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●「軸がブレず、人心をワシ掴みに」するような「瀬長亀次郎みたいな政治家が今の国会にいたら」…

2017年11月22日 00時00分49秒 | Weblog


日刊ゲンダイのインタビュー記事【注目の人 直撃インタビュー/沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も見てほしい」】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213100)。

 《先月公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる。米統治下の沖縄で圧政に抗議する姿勢を貫いた政治家・瀬長亀次郎にスポットを当てたドキュメンタリーだ》。

 ガジュマルと瀬長亀次郎さん「不屈」の精神。《瀬長亀次郎みたいな政治家が今の国会》にいるか? 《亀次郎のように軸がブレず、人心をワシ掴みにして、「よくぞ国民の気持ちを代弁してくれたと拍手喝采されるような政治家が見当たりません。亀次郎みたいなブレない政治家はこの国でも求められているのかもしれません》。
 木下昌明さんの『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』についての映画評の結び、《映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる》。《生物多様性の生きた教科書》な沖縄の「森」や「海」を何の躊躇もなく殺し、さらには、沖縄に番犬様を押し付け、基地の恒久化を「謀る」。「統合エアシーバトル構想」のために戦争の「防波堤」を押し付ける…《沖縄を取り巻く状況は何ひとつ変わっていない》ことを、「本土」は知らないし、知ろうともしない、知っても無視。瀬長亀次郎さん…「本土」の人こそ、知るべき人物。

   『●多分、アベ様は沖縄で三度敗れる・・・・・・
                踏みにじられる沖縄の民意
    《全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を
     守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに
     抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから、脈々とこの島で
     生きるものたちが受け継いできたもの

   『●「不屈」…「瀬長の口、耳、目を封じることはできても、
        八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」
   『●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…
     「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213100

注目の人 直撃インタビュー
沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も見てほしい」
2017年9月11日

     (8月に公開された映画「米軍が最も恐れた男
      ~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる(C)日刊ゲンダイ)

 先月公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる。米統治下の沖縄で圧政に抗議する姿勢を貫いた政治家・瀬長亀次郎にスポットを当てたドキュメンタリーだ。8月12日に沖縄で先行上映されると、公開初日は100メートル以上続く行列ができ、定員300席が満席になった。監督は「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、沖縄の基地問題の取材を20年以上続けてきた佐古忠彦氏だ。


  ――どうして“カメジロー”を取り上げようと思ったのですか?
 瀬長亀次郎は今も紛れもなく沖縄のヒーローなんです。戦後、沖縄人民党の結成に参加した彼は、琉球政府創立式典でひとりだけ宣誓と脱帽を拒み、米軍に目をつけられ、1954年10月に投獄されます。刑期を終えると、56年12月に那覇市長に当選しますが、再び米軍によって強引に失職させられてしまう。しかし、彼は不屈の精神を忘れなかった。米軍統治下の圧政に対し、闘い続けました。

  ――不屈の人ですね。
 戦後初の沖縄選出の衆院議員として当時の佐藤栄作首相に堂々と国会論戦を挑みました。演説がバツグンにうまく、ユーモアと方言を交えた米軍糾弾に沖縄県民は拍手喝采しました。演説会があると、家族総出で「今日は亀次郎があるよ」と、イベントみたいな感じで喜んで出かけたというから相当なものですね。稲嶺恵一元沖縄県知事も「高校生のころの憧れの人」とファンであることを公言しています。

  ――昨年8月、TBSで亀次郎に関するドキュメンタリー番組を放送した時に、ものすごい反響があったことが映画化のきっかけだと聞きました。
 深夜の49分間の番組だったのですが、数えきれないほどのメールと手紙で励ましや感想をいただきました。

  ――今度は映画が沖縄でも反響を呼んでいます。
 3年前の沖縄県知事選(2014年11月)で保革の構図が崩れてからの沖縄を取り巻く「空気」が、亀次郎が活躍した60年前と似ているのかもしれません。

