設計である。講義では,私の持っているほぼすべての考え方を学生に提示する。私の考え方は,多くの先生方から学んだことや実務経験(JR東日本),研究者・技術者としての実践的なプロジェクト等により培われており,未熟な人間が成長してきた経緯も含めて吐露する。読書をしない若者たちに毎回,多くの書物を紹介し,最前列の机に陳列し,貸し出す。多くの学生が実際に私から本を借り,購入し,読んだ感想をレポートにも記す。

講義が進むにつれ,最初はたどたどしかったレポートの内容が見違えるようになり,将来への高い志と意欲を持つようになる姿を見るのは,教師にとって望外の喜びである。

この講義をいつまで担当できるか分からないが,教師の成長する姿こそが学生にとって最良の教材であることを知っているので,自身の研鑽を重ねる所存である。

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日常にみなぎる意欲

2014-03-13 17:42:41 | 人生論

今日はフランスでのごく日常的な一日です。ですが、非常な意欲で満ち溢れています。研究所のオフィスに9時前に着いて、まだ1時間足らずですが、とても幸せな気持ちで今日一日の仕事の準備をしています。今日は「好きなだけ」オフィスで仕事をしていい、私には珍しい日でもあるからかもしれません。奥さん、ありがとうございます。といっても、18時前には退出しますが。

藤井・羽鳥先生の「大衆社会の処方箋」は9章まで読み終わり、あと1章読むと、いよいよ「処方箋」の部分へ入っていきます。非常に読みやすく、かつ科学的な本なので、大変な説得力をもって現代日本社会の病理の原因と、本来の人間のあり方が論じられます。

これまで、私はいわば「無手勝流」に、多くの方々のアドバイス等を参考にしながら、生き方を身に付けてきました。その方向性は決して間違っておらず、過去の偉大な哲学者たちが説いてきた本来の生き方に沿うものであることを、「大衆社会の処方箋」等により納得でき、「理論武装」されたと感じます。藤井先生のご活動には心から敬意を表しますが(私の身の回りにも悪く言う方は少なくないですが、藤井先生の書物やご発言をしっかりとフォローすればそのようにはならないと思います)、例えばこの「大衆社会の処方箋」を通じて、我々のような非大衆がさらに強力になり、時間はかかるかもしれませんがニーチェのいう超人へと近づけば、その影響力により周囲も感化され、日本国民が強靭化に向かう流れが強化されると思われます。つくづく言論活動は重要であると思います。

私も、まさにニーチェの言う運命愛をしっかりと持つ人間ですが、これまでの自分の歴史のすべてを受け止め、そのおかげで今があると確信し、今後どのような事態に遭遇しようとも自分の運命として受け止める覚悟をすでに持っています。今朝の通勤電車の中でも自分自身に誓いました。

昨夜、一緒に寝た長女には、寝る前に「立派な大人に成長していく秘訣」を一つ教えました。「なるほどー」と長女は納得しておりました。秘訣はいくらでもあるので、少しずつ教えてやろうと思います。

今朝は、今週初めて長女の通学バスへの送りをしたのですが、私から彼女に一つ提案をしました。「家族のミッション・ステートメント」を作ろう、ということです。私自身のミッション・ステートメントはすでに公開しています(そろそろ見直してみます)。家族のミッション・ステートメントを皆で話し合って作る、ということを提案し、長女は完全に乗り気です。この週末にでも、議論を開始してみようと思います。

朝日新聞に掲載された、塩野七生さんの東北復興に関する魂のこもったメッセージと、藤井先生の防災と経済に関する論説も、二宮さんから紹介していただきました。私も、「45歳未満」のリアルタイムで我が国の将来に責任を持つ世代として、かつ、復興道路の現場の最前線で格闘するエンジニアとしても、魂を奮わされる文章でした。

というわけで、何のことはない日常の一日なのですが、運命愛を感じつつ、充実した一日になるようベストを尽くしたいと思います。

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ポスト

2014-03-11 20:09:24 | 家族のこと

先週、長女が家の中に複数のポストを作りました。折り紙で作った手作りのポストを家族それぞれのために作ってくれました。

私のポストはベッドのそばに作ってくれました。長女自身のポストは、自分の部屋の入口に作ってありました。

ポストには、手紙を書いて入れるのですが、宛名、内容と、いつ見たのか日付を書く欄と、返事の要不要を書いてくれ、と指導を受けました。見本付きで。

私も最初の手紙を長女のポストに入れました。

先日、Facebookでは紹介しましたが、学校の企画で長女が作った親への感謝状の中の、「恩返しベスト3」の一つ、「将来、科学者になってみせるよ」に対する質問です。

