引き続き選挙制度の話だが…
どうやらいわゆる0増5減という法案は通るらしい。ただし今回の選挙では適用されないので「違憲状態」での選挙になるそうだ。ただ、そもそも「一票の格差」は本当に違憲なのか。
違憲判断をした裁判所の根拠は法の下の平等を侵しているという論理だが、日本国憲法には具体的に選挙において一票の重さが平等でなければならないと書かれているわけではない。最高裁が二倍を越えると違法状態であると判断したことを基準に違憲か合憲が判断されているのだ。
法律的解釈は一応合理的だとは思う。しかし憲法で保障されているのは一票の重さではなく人権上の平等だということが重要だ。
そもそも現代の日本において法の下の平等が最も侵されているところはどこか? それは貧富の格差であり、地域格差なのだ。
新自由主義者に言わせればそれも個人の努力の問題ということになるのだろうが、スタートの時点で不平等な競争が正当な競争であるはずがない。
昭和の自民党政治は田中角栄の列島改造論に見られるように、地域格差の是正を名目にしながら、その実、重厚長大・中央集約型の政策を続け、その結果、地方はどんどん疲弊し過疎化が進行していった。逆に都市圏は過度な人口集中によって様々な問題を生み出しており、一例では宅地として不適当な土地に住宅がどんどん作られたために先の千葉の地盤液状化問題などの問題を引き起こすなどということが起こっている。
まさに一票の格差問題はこうした原点にまでさかのぼって考えなければならない。
大資本と政治家のために人口を奪われてきた地方が、そのことによってますます政治への影響力を奪われていくということが正しいことなのかよくよく考えるべきではないのか。数字の問題だけで割り切ってよいものなのか。
たとえば沖縄の人口が東京と同じだったら、基地問題がこのようにいつまでも続いていただろうか。
これは地域だけの問題ではない。問題を世代間格差に置き換えてみれば身に詰まれる人も多いのではないだろうか。年寄りと若者の一票の重さが同じだからこそ、数の多い年寄りに厚く数の少ない若者に冷たい政治が横行するのではないのか。
一見間違いのない正義のように見えることでも、視点を変えてみればそんな単純なことではないことは常に忘れてはならないのだ。
どうやらいわゆる0増5減という法案は通るらしい。ただし今回の選挙では適用されないので「違憲状態」での選挙になるそうだ。ただ、そもそも「一票の格差」は本当に違憲なのか。
違憲判断をした裁判所の根拠は法の下の平等を侵しているという論理だが、日本国憲法には具体的に選挙において一票の重さが平等でなければならないと書かれているわけではない。最高裁が二倍を越えると違法状態であると判断したことを基準に違憲か合憲が判断されているのだ。
法律的解釈は一応合理的だとは思う。しかし憲法で保障されているのは一票の重さではなく人権上の平等だということが重要だ。
そもそも現代の日本において法の下の平等が最も侵されているところはどこか? それは貧富の格差であり、地域格差なのだ。
新自由主義者に言わせればそれも個人の努力の問題ということになるのだろうが、スタートの時点で不平等な競争が正当な競争であるはずがない。
昭和の自民党政治は田中角栄の列島改造論に見られるように、地域格差の是正を名目にしながら、その実、重厚長大・中央集約型の政策を続け、その結果、地方はどんどん疲弊し過疎化が進行していった。逆に都市圏は過度な人口集中によって様々な問題を生み出しており、一例では宅地として不適当な土地に住宅がどんどん作られたために先の千葉の地盤液状化問題などの問題を引き起こすなどということが起こっている。
まさに一票の格差問題はこうした原点にまでさかのぼって考えなければならない。
大資本と政治家のために人口を奪われてきた地方が、そのことによってますます政治への影響力を奪われていくということが正しいことなのかよくよく考えるべきではないのか。数字の問題だけで割り切ってよいものなのか。
たとえば沖縄の人口が東京と同じだったら、基地問題がこのようにいつまでも続いていただろうか。
これは地域だけの問題ではない。問題を世代間格差に置き換えてみれば身に詰まれる人も多いのではないだろうか。年寄りと若者の一票の重さが同じだからこそ、数の多い年寄りに厚く数の少ない若者に冷たい政治が横行するのではないのか。
一見間違いのない正義のように見えることでも、視点を変えてみればそんな単純なことではないことは常に忘れてはならないのだ。