  ――具体的にどんなところでしょう。
 前知事の仲井真弘多さんが辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことによる市民の怒りが、翁長知事の誕生につながったわけです。この時、私は沖縄で取材をしていました。亀次郎が言っていたことのひとつに「小異を捨てずに大同につく」というものがあります。それぞれ異なる考えは持ちつつも、ここぞというときにはひとつになりましょうという意味です。もちろん、「瀬長亀次郎=翁長知事」ではありませんが、“オール沖縄”や現代の県民大会の原点が亀次郎の時代にあり、そのころの空気は、今にそのまま受け継がれているんじゃないでしょうか。


瀬長亀次郎みたいな政治家が今の国会にいたら

  ――亀次郎みたいな政治家が今いれば、国会ももっと面白くなるでしょうね。
 亀次郎は権力に堂々とモノを言い、立ち向かいました。佐藤首相との国会論戦でもひるむことなく対峙し、さまざまな答弁を引き出しました。時の総理を同じ土俵に引っ張り出し、時にタジタジにさせる様子を見て、沖縄の人には胸にストンと落ちるものがあったのだと思います。最近の国会を見ていると、亀次郎のように軸がブレず、人心をワシ掴みにして、「よくぞ国民の気持ちを代弁してくれたと拍手喝采されるような政治家が見当たりません。亀次郎みたいなブレない政治家はこの国でも求められているのかもしれません。

  ――亀次郎を通して沖縄の戦後史を描けば、なぜ、沖縄の人が基地問題に声を上げ続けているのか、本土の人にも分かってもらえるかもしれないと考えたそうですね。
 報道番組に20年以上携わってきて、基地問題の理解について、沖縄と本土で大きな隔たりがあることをもどかしく感じてきました。沖縄でなぜ辺野古移設に反対の声が上がるのかがよく分からないまま、反対運動を批判する人も見受けられます。辺野古をめぐる国との裁判で、翁長知事を裁判所へ送り出すとき、熱い“翁長コール”が起きるのを不思議に見ている人もたくさんいるのではないでしょうか。こうした基地問題の全体像を広く多くの人に伝えるには、映画という手法がいいのではと思い、会社(TBSテレビ)に企画書を提出しました。

  ――映画化にあたってどんな取材をしましたか。
 映画初監督といっても、基本的に自分と沖縄在住の音声マンとカメラマンの3人での追加取材と撮影が中心。週末を使って沖縄と東京の行き来を繰り返しました。

  ――新事実はありましたか?
 公文書館にある米軍の秘密資料を読み直したり、亀次郎の次女で民衆資料館「不屈館」館長の内村千尋さんにインタビューしたり、亀次郎が獄中でつけたノート200冊に及ぶ日記の読み直しが中心でした。改めて実感したのは、沖縄を取り巻く状況は何ひとつ変わっていないということです。

  ――亀次郎の日記には「祖国復帰」という単語がたくさん出てきます。
 占領下の27年間、亀次郎がどんな思いで復帰を望んでいたかをヒシヒシと感じました。最近、沖縄独立論を時に耳にします。あれだけ祖国復帰を求め続けた沖縄県民が、ようやく帰った先はどうだったのか。1995年に米兵による少女暴行事件が起き、沖縄県民の間にくすぶっていた感情が爆発しました。その後、今に至るまで、民主党政権が誕生するなどの変化はあったものの、基本的な構造は何も変わらず、沖縄の人は不条理を感じ続けています

  ――それが沖縄での映画のヒット要因ですか。
 先行公開された沖縄では「亀次郎さんを取り上げてくれてありがとう」「亀次郎さんに会いに来た感じがした」とお礼をいただきました。亀次郎は今も沖縄で愛され続けているし、映画のテーマは昔話のようでいて、今日性があると思います。


■「最低でも県外」の鳩山元首相を評価

  ――普天間基地の県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫元首相に対する評価も本土と沖縄ではまるっきり違うそうですね。
 「最低でも県外」と言ったことでメチャクチャな言われ方をして首相を辞任した鳩山さんですが、沖縄では評価する声が今もあります。県外移設を果たせなかったことを残念がる人がいる一方、「あそこでああ言ってくれなかったら、今ごろもう辺野古に基地ができていただろう」と言う人もいます。基地問題を本土の問題として引き上げ、一石を投じてくれたということなんだと思います。

