「春初めてカッコウの声を聞き」曲名に鳥好き人間の私は飛びついた。バルビローリの演奏のカセットを買い込むと、車の中で聞き東北の山々に出かけた。
余談だが二昔前に所沢に越してきた時、カッコウの声に目を覚ました。近年屋敷林が減り托卵相手のオナガが減った影響だろうか、声を聞くのはまれになった。
反面山が荒れだしたのか、狭山丘陵では藪に住むウグイスを托卵相手にするホトトギスの啼き声は普通になっている。
80年代まだパソコン通信と言われた時代、イギリス作曲家が異常にCD界に繁殖した。その時私は「イギリス音楽はつまらない。」とフォーラムに書き込んだら、お前はバックスのケルト文化を理解していない。ボーン=ウイリアムスの響きが判っていないと集中砲火を浴びた。
それを言うならバックスのケルトなら外山雄三の八木節の音のが上だし、「南極交響曲」は中村八大作の「笑点」のテーマソングのインパクトに解けてしまうと思った。
英国の作曲家は概して、知的創造力に富むが、感性の創作力に劣るように思える。
だがデーリアスの音にはそれらイギリス音楽と一線を画した感性の豊かさに魅力を感じる。
カッコウはその後ビーチャム指揮の2枚組みのいわばデーリアス名曲集的なCDを入手したがもっとデーリアスを知りたくなり、カタログ漁りを始めた。
行き着いた先は、ユニコーン盤の7枚セットだ。作曲家の助手をしていたエリック・フェンビーの監修・指揮による管弦楽から歌曲まで魅力あふれる音がぎっしり詰まっている。
ここにはカッコウはないが、Pf協奏曲、Vn協奏曲をはじめ、オペラとミサ曲を除いたジャンルがおさめられている。ここに触れれば、Vcソナタは演奏者はおなじL.ウエッバーだが後にグリークのソナタと入れたほうが、企画的にも演奏もすぐれている。またVnソナタではT.リトルの全曲盤が音の切れも良く美しい響きが好きだ。
でも声楽曲ではどれもがすばらしい。でもこのCDでも不満は残る。もっとデーリアスは広く演奏されてもよいと思うのだが、何故かこれまた英国人の演奏家のみが採り上げている。彼の音楽にはサティーの小粋さ、グリークの清涼感、ドボルザークのメロディアスな感情がちりばめられている。
余談だが二昔前に所沢に越してきた時、カッコウの声に目を覚ました。近年屋敷林が減り托卵相手のオナガが減った影響だろうか、声を聞くのはまれになった。
反面山が荒れだしたのか、狭山丘陵では藪に住むウグイスを托卵相手にするホトトギスの啼き声は普通になっている。
80年代まだパソコン通信と言われた時代、イギリス作曲家が異常にCD界に繁殖した。その時私は「イギリス音楽はつまらない。」とフォーラムに書き込んだら、お前はバックスのケルト文化を理解していない。ボーン=ウイリアムスの響きが判っていないと集中砲火を浴びた。
それを言うならバックスのケルトなら外山雄三の八木節の音のが上だし、「南極交響曲」は中村八大作の「笑点」のテーマソングのインパクトに解けてしまうと思った。
英国の作曲家は概して、知的創造力に富むが、感性の創作力に劣るように思える。
だがデーリアスの音にはそれらイギリス音楽と一線を画した感性の豊かさに魅力を感じる。
カッコウはその後ビーチャム指揮の2枚組みのいわばデーリアス名曲集的なCDを入手したがもっとデーリアスを知りたくなり、カタログ漁りを始めた。
行き着いた先は、ユニコーン盤の7枚セットだ。作曲家の助手をしていたエリック・フェンビーの監修・指揮による管弦楽から歌曲まで魅力あふれる音がぎっしり詰まっている。
ここにはカッコウはないが、Pf協奏曲、Vn協奏曲をはじめ、オペラとミサ曲を除いたジャンルがおさめられている。ここに触れれば、Vcソナタは演奏者はおなじL.ウエッバーだが後にグリークのソナタと入れたほうが、企画的にも演奏もすぐれている。またVnソナタではT.リトルの全曲盤が音の切れも良く美しい響きが好きだ。
でも声楽曲ではどれもがすばらしい。でもこのCDでも不満は残る。もっとデーリアスは広く演奏されてもよいと思うのだが、何故かこれまた英国人の演奏家のみが採り上げている。彼の音楽にはサティーの小粋さ、グリークの清涼感、ドボルザークのメロディアスな感情がちりばめられている。
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