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●<金口木舌>《南京と沖縄…どちらもなかったことにさせてはいけない。二度と戦争に加担しないため、目を背けたくなる事実こそ見つめたい》

2024年01月31日 00時00分22秒 | Weblog

[【NNNドキュメント’18/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】(2018年5月13日)↑]


(2023年12月14日[木])
記憶の澱》と記憶の継承
 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。歴史の記憶の継承語り継ぐこと。記憶の澱をかき乱し、呼び覚ますこと。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●琉球新報《かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》
       《沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない》
   『●《沖縄戦をどう継承するか。…国のために死を強いた沖縄戦の実相を
      美談にしてはならない。紡いできた住民目線の継承を大切にしたい》
   『●森達也監督「福田村事件」…《関東大震災の混乱で差別意識を背景に惨殺
     されたのは「朝鮮人」だけではありません》(デモクラシータイムス)
    《交流サイト(SNS)上では南京大虐殺はなかった
     従軍慰安婦はいなかったなどデマも拡散している。
     森さんは「歴史修正主義は進み、かつて考えられなかったような
     発想が、現在の日本社会の主流になりつつある」と話す。
     ◆「熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さ」

 南京大虐殺南京事件)で思い出されることは、歴史修正主義者やヘイト吐き、(明確に在りもする「在日米軍特権」には沈黙する腰抜け)在りもしない特権をがなり立てる似非ウヨクにより洗脳された中学生が公衆の面前でジェノサイド先導ヘイトを喚いた件…《いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺ではなく鶴橋大虐殺を実行しますよ

   『●「日本の恥と呼ぶべき存在」
    《鶴橋で行われた街宣で、女子中学生が「鶴橋大虐殺」の演説をしたことは
     ネットで話題になっていましたし、韓国でも報じられていたようです》

   『●小池百合子「ト」知事、追悼文は? 《…ようやくこう答えたのだった。
      「それは毎年送っておりません」…この回答はあまりに卑怯だろう》
    《その急先鋒になってきたのが「そよ風」というヘイト団体だった。
     「そよ風」はヘイト団体・在特会の関連団体で、慰安婦問題や
     関東大震災朝鮮人虐殺の否定などを主張しており、2013年には
     大阪・鶴橋で「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺では
     なく鶴橋大虐殺を実行しますよ」などとジェノサイドを
     先導したヘイトデモに協力。北海道支部長の女性は桜井誠
     前在特会会長の「日本第一党」の副党首まで務めている》

   『●在りもしない特権には大騒ぎするくせに、明確に存在する #在日米軍特権
       には沈黙する…《米軍の在日特権こそ問題にすべき》(長周新聞)
    《2004年8月にはイラク出撃に備えて訓練中だった米軍ヘリが
     米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)に着陸しようとして、
     隣接する沖縄国際大学に墜落する事件も起きた》


 琉球新報のコラム【<金口木舌>南京と沖縄】(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2575894.html)によると、《▼「南京」を思うとき「沖縄」を思う。どちらもなかったことにさせてはいけない。二度と戦争に加担しないため、目を背けたくなる事実こそ見つめたい。日本軍南京占領86年の日に改めてそう誓う》。

   『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、 
      血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩: 
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
   『●【NNNドキュメント/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―
                …「消し去られた事実の重み…現代に警鐘」

   『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…
     「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」
    《2015年10月5日に初回放送されるやいなや、大きな反響を呼んだ
     ドキュメンタリー『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言
     (日本テレビ系)。その続編が、5月14日(13日深夜)に
     放送された》。

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https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-2575894.html

<金口木舌>南京と沖縄
公開日時 2023年12月13日 05:00

 中国・南京で10月下旬、父母が体験した南京大虐殺のことを語り継ぐ女性から話を聞いた


▼日本軍の手から逃れようと揚子江の岸辺に隠れた幼き日の母親。銃剣で足を刺されたつらい体験を背負い、晩年まで苦しんだ。それでも多くの日本の人に体験を知ってほしいと願ったという

南京大虐殺は元日本兵の心にも影を落とした。兵士の一人として南京の戦いに参加し、深い罪の意識を持ち続けた故東史郎さんは1987年、中国の人々に反省と謝罪の意思を示した。民間の記念館には、別の元日本兵の息子が父親の行為を謝罪した文章の展示もあった。体験者の子や孫が語り部となる時代だ

今の日本は、先の大戦の加害に向き合っているだろうか大虐殺はなかった」「被害者数が多すぎるという政治家の主張がまかり通り、歴史は改ざんされていく

「南京」を思うとき「沖縄」を思う。どちらもなかったことにさせてはいけない。二度と戦争に加担しないため、目を背けたくなる事実こそ見つめたい。日本軍南京占領86年の日に改めてそう誓う。
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●中曽根康弘元首相や「産経のドン」故・鹿内信隆氏らは、あの時、何をしていたのか? …《検閲国家》へと一歩一歩

2019年08月29日 00時00分59秒 | Weblog

[※ 『国民のしつけ方』(斎藤貴男著、インターナショナル新書010)…《それは調査報道…「番犬(ウォッチ・ドッグ)」としての役割》↑]



日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/政治家に封殺された表現の自由】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908060000073.html)。
リテラの記事【八代弁護士が「慰安婦問題は史実に基づかない」とネトウヨ並みのデマ! 中曽根の証言など日本軍慰安所設置の証拠は山程あるのに】(https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html)。

 《★政治家が先導して表現の自由を封殺する時代が戦後70年もたって起こるとは思わなかった。…表現の自由が政治によって追い込まれるのは少女像だけではない。すべての表現、ゲーム、アニメ、マンガの世界でも時の権力がけしからんと言えばまかり通る前例になりかねない。今回のことで留飲を下げている人たちもところ変われば検閲の対象になる》。
 《立川志らく…「…日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ?…」…とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう》。

   『●《平和なアジアという井戸…先人の掘った
     井戸の水を濁らせている》人々…企画展「表現の不自由展・その後」を破壊
    《憲法が保障する表現の自由に不寛容な現在の日本の空気を映し出すことに
    《▼名古屋市の河村たかし市長には不快だったようだ。作品の評価は人それぞれ、
     自由である。しかし、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」会場から撤去を要求する
     のは鑑賞や議論の機会を根こそぎ奪う行為で、間違いだった…そして
     表現の自由は、圧迫にあらがう者がいる限り死なない何度でも声を上げよう
     生きるために。(阿部岳)》

 21世紀のこの現代に、《検閲国家》とは呆れる。お隣のアジアの国々を嗤えない。ヨーロッパの国々から見れば、ニッポンは一体どんな国なのか、といったところかな。

 リテラの記事【大村知事が「公権力こそ表現の自由を尊重」の真っ当主張に、杉田水脈や維新の松井・吉村が醜悪な“圧力正当化”】(https://lite-ra.com/2019/08/post-4887.html)によると、《開幕からわずか3日で中止に追い込まれてしまった問題。ところが、ネットやテレビのワイドショーでは、テロ予告をした人間や圧力をかけ攻撃を煽った政治家を非難するのでなく、“慰安婦像”を展示した「あいちトリエンナーレ」や芸術監督の津田大介氏への非難が渦巻くという異常な事態》。
 《平和なアジアという井戸…の水を濁らせている》人々がデッカイ顔をしているって、どんな国?

   『●『朝日新聞』が「アベ様の犬HK」化しないことを望む:  
           相対的に「大変にマシな報道機関」はどこか?
    《…太平洋戦争時、日本陸軍経理課の軍人として慰安所設置の
     任務に就いた「産経のドン」故・鹿内信隆。産経新聞からリベラル色を
     一掃し、極右タカ派の論調でこの新聞を塗り固め自民党政権と
     深く結びつくことでマスコミ業界の大物として君臨した鹿内が、
     さらに驚くべきことを「自慢話」として得意げに語っていたことが
     判りました…》
    《もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が
     知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が
     「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、
     今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で
     軍の組織的な関与を認めていたのだ》

   『●沖縄差別・沖縄破壊の「やりたい放題」…
      「歴史的暴言」から想起されるナチソネ氏や「産経のドン」等々
   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩: 
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
    《『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する
     「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や
     当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や
     不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みる
     というものだった》

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるでのようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」
    「リテラの記事【明石家さんまが「戦争のために税金を
     納めてるんじゃない!」「武器に金使うなら税金収めない」と
     国税局に抗議】…証拠隠蔽・虚偽答弁で昇格された佐川宣寿
     国税庁長官殿に聞かせてやりたいよ、全く」

   『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…
     「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」
    《番組を通じて「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、
     社会に毅然と示した
    《戦中の軍による戦争犯罪・残虐行為を記録した日本側の公文書は、
     敗戦の1945年8月15日の前後に、その多くが焼却されている。
     証拠隠滅のためだ》
    《翻って現在、安倍政権下の日本では、公文書のあり方が問われている
     政府が、存在するものを「ない」と平気で嘘をつく役人が国民の
     知らぬところで文書を改ざんするあるいは「特定秘密」と言って、
     人々の目の届かないところに葬り去ろうとする。こうした政府による
     公文書の隠蔽や改ざんは現代社会の根底を揺るがすと同時に、
     のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ

   『●「戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより、
       子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなった」

 《平和なアジアという井戸…の水を濁らせている》人々は、中曽根康弘元首相や「産経のドン」故・鹿内信隆氏らは、あの時、何をしていたのか、を調べてみては如何か? 《歴史修正主義丸出しのデマを口》にする愚かさ、《歴史的な事実》《客観的事実》《歴史学的にも議論の余地はない》こと、《歴史事実として裏付けされたもの》《軍主導であった事実》を消し去り、一方、歴史修正主義を許さない市民に対して《反日の○○》という刷り込みに躍起。醜悪で、見苦しい。
 《ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか》…アベ様の政で〝唯一上手く行っている〟メディアコントロールの極致か? 《政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%…。…FNNと産経新聞…世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった》…壊れた国ニッポン。

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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908060000073.html

コラム
政界地獄耳
2019年8月6日8時7分
政治家に封殺された表現の自由

政治家が先導して表現の自由を封殺する時代が戦後70年もたって起こるとは思わなかったあいちトリエンナーレ表現の不自由展-その後」だ。展示にテロ予告や脅迫が相次いだという。県警はその捜査は行っているのか。その展示を行政が受け止め中止にしたという。だが、表現の不自由展実行委員会は一方的な中止の判断に対して抗議する声明を出した。表現の不自由展は過去に発表し、中止に追い込まれた作品を集めて表現の自由を改めて感じたり、かみしめる意味があったろう。

★ことの発端は名古屋市長・河村たかしがそりの合わない愛知県知事・大村秀章にケチをつけたい程度から始まったのか。日本維新の会代表で大阪市長・松井一郎が少女像の展示について「どうなってんだ」と電話があったという。松井は記者団に「日本で公金を投入しながらわれわれの先祖がけだもの的に取り扱われるような展示物が展示されるのは違うのではないか」とほえたが、松井の想像力豊かな感情論も表現の自由に含まれていることを理解しないといけない。

政治や行政が表現の自由に介入することの恐ろしさを松井や河村は「こちらの言うことが正しい」とか「正義」だと思っているようだが、それが検閲国家につながり、自分は検閲する側にいるという勘違いが一番恐ろしい。官房長官・菅義偉も「事実関係を精査し補助金を交付するかどうか慎重に検討する」と発言。こちらも今後の芸術家や展示を考える主催者を萎縮させるにたるガイドラインを示したといえる。表現の自由が政治によって追い込まれるのは少女像だけではない。すべての表現、ゲーム、アニメ、マンガの世界でも時の権力がけしからんと言えばまかり通る前例になりかねない。今回のことで留飲を下げている人たちも、ところ変われば検閲の対象になる。(K)※敬称略
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https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html

八代弁護士が「慰安婦問題は史実に基づかない」とネトウヨ並みのデマ! 中曽根の証言など日本軍慰安所設置の証拠は山程あるのに
2019.08.06 06:57

     (ネトウヨなみのデマ!  (『ひるおび!』より))