  ――映画は東京・渋谷で上映され、大阪、横浜、仙台、福岡など全国で順次公開されます。
 米国の本土での占領体制が終わると、朝鮮戦争の後方部隊として岐阜と山梨に置かれていた海兵隊の基地は、占領下に置かれていた沖縄に移りました。それは本土で激しい反対運動が起きたためです。結果的に沖縄に負担を強いる措置だったことを忘れないでほしいですね。ぜひ本土の人にも見てほしい

  ――基地問題は沖縄の問題だけではないと。
 当然だと思います。羽田空港を離着陸する民間航空機が、横田基地の米軍の空域を避けて迂回するために、どれだけ高額な燃料代がかかったり、飛行ルートの制限を受けていることか。亡くなった筑紫哲也さんはよく「日本は独立国なのに、なぜ、他国の軍隊がいまだに駐留しているのか」と言っていました。だったら米軍を日本から撤退させればいいのかという安全保障の問題になるわけですが、それがゴチャ混ぜになって主権を回復していったのが1950年代の日本。そこに踏み込み過ぎると隘路に入って極めて難しい議論になってしまうのですが、本土の人も沖縄の基地問題を身近な問題として捉えてほしいですね。

(聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)


▽さこ・ただひこ 1964年生まれ。96~2006年、「筑紫哲也NEWS23」サブキャスター。「Nスタ」「報道LIVEあさチャン!サタデー」などに出演。映画はユーロスペース(渋谷)で上映中。9月16日から第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)で順次公開。
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●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」

2017年09月08日 00時00分15秒 | Weblog


レイバーネットのコラム【〔週刊 本の発見〕 『ペンとカメラ――時代と生きる』】(http://www.labornetjp.org/news/2017/0720hon)と、
【<木下昌明の映画の部屋>●佐古忠彦監督『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』 瀬長亀次郎にみる沖縄の戦後史】(http://www.labornetjp.org/news/2017/0822eiga)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>全国に響くカメジローの生きざま】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-565720.html)。

 《本書は木下昌明の7冊目の批評集…文字通り、身を挺して書く。その仕事のとりあえずの集大成が、本書である。これを読まずに、3・11以後の今を語ることはできない》。
 《以前に「筑紫哲也NEWS23」のキャスターを務めた佐古忠彦が監督し、TBSテレビが制作…瀬長は戦後一貫して米国の沖縄支配とたたかった人物》。
 《映画はガジュマルの映像から始まった。その木のように倒れない男の話だ。彼は、選挙で倒した“敵”を「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けた…瀬長亀次郎…▼瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度政治”を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない》。


   『●多分、アベ様は沖縄で三度敗れる・・・・・・
                踏みにじられる沖縄の民意
    《全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を
     守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに
     抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから、脈々とこの島で
     生きるものたちが受け継いできたもの

   『●「不屈」…「瀬長の口、耳、目を封じることはできても、
        八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」

 琉球新報の記事【「カメジロー」盛況 東京上映、初日立ち見も】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-563683.html)によると、《米統治下の圧政に不屈の精神で抗議する姿勢を貫いた瀬長亀次郎さんのドキュメンタリー「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督)…佐古監督は「瀬長さんの生きざまを通して沖縄の戦後史を知っていただくだけでなく、今の日本の在り方と照らしていろんなことに気付いてほしい」…。舞台には瀬長さんの次女・内村千尋さんも登壇し「右の人、左の人関係なく、父の生きざまに感銘を受けたとおっしゃってくれる人が多いが、父が亡くなってから調べるうちにすごさが分かった。父が頑張れたのは祖母から受けた愛情の影響が大きい」と話した。名護市辺野古の新基地建設などについて触れ「沖縄は今、大変なことが起きている。学習会や討論会を開いて沖縄のことを知ってほしい」と求めた》。

 木下昌明さんの批評集について、《著者にとって、映画は絵空事ではない。なぐさみの対象でもない。映画館は、彼にとって、生き方を示唆してくれる場所なのだ》。木下昌明さん、《いまがふんばりどきなのだ》。その木下昌明さんの『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』についての映画評の結び、《映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる》。

