*始めに言っておくが、 2017年02月06日 22時39分44秒 | ショートコメント 始めに言っておくが、ぼくは、タバコも、大麻も、覚醒剤も、ヘロイン、コカインも、使ったことが無い。ただ、アルコール、コーヒー、チョコレートなどには、時には依存症的な常習性を持つことがある。 だから、的を外していることもあるかもしれないが…
*近代の思想的到達点を後退させず 2017年02月06日 09時19分13秒 | ショートコメント 近代の思想的到達点を後退させず、しかし人類の破滅を阻止するために、古代的抑圧ではない個人の欲望に対する新しい社会的抑制の仕組みを作る必要がある。 それは結果的に近代の否定となるが、当然ながら発展的継承でなければならない。
*近代では限り無い欲望が 2017年02月05日 23時08分18秒 | ショートコメント 近代では限り無い欲望が推奨され、それが人類の驚異的発展の原動力ともなった。 しかし、人類社会の急激な拡大・発達は、地球環境に対する壊滅的負荷を生み、社会内部のあつれきも、核兵器が象徴するように危機的状況となった。
*個人を解放してきた歴史 2017年02月05日 22時30分16秒 | ショートコメント 人類の歴史は、古代的な宗教や共同体による抑圧から、個人を解放してきた歴史とも言える。 そして近代において、ついに宗教の排除が実現するに至ったが、それは人間の欲望の解放を意味した。
*欲望は制御が効かず 2017年02月05日 07時40分17秒 | ショートコメント 欲望は、しかし制御が効かず、社会の破滅につながる危険もはらむ。 だから、人類ははるか昔からそれを社会的機構において制御しようとしてきた。 そのひとつが宗教。 どの宗教も収奪や強欲を禁じるなど、重要な戒律の部分で似ている部分が多い。
*欲望を持つのは 2017年02月05日 07時19分22秒 | ショートコメント 人間が欲望を持つのは、ヒトが動物である以上、まったく自然なこと。 欲望は動物が自分の生命を維持し、種を維持し、存続させるための機能。 またそれが人間社会の生産活動のエンジンであり、それで人類が発展してきたのも事実。
*重要なことは、 2017年02月05日 00時32分41秒 | ショートコメント 重要なことは、自分を知ること=宗教的価値観の自覚であり、メタ宗教=感性的つまり前提的価値観の共有者の拡大の問題として理解することにある。 そしてそれは政治実践の前に置かれるべきことなのである。
*問題は思想と言うよりは、 2017年02月05日 00時02分08秒 | ショートコメント 本当を言えば、問題は思想と言うよりは、平等主義の価値観を持ったメタ宗教を、どれだけ布教できるかであり、それは政治や政策を語り、論理を尽くすこととは、また少し位相の違う次元の問題なのである。
*最も重要なメタ宗教的対立は 2017年02月04日 23時31分04秒 | ショートコメント 現代において最も重要なメタ宗教的対立は、「人は平等であるべき」という価値観と、「格差が生産性の原動力」という価値観の対立である。 当然、前提的な出発点が違えば、どんなに精緻に論理を積み重ねても両者が一致することはない。
*メタ宗教は人が 2017年02月04日 22時59分19秒 | ショートコメント メタ宗教は人が論理以前にアプリオリに持っている価値観の体系と定義づけられる。 たとえば、人を殺してはならないというのは一般的に人類全体に広がる常識だが、それは論理的結論ではなく前提的価値観である。
*私が言う「宗教」は 2017年02月04日 22時30分33秒 | ショートコメント 私が言う「宗教」は、一般的に使われる「宗教」とは少し概念が違う。そこで、ここでは「メタ宗教」という言葉を使うこととする。
*歴史を見れば 2017年02月04日 18時00分24秒 | ショートコメント 歴史を見ればよくわかるが、宗教を攻撃するのは宗教だけ。 マルクスとマルクス主義者たちが宗教を執拗に攻撃し排除したことが、マルクス主義が宗教であることの暗示でもある。 マルクス主義に必要だったのは「反宗教」ではなく、宗教の批判的内在化=宗教の主体化だったと思う。
*人間が人間である 2017年02月04日 17時30分51秒 | ショートコメント 人間が人間である大きなメルクマールのひとつは、人間はおしなべて宗教を持っており、それから逃れられないということ。 マルクス主義も宗教であることは多くの人が気づいていたのに、皮肉にもマルクス主義者だけがそれに気づけなかった。
*反宗教という姿勢も 2017年02月04日 16時52分06秒 | ショートコメント 反宗教という姿勢もまた、マルクスの近代主義的陥穽と言える。 マルクスに不足していたのは、人類にとっての宗教の意味の解明であったのかも知れない。 広く見るなら、唯物論でさえひとつの宗教的確信にすぎない。