イエズス会陰謀説をイエズス会に信長を殺す動機があったかどうかで評価してみましたが、どうもそういう状況ではなかったという結論になりました。
★ イエズス会陰謀説を斬る!
この「斬る!」のシリーズは各説の蓋然性(がいぜんせい:確からしさの度合)を次の5つの視点で評価していますので、②から⑤の4つの視点でもみてみましょう。
①動機 犯人に信長殺しの動機があるか
②犯行可能性 犯行を実行できる可能性があるかどうか
③関係者の証言 犯行を裏付ける証言があるかどうか
④本人の自白 犯人自身の自白があるかどうか
⑤成功時報酬 犯行成功による報酬があったかどうか
犯行可能性については、イエズス会が光秀と結びついて光秀を信長討ちに引き込んでいったプロセスが全く見えません。これについては「秘中の秘」なので何も証拠を残すはずがない、という反論もありえるかとは思います。
それでは光秀がイエズス会に加担する可能性について評価してみましょう。この可能性がなければ「秘中の秘」という反論も成り立たないことになります。
イエズス会が信長討ちの実行者を選定する基準は何でしょうか。
まず、①信長討ちという重大な話を持ちかけても乗ってくる人物、②その話を信長に通報したりしないイエズス会に忠誠心のある人物、③信長討ちを実行できる立場にある人物、④信長を討った後に天下を取ってイエズス会を擁護できる人物、ということになります。
①については確かに光秀には信長を討ちたいという状況はありました。それは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた通りですので、ここでは説明を省略します。
光秀からみてイエズス会と組むメリットはどうでしょうか?
それはない!と思います。光秀は仏教徒であり、近江(滋賀県)坂本にある天台宗の西教寺を明智一族の菩提寺にしていました。フロイスはイエズス会総会長宛ての報告書にも光秀のことを悪し様に書いており、光秀がイエズス会を擁護するとは一切思えません。
でも、待ってください。「キリシタン大名を味方にできる!」
これは大きなメリットだったかもしれません。摂津の高山右近だけでなく、畿内にはキリシタン大名やキリスト教に理解を示す大名はいました。実際に光秀に加勢して滅亡した河内のキリシタン大名三箇氏もいます。
★ 武家家伝「三箇氏」
実は、秀吉は後年、九州の島津攻めにキリシタン大名の力を最大限に活用しています。ところが、島津征伐が終わったら、たちどころに「バテレン追放令」を発布しています。つまり、戦国武将は生き残るために極めて合理的にゲーム理論で考えていたということです。秀吉は山崎の合戦以来重用していた高山右近をこのときに追放処分にしています。
キリスト教を擁護する気のなかった光秀もこういった勝ち残るための論理でイエズス会と結びついた可能性は残ります。②から④の条件も光秀は満たすことになりそうです。
少し意外な結果が出てしまいました。フロイスが悪し様に評価している光秀にイエズス会が信頼を置くかどうかは別として、光秀がイエズス会と組む意志を持ってもおかしくはないという可能性が残りました。
私はイエズス会が担ぐなら高山右近であろうと考えていました。高山右近に欠けているものは信長討ちの後に「天下を取る」という④の力量が疑問なだけで、残りの条件は全て整うからです。
★ Wikipedia「高山右近」記事
それでは残りの3つの視点でもみてみましょう。
((続く))
★ イエズス会陰謀説を斬る!
この「斬る!」のシリーズは各説の蓋然性(がいぜんせい:確からしさの度合)を次の5つの視点で評価していますので、②から⑤の4つの視点でもみてみましょう。
①動機 犯人に信長殺しの動機があるか
②犯行可能性 犯行を実行できる可能性があるかどうか
③関係者の証言 犯行を裏付ける証言があるかどうか
④本人の自白 犯人自身の自白があるかどうか
⑤成功時報酬 犯行成功による報酬があったかどうか
犯行可能性については、イエズス会が光秀と結びついて光秀を信長討ちに引き込んでいったプロセスが全く見えません。これについては「秘中の秘」なので何も証拠を残すはずがない、という反論もありえるかとは思います。
それでは光秀がイエズス会に加担する可能性について評価してみましょう。この可能性がなければ「秘中の秘」という反論も成り立たないことになります。
イエズス会が信長討ちの実行者を選定する基準は何でしょうか。
まず、①信長討ちという重大な話を持ちかけても乗ってくる人物、②その話を信長に通報したりしないイエズス会に忠誠心のある人物、③信長討ちを実行できる立場にある人物、④信長を討った後に天下を取ってイエズス会を擁護できる人物、ということになります。
①については確かに光秀には信長を討ちたいという状況はありました。それは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた通りですので、ここでは説明を省略します。
光秀からみてイエズス会と組むメリットはどうでしょうか?
それはない!と思います。光秀は仏教徒であり、近江(滋賀県)坂本にある天台宗の西教寺を明智一族の菩提寺にしていました。フロイスはイエズス会総会長宛ての報告書にも光秀のことを悪し様に書いており、光秀がイエズス会を擁護するとは一切思えません。
でも、待ってください。「キリシタン大名を味方にできる!」
これは大きなメリットだったかもしれません。摂津の高山右近だけでなく、畿内にはキリシタン大名やキリスト教に理解を示す大名はいました。実際に光秀に加勢して滅亡した河内のキリシタン大名三箇氏もいます。
★ 武家家伝「三箇氏」
実は、秀吉は後年、九州の島津攻めにキリシタン大名の力を最大限に活用しています。ところが、島津征伐が終わったら、たちどころに「バテレン追放令」を発布しています。つまり、戦国武将は生き残るために極めて合理的にゲーム理論で考えていたということです。秀吉は山崎の合戦以来重用していた高山右近をこのときに追放処分にしています。
キリスト教を擁護する気のなかった光秀もこういった勝ち残るための論理でイエズス会と結びついた可能性は残ります。②から④の条件も光秀は満たすことになりそうです。
少し意外な結果が出てしまいました。フロイスが悪し様に評価している光秀にイエズス会が信頼を置くかどうかは別として、光秀がイエズス会と組む意志を持ってもおかしくはないという可能性が残りました。
私はイエズス会が担ぐなら高山右近であろうと考えていました。高山右近に欠けているものは信長討ちの後に「天下を取る」という④の力量が疑問なだけで、残りの条件は全て整うからです。
★ Wikipedia「高山右近」記事
それでは残りの3つの視点でもみてみましょう。
((続く))