本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『本能寺の変 四二七年目の真実』あらすじ

2013年10月26日 | このブログのガイド
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 >>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!

 2015年5月現在では『本能寺の変 四二七年目の真実』に四年間の追加捜査結果を加筆・修正し、30万部のベストセラーとなっている『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)のご購入をお勧めします。
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実
明智 憲三郎
文芸社
【2013年10月26日追記】
    『本能寺の変 四二七年目の真実』
     プレジデント社(2009年3月)1600円(税込)
     2013年10月現在10刷・2万5千部
 信憑性のある史料のみから本能寺の変に関連する史実を総ざらいし、それら全ての史実が矛盾なく成立する本能寺の変のストーリーを復元した。これにより真実の全貌が明らかになった。解き明かされた数々の真実に読者は驚愕し、やがて深く納得する。
 さて、その真実とは?
 怨恨説や野望説、さらに光秀単独犯行説を創作したのは秀吉だった。秀吉が書かせた『惟任退治記』において信長最期の言葉として「光秀の怨み」と言わせ、光秀の詠んだ句「ときは今あめが下なる五月かな」を改ざんして天下盗りの野望を演出した。
 土岐氏再興の盟主だった光秀は土岐一族を滅亡から救うために謀反を起こした。そして、その祈願を光秀の句に詠み込んだ。五月雨にたたかれているような苦境から脱したい、と。その苦境こそ信長の国家戦略がもたらす土岐氏滅亡の危機だった。
 光秀は謀反後の政権確立を確信していた。それは強力な同盟者がいたからだ。光秀は信長討ちの成功を確信していた。それは信長のある企てを乗っ取ればよかったからだ。その企てとは信長による「本能寺での家康討ち」だった。
 周到に準備された光秀の謀反も秀吉の「中国大返し」に敗れた。秀吉の俊敏な行動の裏には、実はもう一つの企てが動いていた。
   >>>「信長による家康討ちがあり得ない」という方へ

【amazon読者書評】
徹底した文献調査に基づく大規模なストーリ
 明智光秀の血を引く筆者の長年の研究の成果である。本能寺の変は昔から様々な研究と異論がある。本書はその一つではあるが、格段に徹底した文献調査に基づく結論である。さすがIT技術者出身の経営者である筆者はあらゆる文献を読み込み相互検証し、推論を排し事実と思われる事柄を抽出し科学的論理的に驚くほど広範囲大規模なストーリを構築しており、私には大変説得力があった。
 通常のサスペンスドラマよりも数段論理的な考察で、数等複雑なストーリを構築しており、数倍面白かった。


【出版にいたった著者の思い】
 ★ 本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ

【定説の根拠を斬る!シリーズ】
   >>> 本能寺の変の定説は打破された
   定説の根拠を斬る!シリーズ紹介
    ・定説の根拠を斬る!「中国大返し」
    ・定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
    ・定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
    ・定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
    ・定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回) 
    ・定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」 
    ・定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」 
    ・定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2 
    ・定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3 
    ・定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
 1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る
 2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!
 3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き)
 4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き)
 5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
 6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
 7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
 8.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
【謀反の動機諸説を斬る!シリーズ】
   謀反の動機諸説を斬る!シリーズ紹介 
    ・怨恨説を斬る! 
    ・野望説を斬る! 
    ・ノイローゼ説を斬る! 
    ・発作的犯行説を斬る! 
【犯人は別にいる説を斬る!シリーズ】
   犯人は別にいる説を斬る!シリーズ紹介 
    ・光秀冤罪説を斬る! 
    ・斉藤利三犯人説を斬る! 
    ・朝廷黒幕説を斬る!  
    ・朝廷黒幕説を斬る!(続き) 
    ・足利将軍黒幕説を斬る! 
    ・足利将軍黒幕説を斬る!(続き) 
    ・イエズス会陰謀説を斬る! 
    ・イエズス会陰謀説を斬る!(続き) 
    ・イエズス会陰謀説を斬る!(続きの続き)  
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 『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
 また、読者の書評はこちらです
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>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
プレジデント社

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9 コメント

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はじめまして (YUURI)
2010-05-15 23:38:09
今年「本能寺の変 四二七年目の真実」を偶然にも手にとった者です。

小学生の時から織田信長のFANで、さまざまな本を読みましたが、この御本が今一番のお気に入りです。

読後には、信長と光秀の関係について、
胸に痞えていた霧が晴れたような。。、
時は今 心晴れるや 五月かな
そんなスッキリ感があり、その夜は、信長と光秀が親しく語り合っている夢まで見た程です。


