まったり風景

アルビレックス新潟のゲーム画像と、散歩写真+戯言のブログです。

蓮沼

2007年07月21日 | マッタリ風景

蓮の花が散り際状態。
写真を良く見ると、雨の降った軌跡が白い筋で見えます。



今日の新潟市は雨模様、特に午前中は結構激しい降り方でした。
昨年、福島潟に隣接する蓮沼でマトモニ蓮の花を撮影できなかったので、今年こそはと意気込んでいました。
で、午前中外出したついでに様子見で蓮沼へ寄ってみたら、何と蓮の花はどんどん開花していて、蓮沼一体がピンクに染まっているではありませんか。
早朝に開花した花は、もう終わったよと遅いぜと散り際状態です。
この前、ここに来たときは、枯れ沼状態で蓮の葉っぱさえ見えなかったのに、短期間で凄い変貌をとげていました。
一応カメラを持っていったので、散り際の蓮の花を愛でながらの撮影を実行。
雨足が結構強くて、傘を差してカメラが濡れないように注意しながらの撮影となりました。
でも、こんな天候でも先客の同業者?がいらっしゃいました。
三脚を立てて、ポンチョを着用した重装備で、バシバシと撮影されていたようです。
雨が降ったときの撮影はあまり歓迎しませんが、雨のシャワーを浴びて気持ち良さそうな蓮の花をファインダーで覗いていると、雨の日の撮影も捨てたものじゃないなと反省。





寝坊した蓮の花でしょうか?
もう、昼近くだと言うのに、咲いていません。
それとも、明日の早朝に開花するつもりなのか。





あめ

2007年07月17日 | マッタリ風景

雨に濡れたアジサイ。
梅雨には欠かせないお花ですね。




今日の新潟は、朝から雨模様で、正しく梅雨の真っ只中と言った風情です。
この時期、夜静かに雨音を聞いていると凄く心が落ち着いて、マッタリとした時間を過ごすことができます。

一晩経過したら、柏崎地域の被害は拡大する一方です。
私に取ってはマッタリとした雨なのですが、被災地に取っては厄介な雨です。
仕事も、被災地と直接、間接につながっていますので、今日はそちらの関係で忙殺状態でした。
でも、関係することによって早く通常の生活に戻る一助になれば、嬉しい忙しさなのですが。


今朝のスポーツ欄を見てビックリ。
慎吾とマーカスがレンタル移籍する記事が目に飛び込んで来ました。
あの、新潟の顔と自他共に認める慎吾が移籍とは信じられません。
でも、アルビの熾烈なポジション争いは、慎吾さえ出場機会を求めて他のチームへ移籍する決心をさせるのですから、3位と言う順位はチーム内競争の結果だと変に納得してしまいました。
新潟の顔が移籍することは、悲しいことではあるのですが、野球と違って自分の意思で出場機会を求めて他のチームへ移籍するシステムがあることは、リーグ自体の活性化になると思います。
彼が相手チームの選手としてビッグスワンのピッチに立ったときが凄く楽しみです。






新潟県中越沖地震

2007年07月16日 | マッタリ風景

新潟県で、再び大地震が発生しました。
私が住んでいる新潟市も震度5を記録して、酷い揺れでした。
2階の部屋でパソコンで作業をしていたら、行き成り揺れが来て慌てて1階へ避難。
3年前の中越地震に比較すると、最初の突き上げるような揺れは強く無かったけど、その後数分間も続いた気持ちの悪い横揺れが違っていました。
例えると、家の筐体ごと泥沼に浮いているような揺れに感じました。
「平成19年新潟県中越沖地震」と名前を冠する大地震を経験したわけですが、自分が新潟地震、新潟県中越地震、新潟県中越沖地震と3つもの大地震を経験することになるとは。人生の一歩先は全く想像できません。

TVに映し出された画像を見て、私は強い揺れを経験しただけで、怪我も被害も無かったのが、本当に有難く感じました。
被害に遭われた皆様に、お見舞いを申し上げます。













発見

2007年07月15日 | マッタリ風景

展示されていた蒲原鉄道の車両。
向かって左側が「モハ71」、右側が「クハ10」。



この時期にしては珍しく、台風(4号)が本州へ上陸をして、太平洋側を縦断して行きました。
新潟は、風雨にみまわれたものの、構えていたわりには酷い状態にならず、助かりました。
被害にあわれた地域の皆さんに、お見舞いを申し上げます。

それでも、午前中は結構風が強く吹いて、車で横風を受けると結構ゆれました。
そんな最中、五泉市(旧村松町地区)へ出かけたのですが、途中で野原に鉄道車両が展示されているのを見つけました。
気になって帰りに寄ってみました。





「モハ71」を正面から見る。




展示されていた車両は、かつてこの地方を走っていた蒲原鉄道の車両でした。
この鉄道は大正11年に開業して、昭和60年に廃止されました。
車両が展示された野原は、かつで蒲原鉄道が走っていた線路跡に面しています。

どこか、公の組織が保存しているのかと思いましたら、何と個人で車両を譲り受けて保存したと、看板へ由来が書いてあります。
「設置・維持費等で相当の費用がかかると思いますが、老い先短い私の思いを託して、恩給等の私費を投じて.....」とこの方の思いが連綿と書かれており、その心意気に打たれました。





入り口に掲げられた、保存の由来を記した看板。
鉄道車両だけではなく、信号機も保存されている。
写真の奥に見える鉄塔は多分蒲原鉄道で使われていた架線と思われる。





「クハ10」を正面から見る。




残念なことに、現状は放置状態となっており、メンテナンスされていない車体はペンキがはげて、さびが浮いている状態です。
個人で車両を維持して行くことは並大抵のことではありませんから、文句を言える立場ではありません。
先日、JR東日本の車両基地へ静態保存されていた「特急ときの」車両が大宮へ建設された鉄道博物館へ輿入れして行きました。
幸せな保存車両がある反面、同じような文化遺産が放置されています。
この手の廃止されて放置状態となっている中小私鉄の車両を保存、展示して次世代への遺産として引き継ぐ方法はないのでしょうか?
上田電鉄の丸窓電車、そして今日見た蒲原鉄道の車両と、いささかセンチメンタルな気持ちになってしまいました。




「クハ10」側より車両全体を見る。
野ざらしではなく、しっかりと屋根をつけて保存されていました。
この屋根自体が、どこかの駅のホームそのもののように見受けられました。
「クハ10」の反対側はかつての村松(左方向)-五泉(右方向)の線路跡です。




台風が運んできた雨と風に見舞われながらの見学でした。
最後に、ちょっとセンチメンタルな気分になり、こんな写真も撮影。