「どうして科学者になりたいのか教えてください」という手紙を、長女のポストに入れました。

昨夜、私のポストに返事が入っていたのですが、「世界の役に立ちたいから」と書いてありました。

昨夜は長女と一緒に寝たのですが、「どうして世界の役に立ちたいの?」と聞くと、「自分が二度生まれてくることはない。一度しか生きることのできない人生なのだから、少しでも人の役に立つようなことをしたい。世の中のためになる新しいことを発見するとか。」というような説明をしてくれました。父親が科学者の類であることはもちろん知っています。

「パパは科学者ではなくて、工学者だよ。」と、科学者とengineerの違いも簡単に教えておきました。そして、「科学者になるためには相当に頑張らないとね」とも伝えました。

長女が科学者になろうともならなくとも、私にはどちらでも構いません。科学者になるために算数を一所懸命教える、というような愚かなこともしません。国語や算数は、科学者になるために必要なのではなく、しっかりとした人間になるために必要なのであり、そのために教えてやっています。

科学者になることを後押しするのではなく、どうして科学者になりたいのか、それを掘り下げて一緒にこの世のことを考えるようなコミュニケーションで後押しをしてやりたいと思います。高いモチベーションを持つことがすべてであり、そのための努力を独り立ちした後も自分でできるかどうかが道を分けます。

次にどんなお手紙がポストに来るでしょうか。楽しみです。

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大衆社会の処方箋

2014-03-11 19:22:15 | 人生論

またまた飛島建設のKさんにお薦めされた百田尚樹の「影法師」を読み終わった後(非常な良書でした。土木的な内容も満載。)、日曜日の夕方だったこともあり、「オレたち花のバブル組」を読み始め、翌日一気に読み終わってしまいました。大人気のテレビ番組は見たことありませんが、初めて経験した半沢直樹の倍返しは読んでいても爽快でした。

さて、その後、少しだけ読みかけていた「大衆社会の処方箋」(藤井聡・羽鳥剛史著,北樹出版)を本格的に読み始め、非常に考えさせられながら読んでいます。

オルテガの大衆社会論は、現代日本社会において、次の仮説を提示するものといえる、とのことで、その仮説とは、
「現代の社会問題はいずれも、人々の大衆化に、その決定的な原因がある。」(第Ⅰ部第2章)

とのことですので、あまりにも根幹的な議論です。まだ5分の1程度が読み終わった段階です。

オルテガの論ずる大衆の「生」とは、以下のような様相を呈するとまとめられるそうです。(第Ⅰ部第2章)
(1) 近代文明の発達により、社会的、物質的な制約から解放され、より多くの可能性に囲まれる中で、
(2) "慢心しきったお坊ちゃん"のように、自分の思うままに、あらゆる種類の自らの欲望を無制限に要求する一方で、
(3) 自分以外の外部の存在を考慮せず、自分自身の中に閉じ籠る。

藤井先生とはこれまで直接お話したのは4回ですが、「現代日本社会の将来には絶望している。諦めることは決してしないけれど。」と私にもおっしゃったことの真意がこの本を読むと納得できるように思います。 確かに状況は絶望的です。

自分にもできることはいろいろとあるとは思いますが、今朝、通勤の電車の中で思ったことは以下。

まずは、家族、特に子どもたちのことは全力で大衆社会から守る。共同体が崩壊した現代において、家族までもが崩壊すると人間はまさに頼るものが無くなります。子どもたちを中心とする家族に対しては、非大衆的な生き方をともにできるよう、私にできることを全力でやり続けようと決意を新たにしました。

共同体が崩壊した現代において、私が日頃親しくお付き合いさせていただいている方々は、「家族」に等しいのではないか、と思うようになりました。冗談で「兄弟」とか「大将」とか言い合ってますが、心から信頼できる方々と、家族的な共同体を築いて一緒に戦っていこうとしているのだと感じます。その共同体は決してぬるま湯ではなく、お互いを正しあうこともあるし、諭しあうこともあります。機能体と呼んでもよいかもしれませんが、それでも心がつながりあっている共同体です。孤独と孤立の感情を持つこともなく、疑いと不安で一杯になることもなく、安心して自分の力を高めて周囲に貢献しようと心から思える環境です。

今の私は、家族を別とすると、大きく分けて3つの共同体に所属していると思っています。一つは、古くからの付き合いのある、コンクリート構造物の品質確保の同志たち。二つ目は、熱血ドボ研。三つ目は、鞆の浦を通じて出会った人々。私の日常のコミュニケーションのほとんどは、この方々とのコミュニケーションです。

私は非大衆的な面がほとんど(100%となることを目指したいが、そうなると超人です)だと思っているので、上記の3つで閉じるつもりもなく、 もっと増やしていきたいと思っています。自分の研究室が真っ先に挙がってこないところが問題かもしれませんが、それは次に述べます。(研究室とは、良い意味で社会を知らない、大衆的な学生が次々と入ってくる入れ替わりの激しい組織ですから、もちろん非大衆的なコミュニケーションに溢れた組織ではありますが、上記の3つの共同体のように私がしびれるような議論が飛び交うか、というとそのレベルにはありません。そうなったときが、まさに世界レベルの研究室、ということでしょう。夢ははるか先。。。)

