とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

退職後初めての、癌研有明病院へ

2013年06月19日 | 病院
 何時も通り第3火曜日が癌研への通院だが、今日は癌研での3代目の主治医のK先生の最後の診療日だった。前2代の先生は大学に戻られたが、K先生は開業との事だった。
 しかも田町駅前で、娘の住んでいるところが営業エリアだ。そんなことから、私も先生の診療所に移りたいのですがと申しでをしたが、診療所は検査を委託するので、遠くからの通院は検査と治療に二度の通院になるので、負担になるのでと先生の方から断られた。
 其の検査は、PSA値が0.02-0.04-0.05-0.07と確実に上昇しているが、上昇幅が少ないことから。今回もホルモン剤の治療は様子見となった。
 病院を出たのは今日は先生の配慮か午前中の最後にして頂き待ち時間はいつもより少なかった。病院は1時に過ぎに出ることが出来た。
 いつもどおりに雨さえ降らなければ豊洲までの歩きだが、この日は30度の蒸し暑さで、有明テニスの森まで歩いた所で前を都バスが横切った。近くのバス停を覗くと3路線があり横切ったのは門仲行で他に東京駅丸の内口、八重洲行きがあった。



 時刻表を見ると八重洲行が程なくだったので、待って乗った。途中の景観は変貌する湾岸を象徴する高層マンションの林立だった。久しぶりに眺める、深川の変貌ぶりだった。バスは程なく八重洲駅前通りに入った。久しぶりに丸善でもよろうと急遽バスを降りた。それから日本橋に向った。
 日本橋で昼飯時はとっくに過ぎていたので、今の時間なら、並ばずに済むと思い、「そばよし」まで歩いた。2時近くだったがそばよしは並びはしないものの満員だった。しらす丼+ぶっかけセット520円を注文。名物粉末鰹節をたっぷりふりかけそれこそ半年ぶりに「そばよし」を味わった。
 こんな蕎麦屋が増えればと常々思いながら、そばかうどんか区別の付かない代物を出す「そばや」ばかりが増え、それどころか東京もさぬきうどんが幅をきかす時代になった。そばも寿司も元を正せば江戸庶民のファーストフードだったものが、何を何処で間違えたか、座っただけでウン千円もとる寿司屋、もりそば1枚千円をとる蕎麦屋が江戸文化を名乗るご時世。そばよしは「絶滅危惧種」の江戸文化だ。


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