 安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムード歴史修正主義に染まっている。

 それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった

 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。

「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」

 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。

 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。

「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」

 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない

 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて反日三羽ガラスと揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。

 はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく。歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。

 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、今日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。


■中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録

 こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。

 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。

 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。

 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ。


■産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」

 また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。

「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」
「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」

 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。

 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。

 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している。


■米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に

 昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。

 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。

 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。

「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」

 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。

「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」
「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。
 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」


■「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ

 つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。

 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。

 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。

 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。

 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている

 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった

 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか。

(編集部)
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●「戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより、子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなった」

2018年08月24日 00時00分28秒 | Weblog

[【NNNドキュメント’18/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】(2018年5月13日)↑]



リテラの記事【『報道特集』が日本軍の戦犯証拠隠滅の実態を明らかに! 安倍政権の歴史修正主義と公文書改ざんの原点】(http://lite-ra.com/2018/08/post-4190.html

 《日本の加害戦争責任の全貌を見えづらくした要因は、日本にこそある。それは、敗戦直前、日本政府や軍が責任逃れのために戦時資料の焼却処分を行ったからだ》。

   『●『朝日新聞』が「アベ様の犬HK」化しないことを望む:  
           相対的に「大変にマシな報道機関」はどこか?
    《…太平洋戦争時、日本陸軍経理課の軍人として慰安所設置の
     任務に就いた「産経のドン」故・鹿内信隆産経新聞からリベラル色を
     一掃し、極右タカ派の論調でこの新聞を塗り固め自民党政権と
     深く結びつくことでマスコミ業界の大物として君臨した鹿内が、
     さらに驚くべきことを「自慢話」として得意げに語っていたことが
     判りました…》
    《もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が
     知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が
     「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、
     今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で
     軍の組織的な関与を認めていたのだ》

   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
    《『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する
     「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や
     当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や
     不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みる
     というものだった》

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」
    「リテラの記事【明石家さんまが「戦争のために税金を
     納めてるんじゃない!」「武器に金使うなら税金収めない」と
     国税局に抗議】…証拠隠蔽・虚偽答弁で昇格された佐川宣寿
     国税庁長官殿に聞かせてやりたいよ、全く」

   『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…
     「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」
    《番組を通じて「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、
     社会に毅然と示した
    《戦中の軍による戦争犯罪・残虐行為を記録した日本側の公文書は、
     敗戦の1945年8月15日の前後に、その多くが焼却されている。
     証拠隠滅のためだ》
    《翻って現在、安倍政権下の日本では、公文書のあり方が問われている
     政府が、存在するものを「ない」と平気で嘘をつく役人が国民の
     知らぬところで文書を改ざんするあるいは「特定秘密」と言って、
     人々の目の届かないところに葬り去ろうとする。こうした政府による
     公文書の隠蔽や改ざんは現代社会の根底を揺るがすと同時に、
     のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ


 彼・彼女らの御望みの証拠(証拠隠蔽にもかかわらず、実際には証拠は存在)が無いことが、〝歴史〟が無かったことになる訳がない。いま、アベ様政権の下、過剰な「忖度」などの滅公奉僕精神により、証拠隠滅を図ったとしても、アベ様御夫妻案件やオトモダチ・取巻き連中の悪事が歴史上無かったことにはならない。決して忘れることなく、指摘し続けるだけだ。

 《戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなった》…《この廃棄処分が歴史を歪め歴史修正主義を生み出す温床》。
 《公文書は言うまでもなく、為政者の私物などではなく市民の共有財産だ。それが改ざんされたり、破棄されるということは、同時代の社会の根幹を揺るがす問題であると同時に、さらに後の世代がのちに振り返って事実を検証することを阻害するものであり、これは人類史において多大な損害だ。そう考えると、安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は根っこのところでつながっている
 『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」』でのリテラ記事でも同様な指摘がなされている…《こうした政府による公文書の隠蔽や改ざんは現代社会の根底を揺るがすと同時に、のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ》。

   『●『ペンタゴン・ペーパーズ』: 「報道の自由を守るには
        報道しかない」、でも、沖縄密約と西山太吉記者…
   『●広報…「livedoor NEWSも産経ニュースも、
      記事のタイトルがおかしくネ? ……腐ってんな」
   『●自衛隊PKO日報問題…「森友捜査ツブシ」選挙の
       ドサクサに紛れて人治主義国家ニッポンの人事考査が再び

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http://lite-ra.com/2018/08/post-4190.html


『報道特集』が日本軍の戦犯証拠隠滅の実態を明らかに! 安倍政権の歴史修正主義と公文書改ざんの原点
2018.08.15

     (TBS公式HPより)

 戦後73年が経ち、今年も8月15日を迎えた。今夏も各メディアで戦争を振り返る企画が組まれているが、8月11日に放送された『報道特集』(TBS)の「戦争と記録 大量焼却のワケ」はまさに、現在につながる問題を鋭くえぐった特集だった。

 第二次世界大戦における日本の加害事実や戦争責任について言及すると、歴史修正主義にまみれた安倍応援団ネトウヨは、アメリカやソ連の一方的な主張や資料に基づくでっちあげなどとがなり立てる。実際は日本兵の証言などもありそれ自体ウソなのだが、しかし日本の加害や戦争責任の全貌を見えづらくした要因は日本にこそある

 それは、敗戦直前、日本政府や軍が責任逃れのために戦時資料の焼却処分を行ったからだ。

 ポツダム宣言受諾後の8月14日に閣議決定された焼却命令は、東京だけではなく、地方にまでおよんだ。『報道特集』ではその一例として、広島県福山市に残されていた8月17日に焼却された書類を記したリストを紹介。そこには、徴兵関係や日中戦争に関する書類が焼却されたと記されており、また、番組では軍人名簿が焼かれたことで、恩給の給付に支障をきたした地方自治体があるとも紹介されていた。

 『報道特集』は加えて、実際に焼却に携わった人からの証言も複数紹介している。

 まず、逓信省航空局で暗号を翻訳する業務についていた前沢正己氏は、上司の命令によりありとあらゆる資料を防空壕のなかに入れて焼却処分したと語る。それは電話帳まで燃やすという徹底ぶりで、焼却には2日ほどの時間をかけ、防空壕のなかの空気が足りなくなってなかなか燃えずに大変だったと振り返る。

 戦争に関係する書類を燃やしていたのは、役所だけでなくメディアも同様だった。同盟通信の写真部に勤めていた渡辺清氏は、上司からの命令があり、日比谷公園で書類を焼却するよう言われたと証言している。ちなみに、焼却する理由について上司から説明はなかったという。

 終戦当時内務省の官僚だった故・奥野誠亮元法相は後年、公文書焼却の指示についてこう明かしている。

   「ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、
    戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。
    会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう
    と言った。犯罪人を出さないためにね。会議を終え、公文書焼却
    指令書を書いた」(読売新聞2015年8月11日)

 番組でも「戦犯処理されたら気の毒だから、犯罪人を出さないようにするために公文書を焼けと言った」と会見で語る奥野の映像を紹介している。

 ようするに、終戦直後に各所で急きょ書類が燃やされたのは、戦争責任の追及を免れるためであり、戦争犯罪に関する証拠を隠ぺいしようとする意図からだった(1946年1月3日にはGHQから復元命令を出されている)。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は番組内のVTRに出演し、終戦直後に行われた公文書の焼却は、自らの保身や責任逃れのために行われた「後世の人間に対する侮辱」とこう評価した。

   「後世の人間に対して、この戦争を客観的に検証しろということの放棄
    私たちの世代への侮辱だと私は思っています。次の世代への侮辱
    ですね。次の世代は、戦争について歴史的な検証をする必要が
    ありますね。そこから逃げたわけですね。
    僕はこの罪のほうが大きいと思う」


■安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は同根でつながっている

 現在82歳で、戦争を知る世代の毒蝮三太夫氏も怒りを滲ませた。戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなったからだ。

   「戦争っていうのはこんなに悲惨で、こんなにむごいもので、
    狂ったように相手を殺すんだということをね、いま我々は
    言っていかないと。運が良かっただけですよ、知らなかったのは。
    自分の歴史というのを糧として生きてるんだもんね。だから、
    書き残すとか振り返るというのはとっても大事ですよね。それが
    正しくなければ、非常にゆがんだ報告が残るわけでしょ」

 まさに、この廃棄処分が歴史を歪め歴史修正主義を生み出す温床となっている。実際は、日本軍の残虐な行為を証明する旧日本軍兵士の証言や、戦時記録も僅かに存在するが(たとえば、中曽根康弘や故・鹿内信隆元産経新聞社長の日本軍による慰安所運営に関する証言など)、公文書がほとんど残されていないのをいいことに、歴史修正主義者たちは「証拠がない」などと主張しているのだ。

 繰り返しになるが、日本の戦争責任や加害の実態の全貌を見えづらくしている最大の要因は責任から逃れるために公文書という一級の第一次資料を破棄するという、日本のあまりに卑怯な行為だ

 しかも、この都合の悪いものは捨ててしまえという卑怯なやり口は現在にもつながっている。毒蝮氏は先の発言のあと、こう付け加えていた。

   「改ざん。よくいま平気でやるような時代になった。怖いね

 毒蝮氏が指摘している通り、安倍政権下の日本では、終戦前後の日本で行われたことと、そっくりな文書破棄や改ざんが次々と起きている自衛隊の日報隠ぺい森友学園に関する決裁文書の改ざんなど、公文書に関する前代未聞の不正行為が発覚している。

 また、終戦直後の日本と現在の日本とでは、上に立つ人間が自らの保身や責任逃れのために公的文書を不正に扱うという点以外にも、もうひとつ共通点がある。TBS報道局の金平茂紀氏は、実際に公的書類焼却の現場に立たされたのは、組織のなかでも下のほうにいた人間であったことを指摘しながらこのように語った。

   「破棄に関わっていた人たちが自分たちのことを『下っ端、下っ端』って
    言ってたでしょ。上の人が下の人に対して汚いことを押し付ける
    という構造は、まったくいまと同じ構造だと思うんですよね。
    森友のときも自殺した人というのは、いちばん現場に近い人だったんですよね」

 公文書は言うまでもなく、為政者の私物などではなく市民の共有財産だ。それが改ざんされたり、破棄されるということは、同時代の社会の根幹を揺るがす問題であると同時に、さらに後の世代がのちに振り返って事実を検証することを阻害するものであり、これは人類史において多大な損害だ。そう考えると、安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は根っこのところでつながっている

 安倍政権によっていまも現在進行形で“歴史の改ざん”が行われているという事実。戦争責任から逃れるために戦争の記録を焼き捨てたという事実。この2つの事実を私たちはもっと重く受け止めるべきだろう

(編集部)
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●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」

2018年05月19日 00時00分18秒 | Weblog

[【NNNドキュメント’18/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】(2018年5月13日)↑]



リテラの記事【日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論】(http://lite-ra.com/2018/05/post-4014.html)。

 《2015年10月5日に初回放送されるやいなや、大きな反響を呼んだドキュメンタリー『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ系)。その続編が、5月14日(13日深夜)に放送された》。

   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩: 
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
   『●【NNNドキュメント/南京事件Ⅱ歴史修正を検証せよ
                 …「消し去られた事実の重み…現代に警鐘」


 《消し去られた事実の重み…現代に警鐘》も非常に大事なポイントだった、貴重なドキュメンタリーでした。
 《番組を通じて「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した》…《戦中の軍による戦争犯罪・残虐行為を記録した日本側の公文書は、敗戦の1945年8月15日の前後に、その多くが焼却されている。証拠隠滅のためだ》…《翻って現在、安倍政権下の日本では、公文書のあり方が問われている政府が、存在するものを「ない」と平気で嘘をつく役人が国民の知らぬところで文書を改ざんするあるいは「特定秘密」と言って、人々の目の届かないところに葬り去ろうとする。こうした政府による公文書の隠蔽や改ざんは現代社会の根底を揺るがすと同時に、のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ》。
 本ドキュメンタリーは、《愛僕者》(©浜矩子さん)らの粉飾国家のやっている種々の問題・事件における証拠隠滅等の行為を、《歴史修正》を助ける愚行として厳しく指弾していると感じた。《僕難》ではなく、真の意味での《国難》が目の前で進行中。

