大戦中に投下された“米国式地震”予告ビラ
典拠: 「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」P187 一ノ瀬俊也著 柏書房株式会社 2008年
(裏表両面印刷のビラ)
逐文解説
1940年代に米国中央情報局(CIA)の前身である戦略事務局OSS (Office of Strategic Services)によって起草された機密文書 「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」 から一部を引用する。上の“米国式地震”予告ビラと照らし合わせてお読みいただきたい。
「日本国民の間に社会的なヒステリー状態とパニック状態をもたらすことにおいて、二つの顕著な要因が歴史的に大きな役割を演じてきた。それは火事と地震である。
・・・・・・ 火事という要因はわれわれの焼夷弾による広範囲の爆撃によって供給されつつある。さてここに、われわれが利用すべきもう一つの別の要因が残っている。それは地震という要因である。
・・・・・・ 地震学者達は日本が 「地質学的な地雷」 であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。
・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」 と 「人間に引き起こせるトリガーの力」 との類似性が実証されている。
これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」
4年連続、毎年、M8近くの地震が日本の中部を襲った。日本の地震の歴史上極めて稀な集中である。
____昭和_____西暦______名称_____震源____M____死者・行方不明
1回目_昭和18年_1943.09.10__鳥取地震___野坂川___7.2__1,083人
2回目_昭和19年_1944.12.07 _東南海地震___熊野灘____7.9__1,223人
3回目_昭和20年_1945.01.13__三河地震___三河湾___6.8__2,306人
4回目_昭和21年_1946.12.21__南海地震___紀伊半島沖_8.0__1,330人
_______________3年3カ月の期間__________合計5,942人
1944.12.07 : この日は、日本側の資料では、「翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)」とされているが、アメリカ時間では、“12月7日”がまさに真珠湾攻撃を受けた日付である。
機密文書 「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」 から再度引用する。
「・・・・・・ 地震学者達は日本が 「地質学的な地雷」 であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。
・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」 と 「人間に引き起こせるトリガーの力」 との類似性が実証されている。
これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」 OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (2) 本文全訳