おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小樽運河。倉庫群。「カモメ呼ぶ小女」像。運河公園。・・・(小樽。その1。)

2015-05-09 22:00:55 | 歴史・痕跡
  
 4月29日、札幌まで出かけ、翌日は小樽へ行きました。札幌での所用、日帰りでもよかったのですが、ホテル朝食付きで往復の航空券を含めて、3万1千円(ANA)、それにしようということで(最近は、こういう行き方が多くなりました)。
 泊まったホテルは、「リッチモンドホテル札幌駅前」。この前、帯広に行ったとき、朝食のサービスなど、利用したときの印象がよかったので、今回も。
 行きの飛行機は満席、帰りはがら空きでした。
 29日の夜は、地元の方何人かとと飲食をし、談論風発、気がついたらホテルのベッドというありさまでした。
 さて、翌日は午後の便をとっていたので、札幌からJRで小樽まで出かけました。特にお目当てがあるわけではなく、小樽運河あたりでも、くらいの観光客気分で。インターネットで入手した「情緒あふれる『北運河』コース」を片手に。
 ところが、駅前から運河に向かって行くと、何と「鉄道線路」が。「手宮線」。現在は廃線となっているそうです。

        

 運河見物もそこそこに「小樽市総合博物館」へ。そこから廃線をたどって「南小樽駅」方向へ歩きました。思いがけない収穫。そのレポートです。
 今回は、小樽の近代史に敬意を表して、観光客であふれる(それも外国人観光客で)運河周辺を見物したところから。そういえば、札幌からの車内は、中国人、韓国人、その他、外国人がたくさん乗っていました。

    

旧安田銀行小樽支店 建築年:昭和5年(1930)年 構造:鉄筋コンクリート造

 ・・・ギリシャの建築様式をもった昭和初期の典型的な銀行建築で重厚さあふれる円柱が特徴です。・・・

             

 この円柱様式は、都内でも関東大震災後に建てられた鉄筋コンクリートの復興校舎などにも特徴的に取り入れられています。また、半円形の窓などもよく似ています。都内にあったこうした建物も新改築でほとんど姿を消してしまいました。

  
                             「運河プラザ」。

 北海道で最も古い営業用倉庫である「小樽倉庫」を利用した物産プラザ。隣には「小樽市総合博物館 運河館」があります。入口右手前にある犬の銅像は、「消防犬ぶん公」。

    
    中庭。                                   外観。

 屋根には若狭(福井県)産の瓦とシャチホコが上げられている。シャチホコは、高さ1.5メートル、重量120キログラムの銀瓦製で、かなり目立つ逸品です。
 また中庭の日の字型に配された倉庫は左右対称で、現存する木骨石造倉庫群の代表格とされ、歴史的建造物に指定されています。

「小樽運河・中央橋」。

案内図。昭和初期の写真が載せられています。

運河沿いの倉庫。     

                                 

運河の西側・左手の遊歩道には大勢の観光客がそぞろ歩き。似顔書きや写真販売など露店がずらり。
    
  小型の観光船ものんびり就航中。

歩道に沿った道路側には小樽の歴史や文化に関するモニュメントがずらり。
           
                                  「力じまんの仲仕」。

小樽に因んだ歌謡曲も。
 
    
 「おれの小樽(唄:石原裕次郎)」。                   「小樽のひとよ(唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ)」。  

    
 「小樽と日本海航路」。                           「商業の町 小樽」。 
  
    
                                「開拓で伸びた鉄道」。

観光船は、港の方へ。

「旧大家倉庫」。

    
       「北海製罐(株)小樽工場」。小林多喜二の『工場細胞』のモデルとなった工場。

「北浜橋」。

               
                「カモメ呼ぶ小女」像。

運河に係累されている船。

    

 「旧渋沢倉庫」。明治28年から大正までに建築され、増築により三つの屋根が組み合った珍しい形をした倉庫。現在は、ライブハウス「GOLD STONE」や喫茶店「PRESS CAFE]が入っています。

    
                    「運河公園」。正面中央奥に見えるのが「旧日本郵船(株)小樽支店」。



 日本郵船 船入澗跡

 船入澗(ふないりま)は、大型船が接岸できるふ頭がつくられる以前、港湾荷役の中心だった艀(はしけ)による貨物の積み降ろし場所でした。
 日本郵船船入澗は、明治20年代に海岸の埋め立てと合わせてこの場所に整備されたもので、支店事務所と周囲の石造倉庫群が一体化した光景の中、貨物を満載した艀が活発に出入りする姿が見られました。
 この公園の池は、当時の船入澗を4分の1の面積で再現したものですが、実際の船入澗のあった位置には、四隅に青銅板を配置しそれらを黒御影石で結んでおります。。

 「運河公園」には、童謡「赤い靴」のモデルとなった親子の像がある、とのことですが見ませんでした。公園の西側にある「旧日本郵船(株)小樽支店」へ。

        

                        
重要文化財  旧日本郵船株式会社小樽支店

 この建物は、明治39年日本郵船株式会社が小樽支店として新築したものです。設計は工部大学校出身の佐立七次郎工学博士で、当時としては最も新しい石造洋風建築です。新築後間もなく、日露戦争の講和条約による樺太の国境画定会議が小樽で開かれることになり、この建物の2階会議室において両国代表による会議が開かれ、隣の貴賓室で祝杯が交わされました。昭和30年、市がこの建物をゆずり受け、小樽市博物館として使用していましたが、昭和59年から62年にかけて保存修理工事を実施し、営業室、会議室、貴賓室などを往時の姿に復元しました。

                                 小樽市

    

 旧日本郵船(株)小樽支店残荷倉庫

 旧日本郵船(株)小樽支店(国指定重要文化財)と同時にこの残荷倉庫も建設されました。工部大学校第一期卒業の佐立七次郎の設計による一連の建築として貴重なものです。マンサード屋根の小屋組、壁の石積みの仕様などは支店社屋と共通しています。・・・

                                小樽市
注:「マンサード屋根(マンサードやね)」とは、17世紀のフランスの建築家フランソワ・マンサールが考案したとされる屋根で、寄棟屋根の、外側の4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる外側四面寄棟二段勾配屋根である。天井高を大きくとったり、屋根裏部屋を設置したりするのに適している。マンサード様式などとも呼称される。                     
 (「Wikipedia」より)            
 
そこから東にある「運河公園」を望む。

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