   『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、 
      血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

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http://lite-ra.com/2018/05/post-4014.html

日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論
2018.05.17

     (日テレ公式HPより)

 2015年10月5日に初回放送されるやいなや、大きな反響を呼んだドキュメンタリー『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ系)。その続編が、5月14日(13日深夜)に放送された。
 チーフディレクターは引き続き日本テレビ報道局の清水潔氏。桶川ストーカー事件や北関東連続幼女誘拐殺人事件など、警察発表に頼らない独自の調査報道によって真相を追及してきた事件記者だ。
 1937年、日本軍による南京攻略戦の際に繰り広げられた、捕虜・民間人に対する大量殺戮や略奪、強姦、放火。その総称が、南京事件ないしは南京大虐殺と呼ばれる戦争犯罪である。前作『南京事件 兵士たちの遺言』は、元日本軍兵士の肉声や当時の日記などを中心に、取材班が現地取材も含め、矛盾点がないか徹底的な裏取りを試みる内容だった。
 イデオロギー論争の絶えない南京事件を扱いながら、丹念な調査報道で“事実”を浮かび上がらせた同作は、放送後、日本テレビにも大きな反響が寄せられた。その約9割が賛意を示すものだったという。また、専門家のあいだでも高い評価を集め、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞など数々の賞を受賞。ギャラクシー賞受賞式での清水氏の「忖度の“そ”の字もない番組をつくりたかった」という言葉も話題になった。
 しかし一方で、案の定というべきか、「南京虐殺はなかった」と主張するネット右翼や歴史修正界隈からは、格好の攻撃の的にされてしまった。たとえば産経新聞は放送から約1年後、例の「歴史戦」なる歴史修正シリーズにおいて番組を名指しで批判。「南京事件で虐殺はゼロかごく少数」と主張して大多数の歴史学者から白い目で見られている「まぼろし派」(虐殺否定派)の学者らの言葉を借りながら、「中国の謀略宣伝のやり方と酷似」などと難癖をつけまくり、“偏向番組”のレッテルを貼ろうとしたのだ。
 そうしたネガティブキャンペーンの効果もあってか、放送から2年以上が経った今も、相変わらずネット上では「南京虐殺は中国の創作」「虐殺はなかった」なるデマが絶えない。いや、ネトウヨだけではない。中国による南京虐殺の世界記憶遺産への登録に猛反発してきた日本政府・安倍政権を中心に、南京事件を否定しようとする政治的な動きもますます強くなっている。
 そんななかで公開された続編。タイトルは『南京事件II 歴史修正を調査せよ』だ。そう、番組は、一次資料や裏付け取材に基づいて、リビジョニズムに対し真正面から回答するとともに、その“根源”がいかなるものであるか、現在の社会全体へ突きつけたのである。


■南京虐殺否定派、ネトウヨたちが主張する「自衛発砲説」を徹底検証!

 たとえば放送では、あえてネット上で〈(『南京事件 兵士たちの遺言』は)プロパガンダでしょう〉〈虐殺ではなく、自衛行為に相当します〉なるカキコミが目立つと紹介。さらに「事件に対して異論を唱える人たちのなかには現職の国会議員までもふくまれています」というナレーションとともに、昨年12月開催の「外務省 目覚めよ!南京事件はなかった」と題された集会のパンフレットを映した。
 この集会には稲田朋美元防衛相も登壇し、「日本の名誉を守るとは、いわれなき非難や事実と違うことに断固として反論することだ」などと語ったという。こうした外務省の見解とも相反する否定論に政権の有力政治家が積極的に参与していることを示したうえで、番組では後半、否定派の論拠を徹底検証。なかでも、捕虜の大量殺戮を正当化しようする「自衛発砲説」への検証取材は、極めて力の入ったものだった。
 「自衛発砲説」とは、簡単に言うと、1937年12月17日、陸軍第十三師団山田支隊(歩兵第103旅団)の基幹だった歩兵第65連隊による揚子江沿岸での数千〜数万人の捕虜銃殺・刺殺を、「捕虜を解放するため沿岸に連れていったが、暴動を起こしたためやむなく制圧した」と読み換えるもの。「捕虜が計画的に収容所へ放火し混乱を引き起こした」「対岸の中国兵が発砲、捕虜が勘違いをして暴れだした」「国際条約上、逃亡中の兵士の処刑は正当である」(東中野修道・亜細亜大学教授など)との主張とセットで語られることが多い。ようするに、捕虜の殺害は偶発かつ正当であり、「虐殺」には当たらないというストーリーである。
 なお、前述した産経新聞による『南京事件 兵士たちの遺言』に対するバッシング記事も、この「自衛発砲説」に番組は踏み込んでいないとして批判材料に使っていた(実際には番組中で紹介及び説明をしていたので、明らかな言いがかりだが)。
 ところが、この「自衛発砲説」は軍の公式記録として残っているわけでもなんでもない。それがなぜ、否定論者やネトウヨの間で“定説”であるかのように流布しているのか。番組はその根拠を検証するため、説のルーツを辿っていく。
 番組によれば、ネットを中心に広がる「自衛発砲説」のほとんどが、近年発行された書籍からの引用だったという。具体的には「まぼろし派」である前述の東中野教授らの著書だ。そこからさらに情報を遡ると、最終的に、1964年に出された『郷土部隊戦記』という本にいき着く。捕虜殺害を実行した歩兵65連隊の出身地である福島県の地元紙・福島民友新聞社が発行したもので、このなかに「南京虐殺事件の真相」と題された章がある。
 番組取材班は、会津若松に向かった。同書が出る二年前には、福島民友新聞でその元となった記事が書かれていた。番組によれば、これが「自衛発砲説」を世に初めて伝えたものだという。


■「自衛発砲説」は部隊の責任者の主張にもとづいたもの、その信憑性は…

 本サイトも『郷土部隊戦記』を確認したが、要約するとこうなる。歩兵65連隊は12月15日に幕府山砲台付近で大量の捕虜を得て〈非戦闘員をただちに釈放〉したが、残りの〈約八千人の捕虜の処置に困った〉山田栴二旅団長が南京の軍司令部に部下を派遣して指示を仰いだところ、〈軍司令部の考えは「みな殺せ」という驚くべき意向だった〉。そして15日夜の9時すぎ、捕虜が夕食の炊事中に〈計画的放火〉を起こし、その混乱に乗じて約半数が逃亡したという。
 16日にも山田旅団長は部下を軍司令部に派遣して〈捕虜を殺すことはできぬ〉などと掛け合ったが〈「捕虜は全員すみやかに処置すべし」という軍命令〉が出された。そして問題の17日、〈軍命令を蹴って連隊長の独断専行〉で、部下の大隊長に〈今夜暗闇に乗じて揚子江対岸に解放しろ〉と指示があったという。以下、核心部分がこのように続く。

しかし思わぬ事態が発生した。夜十二時ころ、十数隻の小舟にのって1回目に渡河した二、三百人が中流までいったところ、対岸の中国軍が日本軍の渡河と見誤ってにわかに発砲してきたのだ。この銃声にこちらの岸に集結していた捕虜は「日本軍がわれわれを江上にひき出して銃殺する」と誤解してしまった。たちまち大混乱が起こった。彼らは猛然と警戒のわが兵たちを襲い出した。約四千人近い大集団が死に物ぐるいで一度に、いきり立ったのだからたまらない。いくら制止しても聞かず、恐怖を感じた兵は発砲するほかはない。部隊でも将校一人、兵六人が捕虜の群にひきずり込まれて死亡した。
 翌朝、江岸には不幸な捕虜の死体が残った。しかしその数は千人を上回った程度で、ほとんどは身のたけはゆうにある江岸のアシを利用し、あるいは江上にとび込んで死亡したのである。これが事実のすべてである。全員解放というわが方の意図は突発事故のために結局実らないでしまい、遂にわが方も人的損害を出してしまった。国際法によれば、逃亡する捕虜は射撃して差し支えないことになっているが、両角部隊の場合は、当然これに該当するものと思われる。もしこれが戦犯部隊であるとするならば連隊長らはとうに処断されているはずだ。〉

 まさに虐殺否定派が唱える「自衛発砲説」である。だが実は、この記述は、主に両角連隊長への取材に基づいていた。つまり、部隊の責任者の主張がまとめられたものだったのだ。
 それだけでも保身のための証言ではないかとの疑念が浮かんできて当然だが、しかし、番組は即断しない。この記述の信憑性を別の複数の資料や証言と重ねることで慎重に検証するのだ。


■両角連隊長メモの矛盾、現場の兵士たちの日記や証言と食い違いが多数

 たとえば、両角連隊長が残したというメモ。15日から18日にかけては、ごく簡潔にこう書かれていた。

〈十五日 俘虜整理及附近掃蕩
 十六日 同上、南京入城準備
 十七日 南京入城参加、Iハ俘虜ノ開放準備、同夜開放
 十八日 俘虜逸脱ノ現場視察、竝ニ遺体埋葬〉

 これに従えば、両角連隊長は17日に捕虜の解放を準備したことになる。一方、16日には捕虜に全く触れられていない。なぜか。
 実は、番組が明らかにしたように、16日にも揚子江沿岸での捕虜虐殺が行われていた。ある上等兵の日記にはその模様が克明に記されている。

〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉
〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉
〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も突き刺したことであろう〉
〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉
〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた〉

 この証言は前回の『南京事件 兵士たちの遺言』でも取り上げられたものだ。1994年に、在野の研究者・小野賢二さんがこの上等兵にインタビューしたときの映像も放送されており、はっきりとした口調でこう語っていた。

「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけれども、『なかに弾に当たんねえみたいなのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく30人くらい突いたと思うが。何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」

 まだ終わらない。取材班は、上等兵の証言とさらに複数の別の元日本兵による日記とを重ね合わる。すると〈一万七千二十五名の三分の一を引き出し射殺す〉(歩兵第65聯隊第八中隊少尉の日記)、〈揚子江畔にて銃殺〉(山砲兵第19聯隊第八中隊伍長の日記)など、小野さんが所有する日誌やコピー合わせて31冊の多くが捕虜の銃殺に触れており、なかには、不自然にも12月16日の記述だけが消されていた日記もあったというのだ。つまり、現場の兵士たちによれば、16日にはすでに数千人規模の銃殺が行われていたことになる。


■両角メモの真相とは?65年前両角連隊長に直接取材した元新聞記者が証言

 しかし、繰り返すが、なぜか両角連隊長はそのことに全く触れていない。それどころか、不可解にも翌17日になって「俘虜開放準備」をしたというのである。明らかな矛盾だ。しかもメモによれば、両角連隊長は17日に南京入城式に参加しており、番組が紹介した第65連隊の第四中隊少尉の映像ではこんな証言がなされている。

「現地には誰もこないですね」
「そういう職業軍人はいないですよ」

 両角連隊長は自分で銃殺現場を見ておらず、現場にいた責任者は別の大隊長だった。そして、大隊長の護衛として現場にいた上等兵の日記には、12月16日に〈二千五百名 殺す〉とあり、加えて、両角連隊長が自衛のための発砲を主張する17日には〈今日は南京入城なり〉〈俺等は今日も捕虜の始末だ〉〈一万五千〉と記されていた。さらに、別の少尉はその大隊長から「箝口令がありました」と証言し、このようにも語っていた。

「(捕虜を)解放しようなんてね、船もなしに。よくそんな偉い人はぬくぬく言うなあと思いました。戦後記事になったでしょう。捕虜を解放しろなんて言ったなんてね。とんでもない詭弁ですよ」