私は教育者です。教育の重要性はこれまでもずっと考えてきましたし、一生を捧げる価値のある仕事だと心から思っています。

そして、この現代の「高度大衆社会」において、非大衆的な生き方を、身をもって若者たちに示して感化いくことは極めて重要であると思います。

いくら本を読んでも、いくら素晴らしい映画を見ても、やはり生身の人間とのコミュニケーションには勝てません。非大衆的な生き方を学ぶだけでなく、「実践」することが大事だからです。

私と研究室で時間をともにした方々が、社会で活躍を始めています。中には典型的な大衆になってしまった方もおられるとは思いますが、彼ら、彼女らと非大衆的なコミュニケーションを続けていくことが、私の重要な役割なのだろう、と思っています。

そうするためには、死ぬまで、本来の人間の生き方を貫かねばなりません。当たり前のことです。 

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一週間

2014-03-10 18:49:53 | 人生論

私は、人の発言をよく記憶するタイプなのですが、この記事もそれに関するものです。

私がJR東日本で勤務していたころのことなので、10年以上前のことですね。おそらく、仕事がすごく楽しかったJR2年目のことだと思います。29歳でしょうか。

恩師の一人や、おとうと弟子らと新宿かどこかで飲んでいた時のことです。

仕事がすごく面白く、現場にもしょっちゅう行っていたので、「一週間の間にも進化していくような感じがする」と私が話したところ、「一週間は大げさだなあ」という苦笑いを伴う感想が、恩師からも弟弟子からも返ってきました。そのことを今でもよく覚えています。

そのときの私は本当にそう思っていました。実際にそうだったのだと思います。

その後も、一週間程度で自身が進化していく体験は何度もしました。

明日で東日本大震災から3年ですが、4月初旬の土木学会の特別調査団の団員として調査に従事した1週間。その後、GWに研究室のメンバーで橋梁の被災調査を4日間程度で行いましたが、そのときも同じような感覚を味わいました。

2012年の年末から年始にかけての期間も、すでに熱血ドボ研が本格始動していたこともあり、日本中を飛び回りながらリアルタイムで進化していく感覚を味わいました。

2013年の2.22(山口)と2.23(鞆の浦)での熱血ドボ研が終わった後の不思議な感覚(すべてがつながった感覚)は、今でも覚えています。

フランスに渡航してからの日本出張は2回が終了しましたが、特に前回の日本出張(1/28~2/8)はあまりにも濃密で、夜行バスや大雪騒動もあり、途中からは野生動物のような状態になりましたが、刺激的でした。

そして、先日無事に終了した、3/2~3/5の熱血ドボ研フランス場所でも、自身のミッションとチームで成すべきミッションが明確になったように思います。

一週間で進化する、というのは大げさでも何でもなく、そのような時間を真摯に重ねていかないと、真に我が国のために貢献することはできない、と感じます。大震災の後から特にですが、素晴らしい方々との出会いが止まらず、運命的な出会いが重ねられていきます。

明日で3年になりますが、ご冥福をお祈りするとともに、我が国の将来に少しでもフィードバックすべく、自身にできることを積み重ねたいと思います。 

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3月末の日本出張の予定

2014-03-10 18:45:05 | 研究のこと

3週間弱先の話ですが、日本出張のスケジュールの調整に入りました。調整が進み次第、アップデートしていきますが、すでに隙間が無い気がする。。。

3/30(日) 日本着、実家泊。
3/31(月) 大学で事務手続き等+免許更新、東京駅近辺で面会+懇親、その後、盛岡へ移動して泊。
4/1(火) 朝、盛岡駅周辺をレンタカーで出発。新川目トンネル、田老トンネル等訪問。復興道路の現場での計測、打ち合わせ。宮古市泊。
4/2(水) 宮古から北上。復興の状況等を視察。午後、青森河川国道事務所で施工状況把握チェックシートを試行した現場の視察。
4/3(木) 午前、東大にて共同研究打ち合わせ、午後~夜、熱血ドボ研定例会。
4/4(金) 午前、新規プロジェクトのミーティング、13時ごろから共同研究ミーティング3件@都内。1件は焼き肉を食べながらになるかも。
4/5(土) 山口宇部空港入り(9:20着)。構造物の目視評価や、山口県の品質確保ガイド等に関する議論。休日なのに申し訳ありません!湯田温泉泊。
4/6(日) 山口県から鞆の浦へ移動。鞆の浦で地域防災の研究。福山駅周辺で教育熱血論。新横浜まで移動して、ホテル泊。
4/7(月) 大学で業務。博士論文予備審査、新規共同研究打ち合わせ、研究室見学対応、研究室歓迎会等。
4/8(火) パリへ出発

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