   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
    「レイバーネットの映画コラム【<木下昌明の映画の部屋>
     戦争の裏側を描く2本の映画~『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯』
     『ヒトラーへの285枚の葉書』】…《夫妻に一人息子の戦死の報が
     届くところから始まる。二人はそっけない軍事郵便に騙された
     と絶望するものの後の祭り…。ヒトラー政権が台頭するとき、
     市民がみな反対していれば、誰もが一人一人捕らえられて
     死んでいくことはなかった。…ドイツの独狼さん…
     「黙るのは罪、行動するのは義務」…。いまがふんばりどきなのだ》」


 瀬長亀次郎さんから《受け継いできたもの》は《不屈》《一人のヒーローではなく人々の結集》。森を殺すこと、海を殺すこと、番犬様の基地の押し付け、《大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》、《統合エアシーバトル構想》…人々は分断されることなく、《不屈》に《結集》するしかない、ガジュマルの様に。《沖縄に自生するガジュマルは何本もの細い幹を束ねたようにして一本の大木となっている。これを「どんな嵐にも倒れない、沖縄そのもの」…映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる》。
 「本土」は見て見ぬ振りすることなく、この腐敗したアベ様政権を一日も早く倒さなければ、ニッポンは御終い。《瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度(そんたく)政治”を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない》。

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http://www.labornetjp.org/news/2017/0720hon

〔週刊 本の発見〕 『ペンとカメラ――時代と生きる』
第1~第4木曜掲載・第14回(2017/7/20)

第14回 身を挺して書く
●『ペンとカメラ――時代と生きる』(木下昌明 績文堂 2017年6月刊 1800円)/評者=志真秀弘

 わたしは、信州の山家育ちだが、行きつけだった床屋のおじさんが、西部劇の話をしてくれたのを覚えている。ストーリーは忘れたが、ジョン・ウエイン、バート・ランカスター、アラン・ラッド、ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダなどなどの名演ぶりを想像した。田舎だったから映画館に気安くいくことはできない。そんな子供の私に、おじさんの話はわくわくする体験だった。

 本書は、そんな映画体験を文章によって味あわせてくれる。

 たとえば、「ジンネマン映画の魅力」を読もう。1934年、ナチス支配下のベルリンで反ファシズムと闘う幼なじみのユダヤ人富豪の娘ジュリアの要請に応じてアメリカ人作家リリアンが、パリから列車でベルリンに向かう。緊張感に耐えるリリアンの姿に、『真昼の決闘』の保安官や、『日曜日にはネズミを殺せ』の元ゲリラ隊長の緊張した内面が重なる。「逃げたくとも逃げずに耐えていく」生き方に、ファシズムに立ち向かう時代の精神のあり様を著者はみる。リリアン・ヘルマンは、赤狩りの時代に非米活動委員会議長宛てに良心を流行に合わせて裁断することはできないと手紙を送った。彼女の精神のありかは、映画の「へっぴり腰ではあれ、臆病をきらった」リリアンのそれとおなじだった。「私もリリアンのように生きたい」と著者は結ぶ。

 著者にとって、映画は絵空事ではない。なぐさみの対象でもない。映画館は、彼にとって、生き方を示唆してくれる場所なのだ。

 「南京事件 誰が虐殺を命じたか?」は、『ジョン・ラーベ――南京のシンドラー』をとりあげる。これは、「娯楽大作」だが、日本では右翼を恐れて劇場公開できなかった。この映画を木下は、ラーベの日記、当時の記録映画『南京』、中国映画『南京1937』、武藤章中将の遺著、日本テレビのドキュメント『南京事件 兵士たちの遺言』、レイバーネットTVの小野賢二の証言などによりながら、緊迫感に充ちた語りで、虐殺の責任者が誰かを明らかにする。一本の映画を、これだけ歴史的・実証的に解明し、問題の所在を摘出する映画批評を書くのは、もはや著者を置いてないのではないか。が、それだけではない。「私たちは、侵略戦争を克服できているのか」。みずからの生き方に結び付けて著者はそう問う。彼の本を読み、「深く生きよう」とフクシマ陽太郎が書く所以だろう。