 はっきりと浮かび上がる食い違い。そして番組は、決定的な証言を得る。65年前、両角連隊長に取材し記事を書いた福島民友新聞の元記者を探しだして、清水ディレクターが直接、インタビューをしたのだ。
 元記者の阿部輝郎さんは、85歳になっていた。取材当時、両角連隊長の自宅に2回訪問し、2日にわたって長い話を聞いたという。阿部さんもまた清水氏の質問に対し、両角連隊長は現場におらず、捕虜殺害を見ていなかったと答えた。そして、両角連隊長によるメモは「戦後になって、昭和30年代になって書いたものである」と証言したのである。
 現場の兵士たちの証言等と多く点で矛盾した、両角連隊長の「自衛発砲説」は、もはや完全に崩れたのだ。番組では、こうした裏付け取材を経て、否定派の唱える「自衛発砲説」の根拠は「軍の責任者たちが戦後に言い出した弁明だった」と結論づけたが、実際、そういうことだったとしか考えられない。


■歴史学的に見ても、戦後に書かれた両角メモの信憑性は極めて低い

 言っておくが、番組の結論は歴史学的手法としても正当なものだ。たとえば、南京事件をめぐる論争では「中間派」を自称する保守派の近代史家・秦郁彦氏は、『南京事件 増補版』(中央公論新社)のなかで、各種資料の評価基準をAからEの順で解説している。
 それによれば、最も確度が高いのは、事件に関わった日本軍の司令部や実働部隊の作戦命令、陣中日誌などの公的記録等、すなわち「A 公文書記録」。続いて「B 指揮官クラスの業務日誌・メモ類」、その下に「C 一般従軍者の私的日記・メモ類」として、これらを「第1次資料」と分類する。一方、そうした第1次資料よりも信頼性が劣る「第2次資料」として「D 戦後の研究所・論文」、その下に「E 従軍者の戦後における回想記・回想談」と並べている。
 番組が取り上げた資料・証言に照らし合わせると、複数の現場の兵士が従軍中に記した日記等はC=第1次資料に分類されるだろう。一方、「自衛発砲説」を主張した両角連隊長のメモ、あるいはその回想をまとめた記事は戦後になってつくられたものなのでE=第2次資料となる。なお秦氏は、Eは〈玉石混交〉だが〈第一次資料と照合しつつ裏付けの聞きとりをすれば有益な場合がある〉としている。番組では、両角連隊長のメモや回想録を第1次資料を含む複数証拠と付き合わせることで、その信頼性のなさを明らかにした。お見事としか言いようがない。
 なお、両角連隊長のメモは、陸軍の元幹部らによる組織である偕行社がまとめた『南京戦史資料集II』にも、前述の阿部元記者が筆写したものとして所収されている。通称「両角日記」で、番組はこの“幻”とも言える原本を示したわけだ。また、同資料集には「両角業作手記」と題した文書も収録されており、本稿でも引用した『郷土部隊戦記』の内容と似たものとなっている。
 偕行社の『南京戦史資料集』は南京事件研究の基礎文献と位置付けられており、虐殺否定派もしばしば引用してきた。だが、同資料集冒頭の解説には「両角日記」及び「両角手記」の性質についてこう断言されていることに、なぜか否定派はあまり言及しようとしない。

〈『両角業作大佐の日記』は、メモと言った方がよいかも知れぬ簡単なもので、問題の幕府山で収容した捕虜の処置については、その全体像を明らかにすることはできない。〉
〈『手記』は明らかに戦後書かれたもので(原本は阿部氏所蔵)、幕府山事件を意識しており、他の第一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない。〉


■戦争犯罪を記録した「公文書」の多くは焼却……番組が突きつけた「公文書」の意義

 どうだろう。もっとも、清水ディレクターを始め番組取材班もこの資料集を熟読していないはずがないが、そこからさらに裏取り取材を徹底したことは、率直に言って感服する。いま、ネット上ではまたぞろネトウヨが〈産経に色々指摘され悔しくて反論番組作ってみたつもりなんだろう〉〈本当か?日本のイメージダウン作戦?〉などとほざいているが、もはや話にならないだろう。
 ちなみに、前作『南京事件 兵士たちの遺言』に対する産経の攻撃については、本サイトで当時いかにインチキであるかを詳報したので、ぜひ、そちらもご一読いただきたい(http://lite-ra.com/2016/11/post-2680.html)。
 いずれにしても、丹念な調査報道によって、またもや南京における虐殺の客観的事実を突き止めた『南京事件II』だが、もうひとつ、特筆すべきことがある。それは、番組を通じて「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した点だ。
 戦中の軍による戦争犯罪・残虐行為を記録した日本側の公文書は、敗戦の1945年8月15日の前後に、その多くが焼却されている証拠隠滅のためだ。南京攻略戦に関する軍の資料も、やはり敗戦前後に、市ヶ谷の陸軍省で燃やされていた。番組では冒頭、焼却され、埋められた公文書の一部が、焦げた紙の束として防衛省の敷地内から出てきたことの紹介から始まる。その現物は、ところどころ焼け跡があり、記録の全体を読むことは、もはや不可能となっている。
 南京事件の全貌がかくも見えづらく、もっぱらイデオロギーに利用される原因のひとつは、こうした公文書つまり一級の第1次資料が、意図的に処分されてしまったことにあるのは言うまでもなかろう。
 翻って現在、安倍政権下の日本では、公文書のあり方が問われている政府が、存在するものを「ない」と平気で嘘をつく。役人が国民の知らぬところで文書を改ざんする。あるいは「特定秘密」と言って、人々の目の届かないところに葬り去ろうとするこうした政府による公文書の隠蔽や改ざんは、現代社会の根底を揺るがすと同時に、のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ
 『南京事件II』の副題は、「歴史修正を調査せよ」だった。これは、南京事件だけの話ではない。私たちは、いま、安倍政権によって、現在進行形で“歴史の修正”がなされているという事実を、もっと深刻に受け止めるべきではないか。

(編集部)
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●【NNNドキュメント/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】…「消し去られた事実の重み…現代に警鐘」

2018年05月18日 00時00分52秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’18/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―』(2018年5月13日)(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/user_images/oa_180513.jpg)↑]



【NNNドキュメント’18/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html)。



http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/user_images/oa_180513.jpg

 《政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす》。

   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
    「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』…の記事【安倍首相が否定したい
     南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で「事実」と証明!
     ところが番組告知は…】《『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、
     自民党が「否定」する「南京事件」を検証したのだ。その内容は、
     元日本軍兵士の証言や当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、
     さらに矛盾や不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを
     試みるというものだった》」

   『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、 
      血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
    「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』…の宮島みつや氏の記事
     【逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍南京での行為を
     「虐殺以外の何物でもない」と】」 
    《右派の“南京大虐殺なかった”という歴史修正主義に対する強い批判
     こうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、
     はっきりと批判…満州にいた日本の舞台の実写映画…ほんとうに目を
     覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう》。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

 事前に見ていた【NNNドキュメント】のWebページには、サブタイトルの記述はありませんでした。その隠されていたサブタイトルは「歴史修正を検証せよ」でした。「政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた」…これは、アベ様らの「現代」への警鐘でもあるわけですが、《元日本軍兵士の証言や当時の日記といった“一次資料”》をもとに、現地検証やCGを交えたドキュメンタリーとなっています。
 清水潔さんのつぶやきは…:

   「清水 潔 @NOSUKE0607  5月12日
    NNNドキュメント
    「南京事件II」本日深夜です。
    日本は戦争の公式記録を焼却してしまい多くが失われた。
    防衛省の敷地からは大量の灰や焼け焦げた紙の束が見つかっている。
    残された兵士の肉声インタビューや陣中日記など一次資料を
    検証するとともに警鐘を鳴らす。
    https://www.youtube.com/watch?v=voimlbqfRUk」    
    (https://twitter.com/nosuke0607/status/995448598321029120

   「清水 潔 @NOSUKE0607  5月13日
    「南京事件」についての更なる詳細や、事件前後の日本やアジアの状況。
    またテレビ番組の取材経緯などについてはこちらの本でも触れています。
    (文春文庫)。Kindle版もあります。」
    (https://twitter.com/NOSUKE0607/status/995524139807981568

 「軍により「不許可」とされた写真…国民に知らされなかった」。
 幕府山捕虜銃殺の現場での検証。1937年12月16日。数十分に渡る銃撃。銃剣や刀を持った兵士が「突撃」…「処理」。翌日も銃殺は続いた。「阿鼻叫喚」。

   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
       NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
    《そして一枚の写真。65聯隊の日本兵が所有していたもので、欄外には
     「南京城外幕府山ノ捕虜」とある。銃剣を担ぐ日本兵のかたわらには、
     後ろで両手を縛られ、防寒着を着た捕虜の姿が。12月16日、捕虜は
     揚子江付近にあった中国軍の海洋施設に連行されたという。当時、
     機関銃の引き金をひいたという元日本兵の音声がある》

 現代に於いて、証拠を隠滅するようなアベ様らの粉飾国家が「歴史修正」を積極的に進める。そんなニッポンでは…「歴史を鏡にできない政治家ってどういう人? 井戸を濁らしてどうするの? 近隣諸国とどんな関係を築こうとしているのか」? アベ様ら歴史修正主義者に《平和なアジアという井戸を掘る意思があるようには思えない

   『●『「反日」とは何か ~中国人活動家は語る~』読了(3/3)
    《小泉純一郎や安倍晋三など、…アジア諸国民からの批判に開き直る
     一群の政治家…、日本人として空しい。彼らに、そもそも平和なアジア
     という井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい。むしろ、
     …彼らは先人の掘った井戸の水を濁らせているのだ、と》

   『●「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」
    《河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が
     訪問した際に「南京大虐殺は無かったのではないかと発言した
     その問題意識について、市長は記者会見で「子孫のため(歴史認識を)
     真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)の社会的、政治的使命だ
     と思っとります」と述べた。…
      二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けて
     スタートした日中歴史共同研究委員会は二年前、南京事件について
     「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」
     との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、
     日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」
     と両論を併記…》

   『●ニッポンは民主主義国家? 《明白な事実や数字を
         権力者が都合のいいように変え、信じ込ませようと》…
   『●「これは相当に見つけにくかろう」…というか、
     真に《不存在》な無い物(国民の信用)は見つけようがない
   『●『ペンタゴン・ペーパーズ』: 「報道の自由を守るには報道しかない」、
                    でも、沖縄密約と西山太吉記者…

   『●「だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた
      相当情けない国家」(阿部岳さん)だなんて、哀し過ぎる

    《そして世界からの我が国に対しての評価やレッテルは
     粉飾民主主義国家ということになろう》…恥ずかし過ぎる。
     《だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた
     相当情けない国家なのではないか》…あぁ、情けない。

   『●彼/彼女らにこそ「超監視」を! 「市民総出で見張り、
          がんじがらめにしておかなければ、危険すぎる」

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http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html

NNNドキュメント’18
2018年5月13日(日) 24:55【拡大枠】
南京事件Ⅱ 

かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。

ナレーター/湯浅真由美 制作/日本テレビ 放送枠/55分

再放送     
5月20日(日)11:00~ BS日テレ
5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
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●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」

2017年12月11日 00時00分23秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]



【記憶の澱/NNNドキュメント’17】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-73.html)。

 《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。…心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、その両方が存在しました》。

   『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
      「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」
   『●加害者性と被害者性の両面…
     米兵に《「ゴーホーム」と言ったが、「ご両親が待ってるよ」と付け加えた》
    《息子は元米兵。4回のイラク戦争派遣の合間に、名護市辺野古の
     キャンプ・シュワブに駐留した。そのゲート前で、米国在住の
     長島志津子さん(67)は1カ月間、戦争の愚かさを訴え続けた。
     「政治家にだまされないで」。息子の後遺症という被害者性と、
     歓迎されないまま沖縄に駐留した加害者性と》

 「強姦…、強姦…、強姦…、姦淫…」「殺さなくてもいい中国人を殺した…」「自分の子どもが、もしあんな殺され方をしたら、と思うと…」「22~23歳、25歳までの若い者が、戦車に対して急造の爆弾で飛び込む…これが沖縄戦の戦い」。
 そんな人殺しに、子や孫を行かせたいという親の気持ちを理解できない。戦争などという最悪な愚かな行為を肯定する政治屋の気が知れない。《戦争がもたらすもの》に何の想像も働かせない人達。

