とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

ある偉大なバス歌手の思い出 その1

2017年03月08日 | クラシックDVD/CD

 昨夜、日課のように、寝る前にHMVのクラシックページ、注目商品を開くと「訃報 クルト・モルさん」の記事を見つけた。私が「クルト・モル」の生の声を最初に聴いたのは、偶然だった。1990年夏に 所沢に家を建てて1年目、娘は希望した私立の中高一貫校に入学し、息子はマンション暮らしで、飼えなかった犬を飼い喜んでいた。私は、毎日深夜まで働き、終電を過ぎまで働かされ、たびたび、大手町からタクシーでの帰宅が続いた本部勤務から、解放され、普通の勤務に戻れると思っていたが、会社から下された辞令は縁もゆかりもない秋田支店だった。左遷と思い会社を辞めることを考えたが、予想外のことで転職のめどもなく、家のローンも頭に浮かびとりあえず単身赴任でひとまず赴任して転職先を捜そうと秋田に赴任した。それから程なくして、支店長から私の担当外のお取引先のA社の当時専務でいらしたOさんを「うちにも一人音楽好きがおりまして」と紹介された。その後は仕事の話はそっちのけで、Oさんから先日「ブリギッテ・ファスベンダー」のリサイタルを大曲(現 大仙市)でOさんがプロモートしたとの話に、びっくりしていると「来年はクルト・モルのリサイタルを大曲で行います。」というのでまたおどろいた。私が「来年はN響、サバリシュで魔笛のザラストロを歌いますね。」というと、「大曲でも魔笛を入れますので、ご招待します。」と言われ私は反射的に「ありがとうございます」と言ってしまった。

 冬の期間は好きなスキーにのめりこみ田沢湖高原に繰り出し、春になるとOさんからはリサイタルの進捗状況やら相談を受けた。その中で、大曲出身の「小松英典氏」の後援会の中心がOさんでその関係で世界的な歌手が大曲で小松氏とジョイントリサイタルが可能となったことを知った。Oさんから「当日、スライドで訳詞をながすのだが、シモン・ボッカネグラの”慰めてくれ、海のそよ風よ”の良い訳詞がみつからない。」と訳詞探しを頼まれた。私の手持ちも秋田の図書館にも無かったことから当時はまだ「パソコン通信」と言われた時代に、「パソコン通信」で呼びかけをしたところ、仙台の「モッチー」さんから、NHKの「オペラ対訳選書」からの訳詞をいただいた。

 リサイタルは素晴らしかった。私にとっては、特急列車(当時は新幹線はなかった)に乗ってコンサートに行ったのは初めてだった。コンサート会場を出ると外が真暗闇なのも初めての経験だった。結局1年以内に転職先を探すつもりが、スキーとOさんのコンサート作りによって3年半秋田にとどまり、結局転職せずにサラリーマンを終えた結果になった。



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