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ざぶっとstart:2006/09/16

マツコの知らない世界(10月28日放送)で紹介された「日本三大七味」です。

2014-10-28 22:14:40 | おすすめ商品!
マツコの知らない世界(10月28日放送)で紹介された「日本三大七味」です。

この三大七味唐辛子の内の一つの八幡屋磯五郎の9代目当主が出演されていました。

三大七味とは<やげん堀七味(東京)/七味家本舗(京都)/八幡屋磯五郎(長野)>との事です。

なかでも、やげん堀七味は日本の七味唐辛子の発祥とされ、そのレシピは七味のスタンダードとなっているとの事です。

という訳で、気になったので、アマゾンか楽天で売ってないか調べました。

1)やげん堀七味(東京)

やげん掘 七味 200g袋

*やげん堀(やげんぼり)とは(ウィキペディアより)/< http://yagenbori.jp/ >
 やげん堀 七味唐辛子本舗(やげんぼり しちみとうがらしほんぽ)は七味唐辛子を製造販売する商店。法人名は合資会社中島商店。江戸時代初期より中島家が10代に亘って営んでいる。七味唐辛子の元祖で、「やげん堀」は七味唐辛子の別称としても通っている。善光寺の八幡屋礒五郎、京の七味家本舗と共に日本三大七味唐辛子に数えられる。
 寛永2年(1625年)江戸薬研堀端(後の薬研堀町、現中央区東日本橋2-5付近)において中島右衛門が薬種商を開業したことに始まる。翌年には漢方の知識を用いて「七色唐辛子」を考案し、城内の菊の宴に際し時の将軍徳川家光に七味唐辛子を献上して気に入られ、「」の字を賜り「山」の紋を掲げた。

(ホームページより)
 七味唐辛子でお馴染みの浅草「やげん堀」。お気付きの方も多いと思いますが、この「やげん堀」(漢字では「薬研堀」)もちろん浅草の地名ではありません。
今の東日本橋一丁目が、以前の日本橋薬研堀町であり、元々、この辺りの堀の形が「薬研」という、薬を潰す道具に似ていたのでそう呼ばれるようになったと言われています。
事実、この地域には医者や薬問屋が多く、別名「医者町」で通っていたと言われ、また、このような場所で生まれた名前なのです。昭和十八年に現在の浅草に移りました。


2)七味家本舗(京都)


*七味家本舗(しちみやほんぽ)とは(ホームページより)/< http://www.shichimiya.co.jp/ >
息を切らして、産寧坂の急な階段を登りつめると、目の前を清水寺のゆるやかな坂道が横切ります。
その右手の角が弊舗『七味家本舗』です。
およそ350年前の明暦年間(1655~1659)に、この地に暖簾をかけました。当時は茶店として『河内屋』と号し、清水参りの皆様にお出ししていた「辛子湯」が評判を呼び、やがて『七味家』と改称し、七味唐辛子を商うようになりました。

3)八幡屋磯五郎(長野)

八幡屋磯五郎の七味唐辛子(中辛缶)




*八幡屋磯五郎(やわたやいそごろう)とは(ウィキペディアより)/< http://www.yawataya.co.jp/index.html >
株式会社八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)は、長野県長野市に所在する七味唐辛子メーカーである。江戸時代の元文元年(1736年)初代の勘右衛門より約270年以上続く老舗である。
鬼無里村(現 長野市鬼無里)出身の初代・勘右衛門が、善光寺境内で唐辛子を売りだしたのが始まりである。のち、三代・儀左衛門の代からは境内の中でも「一等地」である御高札前に店を張ることを許される。軽くかさばらない土産物として人気を集め、御朱印を頂く御高札「善光寺参りの手形」とまで言われた。

七代・栄助の代には、善光寺境内の入口であり、当時長野市の中心であった大門町に店舗を構えるまでになった。現在では長野県内各土産店・スーパーはもちろんのこと、日本国内では百貨店を中心に19都道府県に取扱店がある。


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