   『●自公お維キト支持者、「どうして、危険を回避してくれるような
                    リーダーがほしいとならないのだろうか?」

 リテラの記事【明石家さんまが「戦争のために税金を納めてるんじゃない!」「武器に金使うなら税金収めない」と国税局に抗議】(http://lite-ra.com/2017/12/post-3636.html)によると、《戦争に予算を使う政府に憤り、税務署に文句を言いに行ったことがあるというエピソードを語った。「一度、俺は税務署に文句言いに行ったことあるから。湾岸戦争のときにね、日本が何億って、アメリカに武器をつくる代金として渡したことがあるんですけど、そのときは税務署行って、『俺はね、人殺しのアシストしたくて働いてるんじゃない』と。『こんなもんに金使うんだったら、俺は納めません』って言うて。ほんなら、コーヒー出してくれはって、『それはうちじゃなくて、違うところに言ってください』って。で、コーヒーいただいて、『お疲れさーん』言うて帰ってきた。それは、もっと上のほうに、法律をつくる人に言わなあかんから」》。
 証拠隠蔽・虚偽答弁で昇格された佐川宣寿国税庁長官殿に聞かせてやりたいよ、全く。

 偽ウヨクや偽極右がいくら否定しても拭えぬ「加害者性」と、ロシア兵にによる《性の接待》による「被害者性」…。樹木希林さんの重いナレーションは…「私たち一人一人が被害者となり、加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も続いています…」。
 《戦争がもたらすものとは―。人々の記憶から、反戦を訴えます》。《記憶の澱》な歴史を正視せず、何の教訓も得ず、「加害者性」に対する反省も無く、《反戦を訴え》ることもしない…。

   『●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了
    「斎藤貴男さんの、少し悲壮感漂うエッセイ「囚われだらけの時代に」。
     『カルト資本主義』。『誘拐』や『不当逮捕』、『』。立松和博
     斎藤さんや本田さんがなぜ文春にという疑問?が・・・、《文春論調も
     体質も、しかし明確な保守であり、どうしても相容れない一線があるのを、
     本田さんは知っていた。鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」が
     一九七三年の大宅壮一ノンフィクション賞さえ受賞するに及んで
     彼は文春を離れていく》」

   『●「こりゃ違憲!」『週刊金曜日』
      (2012年11月23日、921号)についてのつぶやき
   『●原発推進: 国民が見えているとは思えない政権
    《また、行政改革相に就いた稲田朋美氏は「南京大虐殺」を否定し、
     東京裁判を「不法無効な裁判」と批判してきた。河野談話や
     村山談話の見直しは「戦後レジームからの脱却」を
     唱える安倍氏の持論だ》

   『●「日本の恥と呼ぶべき存在」
   『●「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」
    《河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が
     訪問した際に南京大虐殺は無かったのではないかと発言した
     その問題意識について、市長は記者会見で「子孫のため(歴史認識を)
     真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)の社会的、政治的使命だ
     と思っとります」と述べた。…
      二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けて
     スタートした日中歴史共同研究委員会は二年前、南京事件について
     「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」
     との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、
     日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」
     と両論を併記し》

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
   『●ジャーナリズムの矜持無きこんな「公共」放送なんて要らない!
    《…と語ったのは、作家の百田尚樹氏だ。南京大虐殺については
     「そんなことはなかった」と否定もした。しかも、東京都知事選の
     立候補者の応援演説の場だった》

   『●一国の首相が歴史修正主義者なんて恥ずかしいし、
            羞恥心の無さと自覚の無さという救いの無さ
    「《1937年の日本軍による南京大虐殺がなかったといまだに主張
     という記事に対して反論したそうです。ここの部分については
     歴史修正主義者ではないのかもしれません。世界に向けて
     発せられたその点のみは良かった」

   『●首相からして歴史修正主義者な国の文科大臣の「食言」
   『●日本社会は歪んでる: ネオナチやヘイトスピーチ集団に
                    「信奉」される議員が取り巻くアベ様
    《第2次安倍内閣の命取りになりかねないのが女性大臣や党幹部と
     極右活動家とのつながりだ。高市早苗総務相と稲田朋美政調会長が
     「国家社会主義日本労働者党」の代表者・山田一成氏と撮った
     ツーショット写真が海外メディアに報じられてしまった
      山田氏はヒトラーを崇拝する活動家。「民族浄化を推進しなければ
     ならない」「在日朝鮮人殲滅」など、ナチそっくりのスローガンを掲げ
     HPにカギ十字によく似たマークを掲げている。ユダヤ人への
     ホロコーストを「日本の南京大虐殺とまったく同じで、戦勝国がつくったデマ」
     と否定している。まさに日本版「ネオナチ」だ。一体、どんな人物なのか》

   『●『朝日』の「誤報」よりも、 
      誰が国際社会の印象を落としているでしょうか?

   『●「吉田調書と原発」 『週刊金曜日』
       (2014年10月10日、1011号)についてのつぶやき
   『●「「慰安婦」問題と言論弾圧」 『週刊金曜日』
          (2014年11月14日、1016号)について
   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
         NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
   『●『超・反知性主義入門』の小田嶋隆さんインタビュー、
             「そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候」
    《ユネスコの記憶遺産に南京大虐殺が登録された時、菅官房長官は
     分担金を減らすことを示唆しました。驚天動地の発言で、昔だったら
     クビが飛んでいると思う。虐殺した数についての議論はあってしかるべき
     だが、虐殺の事実そのものを否定したり、分担金を減らしてユネスコに
     圧力をかけるのは別次元の話でしょう。しかし、菅官房長官がああ言うのは、
     国民の方に『ユネスコはケシカラン』という応援の声があるのを感じたから
     だと思う。ああいう発言ができちゃう空気が、すでに存在しているんですよ》

   『●アレらの「ウヨク雑誌」「ウヨク広報機関」と比較にならぬほど、
      この真っ当な「左翼雑誌」=『通販生活』

   『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、
      血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
    「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』…の宮島みつや氏の記事
     【逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍南京での行為を
     「虐殺以外の何物でもない」と】」

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http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-73.html

NNNドキュメント’17
2017年12月3日(日) 25:05【拡大枠】
記憶の澱



先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。性暴力、捕虜の殺害、民間人の殺害、性の接待―。心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、その両方が存在しました。日本人女性が性暴力を受ける現場を目の当たりにした人にも、大陸を侵攻した元日本兵にも、性の接待をせざるを得なかった満洲開拓団の人々にも。戦争がもたらすものとは―。人々の記憶から、反戦を訴えます

語り/樹木希林 制作/山口放送 放送枠/55分

再放送
 BS・CSの再放送なし
 ※10/8放送の「放射能とトモダチ作戦」を再放送します。
   12月10日(日)11:00~ BS日テレ
   12月10日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
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●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」

2017年09月08日 00時00分15秒 | Weblog


レイバーネットのコラム【〔週刊 本の発見〕 『ペンとカメラ――時代と生きる』】(http://www.labornetjp.org/news/2017/0720hon)と、
【<木下昌明の映画の部屋>●佐古忠彦監督『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』 瀬長亀次郎にみる沖縄の戦後史】(http://www.labornetjp.org/news/2017/0822eiga)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>全国に響くカメジローの生きざま】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-565720.html)。

 《本書は木下昌明の7冊目の批評集…文字通り、身を挺して書く。その仕事のとりあえずの集大成が、本書である。これを読まずに、3・11以後の今を語ることはできない》。
 《以前に「筑紫哲也NEWS23」のキャスターを務めた佐古忠彦が監督し、TBSテレビが制作…瀬長は戦後一貫して米国の沖縄支配とたたかった人物》。
 《映画はガジュマルの映像から始まった。その木のように倒れない男の話だ。彼は、選挙で倒した“敵”を「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けた…瀬長亀次郎…▼瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度政治”を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない》。


   『●多分、アベ様は沖縄で三度敗れる・・・・・・
                踏みにじられる沖縄の民意
    《全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を
     守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに
     抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから、脈々とこの島で
     生きるものたちが受け継いできたもの

   『●「不屈」…「瀬長の口、耳、目を封じることはできても、
        八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」

 琉球新報の記事【「カメジロー」盛況 東京上映、初日立ち見も】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-563683.html)によると、《米統治下の圧政に不屈の精神で抗議する姿勢を貫いた瀬長亀次郎さんのドキュメンタリー「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督)…佐古監督は「瀬長さんの生きざまを通して沖縄の戦後史を知っていただくだけでなく、今の日本の在り方と照らしていろんなことに気付いてほしい」…。舞台には瀬長さんの次女・内村千尋さんも登壇し「右の人、左の人関係なく、父の生きざまに感銘を受けたとおっしゃってくれる人が多いが、父が亡くなってから調べるうちにすごさが分かった。父が頑張れたのは祖母から受けた愛情の影響が大きい」と話した。名護市辺野古の新基地建設などについて触れ「沖縄は今、大変なことが起きている。学習会や討論会を開いて沖縄のことを知ってほしい」と求めた》。

 木下昌明さんの批評集について、《著者にとって、映画は絵空事ではない。なぐさみの対象でもない。映画館は、彼にとって、生き方を示唆してくれる場所なのだ》。木下昌明さん、《いまがふんばりどきなのだ》。その木下昌明さんの『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』についての映画評の結び、《映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる》。

   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
    「レイバーネットの映画コラム【<木下昌明の映画の部屋>
     戦争の裏側を描く2本の映画~『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯』
     『ヒトラーへの285枚の葉書』】…《夫妻に一人息子の戦死の報が
     届くところから始まる。二人はそっけない軍事郵便に騙された
     と絶望するものの後の祭り…。ヒトラー政権が台頭するとき、
     市民がみな反対していれば、誰もが一人一人捕らえられて
     死んでいくことはなかった。…ドイツの独狼さん…
     「黙るのは罪、行動するのは義務」…。いまがふんばりどきなのだ》」


 瀬長亀次郎さんから《受け継いできたもの》は《不屈》《一人のヒーローではなく人々の結集》。森を殺すこと、海を殺すこと、番犬様の基地の押し付け、《大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》、《統合エアシーバトル構想》…人々は分断されることなく、《不屈》に《結集》するしかない、ガジュマルの様に。《沖縄に自生するガジュマルは何本もの細い幹を束ねたようにして一本の大木となっている。これを「どんな嵐にも倒れない、沖縄そのもの」…映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる》。
 「本土」は見て見ぬ振りすることなく、この腐敗したアベ様政権を一日も早く倒さなければ、ニッポンは御終い。《瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度(そんたく)政治”を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない》。

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http://www.labornetjp.org/news/2017/0720hon

〔週刊 本の発見〕 『ペンとカメラ――時代と生きる』
第1~第4木曜掲載・第14回(2017/7/20)

第14回 身を挺して書く
●『ペンとカメラ――時代と生きる』(木下昌明 績文堂 2017年6月刊 1800円)/評者=志真秀弘

 わたしは、信州の山家育ちだが、行きつけだった床屋のおじさんが、西部劇の話をしてくれたのを覚えている。ストーリーは忘れたが、ジョン・ウエイン、バート・ランカスター、アラン・ラッド、ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダなどなどの名演ぶりを想像した。田舎だったから映画館に気安くいくことはできない。そんな子供の私に、おじさんの話はわくわくする体験だった。

 本書は、そんな映画体験を文章によって味あわせてくれる。

 たとえば、「ジンネマン映画の魅力」を読もう。1934年、ナチス支配下のベルリンで反ファシズムと闘う幼なじみのユダヤ人富豪の娘ジュリアの要請に応じてアメリカ人作家リリアンが、パリから列車でベルリンに向かう。緊張感に耐えるリリアンの姿に、『真昼の決闘』の保安官や、『日曜日にはネズミを殺せ』の元ゲリラ隊長の緊張した内面が重なる。「逃げたくとも逃げずに耐えていく」生き方に、ファシズムに立ち向かう時代の精神のあり様を著者はみる。リリアン・ヘルマンは、赤狩りの時代に非米活動委員会議長宛てに良心を流行に合わせて裁断することはできないと手紙を送った。彼女の精神のありかは、映画の「へっぴり腰ではあれ、臆病をきらった」リリアンのそれとおなじだった。「私もリリアンのように生きたい」と著者は結ぶ。