今日は別件を検索していたところ、偶然にもこちらのブログを発見して驚きました♪。
これから。。更新を楽しみにしたいと思います!。


P。S
大河ドラマの署名サイトにもこれから行って参ります!。
返信する
ありがとうございます (明智憲三郎)
2010-05-16 07:21:59
 コメントいただきありがとうございます。広く信じられている信長像も光秀像も作られたものに過ぎないことをより多くの方にご理解いただきたいと思います。真実の普及活動にご協力をよろしくお願いいたします。
返信する
ご挨拶 (長宗我部友親)
2010-06-02 17:41:46
5日に長宗我部家2000年、70代の歴史を追った「長宗我部」と題する書籍(バジリコ社)を出版します。
明智光秀氏(斉藤利光)との関係も、かなりのスペースを割いて、書かせていただきました。
よろしければご一読ください。
一度お会いできましたら幸いです。
返信する
楽しみが拡がりました (明智憲三郎)
2010-06-04 21:55:20
 拙著出版以来、明智光秀、明智秀満、斎藤利三のゆかりの方からご連絡をいただくようになりました。今度は何と拙著でもキーパーソンの長宗我部元親さん!!!
 お会いできるのを楽しみにしております。
返信する
ラチェットレンチ6 (大春ハルオ)
2013-04-30 19:20:48
ラチェットレンチ6にお越し下さりありがとうございました。

ここに書き込んでしまいすいません。

明智さんの著書、読ませて頂きます。
僕、戦国モノも好きなんです。
武将では山内一豊、明智光秀、石田三成!

作品楽しませて頂きます!

返信する
いらっしゃいませ (明智憲三郎)
2013-04-30 21:33:58
 大春ハルオ様、よくいらっしゃいました。うれしいです。先日の中野の小劇場での「梅咲く、時雨」、最高でした。http://ameblo.jp/harukaze-principe/
 思わず舞い上がってしまってブログやfacebookにいろいろ書き込んでしまいました。とうとう最後にこんなことまで書いてしまいました。
 「ひょっとすると、ラチェットレンチの主役兼脚本の大春ハルオさんは大化けするかもしれません。私も大化けして二人で祝い酒を飲みながら、「やめとこう、これが、夢になるといけねえ」(落語「芝浜」の落ち)などと言ってみたいな。なんだか、夢が勝手にどんどん膨らんでおります。昨日の脳への刺激が激しすぎたようです。http://ratchetwrench.ciao.jp/about/haruo/
 「やめとこう、これが、夢になるといけねえ」といいつつ飲みたいものですね。
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長宗我部元親がご縁です (明智憲三郎)
2013-04-30 22:02:10
大春ハルオ様
 実は拙著をお読みいただくとわかるのですが、明智光秀は長宗我部元親と強いつながりがありました。その元親の劇をシアター・キューブリックさんで観て、主演の谷畑聡さんとお付き合いいただくようになりました。そのご縁でラチェットレンチさんの今回の劇を観させていただきました。拙著の出版がなければつながらなかったご縁ですので、何か運命を感じています。http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/5004c3d568446c97f151d1385dcc6b3b
 今後はfacebookの方でお付き合いいただければ幸いです。
返信する
光秀の出生地について (小木曽 美元)
2014-07-30 14:02:50
 我が故郷岐阜県恵那市明智町が光秀公の出生地と言われていることはご存知だと思います。高柳氏の通説でそのように思われているわけですが一方では大正大学の教授の方が当時力をつけてきた遠山氏の目付けとして明智一族を我が故郷に常駐させたとの論文を書かれたとも聞いています。現在地元のお寺には光秀公の袈裟と言われているものが伝わり光秀公の母親のお墓まであります。時の宰相細川もりよし氏もお寺への参詣をされたと住職から聞きました。何分にも後日光秀公を悪人にすることによって天下が収まり謀反をさせないためにいろいろな書物では極悪人と言われていますが明智さんは岐阜県可児市なのか明智町なのか、どのようにお考えでしょうか?空想で歴史書を書けるのは小説家だけです、信ぴょう性のある資料を元に歴史書をだせるのは歴史学者だけです。「信長公記」などは全くのデタラメだと思っています。
毎年5月には「光秀祭り」を催しています、たくさん研究されていられる明智さんはどちらが本当の出生地だと思われますか?一度お寺へ来られて光秀公の袈裟と伝えられるものを見ていただくことは可能でしょうか?
できれば、講演などもしていただけるとありがたいのですが。私も旭将軍木曾義仲の末孫のひとりと言われています、木曾の山猿等と言われると腹が立ちます。光秀公同様に教養も武術も優れていた人物と聞いています、それゆえ地元の方には本当のことを知ってほしいのです、知らないことが良いと思われるかもしれませんがどんなことでも知ることは大切だと思います。
ご回答いただけたら本望です。
返信する
出生地は不確かです (明智憲三郎)
2014-07-31 16:57:20
 いずれの地も「ここが光秀生誕の地」として地元では熱心に活動してくださっています。しかし、残念ながら、いずれの地も裏付ける史料は発見されていません。そればかりか、信長・義昭と一緒に上洛する前の光秀の人生は一切不明といえる状態です。
 光秀が明智城の城主の子であったという話は『明智軍記』の創作であって、これ自体の信憑性がありません。長らく、この話が前提とされてきたため、光秀の前半生研究は停滞していたともいえます。
 裏付け史料が乏しくて難しい状況ですが、前半生捜査は継続して行っていきます。
 
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