 「親しいのになぜ憎しみ合うのか」は、映画『無頼無法の徒さぶ』のなかで、親しいからこそ憎しみが噴出する人間関係の不条理を、書いている。初め、わたしは、不条理を指摘するだけに留まっているのかと勘違いした。再読して、著者が、優劣や競争を越えた人間の関係を描こうとしていることに気づき、中野重治の詩「その人たち」をふと思い出した。「サヤ豆を育てたことについてかって風が誇らなかったように/また船を浮かべたことについてかって水が求めなかったように」の2行の思想に連なる著者の考えに感動した。

 本書は木下昌明の7冊目の批評集だが、前著『〈いのち〉を食う』と本書とで、彼の批評は、命と時代と世界をとらえて、それまでの仕事を超えた。彼の対象は、すでに映画に留まっていない。〈Ⅰ カメラは行動する〉で、ビデオカメラを手に、毎週金曜日国会前集会に赴く。〈Ⅳ 芸術運動――先駆者たちの仕事〉では、彼を育てた芸術運動の人と歴史とを再構成して自らの批評の生い立ちを証してみせた。文字通り、身を挺して書く。その仕事のとりあえずの集大成が、本書である。これを読まずに、3・11以後の今を語ることはできない。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日(第1~第4)に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美です。
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http://www.labornetjp.org/news/2017/0822eiga

木下昌明の映画の部屋>
●佐古忠彦監督『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
瀬長亀次郎にみる沖縄の戦後史

 沖縄に自生するガジュマルは何本もの細い幹を束ねたようにして一本の大木となっている。これを「どんな嵐にも倒れない、沖縄そのもの」と愛した男がいた。その大木のシーンから『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が始まる。

 男とは戦中、毎日新聞那覇支局の記者を務め、戦後はうるま新報(現・琉球新報)社長に就任、人民党結成に参加し、那覇市長となった瀬長亀次郎(1907~2001年)のこと。沖縄が日本に復帰する2年前から、初の衆院議員として国会でも活躍した。彼の波乱にとんだ生涯を、以前に「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターを務めた佐古忠彦が監督し、TBSテレビが制作したのが本作。

 映画は、テレビ局ならではの豊富な資料映像が使われ、本人の生前の貴重なインタビューをはじめ、彼とかかわった人々の証言を重ねている。瀬長は戦後一貫して米国の沖縄支配とたたかった人物で、彼を介して沖縄の知られざる戦後史も浮かび上がってくる。

 なかでも、その人となりを表す一枚の写真が目に焼きつく。それは琉球政府創立式典時のもの。全員が脱帽して起立しているのに、彼は一番後ろで着帽したまま腰かけている。創立の署名欄にも一人だけ捺印(なついん)していない。瀬長によると「米軍に占領された」ままの政府でしかなかったからだ、と。これ以降、米軍は彼を敵視し、刑務所に送り込む。その折に起きた囚人暴動で瀬長のとった行動が面白い。

 また、彼が結成に参加した人民党は人権を高く掲げた「ポツダム宣言」を基にしたものというのにも驚かされる。

 彼の行くところ、何万人もの人々が押しかけ、「瀬長一人が叫んだなら50メートル先まで聞こえる。ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば………」の有名な文句は人々の心をわしづかみしたという。

 映画は、瀬長の「不屈」の精神が、今でもガジュマルのように根をはっていることを教えてくれる。(『サンデー毎日』2017年8月20・27日号)

※8月26日より東京・ユーロスペース他全国順次公開
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-565720.html

<金口木舌>全国に響くカメジローの生きざま
2017年8月31日 06:00

 映画はガジュマルの映像から始まった。その木のように倒れない男の話だ。彼は、選挙で倒した“敵”を「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けた

米統治下の圧政に抵抗した政治家瀬長亀次郎氏を描いた記録映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が好評だ。那覇市の桜坂劇場では長蛇の列ができ、東京でも連日満員だ

佐古忠彦監督は東京での舞台あいさつで沖縄と本土の「溝」に言及した。その大きな理由は、本土の人々の認識の中から「沖縄戦後史がすっぽり抜け落ちている」ことだと

▼本土のテレビのニュースで基地問題は瞬間の事象しか伝えない。このため、なぜ県民が声を上げているのかが伝わっていないと言う。「瀬長氏の生きざまを通して戦後史を知れば、その理由が分かる