 著者にとって、映画は絵空事ではない。なぐさみの対象でもない。映画館は、彼にとって、生き方を示唆してくれる場所なのだ。

 「南京事件 誰が虐殺を命じたか?」は、『ジョン・ラーベ――南京のシンドラー』をとりあげる。これは、「娯楽大作」だが、日本では右翼を恐れて劇場公開できなかった。この映画を木下は、ラーベの日記、当時の記録映画『南京』、中国映画『南京1937』、武藤章中将の遺著、日本テレビのドキュメント『南京事件 兵士たちの遺言』、レイバーネットTVの小野賢二の証言などによりながら、緊迫感に充ちた語りで、虐殺の責任者が誰かを明らかにする。一本の映画を、これだけ歴史的・実証的に解明し、問題の所在を摘出する映画批評を書くのは、もはや著者を置いてないのではないか。が、それだけではない。「私たちは、侵略戦争を克服できているのか」。みずからの生き方に結び付けて著者はそう問う。彼の本を読み、「深く生きよう」とフクシマ陽太郎が書く所以だろう。

 「親しいのになぜ憎しみ合うのか」は、映画『無頼無法の徒さぶ』のなかで、親しいからこそ憎しみが噴出する人間関係の不条理を、書いている。初め、わたしは、不条理を指摘するだけに留まっているのかと勘違いした。再読して、著者が、優劣や競争を越えた人間の関係を描こうとしていることに気づき、中野重治の詩「その人たち」をふと思い出した。「サヤ豆を育てたことについてかって風が誇らなかったように/また船を浮かべたことについてかって水が求めなかったように」の2行の思想に連なる著者の考えに感動した。

 本書は木下昌明の7冊目の批評集だが、前著『〈いのち〉を食う』と本書とで、彼の批評は、命と時代と世界をとらえて、それまでの仕事を超えた。彼の対象は、すでに映画に留まっていない。〈Ⅰ カメラは行動する〉で、ビデオカメラを手に、毎週金曜日国会前集会に赴く。〈Ⅳ 芸術運動――先駆者たちの仕事〉では、彼を育てた芸術運動の人と歴史とを再構成して自らの批評の生い立ちを証してみせた。文字通り、身を挺して書く。その仕事のとりあえずの集大成が、本書である。これを読まずに、3・11以後の今を語ることはできない。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日(第1~第4)に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美です。
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http://www.labornetjp.org/news/2017/0822eiga

木下昌明の映画の部屋>
●佐古忠彦監督『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
瀬長亀次郎にみる沖縄の戦後史

 沖縄に自生するガジュマルは何本もの細い幹を束ねたようにして一本の大木となっている。これを「どんな嵐にも倒れない、沖縄そのもの」と愛した男がいた。その大木のシーンから『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が始まる。

 男とは戦中、毎日新聞那覇支局の記者を務め、戦後はうるま新報(現・琉球新報)社長に就任、人民党結成に参加し、那覇市長となった瀬長亀次郎(1907~2001年)のこと。沖縄が日本に復帰する2年前から、初の衆院議員として国会でも活躍した。彼の波乱にとんだ生涯を、以前に「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターを務めた佐古忠彦が監督し、TBSテレビが制作したのが本作。

 映画は、テレビ局ならではの豊富な資料映像が使われ、本人の生前の貴重なインタビューをはじめ、彼とかかわった人々の証言を重ねている。瀬長は戦後一貫して米国の沖縄支配とたたかった人物で、彼を介して沖縄の知られざる戦後史も浮かび上がってくる。

 なかでも、その人となりを表す一枚の写真が目に焼きつく。それは琉球政府創立式典時のもの。全員が脱帽して起立しているのに、彼は一番後ろで着帽したまま腰かけている。創立の署名欄にも一人だけ捺印(なついん)していない。瀬長によると「米軍に占領された」ままの政府でしかなかったからだ、と。これ以降、米軍は彼を敵視し、刑務所に送り込む。その折に起きた囚人暴動で瀬長のとった行動が面白い。

 また、彼が結成に参加した人民党は人権を高く掲げた「ポツダム宣言」を基にしたものというのにも驚かされる。

 彼の行くところ、何万人もの人々が押しかけ、「瀬長一人が叫んだなら50メートル先まで聞こえる。ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば………」の有名な文句は人々の心をわしづかみしたという。

 映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる。(『サンデー毎日』2017年8月20・27日号)

※8月26日より東京・ユーロスペース他全国順次公開
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-565720.html

<金口木舌>全国に響くカメジローの生きざま
2017年8月31日 06:00

 映画はガジュマルの映像から始まった。その木のように倒れない男の話だ。彼は、選挙で倒した“敵”を「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けた

米統治下の圧政に抵抗した政治家瀬長亀次郎氏を描いた記録映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が好評だ。那覇市の桜坂劇場では長蛇の列ができ、東京でも連日満員だ

佐古忠彦監督は東京での舞台あいさつで沖縄と本土の「溝」に言及した。その大きな理由は、本土の人々の認識の中から「沖縄戦後史がすっぽり抜け落ちている」ことだと

▼本土のテレビのニュースで基地問題は瞬間の事象しか伝えない。このため、なぜ県民が声を上げているのかが伝わっていないと言う。「瀬長氏の生きざまを通して戦後史を知れば、その理由が分かる

▼「弾圧は抵抗を呼ぶ/抵抗は友を呼ぶ」。瀬長氏の言葉や行動に、沖縄における今の闘いの原点が凝縮されている。佐古氏はそれを知ることで、沖縄との溝が少しでも埋まるよう願った

▼瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度(そんたく)政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない
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●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?

2016年11月01日 00時00分42秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の宮島みつや氏の記事【逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判日本軍南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と】(http://lite-ra.com/2016/10/post-2651.html)。

 《右派の“南京大虐殺なかった”という歴史修正主義に対する強い批判…こうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、はっきりと批判…満州にいた日本の舞台の実写映画…ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう》。

 ウヨクが《「左翼」と批判》し、「揶揄」した《い宮様》の死、鮮血で「」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
 『サンデーモーニング』(2016年10月30日)の「風をよむ」のコーナー、《偽りを述べる者が/愛国者とたたえられ/真実を語る者が/売国奴とののしられた世の中を/私は経験してきた (中略)/それは過去のことだと/安心してはおれない/つまりそのような先例は/将来も同様な事象が/起こり得ることを示唆している/「日本のあけぼの」より》。さて、《い宮様》は、現在進行形のキナ臭いアベ様の「政」を、どう思っておられたのだろう?

   『●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了
    「斎藤貴男さんの、少し悲壮感漂うエッセイ「囚われだらけの時代に」。
     カルト資本主義』。『誘拐』や『不当逮捕』、『立松和博
     斎藤さんや本田さんがなぜ文春にという疑問?が・・・、《文春論調も
     体質も、しかし明確な保守であり、どうしても相容れない一線があるのを、
     本田さんは知っていた。鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」が
     一九七三年の大宅壮一ノンフィクション賞さえ受賞するに及んで
     彼は文春を離れていく》」

   『●「こりゃ違憲!」『週刊金曜日』
      (2012年11月23日、921号)についてのつぶやき
   『●原発推進: 国民が見えているとは思えない政権
    《また、行政改革相に就いた稲田朋美氏は「南京大虐殺」を否定し、
     東京裁判を「不法無効な裁判」と批判してきた。河野談話や
     村山談話の見直しは「戦後レジームからの脱却」を
     唱える安倍氏の持論だ》

   『●「日本の恥と呼ぶべき存在」
   『●「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」
    《河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が
     訪問した際に「南京大虐殺は無かったのではないかと発言した
     その問題意識について、市長は記者会見で「子孫のため(歴史認識を)
     真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)の社会的、政治的使命だ
     と思っとります」と述べた。…
      二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けて
     スタートした日中歴史共同研究委員会は二年前、南京事件について
     「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」
     との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、
     日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」
     と両論を併記し》

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
   『●ジャーナリズムの矜持無きこんな「公共」放送なんて要らない!
    《…と語ったのは、作家の百田尚樹氏だ。南京大虐殺については
     「そんなことはなかった」と否定もした。しかも、東京都知事選の
     立候補者の応援演説の場だった》

   『●一国の首相が歴史修正主義者なんて恥ずかしいし、
            羞恥心の無さと自覚の無さという救いの無さ
    「《1937年の日本軍による南京大虐殺がなかったといまだに主張
     という記事に対して反論したそうです。ここの部分については
     歴史修正主義者ではないのかもしれません。世界に向けて
     発せられたその点のみは良かった」

   『●首相からして歴史修正主義者な国の文科大臣の「食言」
   『●日本社会は歪んでる: ネオナチやヘイトスピーチ集団に
                    「信奉」される議員が取り巻くアベ様
    《第2次安倍内閣の命取りになりかねないのが女性大臣や党幹部と
     極右活動家とのつながりだ。高市早苗総務相と稲田朋美政調会長が
     「国家社会主義日本労働者党」の代表者・山田一成氏と撮った
     ツーショット写真が海外メディアに報じられてしまった
      山田氏はヒトラーを崇拝する活動家。「民族浄化を推進しなければ
     ならない」「在日朝鮮人殲滅」など、ナチそっくりのスローガンを掲げ
     HPにカギ十字によく似たマークを掲げている。ユダヤ人への
     ホロコーストを「日本の南京大虐殺とまったく同じで、戦勝国がつくったデマ
     と否定している。まさに日本版「ネオナチ」だ。一体、どんな人物なのか》

   『●『朝日』の「誤報」よりも、
      誰が国際社会の印象を落としているでしょうか?

   『●「吉田調書と原発」 『週刊金曜日』
       (2014年10月10日、1011号)についてのつぶやき
   『●「「慰安婦」問題と言論弾圧」 『週刊金曜日』
          (2014年11月14日、1016号)について
   『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
         NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』
   『●『超・反知性主義入門』の小田嶋隆さんインタビュー、
             「そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候」
    《ユネスコの記憶遺産に南京大虐殺が登録された時、菅官房長官は
     分担金を減らすことを示唆しました。驚天動地の発言で、昔だったら
     クビが飛んでいると思う。虐殺した数についての議論はあってしかるべき
     だが、虐殺の事実そのものを否定したり、分担金を減らしてユネスコに
     圧力をかけるのは別次元の話でしょう。しかし、菅官房長官がああ言うのは、
     国民の方に『ユネスコはケシカラン』という応援の声があるのを感じたから
     だと思う。ああいう発言ができちゃう空気が、すでに存在しているんですよ》

   ●アレらの「ウヨク雑誌」「ウヨク広報機関」と比較にならぬほど、
      この真っ当な「左翼雑誌」=『通販生活』


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http://lite-ra.com/2016/10/post-2651.html

逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判 日本軍南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と
宮島みつや 2016.10.28

 昭和天皇の末弟で、今上天皇の叔父にあたる三笠宮崇仁親王が、昨日27日、心不全により逝去した。享年100歳だった。一部メディアは、崇仁親王の先の戦争に対する反省の念や、戦争反対への思いなどを伝えているが、その発言は、マスコミが報じている以上に踏み込んだものだった。崇仁親王は、いまこの時代を支配している右傾化に対して、早くから警鐘を鳴らしてきたとさえ言える。
 それを象徴するのが、右派の“南京大虐殺はなかった”という歴史修正主義に対する強い批判だろう。
 1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1934年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、このように述べている。

   「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが
    問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すこと
    と書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを
    受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして
    銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を
    聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだった
    のかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

