日々の気付き

自分への提言

多くの世界

2019年09月17日 21時06分23秒 | 日記
 1つの現象には、始まりと終わりがあり、その内部においては、個別の各現象同士が、時間的な因果律に従って、規則正しく連結されています。
 私たち地球の歴史は、普遍的な土台である、惑星の創造と生物の誕生の上に、人類の歴史が載ったものです。
 それには始まりと終わりがある・・・私たちの歴史は、1つの現象として私たちによって認識されているので、少なくとも、過去は変えることは容易ではなく、未来も、過去からの影響を多分に受けたものとなっています。
 私たちが自身の歴史を細分化し、1つの現象を別の物に置き換えるならば、私たちの歴史は全体として刷新され、それを構成する各現象の1つ1つが、刷新による影響の下、変容することになります。
 私たちの歴史の全体的な刷新については、人類全体の合意が必要です・・・なぜなら、過去を変えないというのが、私たちの信念となっており、その信念は強固な物となっているからです―しかし、私たちは時折、過去が変化したような事態に直面することがあります。
 私たちが過去を回想しているとき、私たちは、過去を微妙に改変しているのであり、各種の書物も、物によっては、昨日とは内容が変わっているのではないか、と、私は考えることがあります。
 始まりと終わりが「全て」ではありません。
 この宇宙には、幾つもの「始まりと終わり」が在るのではないでしょうか?
 誰かが何かを1つの現象として規定するなら、そこには、1つの時間と1つの空間という、1隻の船が誕生する事になリます―その上に乗る物は皆、過去からの支配下にあります―それは、過去が未来を規定する1つの枠組みです。
 私たちの思念は現象に作用しますので、思念を多用する社会というのは、思念を使わない社会とは混じり合いにくいでしょうーそのために幾つもの現象、すなわち、「多くの棲み家」がこの宇宙に存在するのであろうと考えられます。
 自身の思念をどの程度自分たちの環境に反映させるか、という、その割合がほぼ100パーセントに達する人々の居る世界は、「神の御座」と呼ばれているのでしょう。
 その世界に住む人々が私たちの「現象」に参加するなら、私たちが過去を変えないという強力な思念を維持する中でも、それらの人々の思念は各個別の現象に反映されるでしょう。

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