▼「弾圧は抵抗を呼ぶ/抵抗は友を呼ぶ」。瀬長氏の言葉や行動に、沖縄における今の闘いの原点が凝縮されている。佐古氏はそれを知ることで、沖縄との溝が少しでも埋まるよう願った

▼瀬長氏にとってガジュマルは民主主義のとりでであり、分断を克服する場でもあった。「敵/味方」「右/左」「沖縄/本土」などの分断や溝に「不屈」の精神で挑んだ生きざまは、“忖度(そんたく)政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない
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●「不屈」…「瀬長の口、耳、目を封じることはできても、八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」

2017年08月31日 00時00分27秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]




沖縄タイムスの阿部岳さんのコラム【[大弦小弦]「カメジロー番」を自称していた時期がある…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/124080)。

   『●多分、アベ様は沖縄で三度敗れる・・・・・・
                踏みにじられる沖縄の民意
    《全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を
     守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに
     抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから脈々とこの島で
     生きるものたちが受け継いできたもの

 《▼瀬長亀次郎さん…は投獄される前、裁判でこう陳述した。「瀬長(中略)の口、耳、目を封じることはできても、八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」(著書「民族の悲劇」から)。今、瀬長さんはいない。だが、瀬長さんが信頼した県民がいる。(阿部岳)》。


 瀬長亀次郎さんから《受け継いできたもの》は《不屈》《一人のヒーローではなく人々の結集》。森を殺すこと、海を殺すこと、番犬様の基地の押し付け、《大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》、《統合エアシーバトル構想》…人々は分断されることなく、《不屈》に《結集》するしかない。「本土」は見て見ぬ振りすることなく、この腐敗したアベ様政権を一日も早く倒さなければ、ニッポンは御終い。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「本土という安全地帯から」沖縄イジメに加担する愚…
         誤解というレベルを超えた悪質な沖縄「デマ」に抗う
   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・ 
      普天間は返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
       そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
    《安倍晋三首相が遺影に向かって追悼の辞を読み上げ、
     席に戻ろうとした時、会場から訴えるような女性の声が響いた
     「基地を造ったら沖縄が戦場になる」 大田さんが生前、
     いつも気にしていたことだった》

   『●全国戦没者追悼式を前に…阿部岳さん「県民大会で、
            沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した」
    「全国戦没者追悼式を前に…《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み
     であり、《県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した》そうだ。
     アベ様や自公政権、「本土」により、今も「尊い犠牲」論を強いられる沖縄。
     その典型が、高江であり、辺野古」

   『●「敗戦後」も戦争は続き、
     「唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった」

   『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
      戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」

   『●グアムと沖縄: 「脅威にさらされ」続け、
      「標的にされ」続け、「尊い犠牲」論を強いられ続ける人々


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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/124080

[大弦小弦]「カメジロー番」を自称していた時期がある…
2017年8月7日 07:28 阿部岳 瀬長亀次郎

 「カメジロー番」を自称していた時期がある。番記者は政界有力者の動向を追うのが仕事。私の場合、密着取材すべき相手はすでに他界していたが、残された資料には「宝の山」と呼ぶべきニュース価値と、時代の息吹があった

     (瀬長亀次郎さん(1969年撮影))

瀬長亀次郎さん。復帰前、米軍に奪われた権利を取り戻すため人々の先頭に立った。政府の強権姿勢が当時と重なる今、その闘いに学ぼうとする人は多い

翁長雄志知事もその一人。沖縄平和運動センターの山城博治議長は長期勾留中に瀬長さんの著作に触れた。辺野古の抗議行動の現場には瀬長さんの言葉「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」や「不屈」がある

▼「不屈」は実は瀬長さんの姿勢を指す言葉ではない。12日公開の映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男」で、次女の内村千尋さん(72)が明かしている

▼「県民は亀次郎が不屈の人だからだと思っているけど、亀次郎は県民の闘いが不屈なのでこの言葉が好きだと言っている」。必要なのは一人のヒーローではなく人々の結集だと考えていた

▼瀬長さんは投獄される前、裁判でこう陳述した。「瀬長(中略)の口、耳、目を封じることはできても、八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」(著書「民族の悲劇」から)。今、瀬長さんはいない。だが、瀬長さんが信頼した県民がいる。(阿部岳
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