 このインタビューが収録された当時は、羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っているなどと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。
 とくに、日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、論者・研究者によってその人数に20万人から数百人、そしてそもそも虐殺は存在しなかったといういわゆるマボロシ論まで論じられていた。その“数字”をとりたてる流れは現在も続き、現日本政府もまた「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。
 だが、崇仁親王はこうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、はっきりと批判したのだ。さらに同インタビューでは、自身の南京での従軍経験としてこうも述べている。

   「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の舞台の実写映画を
    見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、
    たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、
    毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる
    場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」

 言うまでもなく、崇仁親王が戦争犯罪を正視し、歴史修正主義をけん制したのは、再びこの国が戦争をすることがないようにという強い思いがあったからだ。1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。

   〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。
    いわば聖戦というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の
    人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここに
    あげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、
    中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とは
    おもいつかない結果を招いてしまった〉

   〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が事実とはおよそ
    かけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、
    いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか
    ということである〉

 昨年、ユネスコ世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されたことに対して、ユネスコへの分担金を留保するという報復に出た安倍首相にこそ聞かせたい言葉だ。だが、そうした誠実な態度を貫き通した崇仁親王に対し、これまで右派はい宮様などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、“これは日本軍を傷つけるものだ”という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。
 しかし、崇仁親王はイデオロギーから発言したわけではない。崇仁親王がオリエント史などの歴史研究を愛し、大学の教壇にも立ったことはよく知られているが、その根本には、たとえそれがどれほど自分にとって正視し難い事実であったとしても、歴史には真摯に向き合わなければならないという覚悟があった。そしてなにより、崇仁親王自身が皇族という極めて特殊な立場にありながら、“権威”が大衆を惑わすことそして自由な言論が封鎖されることこそ民主主義にとって一番の障壁であると、60年以上前から指摘してきた。
 マスコミはあまり取り上げないが、崇仁親王の思いが、皇室と国民の垣根を越える“民主主義”にあったことは明らかだ。たとえば1952年の「婦人公論」(中央公論社、当時)2月号に掲載された「皇族と自由」と題した聞き書きのなかで、崇仁親王は、昭和天皇の地方巡幸の際に警官が万歳しない人に対して叱りつけたという話を受けて、「これでは少しも人間と人間との感情が流れてきません。こんなとき号令をかけられた人がなぜ抗議しないのでしょう」「同じ人間同しなのですからハダカとハダカでぶつかり合ってほしい」としたうえで、「これが民主主義の基礎であることはいうまでもありません」と語っている。
 あるいは1966年の「女性自身」(光文社)のインタビューでは、皇室の民主化の停滞を嘆きながら、侵略戦争の認識についてこう述べている。

   「太平洋戦争が終わったときには、もうこれで地球上から悲惨な戦争は
    いっさいなくなったのだと思いましたが、現状をみると、まことにあさはかな考え
    だったことがわかります。
      どんな大義名分をつけてもしょせん戦争は殺人です。人を殺すこと
    最大の罪悪です。戦争放棄を明記した新憲法の精神は、いつまでも大切に
    しなければなりません
 

 しかし、2016年の日本はどうか。安倍政権はメディアに圧力を加え、言論弾圧まがいの行為を繰り返し、さらに憲法を変えてこの国を戦争へと導こうとしている。そして、天皇の「生前退位」についても一代限りの特別法でお茶を濁し、抜本的な天皇や皇族の人権問題には決して触れようとしない。さらには、国民の多くはそんな安倍政権を支持し続け歴史修正やその強権政治への国内外の批判に対しては、束になって反日だと襲いかかる。まるで、みずから民主主義を手放そうとしているかのようだ
 非民主的な存在である皇族のほうが国民や政治家よりよっぽど自由や人権、民主主義について考えを巡らし、また、負の歴史を正面から見据えていた。その歪な現実を、わたしたちはよく受け止めなくてはならない。

(宮島みつや)
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●ギャラクシー賞受賞: 「報道への圧力が高まるテレビ界の危機的状況に対し、警鐘を鳴らす…」

2016年06月19日 00時00分51秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の都築光太郎氏による記事【報ステ、国谷のギャラクシー賞受賞でネトウヨ=安倍応援団が「偏向報道大賞」と攻撃! その権力の犬ぶりに絶句】(http://lite-ra.com/2016/06/post-2305.html)。

 《例の極右団体「…」が、…などと攻撃していた。このような団体が激怒するという点でその報道の正当性が浮き彫りになるかのようだ…。今回の『報ステ』受賞は、報道への圧力が高まるテレビ界の危機的状況に対し、警鐘を鳴らすという意味合いも込められていた》

 アベ様の取り巻きの例の「ト」な団体がまたしても、「ト」な動き。心ある報道機関、ジャーナリスト、その他、「ト」な団体の攻撃を受けている皆さん、どうか負けないでもらいたいです。攻撃されればされるほど、その報道や言論の《正当性》が示される訳で、本ブログ主は何の力にもなりはしませんけれども、陰ながら強く支持しています。

   『●岸井成格氏を支持する: 「TBSは今日、再び、
       死んだに等しいと思います」なんてことが起こらぬために
   『●「TBSは今日、再び、死んだに等しいと思います」
      なんて方向に進んでいないか? 報道は見て見ぬふり?
   『●スガ殿が「粛々」とジャーナリズムを破壊していく
             ~「安倍政権の圧力、狡猾なやり口」~
   『●いま、「陰謀論丸出し」でアベ様の取り巻きが
        攻撃を開始: 吉永小百合さんを断固支持する
   『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
       政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」

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http://lite-ra.com/2016/06/post-2305.html

報ステ、国谷のギャラクシー賞受賞でネトウヨ=安倍応援団が「偏向報道大賞」と攻撃! その権力の犬ぶりに絶句
【この記事のキーワード】ネトウヨ, 都築光太郎 2016.06.04

     (古舘プロジェクト公式サイトより)

 昨日もお伝えしたように、『報道ステーション』(テレビ朝日)のふたつの特集が、2日に発表された第53回ギャラクシー賞・テレビ部門大賞に輝いた。受賞した特集は、ジョセフ・スティグリッツ教授がインタビューに応じ、アベノミクスを批判した「ノーベル賞経済学者が見た日本」、安倍首相が憲法改正で新設を目論んでいる緊急事態条項ヒトラーが独裁のために悪用した国家緊急権の共通性を暴いた「独ワイマール憲法の“教訓”」だ。

 いずれも視聴者の知る権利を守る重要な内容で、この『報ステ』大賞受賞には「納得の受賞」「真摯な報道が認められることは良いこと」と評価する声が挙がったが、一方でネット右翼がまたしても猛反発。「“偏向報道”大賞だ」とバッシングを繰り広げている

 そもそも、この「独ワイマール憲法の“教訓”」は、例の極右団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が、以前より「洗脳報道」「国際的なスキャンダル」「安倍総理がヒトラーなのではない、古舘伊知郎氏こそがゲッペルスではないか?!」などと攻撃していた。このような団体が激怒するという点その報道の正当性が浮き彫りになるかのようだが、今回、『報ステ』が受賞したことにくわえて、大賞に次ぐ優秀賞3本のひとつにNNNドキュメント'15 南京事件 兵士たちの遺言(日本テレビ)が選ばれたこと、さらに特別賞を『クローズアップ現代』元キャスターの国谷裕子氏が受賞したことから、ネトウヨが大挙して「左がかっている」「日本の国益を損ね貶める」「偏りは偏りを選ぶんだね」とギャラクシー賞を非難。「“ギャラクシー”ってことはサムスン=韓国が関わっている」などという事実無根の陰謀論までが飛び出す始末となっている。

 まさに「やれやれ」と言うほかないが、はたしてネトウヨは、今年の優秀賞に選ばれた人気バラエティ番組『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)や、第51回に大賞に輝いた『あまちゃん』(NHK)といった番組も「左がかっている」とでも言うのだろうか。さすがにそれは無理がありすぎる話だ。というより、ギャラクシー賞が一貫してこうしたバラエティやドラマも報道やドキュメンタリーと同じ土俵の上で評価してきたことを考えると、じつにフラットな賞であることがわかるはずだ。

 しかも、まるでギャラクシー賞が昨日今日できたような賞だと思っている輩も多いようだが、1963年に創設された歴史ある賞であり、その独立性の高さから、放送界ではもっとも権威ある賞として有名なものだ。

 “お手盛り”ではなく、放送批評家やメディア研究者などが自主独立して放送を論じる。このように長きにわたって日本の放送批評をリードし、信頼を高めてきたギャラクシー賞が、ニュース番組として初めて『報ステ』を大賞に選んだことには大きな理由があるはずだ

 実際、2日の贈賞式では、テレビ部門委員長の丹羽美之・東京大学大学院准教授は、古舘氏や国谷氏のキャスター降板について「このまま自由にものが言えなかった時代に逆戻りしてしまうのではないか、という不安も大きくなりました」とテレビに対する視聴者の実感を語り、「私たちはものがはっきり言える、言いたいこと、言うべきことをきちんと言える、そういうテレビ番組を応援したいと思っていますし、そういう番組がつくられていくことがこの国のテレビジャーナリズム、民主主義の成熟度を図るバロメーターになるという思いで選考に当たりました」と述べた。

 つまり、今回の『報ステ』受賞は、報道への圧力が高まるテレビ界の危機的状況に対し、警鐘を鳴らすという意味合いも込められていたのだろう。逆に言えば、今回受賞した『報ステ』の特集を「偏向報道だ!」と叫ぶ者たちの声が強まれば権力への忖度を促すことになっていく。だが、真っ当なジャーナリズムは本来、「言うべきことをきちんと言える」ものであり、そうした放送こそが評価に値するという姿勢をあらためて示した今回の選考は、左とか右といった思想性云々ではなく放送・報道のあるべきかたちを問うたのだ。

 現に、受賞した番組制作者たちは、テレビの現状を物語るスピーチを行っている。今回、「徹底した現場主義と映像媒体の長所を生かした王道の調査報道」と評価を受けた『南京事件』のディレクター・清水潔氏は、「忖度の“そ”の字もないような番組をつくってみたいと思いました」と語り、さらに、官邸からの圧力によって古賀茂明氏の降板とともに番組から更迭された『報ステ』の元プロデューサー・松原文枝氏は、制作者のひとりとして壇上にあがると、放送界は窮屈になりつつあると指摘。その上で「受賞はこういう番組づくりを続ける励みになる」と喜びを語った。

 権力に忖度しない番組づくりを評価することは、放送の自由が危ぶまれるいまこそ、重要な意味をもつ。それは国谷裕子氏の言葉からも感じられるものだ。国谷氏は『報ステ』の大賞受賞を受けて、「皆、臆せずに、伝え続けようという決意が伝わる授賞式だったなと思います」と言い、「問うべきことは問う、伝えるべきことは伝えるというこれまで自分がやってきたスタンスで良かったんだなとも思いました。それをやるのが報道なんだ、それだけの機運、情熱を感じました」と述べたという。

 国谷氏も古舘氏も番組を去ってしまったことを考えると、今回の受賞は皮肉な話でもあり、権力側の“不都合”を伝えてきたキャスターの不在がいかに大きな穴となっているかを際立たせるものとなった。しかし、あらためてジャーナリズムのあるべき姿をギャラクシー賞が示したことの意味は大きい

 だが、そうした放送を歪めようと躍起のネトウヨたちが、権力に代わって賞を貶めようとバッシングを行う、それもまた日本の現状だ。だからこそ、萎縮してはいけない番組をつくる側も、批評する側もこのような民主主義を破壊しようとする声に抗していくことが、今後、ますます重要になってくるだろう。

(都築光太郎)
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●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』

2015年10月13日 00時00分44秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の記事【安倍首相が否定したい南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で「事実」と証明! ところが番組告知は…】(http://lite-ra.com/2015/10/post-1564.html)。

 ツイッターなどで、南京大虐殺に関する『NNNドキュメント’15』が話題になっています。直ぐに消されてしまうかもしれませんが、Youtube映像のリンクはコチラ: 【【最新】南京事件の真相か】(https://www.youtube.com/watch?v=QsGC7Qi7Y-8)。


   【NNNドキュメント’15
    「シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言 55分枠」
     放送: 10月4日(日)
          25:10~
     制作: 日本テレビ
     再放送: 10月11日(日)
           11:00~
             BS日テレ
           10月11日(日)
           7:00~/24:00~
             CS「日テレNEWS24」
     古めかしい革張りの手帳に綴られた文字。
     それは78年前の中国・南京戦に参加した
     元日本兵の陣中日記だ。ごく普通の農民
     だった男性が、身重の妻を祖国に残し戦場へ
     向かう様子、そして戦場で目の当たりにした事が
     書かれていた。ある部隊に所属した元日本兵の
     陣中日記に焦点をあて、生前に撮影された
     インタビューとともに、様々な観点から取材した。

 読売系なのですが、いつも力作が多い。数少ないドキュメンタリー番組。新事実はないのかもしれませんが、この「ご時世」・「政治状況」下、テレビで取り上げた点が画期的かもしれません。《業界の失いつつある信頼》の回復への第一歩となるものでしょう。

 《『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みるというものだった》。


 東京新聞の記事【南京大虐殺、世界記憶遺産に登録 ユネスコが発表】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015100901002205.html)によると、「国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10日、旧日本軍による南京大虐殺に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表した。中国は従軍慰安婦問題の資料も登録申請していたが、見送られた」……そうだ。
 でっ、同じくリテラによると、【恥ずかしすぎる! 安倍政権が世界遺産否定のために「南京大虐殺はなかった」のトンデモ言説を世界に発信】(http://lite-ra.com/2015/10/post-1575.html)……だそうです、トホホ。

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http://lite-ra.com/2015/10/post-1564.html

安倍首相が否定したい南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で「事実」と証明! ところが番組告知は
【この記事のキーワード】 マスコミ, 小杉 みすず 2015.10.08

 「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」

 こんな驚愕の発言をしたのは、自民党の原田義昭・元文部科学副大臣だ。原田氏は、中国がいま、世界記憶遺産に「南京大虐殺」と「慰安婦」関連の資料を登録しようとしていることへの対策を検討する自民党「国際情報検討委員会」の委員長。今月2日の会議後、記者団に対しこのように語ったという。

 「存在自体を」「否定」というのは、つまるところ“慰安婦も南京大虐殺も全くなかった”という主張だ。これは政府の公式見解とも異なる問題発言だが、しかし、ほとんどのマスコミは深く追及するそぶりを見せないでいる。

 そんななか、奇しくもその2日後に初放映されたひとつのテレビドキュメンタリーが話題を呼んでいる。4日深夜放送の『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みるというものだった。

 「南京虐殺」あるいは「南京大虐殺」とも呼ばれる南京事件だが、とりわけ日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、これまで様々な意見や論争があった。その主たるものは、虐殺された中国人の人数についてだ。中国側は南京事件で30万人が殺害されたと主張している一方、現日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としつつも「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。

 日本国内では、特に70年代頃から盛んな論争が続いており、論者・研究者によっては20万人から数百人と、その数字に大きな差がある。さらにラディカルな右派は「そもそも南京虐殺はなかった」なる完全否定論を展開しており、歴史研究的側面よりも政治的イデオロギーが全面にでるきらいがあった。近年のネット上でも、ネット右翼らによる南京虐殺は存在しない”“すべてサヨクの捏造なる論が目につくが、この度の自民党・原田議員の発言もこれに近いものだと言えよう。

 だが『NNNドキュメント』が映し出したのは、明らかな日本兵による中国人捕虜虐殺の事実だった。

 まず番組が焦点を当てるのが福島県在住の小野賢二さんだ。小野さんは28年の長きにわたって南京事件を調査している。これまで200人以上の元日本兵の証言を聞いており、保管する彼らが残した日記はコピーを含めると31冊にものぼるという。

 そのなかのひとつに「支那事変日記帳」というタイトルがつけられた日誌がある。陸軍歩兵第65聯隊と行動を共にした、山砲兵第19聯隊所属の上等兵の遺品で、昭和12年9月から南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれている。そこには、ごく普通の農民だった男性が、妊娠中の妻を残して中国へ向かう様子から、民間人から物資を奪い、銃口を向ける様などが記述されていた。以下、カナ遣いなどを現代に改めて引用しよう。

 〈10月3日午後6時ごろ、いよいよ上陸して支那の地を踏んだ。
   空襲となり我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は火花を散らし、
   これが本当の戦争かと思った〉
 〈11月16日、食料の補給は全然なく、支那人家屋より南京米、
   その他の者を徴発して一命を繋ぎ、前進す〉
 〈11月17日、「ニャー」(注:中国人女性)を一人連れてきたところ、
   我らの目を盗んで逃げたので、ただちに小銃を発射し、
   射殺してしまう〉
 〈11月25日、実に戦争なんて面白い。酒の好きなもの、
   思う存分呑む事ができる〉

 そして12月、南京に迫った日本軍は、城塞を完全包囲する作戦にでる。13日、南京陥落。上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を捕虜にする。

 〈12月14日、途中、敗残兵を千八百名以上捕虜にし、
   その他たくさんの正規兵で、合計五千名の敗残兵を
   捕虜にした〉

 捕虜はその後1万人を超えたという。そして、上等兵の日記には、国際法で禁じられていたはずの“捕虜殺害”の模様が、克明に記されていた。

 〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の
   沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉
  〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉
  〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も
   突き刺したことであろう〉
  〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは
   鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉
  〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。
   刀を借りて首をも切ってみた〉

 番組では、小野さんが1994年、この上等兵にインタビューしたときの映像も放映された。彼ははっきりとした口調で、こう語っていた。

   「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって
    撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけれども、
    『なかに弾に当たんねえみたいなのがいるかもしれない
    から着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ
    突いて歩いた。おそらく30人くらい突いたと思うが。
    何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」

 南京事件の当事者によるリアリティのある証言だ。しかし、このドキュメンタリーの特筆すべきは、いち証言だけで結論付けず、徹底して“裏”をとろうとする姿勢にある。

 取材班は、上等兵の証言と、複数の別の元日本兵による日記とを重ね合わせる。すると〈一万七千二十五名の三分の一を引き出し射殺す〉(歩兵第65聯隊第八中隊少尉の日記)、〈揚子江畔にて銃殺〉(山砲兵第19聯隊第八中隊伍長の日記)など、小野さんが所有する日誌やコピー合わせて31冊の多くが、捕虜の銃殺に触れており、なかには不自然にも12月16日の記述だけが消されていた日記もあった。

 さらに、取材班は、上等兵が出発した兵庫・神戸港から上陸した上海までの時間が、日記の記述と一致することを確認。また防衛省の研究施設に所蔵されている軍の公式な記録とも重ね合わせ、当時の新聞報道の記述などとも矛盾がないこと確かめた。

 そして一枚の写真。65聯隊の日本兵が所有していたもので、欄外には「南京城外幕府山ノ捕虜」とある。銃剣を担ぐ日本兵のかたわらには、後ろで両手を縛られ、防寒着を着た捕虜の姿が。12月16日、捕虜は揚子江付近にあった中国軍の海洋施設に連行されたという。当時、機関銃の引き金をひいたという元日本兵の音声がある。

   「この方(捕虜)を“お客さん”て言うんだよね。
    『今晩はお客さんが来て、お客さんを処理するんだ』と。
    そして“ピー”という呼び子の、将校の呼び子の合図で、
    一斉射撃。ダダダダダダダと始まる」
    (歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士)

 翌17日も“処刑”は続いた。揚子江の別の河川敷で、65聯隊の伍長が後日スケッチした絵には、日本兵の機関銃が河原に集められた捕虜を半円形に囲んでいた。その余白にはこう書かれていた。

  〈このときの撃たれまいと人から人へと登り集まる様、
   すなわち人柱は丈余(3メートル以上)になっては崩れ、
   なっては崩れした。その後片はしから突き殺して、
   夜明けまでそのところに石油をかけて燃やし、
   柳の枝をかぎにして1人1人ひきずって
   川の流れに流したのである〉

 同じ現場にいたという、2人の元二等兵の証言もこれと一致する。

   「とにかく1万人も(捕虜を)集めるっちゅんだから。
    相当広い砂原だったね」「有刺鉄線か何かを周囲に
    貼ったでなかったかな」
    (歩兵隊65聯隊元第一大隊本部行李系二等兵)

   「機関銃を載せて高くしてね。砂で、砂を積んで盛って」
   「サブロクジュウハチ……200発ぐらい撃ったのかな」
   「ダダダダダダダ、一斉に死ぬんだから」
    (歩兵第65聯隊元第一機関銃隊二等兵)

 さらに取材班は、小野さんが所蔵する資料だけでなく、独自に元海軍兵士に会いに行く。当時18歳だった元海軍兵は、南京戦に参加した際、揚子江岸での銃殺を目撃していたという。それは12月18日のこと。“処刑場”はまた別の揚子江沿岸部だった。

   「12月18日、午後の2時ごろに、突然機関銃の射撃音が
    響いてきて。河川敷のなかに火を噴く機関銃と、
    倒れてわいわい……」
   「いわゆる陸軍のね、重機関銃の銃座が片っ方にあって。
    河川敷にトラックで運ばれてきた25人か30人程度の人が
    重機関銃の標的にされて、撃ち殺されてたということですね」
   「はじめはダダダンダダダンダダダンと」
   「やがてはダダダン、ダダダン、ダーン、ダーン……ともう、
    残り少なくなった弾を一発でボン、ボンと狙い撃ちして
    いるようなのが……音聞いてわかるというふうに慣れてしまった」

 このとき海軍が南京にいたことも軍の公式資料と一致している。この元海軍兵は南京戦の後、日本へ戻ると、海軍士官からある注意を受けたと証言した。

   「南京で見たことは決して口外するな、ということを注意されましたね」

 これらの証言や日記などの一次資料をクロスさせると、12月16日から18日の3日間だけでも、百や千ではすまない大勢の中国人捕虜が殺されたことは間違いないだろう。ようするに、捕虜を大量に殺害したあと、死体を川に流して処理するため、南京城に近い揚子江の河川敷が“処刑場”に選ばれたのだ。

 安倍政権が本音では否認したい「南京事件」は、すくなくともネット右翼や右派論壇の一部がいうような「存在自体を否定」されるようなものではなかったのだ

 そして今回、歴史問題を扱うとすぐさま「反日偏向報道!」と一斉にバッシングされるテレビメディアで、ここまで踏み込んだドキュメンタリーを放映した『NNNドキュメント』には、手放しで賞賛を送りたい。番組のチーフディレクターである清水潔氏は、桶川ストーカー殺人事件など、警察・司法発表に依存しない調査報道で、なんどもスクープを重ねてきたジャーナリストだ。今回も、ひとつの証言や文献に頼ることなく、実際に現地・南京を取材し、中国人女性による証言を得た後も彼女のふるさとを訪ね家族の墓を確認するなど、徹底した裏付け調査を行っていた。その真摯な姿勢こそ、いまのマスメディアに求められているものだろう

 ただ、ひとつだけ気になるのは、今回の放送のタイトルが、事前の新聞のラテ欄では「しゃべってから死ぬ 封印された陣中日記」とされていて、「南京」の文字がなかったことだ。先週の『NNNドキュメント』の最後に流された予告編でも「南京」の言葉は一言も出てこず、番組公式サイトでも事前に告知されていなかった。ようするに、4日深夜の初放映時になって初めて「南京事件 兵士たちの遺言」という真のタイトルが明かされたわけだが、ここに何か裏を感じるのは穿ち過ぎだろうか。

 権力を忖度し、ネット上の批判に怯え、萎縮した報道を続けるテレビ業界だ。その圧力を避けようとしたのか、真相は不明だが、こうした番組が継続して放送されれば、業界の失いつつある信頼も取り戻せるはず。今後も期待しつつ、まずは『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』の再放送を待ちたい。

小杉みすず
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